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勇者様のお師匠様  作者: ピチ&メル/三丘 洋
第五部 リヨン王国
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六章 プロローグ

 その気になれば、地上など一瞬にして出られる。転移しても良いし、天井と厚い岩盤を貫いてできた穴を、飛んで行っても良い。

 だがあえてそうせずに、自らの足で歩いて地上を目指したのは、己の力を跳ね除けて見せた者への称讃の思いからだった。


(――人の形を象るのは幾千年以来だろうか)


 地上に出て空を見上げ周囲を見渡すと、何千年ぶりかの光を目にした。

 深い海底、厚い岩盤の下に造られた神殿で眠っていた〝彼〟が目にした光は、天上に輝く月と星、そして遠い岬の先にあるリヨンと呼ばれる都市に住む人々の営みが生み出したもの。


(……足りぬ、な)


 しかし、その光景も〝彼〟には、何の感慨も抱かせない。

〝彼〟を深き眠りから醒ましたあの輝き。

 あの輝きに比べれば、眼下に広がる幾星霜を経て見た光が生み出す幻想的な光景すらも、物足りない。 


(あの者がいる場所はこの先か……)


 岬の中腹にある建物の中に、〝彼〟の求める者の気配を感じられた。だが、そこへ向かおうと一歩足を踏み出したところで、〝彼〟は顔をしかめると足を止めた。


「……こそこそと覗かれるのは気に食わぬな」


 そう呟くと振り返る。向けられた目線は岬の上を離れた海面上。何もない空間。ただ、闇だけが広がっているように見える。しかし、〝彼〟はそこに人には感じ取ることのできないわずかな気配を感じ取っていた。

 そして、小さな羽虫よりも微かな気配へと手を伸ばし――。


 「む? 消えたか……」


 闇の中より引きずり出してやろうと思ったのだが、その前に〝彼〟が感じた気配は綺麗に消え去っていた。


 「ふむ……少し、鈍いか」


 気配から感じられた相手の力量からするすと、本来の〝彼〟ならば、気配に気づいた時点で、隠れていた何者かを目の前に引きずり出すことができた。

 しかし、人の姿を象ったことで上手く力が振るえなくなってしまっているようだった。


「となると、今のままでは少々もったいないな……」


 少し思案すると、〝彼〟は考えを改めた。

 数千年ぶりで〝彼〟に、この世へ受肉してまでも顕現しても良いと魅せられた相手なのだ。

 思うように動かせぬ己の身体のせいで力が振るえなくては、折角の楽しみに水を差してしまうことになりかねない。


「この器に慣れるまでの時間を少々必要としそうだ」


 何か特別に急ぐわけでもないので、焦る必要もない。


(数千年ぶりの覚醒で得たひと時、少し楽しませてもらおう)


 ゆっくりと目を閉じると、意識を外へと広げていく。

 静かな水面へ波紋が広がっていくかのように、薄く意識を伸ばしていく。人の器にあっても〝彼〟の意識は、広大な大陸の隅々にまで届く。


「……騒乱の気配を感じる」


〝彼〟の捉えた騒乱の気配とは、人がレムルシル帝国と呼ぶ国で起こった皇位継承権を巡る戦いだった。


「ここから近い。無聊を慰めるには丁度良いかもしれぬ」


 そう呟くと同時に〝彼〟の姿は、岬からかき消えた。



 ◇◆◇◆◇


 床全体に、毛足の長い絨毯が敷かれた部屋だった。壁には黄金で造られた燭台。名のある画家の手によるものと思われる見事な色彩の風景画。そして黄金と銀による精緻な細工が施され、宝石で装飾された一振りの剣と盾。部屋の隅には、遥か遠方から運ばれてきた陶器の花瓶に季節の花々が活けられていて、甘い香りを放っている。それら以外にも部屋の中には様々な調度品が置かれていたが、そのどれ一つをとっても非常に高価な品物で、名のある職人の手による名品であろうことが窺い知れる。

 そして部屋の中央には、大人が軽く四人は横になることが出来そうな寝台が一つ。

 その寝台で横になっていた人物は、唐突に部屋の中に現れた気配に気がついて目を覚ますと、身を起こした。

 夜の闇に目を凝らせば、窓からわずかに差し込む月明かりに浮かび上がる人影。部屋の扉を塞ぐようにして、佇んでいる。

 普通、深夜に目を覚ました時、暗い部屋の中に佇む人影を見れば、例えその人影がよく知る家族のものだったとしても、人は驚き身を竦めるだろう。

 しかし、寝台から身体を起こしたその人物は、少なくとも表面上は驚いた様子も見せず、寝台横の小さな台から火付け用の道具を手にすると、黄金の燭台に火を灯した。それから落ち着いた態度で寝間着を整えると、ゆっくりとひじ掛け付きの椅子へと歩み寄って腰を下ろした。

