エルツ攻防戦①
エルステッド伯爵領の領都エルツは、人口が一万人程度の都市。
しかし現在、市壁の中の人口は倍以上に膨れ上がっていた。
そもそもこの約一万人というエルツの人口は、エルツの高い外壁の内側に住んでいる市民たちの人数で、市壁の外に住む者たちは含まれていない。エルツの市壁の外にも大勢の人々が集落を作って生活をしているのだ。
例えば、マジルの麓には鉱夫たちが幾つも集落を形成しているし、木材や町の工房の燃料のために木々を伐り出す者たちだって大勢住んでいる。当然、掘り出された鉱石や伐採した木材を運ぶ者たちも、マジルから流れ出るルーム川沿いに家を建て船を繋いでいた。また、エルツから歩いて一刻も掛からない距離にだって、麦や野菜、家畜を育てている農民たちの村だってある。
そうした市壁の外に住む者たちが、レムルシル帝国の第二皇子ノイマンの軍勢が迫る前に、市壁の中へと避難していた。
この事態を想定していたエルステッド伯爵領の領主ロイズは、市壁の門を閉ざす前に逃げ込む近隣の人々を全て市壁の中へと受け入れた。
食糧や燃料、戦のための武器といった物資は随分と前から調達を終えていて、避難民を全て受け入れても向こう三ヶ月は籠城できるだけの備蓄がある。また、数年前に領地を襲った熱病のせいで多くの市民に犠牲が出ていて、結構な数の空き家もあった。そこへ避難してきた年寄りや女子どもに割り当てた。
男たちは戦いの準備だ。
狩猟を生業としている者たちは弓矢が与えられた。日頃から森深くに分け入り獣を射る彼らは、下手な兵士よりも射撃が上手い。弓を扱えない者はマジルから運ばれてきた大量の鉄や木材を、鍛冶工房へと運ぶなどの力仕事に従事する。また年寄りは町の名物である鐘楼に登って、見張りの役へと就いた。
これから町の人口を上回る軍勢が押し寄せてくるというのに、不思議な程エルステッド領に住む者たちは落ち着いた様子でそれぞれに割り当てられた役割を果たそうとしている。
「本当に大したものだよね」
エルツの様子にレムルシル帝国皇太子アルフレッドは、称賛と畏敬の念しか覚えなかった。
彼らとて迫る軍勢に恐怖を感じていないはずがない。
それでも、町の中が統制を保っていられるのは、彼らの領主であるロイズに対する全幅の信頼ゆえだ。
かつてエルステッド領一帯を襲った熱病と、天候不順による凶作。領内では多くの民が生活に困窮し、病に苦しみ、大勢の者が死んでいった。そんな領民を少しでも救うためにロイズは家屋敷すらも手放し、莫大な借金を負って高価な特効薬と食糧を取り寄せ無償で領民へ配布した。
その恩を民は忘れていなかった。
「また我がエルステッド伯爵家の債務が膨らみますなあ」
「そこはすまないと思っているよ。君には苦労を掛けるね」
「なに、もともと我が家には、孫の代まで掛かっても返せない額の債務がありますしな。今更多少の金額が増えたところで、そう変わりはしないでしょう」
アルフレッドがそう言うと、ロイズはでっぷりとした腹を揺すって笑う。
「まぁ、これだけ債務が山になれば、出資した商人どもも途中で投げ出すわけにはいかないでしょう。いま我が家を切り捨てることになれば、これまで我が領に対して注ぎ込んだ膨大な資金を、溝へ捨てたことになります。それらの金を無駄にしたくなければ、今後も我らを見捨てず支援し続けたほうが利益となります」
「彼らが結託して新しい領主を据える事も考えなかったのか?」
「それはないでしょうな。殿下も御存知の通り、私と領民は良い関係を築いておりますので」
流行病で一時は大きな被害を出したエルツだが、近郊には良質な鉄の採れる鉱山に、豊富な水量を誇るマジル川。そしてその川沿いに広がる森もあって、レムルシル帝国内でも有数の豊かな土地ではあった。
そしてロイズの言うように町の様子を見れば、領主のエルステッド伯爵家と領民の関係は良好なものを築いている。その領主であるロイズを切り捨てる事は、町に住む人々に悪感情を与えてしまう。
貸し付けた大金を無駄にしないためには、エルステッド伯爵家とは有益な関係を築いておいたほうが得になる。出資者たちにそう思わせるのがロイズの思惑だった。
「出仕した資金を回収するには、土地が安定して統治されていたほうが都合が良いのですよ」
