間話
間話というかほぼ説明文。さらりと流し読みで結構です。
次回、もう一本ウィンたちの間話を上げてから本編に入ります。
レムルシル帝国の北東部、クイーンゼリア女王国と国境を接する町――オールドレイク。
この町は、七年前までレイムダウという名前の国の王都だった町である。
人口は一万人程度。
所領内全ての人口を合わせても三万人程度の小国で、中堅国家であるクイーンゼリア女王国や周辺小国と結びつきを強めることで、長年レムルシル帝国という巨大な国の圧力に抗い続けてきた国だった。
最も、今では帝国の中に組み込まれてしまった一地方であるが。
その滅亡したレイムダウ王国には一人の英雄がいた。
名をルクレツィア・ホルン・レイムダウ。
レイムダウ王国の王女である。
帝国暦二六五年。
レイムダウ王国の同盟国だったクイーンゼリアに、魔物の侵攻が始まった。
王位継承問題を巡って国内が混乱していたクイーンゼリアは、魔物の侵攻への対策が後手後手に回ってしまい、ひどく混乱状態に陥った。
その隙を突くような形で、帝国はレイムダウ王国に攻め込んだのである。
国力にしてレイムダウの数十倍以上は差がある大国レムルシル帝国。
帝国がレイムダウ侵攻に際して動かした軍は東部方面騎士団だけであったが、わずか一戦でレイムダウ国王を戦死せしめた。
それでもレイムダウ王国騎士団は、当時まだ七歳の王太子を王に即位させると、周辺小国から送られたわずかな援軍とともに抗戦を貫く方針を固めた。
そして歴史の表舞台に、ルクレツィア・ホルン・レイムダウ王女の名前が登場する。
十三歳だったルクレツィアは、弟王の名代として戦場に立つこととなった。
頼みの綱であるクイーンゼリアの援軍が期待できない以上、一戦して帝国に無視できない被害を与えた後に講和へと持ち込み、レイムダウの民にとって少しでも有益となる条件を引き出して帝国の支配下に組み込まれる。
これがレイムダウ王国にとって最良と思われる戦争の帰結点だった。
もとより勝利は望み得ない。
ところがルクレツィアに率いられたレイムダウ騎士団は、数で圧倒的優位に立つ帝国の東部方面騎士団を相手に、互角以上の戦いぶりを見せるのである。
ルクレツィアは十二歳になると、帝国のシムルグ騎士学校に留学していた。
それが帝国のレイムダウ侵攻を受けて国許へと帰ることになったのだが、そのわずか一年の間で彼女は帝国の騎士団の貴族騎士と平民騎士、兵士の間に横たわる軋轢に目をつけていた。
帝国騎士団では、階級に家名が影響を及ぼさないよう、家名ではなく名と階級で騎士を呼ぶようにしている。
とはいえ、騎士団から外に出れば宮廷序列が物を言うというのに、なかなかその規律に従うことは難しい。
結局、上級貴族の十騎長が千騎長に意見を通すことがままあるのだ。
そしてその部隊はどうしても連携が悪かった。
ルクレツィアは騎士学校に通っている間に、祖国と戦うとなれば対峙する可能性の高い東部方面騎士団の人事関係を調べあげていた。
その情報をもとにして、連携が悪く練度の低い部隊のみを選び出して戦った。
結果、幾人もの上級貴族を生け捕りに成功して、帝国との交渉の道筋を作り上げた。
帝国暦二六八年。
レイムダウ王国は国を解体することになったものの、帝国の一領という形で領土を安堵されることになった。
ルクレツィアの弟が帝国貴族レイムダウ伯爵となって、王都だったオールドレイクが戦火に焼かれる憂き目にあうことは無くなった。
しかしルクレツィア自身が、自由の身となることはなかった
その軍才を恐れた皇帝アレクセイは、旧レイムダウ王国の民に対しての人質とするために、彼女の身柄を差し出すよう要求した。
そして帝国貴族の名門で東部方面騎士団の参謀であったラウル・オルトヴァン・クライフドルフ侯爵に、このレイムダウ侵攻の報奨としてルクレツィアを与えたのである。
帝国内有力貴族の子弟を多数人質とされてしまい、講和に応じ領土を安堵はしたものの、対外的には戦勝したというアピールが必要だったのだ。
こうしてルクレツィアは帝国貴族ヴァン・クライフドルフ侯爵夫人と名乗ることになった。
帝国暦二七〇年。
ルクレツィアはラウルとの間に男の子を授かる。
男の子にはジェイドという名前をつけられた。
帝国暦二七六年――オールドレイク。
レイムダウ王国が滅びた後、オールドレイクの町はルクレツィアの弟が名ばかりの領主として伯爵位に就き、実際の政策は帝国から送り込まれた執政官によって行われていた。
戦後、住民たちの生命が侵害されることはなかったが、それでも結構な権益が帝国から来た者たちに差配され、新たな重税が課せられた。
そこに一切の容赦は無かった。
帝国にとってレイムダウ王国は、併合することができたとはいえ多くの貴族を捕らえられた挙句、想定以上の被害を与えられ、国としての対面に恥辱を塗りつけられた相手だからだ。
旧レイムダウ王国の民の間に燻る不満。
だが、彼らの主である伯爵は帝国の官吏に囲まれ、英雄であった王女は帝国貴族の妻として遠方の所領に送られた。
不満を溜め込みながらも、レイムダウの民たちは従うしか無かった。
今回のルクレツィアの故郷への帰省が許されたのは、帝国貴族となった王女の姿を民衆に見せつけることで、人質としての彼女の存在を強く意識させるためである。
