神降ろし
サラ・フェルールは、生前に『聖人』の称号を付与された偉大なる人物だが、その魔力は決して大きなものではない。
元々はセイン王国に仕えていた普通の侍女である。後に『勇者』レティシアの旅に同行し、サラに続いて『聖人』の称号を授けられた『聖女』リアラ。セインと違って、奇跡と呼べるほどの癒やしの魔法も使えなかった。
サラが『聖人』に列せられた理由は、人々を救い続けたその功績ゆえにの事だった。
もっともその裏の顔は『背教者』と呼ばれる、邪教の信奉者。
サラ・フェルールの目的は、破壊神を召喚して一度世界を魔王もろとも破壊し、その後に新たなる世界を築きあげること。
そのためにサラは命の恩人であり、魔法と学問に関しては師匠でもあったコンラート・ハイゼンベルクの研究を盗みだした。
そして破壊神の力は、人の器では受け容れる事ができないと知ると、二つの方法をあみだしたのである。
一つは魔力を持つ者たちを殺し、魔力の根源とされる心臓を抜き取る。そしてその心臓を乾燥させた後に粉末にし、様々な薬品と調合することで服用者の魔力を徐々に増やす薬を開発した。そしてもう一つが、服用者の魔力を抑制するための薬。
サラは、自身の身体を破壊神が降ろせるだけの器にするべく、彼女の表向きの『聖人』としての顔を慕って集まった信者たちの中で魔力を持つ者を選別。それから彼らを生贄として殺害し、その心臓を抜き取った。
そして魔力を増幅させるための薬を調合して服用し、少しずつ自身の持つ魔力を増やしたのである。
それから魔力を抑制する薬。
強い魔力を持つ者は、他者の魔力に対する抵抗力も強くなってしまう。
魔力を増強したサラは、破壊神をその身に降ろすために魔力を抑制するための方法が必要だったのだ。
「そうか……帝都で魔力を持つ者を次々と誘拐していたのは、魔力を集めるためか」
ウィンはべーモンド伯爵家の娘、イザベラ嬢誘拐事件に端を発した、レイナードの起こした事件を思い出す。
あの時、イザベラを初めとしたレイナードの犠牲者となった者たちは、心臓を抜き取られて、その躯は彼の忠実な下僕として操られていた。
その件で知り合うことになったレイナードの娘モニカの兄もまた、レイナードの手に掛かり殺され、その心臓は抜き取られていたという。
そしてロイズ小隊によって押収された、レイナードが集めていたとされる薬品群は、薬師であるリーノの父によって、魔力を抑制する薬品を作るための素材だった事が判明していた。
レイナードの身体が淡い赤光に包まれている。
「あの姿って……」
それはレティシアが勇者としての力を発現した時と同じ現象。
黄金の淡い輝きに包まれたレティシアの姿と、よく似た姿であった。
「……なあ、主よ。一つ聞きたいんじゃが、主はそれほどの力を集めてどうしたいんじゃ?」
結界によって雷と風が弾かれているものの、膝をつき身体を守る姿勢でいたミトが、こんな状況にも関わらず落ち着いた声音でレイナードに尋ねた。
「破壊神の力か。確かに凄まじい力じゃな。だが、本来その力を以って挑むべき魔王はすでに滅び、もはやその力は世界にとって無用のモノ。過ぎたる力を手にして主は、何を望むんじゃ?」
「どうしたいかって?」
年老いたドワーフの『剣匠』に、レイナードはまるで侮蔑するかのような表情を浮かべ、嘲笑を浮かべた。