「だがこの度の事で、エルステッド領は戦火の中心となることになったぞ?」
「ええ。ですから商人どもは笑いが止まらないでしょうね。この戦いで皇太子殿下が勝利した暁には、殿下の幕下で中心的役割を果たした私は、まず間違いなく殿下の政権下で重要な地位を占めるでしょうからね」
「今のうちに恩を売っておいて損は無いというわけだね。だけど、僕たちが勝てるとは限らないよ? 中央騎士団長のウェルズを味方に付けたノイマンは、残念なことに我が軍よりも数のうえでは優勢だ。しかもエルツを包囲している軍は敵の主力ではない」
「殿下。商人どもも馬鹿ではありませんよ。彼らは知っているのですよ。私がかつてどれだけの戦いを潜り抜けてきたか。レティシア様には比べるべくもありませんが、かつて帝国の英雄として対魔大陸同盟軍にその名を馳せた将軍ザウナス万騎長の両翼の一人が、殿下のために今宵大きな戦果をあげて見せましょう」
◇◆◇◆◇
エルツの町を包囲したノイマン皇子の軍は、およそ三万。
レムルシル帝国中央騎士団団長クライフドルフ侯爵ウェルトを大将とし、クライフドルフ侯閥に属していて南部に所領を持った諸侯が派遣した兵士たちで構成されている。
そのノイマン皇子軍の陣にクレグマン子爵の軍も参加していた。総勢三百人余りの兵士を率いている騎士の名は、カール・レイナム。
もうそろそろ老齢に差し掛かろうかというカールは、対魔大陸同盟軍に傭兵として参戦していた経歴の持ち主で、何体もの魔物を倒して武名を上げた歴戦の強者だった。
カールは対魔大陸同盟軍が解散した後、その武名を聞き及んだクレグマン子爵から家臣に取り立てられて騎士となった。そして子爵から厚い信頼を寄せられて、この度のノイマン皇子に送る援軍の指揮官を任されたのである。
カールは騎士としてクレグマン子爵に拾ってもらった恩と、その厚い信頼に応えるため、この内乱で大きな武功を立てる事を誓っていた。そのため、エルツ包囲におけるクレグマン子爵領軍の配置が、戦場の中心部ではなく、森に面した外縁部に配置された時には、同僚の騎士たちに不満の声をぶつけていた。
「おのれ、手柄は全てクライフドルフ候の有力閥で持っていくつもりか。小領の諸行軍は頭数合わせとしか考えていないようだ」
エルツを包囲してから結構な日にちが経っているのに、いつまで待っても総攻撃の命令も出ない。
実のところ、ノイマン皇子軍本隊である中央騎士団の主力部隊は、帝都シムルグと第二の都市クレナドの制圧に赴いていて、エルツ攻略戦にはほとんど派遣されていない。そのうえ、エルツ攻略戦に回された中央騎士団の指揮官の多くが、クライフドルフ候の専横でその地位に就いた実戦経験のほとんどない大貴族の子弟で固められてしまっていた。
これは実戦経験の豊富な騎士、兵士たちの多くが先年のザウナス将軍のクーデターの際に処罰されてしまい中央騎士団は深刻な人材不足に陥ってしまった事も背景にあるのだが、ともかくエルツの町を包囲する軍を配置するのにも二日以上を擁してしまい、それがカール達のような普段から山賊などを相手にして実戦経験を積んで来た歴戦の武将たちの失笑を買っていた。
クライフドルフ候の主催する軍議から外された小領の領主軍の指揮官たちは、彼らだけで集まって軍議を開いていた。軍議と言っても軍全体の方針を決める事はできないため、いわば同じ立場の武将同士、愚痴を言い合うだけのような場所だ。
「エルツの軍は我が軍よりも兵数において遥かに劣る。寡兵の相手にいつまでも時間をかけていては、勝利したとしても後世の笑い者になるぞ!」
カールはそう言うと、大盃に注がれた麦酒を一息に飲み干し、卓上に勢い良く叩きつけた。
老齢に差し掛かって白いものが混じり始めた口ひげをたっぷりと蓄え、鋭い目つきをした大男のカールが怒鳴り声を上げて睨みつければ、それだけで気の小さな者であれば気を失ってしまうかもしれない。しかし、この場に集まっていた十数人の男たちは、それぞれが各小領の諸行軍を率いる指揮官たちだった。カールのような傭兵出身者こそいなかったが、かつての対魔大陸同盟派遣軍へは、立場の弱い貴族たちから騎士、兵士を多く出させていたため、ここにいる彼ら自身も魔物との戦いの経験が豊富だった。
むしろ、レムルシル帝国軍の主力とされる中央騎士団よりも、自分達のほうが精鋭であるという自負すらも持っていた。
