王都リヨン
次話から本編です。
活動報告に4巻の特典情報などを上げてあります。よろしくお願いします!
整形に刈り込まれた樹林。
一面に広がる芝の広大な庭園の中を真っ直ぐに伸びる三本の石畳の道。
最も広い中央の道には、平行して二本の側道が伸びている。
その道沿いを走る運河は、レムルシル帝国とリヨン王国の国境を流れるマレー川から水を引き込んだものだ。
石畳の道と運河、そして芝と樹林が生み出す緑のコントラストが生み出す景観は、訪れた者に感嘆のため息を漏れさせる。
そして三本の道が突き当たる先。その突き当りにある宮殿こそ、良質な港を抱え、交易国家として世界中に名を馳せるリヨン王国の王宮だった。
純粋に建物の規模で言えば帝国の皇宮よりも小さい。
しかし、高名な芸術家、画家、そして造園家に大金を支払って作らせたリヨンの王宮は、その敷地内にある全ての建築物が芸術品であると高い評価を得ている。
その宮殿から続く道を、ゆっくりとした速さで行進していく一群があった。
その隊列はまるで設計図に記した記号のごとく、馬の一頭一頭、人と人との間隔が寸分違わず等しく、一体性が損なわれることはない。
(すごい練度だ……)
その行進する一群の中心に位置した馬車の中で、ウィンは驚嘆を覚えて眺めていた。
彼らはリヨン王国の近衛騎士団と、主力の王宮騎士団である。
一糸乱れぬ統制の取れた騎士団の動きは、軍の規律と練度の証。
厳しい訓練の果てに為すことができるこの行進だけでも、リヨンの富を狙う他国に対する牽制になる。
統制の取れた軍を相手にすれば、手を出せば多大な出血を強いられる。それは無用な戦争を防ぐための抑止力ともなるのだ。
リヨン王国は、国土の東をレムルシル帝国、西をカシナート王国に挟まれている。
リヨン王国が建国される以前には、レムルシル帝国とカシナート王国の間には、二十を数える小さな自由都市群があった。
しかし、レムルシル帝国は次々とそれらの国へ侵略を開始。
危機感を覚えた自由都市群は、まずカシナート王国の庇護下に入る事を選択した。
先史で大陸の覇権国家となったレントハイム王国の系譜を継ぐカシナート王国は、大陸中にある国々でも最古の歴史を誇り、その王室の権威は他国も無視できないものがある。
自由都市群は元々、レントハイム王国が崩壊した際にそれぞれが独立したものだったため、かつての支配者の系譜を継ぐカシナート王国の傘下に入る事は自然な成り行きであった。
しかし――。
老いたる大国カシナート王国は、庇護下に入った事で同盟負担金という名の貢金を自由都市群に課したが、その負担に見合うだけの援軍を何やかんやと理由を付けて寄越すことはなかった。
そして次々と自由都市は陥落していった。
降伏してレムルシル帝国の支配下となった都市。
降伏を良しとせず、自由と誇りを選択して灰となった都市。
同胞の都市たちが過酷な運命によって、歴史の流れからその名を消されて行く中、残された十二の都市は最後の決断を下した。
力を弱めた自由都市群を併呑しようとするカシナート王国の手を振り払って、十二の自由都市群は、港湾都市だったリヨンを盟主として新国家の樹立を宣言したのだ。