「目の前に、僕の知らない知識がある。僕の知らない魔法がある。誰も見たことがない魔法がある。ならばそれを……それに手を伸ばさない道理がどこにある? 再現しない理由はどこにある? 偉大なる叡智が、人知れず時の流れに埋もれさせてしまうなんて、それが僕には許せなかった」
「何と、そんな理由で?」
「そうだ。でも、そうだね……。魔王を倒すために編み出された魔法。魔王が滅んだ今となっては、本当にこの魔法にそれほどの力があるのか、実験する必要はあるだろう。どれほどの規模で破壊を行えるのか検証する。その結果――」
レイナードはそこで言葉を切った。
そして口の端を上げて笑みを浮かべると、こう言い切った。
「世界が滅びようと、僕の知ったことではない」
「己の身を弁えぬ力は、その身を滅ぼすぞ」
「ちちっ……別に構わないさ。僕はただ……あのコンラート・ハイゼンベルクでもサラ・フェルールでも成し得なかった魔法を、僕の手で成し遂げたいだけだ。」
ミトの言葉にレイナードは淡々と言う。
そして、その言葉と共に放出された赤い光が、レイナードの足下で祈りを捧げ続けていた男の身体を吹き飛ばした。
「ちっ……さあ、僕が破壊神の力を手にし、魔王をも超える存在となったことを証明しようじゃないか」
レイナードの身を包む赤い光は、更なる輝きを増している。紅玉を思わせる鮮やかな深紅。
しかし、その輝きは美しさよりもゾッとするものを感じさせる。
レイナードの目が爛々と黄色に輝いた。
「さあ、来い勇者よ! 僕と戦うがいい……。魔王を倒した君を倒すことで、僕は偉大なるコンラート・ハイゼンベルクを越えた事になる」
黄金の輝きをその身に纏ったレティシアが前へと出る。
「レティ!」
「貴様らにはこいつらをくれてやろう」
加勢しようとしたウィンとミトの目前で、床が盛り上がるように動くと、そこから何体もの石像が姿を現した。
「ガーゴイルか!」
それは古代レントハイム王国の遺跡の探索を専門とする冒険者の間では、有名な守護者と呼ばれる動く石像。
悪魔の姿を模したこの魔力で動く石像は、宙を自在に舞い、鋭い爪で敵を切り裂く。
遺跡探索を専門としていたオールトたちから話を聞いたことはあったが、ウィンも実際に見るのは初めてだった。
「リアラ。皆の援護をしてあげて」
剣をいつものようにブラリと下げたまま、レティシアがレイナードから目を逸らさずに言う。
「ですが、あなたの援護も」
「大丈夫、必要ないと思うから」
「わかったわ」
レティシアの言葉にリアラは頷くと、ウィン、ミト、アベルを援護するために柱の一つに駆け寄る。
柱を背にする事で、背後からの攻撃を防ぐためだ。
「皆さん、私の視界内から絶対に離れないようにしてください!」
リアラが叫んだ理由はすぐに分かった。
「うわ!」
ガーゴイルの攻撃を剣で受けようとしたアベルだったが、その見た目以上に重い攻撃に体勢を崩したのだ。ガーゴイルの鋭い爪は、そのままアベルの肩口に迫り、切り裂かれようとした瞬間。
ガンッ!
固いものをぶつけあうような音がして、ガーゴイルは大きく爪を弾かれた。
アベルの肩口に白い手のひら大のサイズで、鱗のような薄い光が浮かんでいる。
「なんだこれ?」
「アベル後ろ!」
何が起こったのかわからず、動きが止まってしまったアベルの背後から、別のガーゴイルが迫るのを見て、ウィンが叫んだ。
しかし――。
ガンッ!