そんな彼らであったから、カールの怒声で気を失うような胆力の小さい者たちはいない。
それどころかカールの意見に同調する声が相次いだ。
「敵を前にしていつまでも攻撃をしないようでは、兵士たちの士気にも関わってくる。一度落ちた士気を回復させるには、どれだけの労力が掛かるか、偉い奴らにはそれがわからんのだ」
「補給に関してもどうなっているのか。我ら諸侯もそれぞれ糧食部隊を持ちあわせているが、長期間の行軍は想定していない。近隣の村から徴収しようにも、村々はもぬけの殻だ。補給の受けられぬ軍など烏合の衆でしかない。にも関わらず、上の連中は我らに補給計画や作戦内容といった情報を降ろしもしない。これでは兵士たちの士気を鼓舞することもできないではないか」
カール達、諸侯軍の頭を特に悩ませているのが、この補給の問題である。
今回のクライフドルフ閥に属する諸侯たちは、レムルシル帝国皇帝アレクセイの命の下、兵士を出したわけではない。帝国正規軍として参加したわけではなく、ノイマン皇子の檄に呼応して私兵を派遣した事になっている。そのため、戦費は自己調達であった。
自領の騎士、兵士達に払われる恩給、食糧、武具、馬やその馬の飼料、そして荷車などの諸費用は相当なものだったが、ここでノイマン皇子と派閥の頭であるクライフドルフ候の覚えめでたくなるためには出兵をせざるを得ず、これらはやむを得ない出費だった。
しかし、正規軍では無いため帝国中央騎士団の輜重部隊からの補給を受けられない。
そこで各諸侯軍の多くが、補給物資をエルステッド領内にある村々から徴発する予定であった。
領主であるエルステッド伯爵が反乱したからといって、同じ帝国臣民であるエルステッド領の領民から物資を略奪する事に、多少の葛藤を覚えなくもなかった。
ところがいざエルステッド領内に軍を進めてみれば、どの村も町も人どころか、家畜一匹とて姿を消し、蓄えられている穀物や保存食、家畜の飼料、徴発で使えそうな荷車すらも一切合切消えていた。
町の職人の工房はもちろん、飯屋の竈も火を落とし、燃料も全て持ち去られているという徹底ぶりである。
エルステッド伯爵はかねてからこの事態を想定し、領民たちにも下知させていたことが窺い知れた。
「エルステッド伯爵という人物は、悪い噂の堪えない人物だと聞いていたが、非常事態における領民たちの行動の統率された行動の早さを見るに、とても噂通りの人物とは見受けられぬ。到底油断ができる相手ではなさそうだ」
「それにここが帝国内で我らにも土地の勘がある程度あるとはいえ、エルステッド領の者たちと比べてしまえば土地勘は遥かに我らが劣っている。数の上では我らが有利なれど、地の利は奴らにあるのだ。だからこそ数に差があり、士気の高い今の勢いで総攻撃を掛けるべきた。敵の要請にリヨンが応えたという情報もある。これ以上の時間をエルステッド伯爵に与えれば、我らの優位が覆されてしまうぞ!」
しかし、カールたちが幾ら危機感を募らせたところで、彼らに戦場を動かせるだけの権限は無い。
この場にいる誰もが虚しさを覚えつつ、酒を呷り愚痴を言い合うだけで終わったのだった。
◇◆◇◆◇
町中と違って森の中の闇は深い。
夜空に輝く月が冷たく青い光を地上に投げかけていたものの、その光が逆に木々の陰影をより一層濃くしてしまい、野営をしている兵士たちに不気味な思いを抱かせていた。
『勇者』レティシアによって魔王が滅ぼされてまだ数年。
夜の森は本来、獣たちの領域だ。魔物はまだまだ跋扈していて、いつ闇の中から凶悪な魔物が姿を現すかわからない。歩哨に立つ兵士たちの多くが篝火の傍に立ち、出来る限り闇へ近づかないように努力しているのも無理はないかもしれない。
軍議という名目で憂さ晴らしの飲み会が解散されて、カールはクレグマン子爵領軍が陣を張っている場所へと歩いていた。
数の上で圧倒的なノイマン皇子軍は、エルツに籠もるアルフレッド皇太子軍への示威として必要以上に火を炊いている。食糧に不安はあったが、エルツ近郊は豊かな森が広がっているため燃料だけは余裕があった。
おかげで酒に酔った足取りであっても、道は明るく支障が無い。
時々、陣内から歓声や笑い声が聞こえてくる。
(少し士気が緩み過ぎているな。けしからん事だ!)