建国当初は、その樹立を認めようとしない近隣諸国によって、一方的に攻めこまれた。
しかし、元々自由都市群と呼ばれていた都市は、それぞれが一応は独立を保てるほどの資本と兵力を持っていた。それらが新国家樹立の意思の元、一つに纏まった事で、外国の干渉を打ち払えるほどの力を得た。
そして、国の歴史としてはまだまだ新興国家だが、交易によって得た莫大な富で強兵策を打ち出し、たちまちのうちに列強諸国に仲間入りを果たしていくのである。
そして大国として数えられるようになって今もなお、騎士、兵士は練武に励み、精強さに更なる磨きを掛け続けている。
練武に励む気にもなるだろう。
ウィンの前に立ち、集った群衆の歓呼に応え笑顔で手を振る男――。
リヨン王国王位継承権第一位、『剣聖』ラウル・オルト・リヨン。
武に生きる者でなくとも憧れる、誰にでもわかりやすい称号を持った英雄が、自分たちの次代の王となるのだから。
祖国の王族を民が誇りに感じ、胸を張って生きる事ができれば国の勢いは良い方へと増していく。
新興の国家という事もあるが、歴史が長いゆえに様々な内憂を抱えたレムルシル帝国とカシナート王国と異なって、リヨン王国が目覚ましい成長を見せている理由の一つとして、『剣聖』ラウルの存在はとても大きなものだった。
普通の人よりも極端に魔力が少なく、剣の技のみで騎士を目指す事になったウィンにとっても、『剣聖』ラウルは当然憧れの存在だった。
その武勇と剣名は、レティシアと共に魔王を討伐という偉業を成し遂げるよりも前から、帝国にも鳴り響いていたものだ。
特にウィンは冒険者や旅の傭兵を相手に商売をする宿屋で育ったという経緯もある。
食事と宿泊を目的として訪れる彼らの間で、『剣聖』の称号を得た隣国の若き王太子の名が噂に登ることは珍しくなかった。
その上、ウィンが冒険者ギルドに出入りすることで、ラウルの名を聞く機会は格段に増えた。
冒険者は個人の武勇に対して価値を見出す。
底辺から身を起こそうとする彼らにとって、時には世俗の地位よりも、個人の武勇にこそ敬意を払うのだ。
そんな連中にとって最強の一角であるという証、『剣聖』の称号を持つラウルは、英雄的存在だった。
少なからず英雄願望を持つ冒険者たちは、酒を飲みつつ、又聞きしたラウルの武勇伝を熱く噂していた。
勇者がリヨン王国に訪れ、『剣聖』ラウルがその仲間として共に旅立ったという話を聞いた時には、ウィンも胸が熱くなったものである。
騎士学校で寮住まいとなってからも、『渡り鳥の宿木亭』で働いていたウィンは、客達が語る勇者メイヴィスとラウルの噂話を聞くのを楽しみにしていた。
まさか勇者メイヴィスが、幼馴染だったレティシアだとは知らなかったため、むしろ勇者であるメイヴィス公爵家第三公女よりも、ラウルの活躍を楽しみにしていたくらいだった。
同室のロックが家から持ち帰ってきた新聞と、ウィンが街で聞いてきた噂話を比較して、二人で夜を徹して語り明かした事もある。
そんな憧れの存在だったラウルと、ウィンは今一緒の馬車に乗り込んでいた。
(言われるがままに乗ったけど、そんな方と同じ馬車にいていいんだろうか?)