その突進もまた、アベルの背後に現れた小さな鱗状の光が弾き飛ばす。
『我、汝に願い奉る。偉大なる女神アナスタシアよ。我が望み、我が意思のあるがままに、悪意を阻む光となれ! 光鱗光盾!』
それは女神アナスタシアから力を引き出した、リアラの魔法。
光の鱗でできた盾は、リアラの視界内で自在に具現化して盾となる魔法。
重たいガーゴイルの一撃ですらも弾く。
「気をつけるんじゃ。ガーゴイルは石で出来ておるぶん、その攻撃は非常に重い。押し倒されでもしたら、普通に死ぬぞ?」
ガーゴイルの爪をハルバードで捌きながら、ミトがウィンとアベルに忠告する。
「その忠告、もっと早くに聞きたかった!」
アベルは剣で防御することを諦めると、左手に持っていた盾を両手で構えた。
鉄で補強されている盾ならば、両手で支えれば、ガーゴイルの重たい攻撃も捌けるだろうと考えたのだ。
「だけど、どうすればいいんだこれ? 防御ばかりじゃ、どうしようも!」
唯一、ハルバードという重量武器を振るうミトは、その膂力もあってガーゴイルを叩き壊す事に成功していた。
「ええい! ワッシが行くまで亀のように身を守っておれ!」
「くっそぉ! マジかああああ!」
ミトの言葉に泣きそうな声を上げつつ、必死で盾を掲げアベルは身を守っている。
「アベルさん! 私とは逆の柱の方へ行って下さい。そうすれば、背後からの攻撃は気にせずにすみます!」
「い、移動するのも大変なんですが……」
そう言いつつも、這々の体で柱へと移動していく。
そんなアベルの叫び声を背後に聞きつつ、ウィンはガーゴイルの胴を剣で薙ごうとした。
が、斬れない。
魔力の込められた石材であるガーゴイルの胴は、例え魔力を込めたウィンの騎士剣でも僅かに傷を付けた程度。
ウィンは追撃を諦めると、さっと後ろに飛んだ。
(剣で斬るのは無理だ)
斬れるよりも先に剣身が歪むか、刃が欠ける。
その時、ウィンの目にミトの戦いぶりが目に映った
ミトはハルバードの斧の部分で、ガーゴイルの首や四肢といった細い場所を狙って打ち込み破壊している。
(そうか!)
ウィンは空を舞って近づいてくるガーゴイルに向けて、剣を突き出すようにして構えた。
狙うは腕の付け根。
ウィンをその鋭い爪で切り裂こうと、勢い良く振り下ろす。
その攻撃をウィンは掻い潜ると、思い切り剣をガーゴイルの腕の付け根に向けて付きだした。
剣の先一点に破壊力を集中。
ウィンの目論見は見事に成功し、剣の先が突き刺さった場所から、ガーゴイルの腕には亀裂が走り、腕が重たい音を立てて地面へと転がった。
しかし、魔力に動くガーゴイルは腕を千切られても痛みを感じない。
そのまま、残る片腕を振るってきたので、ウィンは再び距離を取る。
女王蟻と戦った時、その硬い甲殻を破った時と同じ戦法。
あの時の経験が生きていた。
相手の力を利用して、ウィンの攻撃力を何倍にもする。
やがて突進を繰り返したガーゴイルは、両腕と首、そして片方の羽根を失った。
こうなってはもう空を舞うことは出来ない。
鋭い爪を振るうことも出来ない。
魔法人形であるガーゴイルは、頭はただの飾りに過ぎず、失われても視覚聴覚などといった敵を捉えるための感覚が失われることはないが、足と胴体だけとなれば後は真っ直ぐに体当りするしか無い。
「この!」
ウィンはガーゴイルの腹部に蹴りを加えると、ガーゴイルは後ろに倒れた。
起き上がろうとしてもがいているが、足だけで立ち上がる事は不可能だろう。
(よし、まず一体)
ウィンはそのガーゴイルから意識を外す。
(こっちは何とかなりそうだ。レティは?)