煙草でも掛けて賭け事をしている兵士たちの横を通り過ぎた時、カールはそう思った。
指揮官の一人としては注意をすべきかとも思ったのだが、その兵士は別の諸侯軍の兵士だったため口には出さず、顔をしかめただけにとどめた。
他の諸侯軍の兵士たちに対してカールが口を出すことは越権行為であるし、もしもその兵士が属する軍が大邦を治める諸侯のものであったなら、カールの主人であるクレグマン子爵に何かしらの迷惑を掛けてしまうかも知れない。
それを恐れたのである。
ただ、クレグマン子爵領軍の陣地へ戻った時、部下たちが同じような事をしていたならば、厳しく罰しようと考えていた。
その時。
「失礼。クレグマン卿の軍を預かるカール千騎長でいらっしゃいますか?」
カールに声を掛けたのは、三十を少し上回ったくらいの男だった。痩身細目が特徴の優男で、口元は友好的な態度を示しているのか微笑が浮かべられていた。
「いかにも。貴殿は?」
「私はモルド男爵閣下の配下、ケイルン百騎長であります。先刻モルド男爵領騎士団三十騎、ノイマン皇子の檄に応じて陣中へ参列したところであります。かの対魔大陸同盟帝国派遣軍で武名を轟かせたカール千騎長閣下が、お味方におられると聞いてひと言ご挨拶できればと」
「モルド男爵領……それはまた遠い所からご苦労な事だ」
男爵領と言った後に少し間が空いたのは、カールがモルド男爵領という地名を聞いたことが無かったからである。
帝国貴族の家は無数にあって、カールの知らない男爵家があっても不思議では無い。
それでもまさかモルド男爵という貴族を知らぬなど言うわけにもいかず、カールはケイルン百騎長を労ってみせた。
遠方からと推測したのは、カールが貴族の家全てを諳んじていないとはいえ、さすがに自領から近隣にある諸侯については知り得ている。また戦場となっているエルステッド伯爵領とクライフドルフ侯爵領のある南部周辺の諸侯についても、事前に下調べしてあったからだ。
その結果からクレグマン子爵領は西寄りに近い南部に所領を持っている事から、モルド男爵領は北部か東部に所領を有していると推察したのだ。
そしてカールの推察は当たっていたのか、ケイルン百騎長は少し顔に疲れを滲ませて頷いた。
「閣下から、そのような労いのお言葉を頂けるとは……感激であります」
閣下と呼ばれたことにカールは、先程までの高位貴族たちへの不満を忘れて気を良くした。
「実は我が領は葡萄酒の生産が盛んでして、閣下のご都合がよろしければお付き合い頂ければ」
「ほお、葡萄酒が。しかしな……」
他領とはいえ先程賭博に興じている兵士たちを見て、規律が緩んでいると感じていた事もある。指揮官である自分が陣内で飲酒をしては、もし自分の部下たちが同様の事をしていたとしても咎め立てすることができなくなってしまう。
「ならば我らの陣内ではどうでしょう?」
しばし葛藤するカールを見て、ケイルンは彼の心中を察したのかそう提案した。
「我が男爵領が陣を張っているのは、森の中なのです。どうも到着が遅くなったため、良い場所は空いておりませんで」
到着が遅れた諸侯で少人数の部隊が、森の中に開けた場所でようやく陣地を築いているのは珍しくない。
包囲している町の前の広場や、街道沿い、川沿いといった陣の設営に良い場所は、先着順からどんどん埋まってしまう。
もちろん、後方ならば野営に適した場所も残っているだろうが、それではいざ戦闘が始まった時に駆けつけるのに時間が掛かってしまう。それは戦場で手柄を立ててノイマン皇子、ひいてはクライフドルフ侯の目に止まる機会を逸してしまう可能性が高い。
そのため、本来野営に適さない森の中で陣を張る諸侯も少なくないのだ。
「実は他数名の諸侯方の武将方に声を掛けております。森の中であれば、煩い大貴族の皆様方にも部下の方の目を気にする必要もございません。いかがでございますか?」
「ふむ……しかし、私だけが飲むというのもな」
「では、閣下の部下たちもお招きしましょう」
「部下たちも?」
