コンラートの遺産
神域。
創世の時代、神、精霊、竜といった高位存在が降臨した場所のことである。
神は世界各地にある神域と呼ばれる場所に降臨すると、世界を作っていったとされる。
その代表的な神域が、創世神アナスタシアが降臨した聖地エメルディア台地。
教会の総本山、エメルディア大神殿が建立されている場所である。
そして世界樹が根を張るエルフの都エルナーサ。
竜王フィアンドが住まう地、東方にある竜爪峡谷。
そして、セイン王国にあった魔王が眠っていた地、霊峰レブナス。
「魔王の眠っていた霊峰レブナスを神域と呼ぶのが正しいのかわかりませんが、レブナスは世界樹のある都エルナーサと対を為す場所とされています」
「え? でもそうすると魔王と対を為すのは世界樹となるのでは? 魔王に対を為すのは勇者であるレティなのではないのですか?」
「勇者と魔王の関係がどのようなものなのか、それは私たちでもわかりません。ですが、れティの持つ武器、聖霊剣は世界樹の化身から与えられたものです。勇者とは世界樹の力を宿す聖霊剣を扱える者の事なのかもしれませんね」
ウィンが上げた驚きの声に、神域について説明していたリアラがそう答えた。
「お兄ちゃん。魔族と対を為す存在が精霊であるって話、聞いたことがない?」
「あ、ああ、そういえば魔法の授業の時に聞いたことがあるな」
世界樹から生まれた精霊たちは、大気中を漂い、様々な現象を生み出す。この意思ある力の存在に魔力を対価として与え、術者の意思を具現化させる魔法が、創造魔法と呼ばれる魔法だ。
世界を創造する際にも、アナスタシアは精霊たちを用いて、様々な物質を創造したと伝えられている。
その精霊が生まれた際に、対となって生まれてきたのが魔族なのだ。
「ここもそういった所なのか……」
「ちちっ、そう。この場所は破壊神ノアレの神域。神の力が強く存在することで、非常に不安定となった場所だ。ここでなら、この僕にも破壊神を喚び出すことができる。さあ、称えたまえ! いまこそ、コンラート・ハイゼンベルクが魔王を倒すために編み出した魔法が完成する時だ!」
空間内にある全ての柱が極光色に明滅する。
壁画から絵が浮かび上がり、刻み込まれた文字が黄金色に輝き始める。
そして――。
レイナードの立つ段上より吹き付ける暴風。
まるで竜巻のように大気は唸りを上げて荒れ狂い、柱と柱の間を轟音と共に雷が奔る。
「ぐう……」
ウィンはその場で身体を丸めると、両手で頭を庇う。
吹き荒れる暴風と迸る雷は、更に激しさを増し、ウィンは知らず知らずの内に一歩後ろへと下がった。
風によって身体が持ち上がりそうになる。
何とか踏ん張って耐えていたが、後方へと吹き飛ばされるのは時間の問題のように思われた。
その時。
不意にふわりとした暖かさを全身に感じたと思うと、急に風の影響を感じなくなった。
「え?」
目を開いてみると、相変わらず激しい雷によって眩しさを感じるものの、ウィンたちがいる場所とレイナードのいる祭壇との間に、薄い白光を放つ膜が生まれている。
ウィンたちの前に立ちはだかるようにして、リアラが手をかざして立っていた。
「た、助かった……」
アベルの安堵したような声。
リアラが防御結界魔法を張って、突風と雷の乱舞を防いでいるのだ。
「いいぞ、リアラ・セイン。偉大なる魔導師が対魔王用に編み出した究極の魔法、その完成を見る前に、降臨に際しての余波で死んでしまってはつまらないからね」
だが――。
「違います!」
そう強く叫んだのはリアラ。
「あなたの望みは、コンラート・ハイゼンベルクが編み出した魔法を手に入れ、そして再現したい。魔王をも滅ぼすだけの力があることを証明したい。そうなのですね」
「ああ、そうだよ」
「なら、あなたが現在行っている魔法、これはコンラート・ハイゼンベルクが魔王を滅ぼすために編み出した魔法ではありません。これは、コンラートの魔法とは違う! サラ・フェルールによって編み直された、世界を滅ぼすための魔法なのです!」
◇◆◇◆◇
それは魔王が降臨する瞬間に立ち合わせたゆえに、思い付いたのかもしれない。
セイン王国宮廷魔導師コンラート・ハイゼンベルクは、左腕と左脚を失いながらも、敬愛する己の主、セイン王国の英雄王メルヴィック四世が、人ならざる存在へと変容していく姿を見つめ続けていた。
そして気付いたのだ。
魔王は、メルヴィック四世という稀代の英雄の肉体を器として、この世界に降臨した。
この現象は、より上位の存在より力を引き出す、もしくはその存在そのものを降臨させる召喚魔法と原理は同じなのだと。