以前、ラウルが忍んでレムルシル帝国に訪れた際に、ウィンは剣を交えた事がある。
その時はラウルは自らの正体を隠していたし、ウィンは彼の事を不審人物と見なして戦った。その後、正体を知りラウルと会話する機会を得たが、その時はレティシアだけでなく、アルフレッド皇太子殿下、コーネリアもいたので、そこまで意識していなかったのである。
しかし、いま大観衆の歓呼の中、ラウルと馬車を同乗する事になって、ウィンは気後れを感じていた。
同乗しているのはラウルだけではない。
六頭の白馬が引く金で美麗な装飾が施された大きな馬車の客車には、ラウルとレムルシル帝国の第一皇女としてのコーネリアが並んで座り、その後ろを勇者メイヴィスことレティシアとウィンが並んで座っている。
集まっている群衆の目的は、自国が誇る精強な騎士団の勇壮な行軍と、その彼らに守られて進む三人の姿なのだ。
いずれ伝説となって歴史に名を残すであろう『勇者』、そして自分たちの国が誇る英雄にして『剣聖』の王太子、隣国から訪れた皇女。
民衆は彼らの姿を目に焼き付け、この日、この場に居合わせる事ができたことを幸運に思い、周囲の者たちに自慢気に語るに違いない。
吟遊詩人などの語り部たちも、この日の事を題材にした詩や物語も作る事だろう。
そんな歴史的な一場面の中で、ウィンは自分が一体どういった立ち位置で描かれることになるのだろうか。
「お兄ちゃん、汗かいてる」
緊張からか、ウィンの額には汗が滲んでいるのを見つけてレティシアが、耳元に口を寄せてささやいた。
「……あ、ああ。うん。騎士として、行進をするのならともかく、さすがにこの一番目立つ所だとどうしてもね、緊張してしまって……」
この状況について考えるのに精一杯だったウィンは、何の気無しにレティシアにそう応えた。大観衆の視線に晒されて上の空だったのだ。
すると、レティシアの行動としては次のようなものになる。
「ふふ……ちょっと待って」
取り出したハンカチで、ウィンの額に浮いた汗をそっと優しく拭う。
レティシアにとっては至極当たり前の行為。
そして、今日一番の大きなどよめきが王宮前の庭園に広がった。
ウィンがはっと我に返った時には遅かった。
自国の王太子と隣国の皇女、そして世界を救った勇者と共に馬車に乗り込んだ、一見パッとしない若者。
その若者の額に浮かんだ汗を、勇者と呼ばれる少女が甲斐甲斐しく拭きとっている。彼女の見せた表情や仕草には、若者への慈しみが誰の目にも見て取れるほどはっきりとしていた。
(あのメイヴィス様とお話されている方は、どこの方だ?)
(殿下や帝国のお姫様と同乗されていらっしゃるのだ。恐らくは帝国でもさぞや高位の貴族様なのでは?)
(バカを言うなよ。あの勇者様だぞ? 王族に並ばれる方でようやく同乗する事が許されるお方だ。たとえお偉い公爵様でも、同乗されるなど……ましてや、お隣になんてありえない)
(一体、何者なんだ?)
ウィンに対する興味の声が大きなうねりとなって、群衆の間に広がっていく。
その声は風に乗って、ウィンたちにまで聞こえてきた。
(俺だって何でこっちに乗ることになったのか聞きたいよ。俺もロックたちと一緒に、後方を歩かせて欲しかった)
ウィンはチラリと後方を歩く同僚たちの方を、振り返った。
ロック、ウェッジ、リーノの三人は、ウィンたちが乗る馬車の後方で馬に乗って行進しているはずで、実際見える位置を彼らは馬を進ませていた。
もちろん他国から訪れた騎士という事で、彼らもまたそれなりに注目を集めているだろうが、この馬車に乗っている者たち程では無いだろう。
ウィンの恨めしげな視線を受けて、その内心を悟ったのだろう。ロックがひらひらと手を振ってみせる。その横ではリーノがうつむいて、笑いを堪えているのが見えた。
(あいつら……後で覚えてろよ!?)