「ええ。実は、この葡萄酒は我が主君より大貴族のお歴々への手土産にと、無理に持たされたものでして。荷車に樽を幾つも乗せて曳かせてきたのですが、先刻とあるお方の下へ挨拶の手土産にとお持ちしたところ、そのような田舎貴族の作った酒など飲めるかと門前払いを喰らわされてしまいました。我が主君の言いつけで土産として持って来たものですから、私どもが勝手に処分するわけにも行かず、困っていたところなのです。ですが、閣下を始めとした各地の諸侯の重臣方と友誼を深めるための宴にて振る舞った事にすれば、我が主君への言い訳も立つというものです。むしろ、飲んでいただくと私が助かるのです」
「はっはっは、なるほどなるほど。確かに手土産に持たされたものを門前払いにされては、戦後に持ち帰るわけにもいかぬな」
「ええ、本当に扱いに困っていまして。実は閣下に声をかけさせていただいたのも、もちろん閣下が高名な武人であって、ひと言ご挨拶を申し上げたいと考えていたことも事実なのですが、ついでにこの葡萄酒も処分……もとい友好に活用できたらと考えた次第です」
「ははは、百騎長の窮状は理解した。良かろう、ではその厄介物の処分。我らに任せてもらおうか」
カールは部下たちの中で騎士職にある者たちを集めると、ケイルン百騎長の案内の下で、森の中にあるという彼らの陣内に案内された。
カールが到着する前に、すでに幾人かの別の諸侯の武将が招待されていて、葡萄酒をついで飲んでいた。中には先程、軍議に参加していた者もいた。
「貴族の無理難題に振り回されるのは、いつも我らばかりだ」
「全くそのとおりだ。いつもこうして我らが奴らの尻ぬぐいをさせられる」
「まあ、こうした尻ぬぐいであれば大歓迎なのだがな」
葡萄酒が並々と注がれた盃を掲げて一人が言えば、その場に集まった者がどっと笑い声を上げる。
実際、葡萄酒は結構上等なもので美味だった。
大貴族には物足りないのかもしれないが、それでもその葡萄酒は騎士身分にしかないカールたちでは手が届かないものだった。
「さあ、どうぞどうぞ。葡萄酒はまだまだ大量にあります。どんどん遠慮無く飲んでください」
実際、モルド男爵領の陣地は他領の陣地から離れていて、大貴族たちの横暴さに文句を言っても誰にも聞かれる心配は無かった。
上の悪口を言う時ほど、酒というものは進むものである。
また戦場ではあるが、エルツに篭もる敵軍に比べて圧倒的な兵力を有しているという事実が、彼らの心に油断をもたらしていた。
酒はこの上なく進み、宴は盛り上がった。
参加者の多くが酔いつぶれ、正体を失ってしまった。
そして翌朝。
クレグマン子爵領の陣地にカール千騎長と、その幕僚たちの姿は無かった。
クレグマン子爵領だけではない。
モルド男爵領の宴に呼ばれた諸侯の武将たちが、陣内に戻ってこなかったのである。
昼になっても戻ってこない指揮官たちに、慌てて兵士たちはその行方を追ったが、どこにいるのかさっぱり居場所が掴めなかった。
モルド男爵領の陣地がどこにあるのかも、誰も知らなかったのである。
しかし、各諸侯領軍の兵士たちは、彼らの指揮官が失踪した事をノイマン皇子軍を率いる将軍たちに伝えることは無かった。
指揮官が行方不明になるという不祥事が知られて処分されることを恐れたからだ。
そしてこの事が、ノイマン皇子軍の戦況に大きく影響を及ぼすのである。
◇◆◇◆◇
「こうも上手く事が進むと、拍子抜けしちまいますな」
「同国人同士、手柄欲しさに諸侯が我先にと軍を寄越した結果があればこそです。そしてこの国特有の大貴族の派閥意識あってこそですがね」
部下の言葉に、モルド男爵領のケイルン百騎長と名乗っていた男――ケルヴィンはそう言って皮肉げに笑みを浮かべた。
「味方の振りをして接触しても、喋る言葉も風習も同じ。兵装だって似たようなもの。そして小領の貴族同士は顔を知らない事も多々ある。となれば、こういう戦い方もできるのです」
ケルヴィンは三百名余りの部下を連れて、エルツの外に広がる森の中に潜伏していた。
