出陣前夜
ついにエルツにおいてアルフレッドの軍とノイマンの軍が武力衝突をした。
リヨン王国の偵察部隊がもたらしたその情報を、コーネリアは軍議の席で聞かされる事になった。
「それでエルツは? 兄上は無事だったのでしょうか?」
「アルフレッド皇太子が、町の外に出していた部隊で奇襲を仕掛けてどうやら優勢勝ちを収めたようだ。町は無事だ。安心するといい」
「そう……ですか」
安心しろとでも言うように頷いて見せるラウルに、コーネリアはようやくの思いで微かに笑みを浮かべた。
コーネリアが援軍の要請をするためリヨン王国に訪れてから、随分と時間が流れている。
ラウルとリヨン王国政府の計らいで、帝国内の情勢は逐次コーネリアの耳に届くようにされている。自身も軍議に参加させてもらっていたため、近々アルフレッドとノイマンの二人の兄同士が、それぞれの軍を動かして武力衝突をするだろうことは予見できていた。
コーネリアは胸いっぱいに詰まっていた不安をため息に変えて、そっと吐き出した。
「皇女殿下には大変お待たせしてしまったが、ようやく我が軍も準備を終えた。明後日にはリヨンから順次部隊が出発することになる。それで皇女殿下には、先発部隊に同行して欲しいのだが」
「私に旗頭を勤めよとおっしゃるのですね? 我が国とリヨン王国の国境には、帝国の西方方面騎士団が守備の任に就いています。また、同盟国とはいえ隣国の軍隊が越境しては、西側の土地を治める諸侯や民たちも要らぬ不安を与えるでしょうから」
「お頼みしてもよろしいか?」
「元は我が国の騒動が原因なのですから。喜んで勤めさせて頂きます」
そう言ってコーネリアは席を立ち上がると、ラウルと居並ぶリヨン王国軍の高官たちに軽く一礼をしてみせたのである。
◇◆◇◆◇
リヨン王国軍が、コーネリア皇女を旗頭として帝国に向けて進軍を開始する。
「そっか~。やっぱり戦争になっちゃったのね~。父さんと母さん、大丈夫かな~」
覚悟をしていたとはいえ、帝都を制圧しているノイマン皇子の軍がエルツの町に攻撃を開始したとの報せを受けてリーノが心配そうに呟いた。
「きっと無事さ」
そんなリーノに珍しく言葉を掛けたウェッジが、彼女の肩に手を回して励ましの言葉を掛ける。
ウィン、レティシア、ロック、ウェッジ、リーノ。コーネリア皇女付きの従士隊の面々は、皇太子を謀殺し偽物を仕立てたとされているロイズ・ヴァン・エルステッド伯爵の部下として、ノイマン皇子派の者たちから認識されているはずだ。
帝都に残された従士隊に近しい面々は、監視を受けているかもしれない。
「うちの親父やお袋、兄貴たちは無事かな。拘束されたりしてないかな」
ロックのマリーン商会は、エルステッド領に資金を融資するなどもしていた。四男が騎士として皇女付きの従士となったことで、融資の額を大幅に増やした事実もある。
もちろん、ロイズ本人の印象が噂とは違って良い人物だったことや、エルステッド領がもともと豊かな土地で、融資した金以上の利益が見込めそうなどの打算もあっての事だったが、そうしたの事実からマリーン商会が、アルフレッドの有力な後援者と思われているかもしれない。
「まああの親父に限って、そう簡単に拘束されたりとかはしないだろうけど……」
マリーン商会は皇室御用達の帝国屈指の大商会。その帝国経済界への影響力は、大貴族のそれにも匹敵する。公にはされていないが、当然自衛戦力も相当なものだ。
アルフレッド皇子軍という当面の敵を控えた状態で、お膝元の帝都で新たな強力な敵を作ることはしないだろうとはロックも考えている。
「ちょっと剣を振ってくるよ」
そう言って立ち上がったウィンの顔色も冴えない。
「お兄ちゃん、待って」
心配したレティシアが、ウィンを追った。
ウィンとレティシアも『渡り鳥の宿り木亭』の人々の事が気になっていた。
何年ぶりかで再会を果たしたローラやイフェリーナ、ポウラット夫妻、そして親しかった冒険者たちなど帝都には知り合いが大勢いる。
ウィンはそれ以外にも多くの心配事を抱えていた。
ミトが遺した『剣匠』の金印の事。
エルフたちの都エルナーサへ向かったセリの事など。