ウィンが後ろを振り向いた事で、世話をしようとするレティシアが、更にウィンの方へと身を乗り出してくる。
「待って待って、自分でやるから……」
「ダーメ! 私がやるから、お兄ちゃんは動かないで!」
ピシャリとレティシアがウィンの動きを封じ込めた。
その様子を振り向いたラウルが見て、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
その笑みを見て、ウィンはピンと来た。
「……こうなる事がわかっていて、自分をレティと一緒の馬車に乗せましたね?」
「まあね。君といる時のレティは、信じられないほど緩むからなぁ」
ラウルは肩をすくめて見せると、ウィンの方に向き直って座った。
「レティが勇者として振舞っている時は、まるで人形のように表情を消している事が多かった。だからこの国に限らず、民衆はレティの事を一人の少女というよりも、人を超越した何かのように思っている。まあ、レティが人形のように振る舞う事になった一因は、俺たち権力者側にも責任があるんだが……俺は、レティが超越した何かではなく、ちゃんとした一人の女性である事も多くの人に知ってもらいたかった。そこで君の出番と相成ったわけだ」
「と言いますと?」
「君とイチャつくレティを見て、誰がレティの事を超然とした存在だと思うのか!」
「…………」
ラウルの隣で、コーネリアがクスクスと笑っている。
「お気持ちはお察しいたしますが、どうかお許し下さい。ウィン・バード様」
あまりのラウルの発言に、思わずジト目をしたウィン見て、馬車の隣で馬を歩かせていた女性騎士が声を掛けてきた。
「ええっと……確か、マヌエラ殿」
「覚えていて頂けましたか!」
以前、ラウルがシムルグを電撃的に訪れた際に催された晩餐会。
会場へは皇族や皇位貴族しか入れず、ウィンたちお付きの騎士たちは、大広間の隣に用意された控室で控えていた。
その時に知り合う機会を得たリヨン王国の近衛騎士だ。
晩餐会に招待された貴族のお付きたちは、老練な者たちが多く、そこかしこで密談や商談といった下交渉が為されていた。
若くて経験の浅いウィンがそうした権謀術策渦巻く会話の輪に入れるはずもなく、同様にウィンと同年代で、あぶれてしまっていたマヌエラらと交流する機会を得ることになったのだ。
「お久しぶりです」
レティシアもマヌエラに声を掛ける。
レティシアがマヌエラを見たのは、ウィンを控室に迎えに行った僅かな時間だけだったのだが、彼女はちゃんと覚えていたらしい。
レティシアに挨拶をされて、マヌエラの肩がビクンと跳ね上がった。それから顔を真っ赤にさせる。
「あのレティシア・ヴァン・メイヴィス様に声を掛けられて、そして覚えていてもらえたなんて……」
小声で呟くと、神に祈りを捧げている。
ウィンはマヌエラが感極まって、泣き出したりしないか思わず心配になるほどだ。
「俺のことも覚えていますかね?」
行進に乱れが生じないよう見事な手綱さばきを見せて、マヌエラと入れ替わって馬を寄せてきた騎士が、親しげな笑みを見せて言った。
「もちろん。ティエリ殿でしたよね。お久しぶりです」
マヌエラと同様、晩餐会で知己を得た近衛騎士のティエリだ。
ウィンも親しみを込めた笑顔で挨拶を返す。
「ウィン殿がそちらの馬車へと同乗することになった理由なのですが、お二人のイチャつく姿を民衆に見せつけるという所はともかくとして、先ほどの民衆にメイヴィス様が超越した存在なのではない。一人の人間なのだと知らしめようとする意図以外にも、もう一つの事情があったんです」
「もう一つの事情?」
「実は昔、うちの殿下が勇者様を怒らしたことが原因でして……」
「ラウル殿下が、レティを怒らせた?」
そんな事があったのかとウィンがレティシアの顔を窺ってみると、彼女は首を傾げてティエリの方を見ていた。
どうやら心当たりが思い浮かばないらしい。
「メイヴィス様がこの国へ初めていらした時、うちの殿下がメイヴィス様へ要らぬ挑発をかました挙句、勇者様に完膚なきまでに負けてしまったことがありまして――」
「完膚なきまでとは人聞きが悪いな、ティエリ」
ラウルが口を挟む。
「ちょっと剣を切り飛ばされて、喉元に刃を突きつけられただけじゃないか」
「それを世間一般では、完膚なきまでにと言うのですよ、殿下」
自国の王太子と、彼に仕える騎士とは思えない軽い口調でのやり取り。
「ああ、ティエリとそこのマヌエラは、俺の幼馴染でもあるんだ。ついでに剣の弟子でもある」
まだ何やら祈り続けているマヌエラとティエリに目を向けたラウルが、帝国人の三人に説明する。
ウィンは晩餐会の時にそのあたりの話は聞いていたので、黙って頷いた。
(だけど……あの時のティエリさんとマヌエラさん。ラウル様に対して、とても尊敬の念を抱いた態度を取っていたような……)
そう思ってリヨンの主従の様子を見ていると、
「確かに剣に関しては、殿下の事を尊敬していますし、主としても認めてはいます――が、それ以外はただのアホです」
「言ったな、お前! 仮にも俺は王子だぞ? ついでに言えば剣の師匠だぞ? それをアホとまで言うか? それもこんな人前で……」
「この大歓声ですから、どうせ誰にも聞こえはしませんよ」
ラウルの抗議を、ティエリはいとも軽くあっさりと蹴り飛ばしてみせていた。
ラウル・オルト・リヨン。
世間一般では、先代の『剣聖』からその称号を受け継ぎ、王太子として王に代わって軍権を預かり指揮もする猛将と評判だ。
そして、『勇者』レティシア・ヴァン・メイヴィスの仲間として、魔王を討滅した英雄の一人。
(こ、子どもの頃から抱いていたラウル殿下への幻想が!)