それならば、魔王と同じだけの力を持った存在を、人の肉体を器として召喚すれば、魔王に対抗できるだけの力を持った存在を、創りだす事ができるのではないか。
神霊と呼ばれる上位存在を召喚することは、コンラートの魔力と才能があれば容易な事だった。しかし、実際に召喚した神霊を人の肉体を器として中に降ろし、地上に繋ぎ止める魔法の開発は、幾度もの試行錯誤が必要だった。
初めはコンラートの意思に賛同した者たちが、実験に志願してくれた。
彼らはセイン王国の元民。
魔王が降臨したあの日、運良く国外に出ていて難を逃れた者たちだった。
彼らの協力を得てコンラートは神霊の召喚を決行。
だが――。
結果は惨憺たるものだった。
神霊という存在が持つ、膨大な力に人の肉体が耐えられなかった。
人格が崩壊して廃人と同様になる者。あるいは、意識を残せたものの、多くの記憶が破壊されてしまい、日常生活すら送ることが困難になる者。
しかし、これらの結果から、魔王が人という器の中に降臨したように、神霊も人を器として降臨させる事ができるという仮説が正しかった事をコンラートは確信した。
その後も失敗の連続であったが、コンラートは実験を繰り返した。
実験への志願者がいなくなってからは、ある日突然姿を消しても不審に思われない難民を拐かし、実験と検証を行った。
その結果コンラートは、魔王を倒すという目的に向かって、また一つ先へと進むことができた。
それは、強い魔力を持つ者ほど、より強力な神霊を降ろしても、その肉体と意識が耐えることが可能だという事だ。
簡単なものであっても魔法が使える者が器となれば、そうでない者よりも記憶こそ大量に失うものの、意識は残る事が多かったのである。
コンラートは考えた。
魔力は魔法の源。
魔力を精霊に対価として捧げる事で、人は世界に干渉し様々な現象を具現化させる。
その魔力を糧とするならば。精霊そして精霊より上位とされる神霊は、より純粋な魔力に近い存在なのではないか。つまり、普段からその身に強い魔力を内包している者は、その肉体も意識もまた、魔力に対して強い耐性を持つことになる。
そうであれば、魔力が強い者であるほど、より強力な精霊や神霊を肉体に降ろしても耐えることができるのではないか?
実際、魔力を多く持っている者は、同時に魔法へとの耐性が高い事が事実として知られていた。
魔力を己や他者、物体に付与する《付与魔法》は、術者本人に使用した場合は完全に魔法効果を発揮するのに対し、他者に魔法を付与しようとすると、その効果がかなり減衰してしまう。これは魔法を掛けられた対象者が無意識の内に抵抗、そしてその身に持つ魔力が他者の魔力に対して抵抗してしまうからだ。
そこでコンラートは、まず器となる肉体が魔力に抵抗しないように殺害し、魔力の根源とされる心臓を抜き取った。すると予想通り、安定して神霊を降ろすことができるようになった。
しかし、降ろせる神霊の強さは、降霊された人間が持つ魔力の大きさに委ねられてしまう。
魔王を倒せる程の神霊を降霊させるためには、より大きな魔力を持つ人間を器とする必要があった。
だが、それほどの器を持つ者はコンラートが知る中で、己自身の他にはいなかったのである。
コンラートは、今さら自身の命と身体がどうなろうと構わなかった。
ただ、コンラートの肉体は確かに強大な魔力を持つゆえに、その抵抗力も限りなく高い。当然、死を受け入れて自らの心臓を抜き取る必要があった。
しかし、己が死ねば神霊を降ろす魔法を行使する者がいなくなる。
そこで、召喚魔法を応用する事で、コンラート自身の魂を別の人間の中へと入れる事にした。
別人に自らの意識を移す事で、魔法の儀式を行う。
そして己の肉体に降臨させた神霊に命令し、魔王を倒す。
そのためには、コンラートの魂を容れられる器も見つける必要がある。
魔王を倒せる程の強大な神霊を受け入れられる、コンラートの意識を受け入れられる肉体。その肉体もまた、強大な魔力に耐えられなければならない。
いたちごっこである。
だが、コンラートは自らが神聖不可侵な存在としていた者を犠牲にする事で、そのいたちごっこを解決した。
その神聖不可侵な存在こそ、メルヴィック四世の血統――リアラ・セインだった。
リアラの魔力はコンラートには及ばないものの、その治癒魔法は奇跡の域に達するとまで言われていた。自身が受けた傷ならば、即死でもない限り、常人では致命傷であっても快癒してしまう。
そのリアラならば、異質な神霊の魂を受け入れるのではなく、人間であるコンラートの魂であれば受け入れられる可能性が高い。