悩み事を抱えたままで戦場に行けば、致命的な隙を作りかねない。
しかし、鍛錬を始めたウィンを見ていて、レティシアは自分の心配が杞憂であったことを知った。
ウィンが『剣匠』の金印を手に入れたことは、すでにリヨンの王宮内に広まっていた。そしてその話が広まってから以後、ウィンに試合の申し入れをしてくる者たちがひっきりなしとなっていた。
出陣を控えた騎士達は、血が猛っているのかもしれない。
今も先に中庭で鍛錬をしていた五名の騎士がウィンが姿を現したのを見て、試合を申し込んでいる。
ウィンはその申し入れを快く受け入れた。
ウィン自身も、出陣が近いこともあって少しでも鍛えておきたかった。
そして五人の騎士に対峙する。
五対一で戦おうというのだ。
最近のウィンは、こうして多対一で試合する事が増えた。
最初の頃は一対一で戦っていたのだが、ウィンには物足りない事が増えたのだ。
腕に覚えのある騎士複数を一人で相手するとしたウィンに、当初は侮られたと憤りを覚えていたリヨンの騎士たちも、一対一で戦ってその多くがねじ伏せられてしまった。最近は素直にウィンのその申し出に応えるようにしている。
五人のうち二人がウィンの前に立ち、それぞれ別の方向から斬りかかり、左右に回りこんだ二人のうち一人が足を払おうとし、もう一人は剣を持つ手の肩口を狙って剣を振り下ろす。そして背後に回りこんだもう一人は、背中へ鋭い突きを繰り出した。
五人が五人とも、熟練の騎士。
彼らも『剣匠』と並ぶ戦士の最高峰『剣聖』ラウルに鍛えられていた。まず並の騎士では相手にならない早さで打ち込んでみせた。
しかしウィンは、全く同時に仕掛けられたように見える連携攻撃に、僅かな時間のズレを見て取っていた。
正面から斬り掛かってきた二人のうち、向かって右側の騎士の剣を大きく打ち払って態勢を崩させて、左から斬りこんで来た騎士とぶつかるように仕向ける。そして剣を打ち払った反動を利用して、背後からの突きを身をよじってかわしてみせた。
残った二人が動揺してわずかに動きが止まった隙に、足を払おうとしていた騎士へ蹴りを叩き込み、そして連携が崩されて焦る四人へ次々と木剣を打ち込んだ。
(凄い……。前から相手の先読みと反射神経は常人離れしていたけど、更に反応速くなってる)
五人の騎士たちは魔法を使って身体能力を底上げしている。それが騎士の最も基本的な戦い方だからだ。
対して魔法の使えないウィンは、魔法で素早さを増している相手の速度に対抗するために、相手の目線、身のこなしなどから動きを先読みし、最小限の動きで相手の機先を制するように動いている。
その身のこなしが、前にも増して無駄な動きが一切無い。
まるで相手の動きを予測では無く予知――未来視しているかのように。
レティシアにすらそう思わせるほどに、洗練された動作へと昇華していた。
岬の祠の地下深く、海底神殿での戦いの際にレティシアの魔力を流し込まれて、己の身体の現界を超えた動きを見せたウィンは、あの体験をきっかけにして何か壁を破ったのかもしれない。
「あの技に、もしも彼が常人程度でも良いから魔力を持っていればどれほどの戦士となっていたか。そう考えると惜しいものがあるな」
気づけばいつの間にかラウルとコーネリアが立っていた。
軍議を終えて出てきた所なのだろう。
コーネリアの傍にはロックの姿もある。従士として彼女の護衛に付いているのだろう。
「どうかな? 魔力が無かったからこそ、お兄ちゃんはあれだけの剣技を身に付けることができたのかもしれない」
レティシアが三人の気配に気づかない程、魅入ってしまったウィンの剣。
レティシアは自身の膨大な魔力のおかげで、ウィンような努力で相手を上回る早さを求める必要がない。 彼女自身の剣はウィンと同じ剣技と言っても差し支えず、『剣の神姫』と呼ばれる程にその剣技は見る者から最高級の評価を受けている。
しかし、こうしてウィンの剣を見れば、レティシアはどうしても自分の技がウィンの劣化模倣でしかなく、完成度では到底及ばないことをつくづく思い知らされる。
「あ、ラウル殿下。中庭をお借りしています」