「まあ、ラウルの実像はこんなもんだよ。特にリアラには、頭が上がらないんだから」
噂に聞く英雄ラウルの人物像と、実際に見たラウルへのギャップで幻想を破壊され、頭を抱えているウィンに、レティシアが澄ました顔で言った。
「ほら……信頼できる親しい仲の人にしか見せない顔というものは、誰しもが持っていますし」
ちょっと苦笑を浮かべたコーネリアが、ウィンを慰めるようにそう言ってくれた。
そう言われてみれば、レティシアだってウィンに見せる顔と、それ以外の顔を使い分けている。
ラウルだって四六時中王太子として、『剣聖』としての顔を浮かべているわけにはいかないだろう。
「それで、どうして私がラウル殿下と同じ馬車へと同乗することになったのでしょう?」
気を取り直したウィンがそう聞くと、ティエリから散々っぱら、日頃の素行に対して文句を言われていたラウルが、救われたというような表情を浮かべてレティシアの方へと目を向けた。
「そりゃあもちろん、レティの存在があるからさ」
ウィンは頷いた。
「ウィン君。君は、あの『勇者』レティシア・ヴァン・メイヴィスのお師匠様ということになってるんだぜ?」
「なっているんじゃなくて、お師匠様なの」
レティシアがきっと強い視線をラウルに向けると、不満を込めた口調で訂正する。
レティシアの力があまりにも抜きん出ているため、周囲はなかなかウィンが彼女が主張するように彼が師である事を認めない。
レティシアにとって、ウィンが様々な事を教えてくれた、ただ唯一の存在なのに。
ラウルがそんなレティシアへわかっているとでも言うように、二度頷いてみせた。
「ああ、そうだ。君はレティのお師匠様だよ。そして現在、世界でただ一人、レティの上に立つことが許されている人物だ」
「上に立つ?」
意味がよくわからなくて、ウィンはレティシアの顔を見た。
レティシアはにこにこと笑顔でウィンを見ている。
「うん。まあ君の今までにいた立場なら、なかなかその事を実感するのは難しいし、わかりづらいよなぁ」
ラウルは腕を組んで天を仰いだ。
そして言葉を選びながら口を開く。
「見ての通り、俺はレティと旅を共にしたからこうして気安く会話ができる。リアラやティアラだってそうだ。頼み事だってできる。だけど、レティに強制させる事はできない。が、逆にレティが俺たちに頼み事をして来た場合、俺たちがそれを断ることはひどく難しい」
「そうですか? いくら何でも、レティがむちゃくちゃな頼み事をしたら、断っても良いと思いますけど?」
「ハハハ、それはウィン君がレティの事を一人の女の子として見ているからだよ」
ラウルはそう言うと、レティシアに目を向けた。
「だけどウィン君以外の者たちにとって、レティの言葉は勇者様のお言葉となるんだ。王も皇帝も大神官も、地上の権威のその上に君臨する『神に限りなく近づきし存在』としての言葉だ。明確に敵対する立場を取らない限り、それを断ることは難しい」
もしも、その言葉を断ったとしたら?