強力な回復効果を持つ魔法陣と自己治癒魔法を使わせた上で心臓を抜き取り、コンラートの意識を移せる。
神聖不可侵だった存在に手を掛けることを決意したコンラートは、エメルディア大神殿からリヨン王国に使者として向かっていたリアラを誘拐。手に掛けようとしたところで、レティシアによって阻まれた。
そしてコンラートは知るのである。
己の編み出した禁忌とも言うべき魔法に頼らずとも、魔王に伍する力を秘めた勇者という存在を――。
「その魔法を完成させるまでに、コンラートは多くの命を犠牲としました。そのことは決して許されざるべき行いですが、コンラートの魔法はあくまでも魔王を倒すために編み出されたもの。魔王を倒すために、自身の意思でその力を制御できるように考えられていました。人の意識は神の意識に耐えられない。だからこそ、コンラートは私の肉体に自らを降ろそうとしたのです。あの稀代の魔導師ですらそこまでする程の力、あなたに制御できるとは思えません!」
「ちっ……その通りだよ。リアラ・セイン。君に言われずとも、僕もそのくらいのことわかっている。あの偉大な魔導師の遺した遺産を、僕はずっと追いかけてきたんだ。そして僕の肉体では君が言うとおり、破壊神を受け入れるには器が足りない……」
リアラに力不足であると言われたレイナードは、その指摘に気分を害する様子も見せず、どこか余裕すら窺える笑みを浮かべて見せる。
「ちっ、だがその問題も解決済みだ、リアラ・セイン。君の言ったとおりだよ。これから僕が行うのは、コンラート・ハイゼンベルクの魔法じゃない。その魔法を応用させた、サラ・フェルールの魔法だ」
そう言って取り出されたのは小さな瓶。
「ククク……ずっとこの時のために、用意してあったものだ」
そう呟くと、レイナードは瓶の中身を一気に呷った。
「っぉぉ…………」
そして胸元を押さえると、レイナードは呻き声を上げてその場にうずくまった。
「ぬ!? 毒を呷ったか?」
「ちっ……毒で……は……無い……」
レイナードが苦悶の表情を浮かべているのを見て呟いたミトに、レイナードは掠れた声で否定した。
「いや……毒ではあるか……ぐっ……」
レイナードの口から、血が吐き出される。
「っ……ぁ……」
そしてそのまま突っ伏すようにして床に倒れ込んだ。
「これはいったい……」
ウィンもレティシアも、その場にいた全ての者が戸惑うように床に倒れ伏すレイナードを見つめる。
床に倒れたレイナードの身体は、ビクンビクンと大きく痙攣を繰り返していた。その様子は毒を飲んで断末魔の痙攣を起こしているようにしか見えない。
レイナードの痙攣はやがて徐々に小さくなり、やがてピクリとも動かなくなったその時――。
「みんな、下がって!」
鋭いレティシアの叫び。
レティシアは右手に光球を生み出すと、動かなくなったレイナードへ射出する。
それを見て、ウィンたちは慌てて後方に大きく飛び退る。そして、次に訪れるはずの爆発に伴う光と熱、突風に備えようと顔を手で庇おうとして、信じられない光景を目にした。
レティシアの放った光球が、レイナードに直撃する瞬間、爆音を上げることもなく、空間に溶けるように消失した。
「お兄ちゃん、あの人に物凄い力が集まってきているよ」
光球がかき消された事に、唇を噛み締めたレティシアが、ウィンに言う。
「ああ……魔力を感じられない俺でも、分かるような気がする」
ウィンはゴクリと唾を飲み込んで答えた。
喉がひりつくように乾いている。
身動き一つしないレイナードから、得ないの知れない強烈な圧迫感を感じていた。
空間を吹き荒れる暴風は、激しさを増し、大気の摩擦で派生した激しい雷は、リアラの張る結界にぶつかって激しく閃光を迸らせた。
そして――。
「ククク……」
雷鳴のような音が轟く合間に、小さな含み笑いが聞こえた。
声の主はレイナード。
ゆっくりとその場に立ち上がる。
レイナードの顔の半分を隠していたフードが弾かれたように風で飛ばされる。
「!?」
ウィンたちのはその顔を見て息を呑む。
フードの下から現れたのは、若い青年の顔だった。
「力がどんどん僕の中に入ってくるのがわかる……。素晴らしい……これが神の力か……」
手にした力の大きさに、恍惚とした表情を浮かべるレイナード。
「そんな……コンラート・ハイゼンベルクですら制御できなかった力を……どうして」
リアラの呆然とした呟きに、レイナードは薄く笑みを浮かべて彼女を見た。
「さっきも言ったじゃないか。これこそ『背教者』サラ・フェルールが、コンラート・ハイゼンベルクより研究を盗み出し、独自に改良した魔法。魔力の増幅と抑制を同時に行う邪法だ」