五人の騎士を圧倒して見せ、彼らと試合後に反省点を検討していたウィンがこちらに気付いてやって来た。
「うちの騎士五人を相手にして、余裕で勝利を治めるなんてな。どうだ? また俺と勝負してみないか?」
「か、勘弁して下さい。今はまだ、ラウル殿下には到底及ばないと思います」
「今はまだ……か。いずれは俺を倒せると言うことかな」
そのラウルの発言にウィンは応えない。
ただ、目線だけはラウルから逸らさない。その態度がウィンの胸中を雄弁に語っていて、見ていたコーネリアとロックの胸の中に、熱いざわめきを覚えさせる。ウィンならば本当に『剣聖』ラウルをも、いずれは超えていく。そう予感させる。
「今でもかなり良い勝負になると思うがね」
「出征前に一対一の試合で指揮官が負けたりしたら、全軍の士気に関わるわ。自重して」
「レティはウィンが勝つと思ってるんだな」
何を当たり前の事を、といった顔をしてみせるレティシアにラウルは少し苦笑した。
「まあいいさ。試合は次の機会にでも考えるとしよう。ところでウィン」
「はい」
「前に相談を受けていた、『剣匠』の継承者に相応しい人物を紹介して欲しいという件だが、もうお前自身が『剣匠』を名乗ってはどうだ? 先程の試合を見ていて思ったが、ウィンには十分その資格があるように思う」
「まさか。自分などよりももっとこの称号を名乗るにふさわしい人物なんて、この世にはたくさんいますよ」
ウィンはそう言うと、滴り落ちる汗を拭った。
ウィンよりも腕が立ちそうな人間。
例えばウィンが真っ先に思い当たる者ではケルヴィン副長だ。
剣だけを使った試合でならばウィンはケルヴィンに対して、決して引けを取るつもりはない自信がある。
しかし、膨大な実戦経験を持つケルヴィンは、戦闘において様々なアイデアの引き出しを持っている。
ロイズ小隊の訓練で幾度か手合わせをしているが、ケルヴィンの底をまだ見せてもらった事はなかった。
「『剣聖』を名乗っている俺が言うのも何だが、『剣聖』『剣神』『剣匠』の称号は強者が受け継ぐべきものだとは思うが、何も最強であることを証明してから名乗るものではないんだ。第一、この世界は広い。どうやって自分こそが最強なのだと証明できる?」
カシナート王国のように闘技場を作って大会を開き、優勝者に称号を与えるとしたとしても、世界中の武人が参戦するわけでもない。
優勝者はあくまでもその大会での勝者であって、最強とは言えないだろう。
「要はこれら三つの称号は、明確な基準がない。強いて言えば強いという知名度があるということだな。過去には権勢を誇示するためにだけに、そう呼ばせていた王すらもいた。勇者の師匠という立場に立った君なら、英雄を望む民衆に対して十分な説得力を持っているし、『剣聖』の俺が追認すればよりウィンが『剣匠』を名乗るより確かな根拠となるだろう。魔物との戦いが一段落して復興が始まった今こそ、民衆たちの心の寄る辺となる英雄が多く必要なのだ。前向きに検討してみてくれ」
◇◆◇◆◇
ラウルが立ち去った後、ウィンとレティシアは部屋に戻るコーネリアに同行することにした。
「俺もウィンが『剣匠』を名乗ってもいいと思うな」
ウィンの隣を歩くロックが言う。
「ウィンがそう名乗っても、別にどこからも文句は出ないと思うぜ?」
「そんな事はないだろう。だって、確かにレティのおかげで勇者の師匠とかいう良くわからない立場になっちゃってるけどさ。俺はレティが帰って来るまで無名の平民だったんだ。シムルグには有名な傭兵や冒険者もいる。騎士や兵士だけでなく、そうした人たちを相手に剣を教えている大きな剣術道場だってあるんだ。みんな自分の剣の腕に自信がある。そんな人たちを飛び越えて、ぽっと出の俺が剣の極みである『剣匠』を名乗ってみろよ。文句が出ないはずがないじゃないか」
「文句言ってきたら、勝負して叩きのめせばいいじゃないか」
「簡単に言うなよ……って、そうか。それで俺に勝った人に金印を渡すという考え方もあるな」
しかし、軽はずみに『剣匠』を名乗ってあっさりと負けてその称号を奪われたりでもすれば、ウィンを推薦してくれたラウルにも恥を掛かせてしまうことになる。
「お兄ちゃんが負けるわけないよ」