世界を滅ぼしかけた魔王すらも倒してみせた、レティシアの力が向けられるかも知れない。そして勇者様に逆らった、ならず者国家として、他国からは国交を断絶されてしまうかもしれない。
「だけど君は違う。レティに対して色々と気兼ねなく言える。これは実際、他の者から見たら信じられない事なんだよ」
(まあ、だからこそアルフレッドの奴が、君に対する対応に苦慮しているわけなんだがね)
ウィンはどうしたって帝国の枠組みの中で生きて行くことになる。そうすると、ウィンがどのような仕事に就いたとしても、彼に命令できる立場の人間が出来てしまうわけで、そうなると万が一にもウィンを利用してレティに命令を企むような人物が出てくるかも知れない。
もし、そんな事が実際に起こったとしたら、どれほど危険な事か。
その事を危惧したアルフレッドは、ウィンをコーネリアの従士にした。
ウィンに命令できる立場にいる人間を、できるだけ少なくするために。
アルフレッドからそうした話を聞かされているわけでは無かったが、同じ一国の次代を担う事になる立場。ラウルは彼の心中をほぼ正確に推察してみせた。
「さて、今言った事を踏まえた上で、この行軍を立案した者たちが考えたことを推察してみよう」
レムルシル帝国の第一皇女コーネリア殿下が、リヨン王国へと訪れる。
その一行には、勇者様も同行されている。
国賓を迎えるにあたってリヨン王国の外務を担当する者たちは、すぐに歓待の準備へと移ったのだが、外交のスペシャリストである彼らをして頭を抱えさせた問題が、コーネリア皇女の従士の中に、ウィンの名前があったことだった。
普通に考えるとリヨンの王太子であるラウルと帝国の皇女コーネリアが、上位に序列される。
公爵令嬢であるレティシアも、本来の宮廷序列では二人には及ばない。ましてや、皇女の従士程度の身分では、同乗などできようはずもない。
しかしレティシアは、地上における神の代弁者である皇帝や王、大神官すらも超越した『神に限りなく近づきし存在』として、地上に並ぶ者無しという特殊な立場だ。
そして、そのレティシアが唯一跪く存在が、ウィンという若者だった。
この一点が、リヨンの高官たちの頭を悩ませる大問題となってしまった。
かつてこの国は一度、ラウルの余計な行動でレティシアの不興を買ったことがある。
もちろん、その後のレティシアとラウルは、一緒に旅をして魔王を滅ぼした仲間同士だ。とっくにあの時の事は水に流されているだろう。
それでも、レティシアが唯一頭を垂れる人物に対して、無下な扱いをしてしまい、再び彼女の不興を買うような事があれば――高官たちは頭を悩ませた。
そうして必死で考えて出した苦肉の策の結果が――。
序列が決めづらいのなら、全員一緒にまとめて乗せてしまえばいいじゃないか!
というどこか投げやりな結論であった。
「――とまあ、こんな感じで君は俺たちと一緒の馬車になったわけだ。帝国内では色々と立場が微妙だったようだが、帝国の外に出れば、お前さんはレティの師であるというのが、世間一般での認識だからな。そんな人物を無下に扱うわけにはいかないだろう?」
(そんな理由だったのか……)
ウィンは溜息を吐いて天を仰いだ。
(この調子だと式典の後の晩餐会も……覚悟だけはしていよう)
軽く頭痛を覚えて眉間に皺を寄せるウィンの横で、ちゃんとウィンを自分の師として遇しているリヨンの対応に上機嫌なレティシアがにこにことしていた。
レティシアの機嫌を損ねなかっただけでも、最上の仕事だったと言えよう。
(この解決案を提出してきた官僚に、後で金一封を与えよう)
そう思うラウルであった。