部下たちは、この周辺一体の地理に明るいエルツ冒険者ギルドの手練れと、シムルグから同行してきた選りすぐりの冒険者たちである。彼らは実戦経験も豊富で、森の中での少数での戦闘においては兵士たちよりも格段に優れていた。
ケルヴィンたちは実在していて予め協力者として話を通してある、北方の幾つかの下級貴族の家臣を名乗ると、これはと思われる名のある武将を宴に招き、酒と料理を振る舞った。そして十分に酔っ払った頃合いを見計らって、薬を飲ませて眠らせると拉致していたのである。
「しかし、なぜわざわざ眠らせているんですかい? 眠り薬ではなく毒を飲ませて殺してしまえば、もっと簡単でしょうに」
「彼らもまた帝国の人間です。そして、対魔大陸同盟軍、各地の野盗討伐などで功績を上げた手練れです。そんな人物をこんなくだらない戦いで失っては、大変な人的損害でしょう? 有能な人材を失っては、この内乱の影に見え隠れするペテルシアを喜ばせてしまうだけです」
「ですが、生かしておいた事で後々禍根になりませんか?」
「私たちが勝利をすれば、彼らの仕えている小領の貴族は我らに服従を誓うでしょう。彼らは自領の安寧を求めて、今は強大に見えるクライフドルフ侯に付いているにすぎませんから。そしてもしも、私自身に意趣返しを企図しならば――」
ケルヴィンはそこで言葉を切って、一時的な部下となっている冒険者を振り返った。
「それならそれでも構いません。きっと楽しめるでしょうしね」
薄く開いた瞼から覗いた瞳は、ギラリとした危険な光を宿し、口の端が微かに笑みの形に歪む。
それを見た冒険者は、背筋にゾッとした感覚を味わった。その後、仲間たちの下へと戻った彼は、仲間の冒険者たちを前にしてケルヴィンの事をこう評した。
「あのケルヴィン隊長って人は、ヤバイなんてもんじゃないな。この仕事をしていれば、戦闘狂って奴とはたまに出会う。大抵、そういう奴らは長生きしないものだし、戦闘狂だからといって腕が立つというわけでも無いからな。実際、俺が今までに出会った戦闘狂で、俺が負けるとは思ったことはこれまで一度だって無かった。だけど、あのケルヴィンって奴は違う。戦闘を好む性格に、剣の才能まで付いてきてる。その上で己の死をまるで恐れていない。ああいうのを一種の化け物と呼ぶのだろう」
カール千騎長が姿を消してから五日後、その間にも人知れずに指揮官が失踪した部隊が幾つも出ていたが、その事が失踪した部隊から外部の者に漏れることは無かった。
そんな中、ついにエルツに篭もるアルフレッド皇太子軍とノイマン皇子軍が初の戦闘に突入する。
町の城壁があれど、数の上では数倍の軍勢を誇るノイマン皇子軍が圧倒的優勢と見られていたが、結果はノイマン皇子軍側が手痛い損害を被り退く形で終わった。
森の中から突如現れた敵部隊に、ノイマン皇子軍は横腹を喰い破られた形で大きな損害を出したのである。
森側に面したノイマン皇子軍の外側は、小領の諸侯軍で構成された混成軍が担当していた。
しかし、混成軍の指揮官級の武将が行方知れずとなっていたため統率が取れず、ケルヴィン千騎長率いる三百名余りの冒険者たちの部隊に好き勝手に蹂躙されてしまったのだ。
ケルヴィンとその冒険者たちの部隊は、被害らしい被害を受けることも無く、数人の負傷者を出しただけで森の中へと退却していった。
その事に激怒したクライフドルフ侯ウェルトは、すぐにケルヴィンたちを追撃するよう命令を下したが、実際にその命令を実行するのは小領の諸侯たち。
当然指揮官がいない彼らは、禄に統制の取れた行動ができるはずもなく、土地勘のあるエルツ出身の冒険者たちの先導でケルヴィンたちは悠々と潜伏し続けていた。
そして小領の諸侯軍の指揮官たちが、実は行方知れずとなっていた事が発覚するまでの間、ケルヴィンは冒険者たちを率いて後方のノイマン皇子軍の輜重部隊を攻撃した。
そして、数の上で圧倒的優勢だと信じていたノイマン皇子軍に、甚大な被害を与えることに成功したのだった。