ガーゴイルを倒す方法を思い付いたことで、余裕の生まれたウィンは、祭壇上で繰り広げられている尋常ならざる戦いの方へと意識を向けた。
そして驚愕した。
レティシアの身に纏う黄金の輝きと、レイナードが身に纏う深紅の輝きがせめぎあう。
リアラの防御魔法結界で遮断されているが、結界の向こう側はもはや生物が足を踏み入れる事ができるか怪しい有様だった。
太い柱には幾筋もの大きな亀裂が走り、床には何かに抉られたような痕跡がある。柱と柱の間を迸る雷は数と激しさを増していた。
「おおおおおおおおおおおおおおおお!」
レイナードが闇雲に手を振り回すと、空中に浮かんだ無数の赤光弾が、レティシアへ尾を曳いて飛んで行く。
その赤光弾をレティシアは、剣に魔力を込めて薙ぎ払い、時には自らも光弾を生み出しては迎撃。
更に急に間合いを詰めたかと思うと、ザンッとレイナードの胴を薙ぐ。
「がっ……」
レティシアの攻撃は確実にレイナードを捉え、対するレイナードの攻撃はレティシアに掠りもしない。
「なぜだ! なぜだあああああ!」
レイナードの絶叫と共に放たれる、一際大きな赤光弾。
だが、至近距離で放たれたその赤光弾を、自ら生み出した小さな光球で軌道を逸らして躱し、そのまま赤光弾を撃ちだして付きだしたままのレイナードの右腕を切り落とした。
「ぎゃああああああ!」
悲鳴を上げて後ずさるレイナード。
「な、なぜだ。なぜだ。なぜだ…‥…」
破壊神の力を引き出しているため、レイナードの切り落とされた右腕はすぐに再生したものの、レティシアとレイナードの力の差は歴然だった。
「レイナード。確かにあなたが召喚した破壊神の力は凄まじい。でも、所詮はあなたの器を介してのもの。例え魔力を増強したとしてもあなた程度の器では、魔王を滅ぼす事ができる程の力を引き出すことはできなかったみたいね」
力を削られて膝をつくレイナードの前に、悠然とした態度で立ち告げるレティシア。
「だが、僕には無限に神の力が引き出せる。対してお前は人間だ。その力の維持には限界がある。あるはずだ! そうだろう?」
「そうね」
確かに、レティシアも人である以上体力に限界がある。
レティシアの体力が尽きた時、レイナードの力が彼女を上回る事があるかもしれない。
だが、レティシアはレイナードに負ける気がしなかった。
なぜなら――。
「でもね、あなたと私では大きな差があるのよ。決定的な大きな差が」
「差だって?」
「それは戦闘経験の差よ」
レイナードが大きく見張る。
「私は幾十、幾百の戦場で戦い、幾千、幾万の敵を滅ぼした。研究だけに明け暮れたあなたと私とでは、大きな差が出るのは当然なのよ」
「ば、馬鹿な……」
その瞬間、レイナードは己がレティシアに勝つ事ができない事を理解した。
レティシアの言う戦闘経験の差。
破壊神からどれだけの力を得たとしても、戦闘経験だけは得ることができない。
(そんな……それじゃあ僕は魔王を倒すための魔法を再現することすらもできず、ましてやコンラート・ハイゼンベルクを超えることすらもできないと言うのか)
その言葉に湧き上がる絶望。
そして目の前に立つ絶対的な強者に対する恐怖。
あるいは、もうこの時にレイナードの精神は、破壊神によって壊れかけていたのかも知れない。
「……ない……認めないぞ、僕は!」
そして血走った目で周囲を見回す。
(何か! 何か! 勇者を倒す手を考えるんだ!)
そして、レイナードの何かに気付いたようにニヤリと笑みを浮かべた。
「……クックック、あーはっはっはっ! まだだ! まだ終らない。終わってたまるか! 勇者よ、僕は魔王を滅ぼす魔法を手に入れ、力を手に入れ、コンラート・ハイゼンベルクも、貴様も超えてみせるんだ!」
レイナードは絶叫と共に、再び赤光弾を作り出す。
しかし、その赤光弾は今までと違って球状ではなく、槍のような形状を取った。
「無駄な事よ」
それを見たレティシアは剣に魔力を込めつつ、身構える。
飛来してきた槍を叩き落とすつもりだった。
「ククク、後悔するといい。僕を侮った事を!」
再度のレイナードの絶叫。
高速で放たれた赤光の槍。
「む!」
身構えたレティシアにその赤光の槍は飛んで行くこと無く――。
「がっ……」
アベルを援護しようと走っていたミトの背後から、その心臓を貫いた。