 そして部屋の扉前で佇んでいる人影へも、自分の対面の椅子に座るよう手ですすめてみせた。


「……夜更けに部屋を訪れる非礼を、そなたのような者に問うても無駄であろうが、余の下へ何をしに来た、人外の存在よ?」

「ほう……」


 部屋の主――レムルシル帝国皇帝アレクセイ・ラウ・ルート・レムルシルの言葉に、〝彼〟は感嘆の声を上げると、すすめられるままに椅子へと腰かけた。


「なぜ我が人外の存在だと思う?」

「その身の内より感じる尋常ならざる気配は、到底人のものとは思えん」

「意外であった。己が治める国が二つに割れようとしているにもかかわらず、まるで関心を示す様子も見せぬ男が、まさかたやすく我の正体を見抜くとは……」

「これでも余は皇帝よ」


 アレクセイはそう言って口の端を歪めると、目を細めて〝彼〟を見つめる。

 その鋭い眼光は、普段のアレクセイを知る者ならば、驚きに目を見張っただろう。普段のアレクセイは、政務を全て臣下に任せて、己は皇宮内に設けたアトリエへと籠り、趣味の絵画に興じている。正に凡庸を絵に描いたような君主というのが、陰で囁かれている皇帝への評価だったからだ。

 しかし、対面の椅子に腰掛けて、〝彼〟の意図を探るように凝らされた視線は、大国を治めるに相応しい威が備わっていた。


「初代皇帝セシルが国を興して二八七年……その間、帝国は次々と周辺諸国を呑み込み、常に勝者として在り続けた。レムルシルの名は、常に勝者で在り続けた者の証なのだ。そしてその一族で、最も勝者で在る者こそが皇帝である。その勝者である余が、その者の本性も見抜けずして、どうして勝者の座に在り続けることができようか」


 皇族の血を引いて生まれた者は、生まれた時より否が応にも皇位継承争いという名の戦いに巻き込まれる。皇帝が実の子を殺すことだって珍しいことではない。

 帝国二八七年の歴史を紐解けば、血で血を洗う宮廷闘争の痕跡がいくらでも見つけられた。

 忘れてはならない。

 凡庸そうに見えるアレクセイとて、かつてはそうした暗闘をくぐり抜け、この至尊の地位へと就いてみせた男なのだ。


「さて再び問おう人外の存在よ。余の下へ何をしに来た」

「騒乱の気配を追って、その中心に」

「くっくっく……なるほど。それで余の下へと現れた、か」

「しかし、どうやら我は間違っていたようだ。騒乱の気配がする場所はこの地ではない。この地より少し南西といったところか。やはり久方ぶりの器。慣れずして力を振るうからかもしれぬ」

「その姿、やはり借り物であったか……。その顔、見覚えがある。確か我が娘の従士で、勇者の師匠という若者のものだな……いや、しかしそなたの勘は誤りではないぞ」

「この国は二つの勢力に分かれて戦っている。だが、そのどちらの勢力にも御身は与せず、蚊帳の外に置かれている状況に見える」

「……人外はそう思うか。だが、蚊帳の外? とんでもない。余こそ、この騒乱の中心よ」


 アレクセイはそう言うと、愉快そうに笑った。


「アルフレッド、そしてノイマン。どちらも我が息子だが、どちらが勝者になろうとその目指す所は同じ。余の座る皇帝の玉座」

「ゆえに全ての中心に在るということか」

「余こそは全ての中心。勝者こそが座るべき場所が皇帝の玉座なのだ」

「我は人の国に興味は無い。だが、御身の息子の一人は、他国に通じている者もいるようだぞ? 皇帝として、他国の干渉はいささか良い気はしないのではないか?」


 しかし、〝彼〟の問いにアレクセイは凄味のある笑みを浮かべる。


「構わん。そもそも高祖セシルとて、クレナドという小国を滅ぼして王となるまではただの人よ。勝った者がこの地を治めれば良いのだ」

「それで国が滅びようとも?」

「帝国が滅びようとも、だ。もっとも、我がレムルシルの名は常勝不敗の証。我が後継には、これを機にして、逆に相手を呑み込んでしまう事を期待しても罰はあたるまい?」

「くっくっく……」


 そのアレクセイの言葉に、〝彼〟は初めて声を出して笑った。


「面白い……実に面白い考え方だ。気に入ったぞ。騒乱の中心を探り、この場所へと辿りついた時は、我の勘も鈍ったかと思ったものだが……御身は、我の無聊を慰める相手として十分だ。皇帝よ。しばしの時、我はここでの滞在を望む」

「歓迎しよう、人外の存在よ。ここにいればそなたが望む騒乱の決着を、余すこと無く見ることが叶うだろう。そなたを余の客人として迎えよう。余と共に、高みの見物とするが良い」


 そう言うと、アレクセイは立ち上がって扉を開けた。

 そして部屋の外で警護をしている近衛騎士に命じる。


「余の客人だ。部屋を用意し、丁重にもてなせ」

「は! ……?」


 近衛騎士は深夜にアレクセイが部屋から出て来たこと、そして彼らの気付かぬ間に、いつの間にか皇帝の寝室に人がいたことに驚いたが、表情には出さず一礼する。

 明らかに不審な人物だったが、皇帝が客人として遇すると命じた以上、その素性を詮索することは許されない。


 この夜から、皇帝の傍に、〝彼〟の姿が頻繁に見かけられるようになる。

 クライフドルフ候も噂を聞きつけ、その素性を調べさせたのだが、詳しい事はわからなかった。

 だが、逆に言えばクライフドルフ候と敵対する派閥とも繋がりが無い事も確実だった。

 結局、皇帝がどこからか招き寄せた貴人の一人だろうということで決着を見せ、宮中の者たちは〝彼〟を遇することにしたのだった。

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