「はいはい。俺に関してのレティの保証はあてにならない気がするんだ」
コーネリアと並んで前を歩くレティシアのポニーテールを、さわさわと軽く弄びウィンが苦笑した。
「そうだ! なんならおまえが道場でも開いてみたらどうだ? バード流剣術の開祖として」
「はあ?」
「そうしたら一番弟子はレティシア様だ。道場で試合を申しこめば、師範の代わりに門弟が試合に立つことはよくあることだろう? 師範であるウィンと試合する前に門弟のレティシア様と戦わなくちゃならない。レティシア様なら、どんな相手だって瞬殺するだろうからウィンが負けることだけはなくなるぜ?」
「いやいや。それだと今度は、レティを目当てに試合を申し込んでくる輩が増えるだけじゃないかな?」
一瞬、ウィンの頭の中で喜々として押しかけてくるケルヴィンの幻影が見えた気がした。
「ウィンが道場を開くなら、俺が親父に資金を出すよう掛け合ってやるんだけどなぁ。絶対に人が集まって繁盛すると思うんだ」
「そうだろうか?」
「でも私、ウィン君とレティシア様の剣って、誰かに教えられるようなものじゃない気がします」
そう言うとコーネリアは首を傾げてみせた。
「何て言うか……お二人は幼少の頃から剣術を競い合ってきて、お互いが高め合ってきたからこそ、今のお二人の実力があると思うのです」
ウィンとレティシアが顔を見合わせるのを見て、コーネリアはふわりと微笑む。
「私、ウィン君と剣を合わせている時にいつも思っているんですけど、私の思考の全てを見透かされているように感じるんですよね」
「ああ、それは俺もあるなぁ」
腕組みをしたロックがうんうんと頷いた。
「多分。俺の動きを観察して先読みしているから、そう思うんだろうけど。でも、ちょっと不思議なくらい俺のこれからやろうとする動きに、ウィンはついてくるというか先回りしてるよな」
「そうしないと攻撃も防御も間に合わないだろう? 俺はロックと違って魔法を使って身体を強化できないんだから」
「ウィン君もそれからレティシア様も、その方法を人に教えることはできますか?」
「そう言われると……私にはできないかも。私はお兄ちゃんの剣を学んだ時、どうやったらお兄ちゃんよりも先に攻撃を当てることができるかなって、そればっかり考えてたし」
「言われてみると、俺もそうだな。レティの剣をどう防ぐか。それからどうやってレティの剣をかい潜るか。ずっとそのことばかり考えて剣を振っていたよ」
「そうでしょう?」
コーネリアは頷いた。
「そうか。ウィンの相手の動きを先読みする技術は、レティシア様を相手に磨き抜かれて来たものだから、人に教えられる類のものじゃないって事か。そうだよな。レティシア様の剣に付き合うだけでも、ちょっと普通の人間じゃ無理な話だよな」
「その言い方だと私が普通じゃないみたい……」
「道場はいい案だと思ったんだけどな」
複雑な表情を見せたレティシアに気づかず、ロックは髪の毛をかき回している。
「剣を教えるか……」
腰に帯びている剣に手をやると、ウィンは前を歩くレティシアの頭頂部を見下ろした。
かっこいいから騎士になりたい。
幼い頃、騎士を目指した時の動機はそんなものだった。
その動機がいつからか、騎士として剣を振るって大切な人たちを守れるようになりたいという思いへと変わった。
その夢を叶え、ウィンはコーネリアの従士として騎士となった。だが、ウィンが騎士となった事で一番守りたい大切な存在であるレティシア。魔王討伐という過酷な旅、激戦を潜り抜け帰って来た彼女を、また戦いの世界へと巻き込んでいるのは自分だ。
自分が騎士を辞めたなら、レティシアは戦いの無い平穏な日常の中ですごせるかもしれない。
先程の流派を名乗って道場を開くというロックの思いつき。
騎士でなくなったウィンに残されるものは、『剣匠』を名乗っても良いのではと言われるまでになった剣の技術。
己自身はまだ『剣匠』を名乗るには未熟であると考えているが、自分の培った技術、思いは別に騎士でなくても表現していけるのかもしれない。
それまでそんな事を思いもしなかったのだが、ウィンはこの時をきっかけにして考えるようになる。