レイムダウ王国はすで無く、レムルシル帝国に屈服したのだと知らしめるため。
そしてもう一つの理由――。
ルクレツィアに対しても、故郷の人々が人質となっていることを見せるためであった。
ルクレツィアはこの僅かばかりの期間の帰郷後すぐに、皇帝アレクセイの勅命で対魔大陸同盟軍へ、帝国軍の将帥として増援軍司令官に就任することが決まっていた。
ルクレツィアの夫ラウル・ヴァン・クライフドルフが、アレクセイに自分の妻の軍才を売り込んだ結果である。
帝国ではザウナス・ヴァン・レイフェス将軍に続く二人目としてだった。
その時、ルクレツィアに連れられて、生まれて初めて母の故郷の町を訪れたジェイドは、幼いながらも町から漂う陰気な雰囲気に戸惑いを覚えた事をよく覚えている。
かつては小国ながらも王都として栄えていたはずの町は、街路樹から落ちた葉が道に降り積もり、枝は手入れもされずに伸び放題。
大通りに敷かれていた石畳の間からは、草が生えていた。
通りに面した商店、家々も空き家が目立つ。
帝国との戦争の影響で、一万人を越していた町の人口は大きく減っていた。
身体を抱きしめてくる母の手が震えていることに気づいたジェイドが、母の顔を見上げると、馬車の外に流れる町の景観を見つめる母の目には、涙が浮かんでいたことをはっきりと記憶していた。
当時、魔物の力は圧倒的だった。
大陸中の各国、各種族が軍を送り込んでいたが、多くの戦場で敗北を喫していた。
当然だ。
レムルシル帝国とレームダウ王国が示すように、魔物と戦うために対魔大陸同盟軍を結成しておきながらも、その後方では同じ人同士でも戦争を行っていたのだから。
一枚岩でない同盟軍の綻びを付くようにして魔物たちは人を攻め立てた。
毎日のように大量の戦死者が出ていた。
そんな所へジェイドの母、ルクレツィアは帝国の将軍として派遣された。
そこでどのような戦いが行われたのか、ジェイドは知らない。
ただ、帝国の英雄ザウナス将軍と並んで双璧と称され、度重なる敗戦の中で局地的な勝利をもたらすなど数々の軍功を挙げたことだけは、まだ子どもであるジェイドにも度々知らされた。
父ウェルトは、妻が挙げる軍功を糧にして騎士団内部での地位と発言力を、どんどん高めていった。
だが、ルクレツィアが戦場に赴いて二年の月日が流れた二七八年。
クイーンゼリア女王国が滅亡する。
このことによってレムルシル帝国の北部に戦火が迫りつつあった。
戦火が迫りつつあることに慌てた帝国の上層部は、対魔大陸同盟軍に派遣していた軍を、一人の貴族の事情にかこつけて、呼び戻し始めた。
同盟諸国の反対を無視して一方的に。
わずかばかりの軍勢を残して。
残された帝国軍の指揮官にルクレツィアが任命された。
大国である帝国の騎士団が撤退すれば戦線に大きな悪影響を及ぼすと、撤退に反対を唱えていたザウナス将軍も呼び戻されることになってしまった。
目まぐるしく変化する戦況を把握し、適切な命令を下し、その上で他国からの批判の処理をも、まだ若いルクレツィアが押し付けられることになった。
上層部は、魔物の侵攻に対して怯懦の念を感じていただけでなく、ザウナスとルクレツィアの二人の将軍が次々と功績を挙げるのを苦々しく思っていた。
ザウナスの発言力がこれ以上強くなるのを恐れていた上層部は、この機会に彼を前線から更迭するつもりだった。
そしてルクレツィアだけをわずかな戦力とともに戦場へ残した。
これ以上、亡国の王女であるルクレツィアの求心力を高めるわけにはいかない帝国の上層部は、彼女には後方への更迭ではなく戦場で死ぬことを望んだのである。
そして、帝国軍が前線から撤退を完了した直後。
過去最大規模の魔物の侵攻が行われた。
各国の軍が壊滅的被害を受け高級将官が我先に後方へと逃れる中で、ルクレツィアは戦場を駆け巡り、残された兵士たちを接収し、決壊しつつある戦線を支え続けた。
魔物の大攻勢はわずか三日ばかりだけのことだった。
夥しい犠牲者を出しつつも、四日目にして魔物の軍勢をようやく抑え込むことができたのは、前線で兵士たちを叱咤鼓舞し続け各国の軍の撤退を援護し続けたルクレツィアのおかげだった。
それでも戦死者は数十万にも及んでいた。
後方へと無事撤退し、戦力の再編成を終えた各国の指揮官はこぞってルクレツィアの事を称賛し、彼女に礼を述べるため帝国の陣地へ訪問、あるいは使者を送った。が、誰一人としてルクレツィアに会うことは叶わなかった。
その時にはすでに、ルクレツィアの名は戦死者名簿に刻まれていたのである。
ルクレツィア・ヴァン・クライフドルフ――享年二十六歳。
ジェイドの母ルクレツィアは、結果として本人が何一つ報われること無く命を落とした。
小国の民を守るために、大国レムルシル帝国の脅しを跳ね除けて戦い、挙句その身を犠牲にした。
その上で今度はかつての仇敵を守るために、過酷な戦場へと趣き味方の足の引っ張り合いなどで十分な戦力も与えられず、それでもなお奮戦をし続け――そして戦場で散った。
ジェイドにとって帝国は母の仇そのもので、復讐の対象でしか無かった。
そして実際にジェイドが見て、帝国が母がその命を代償としてまで守らねばならなかったのか、甚だ疑問に思えるほど腐敗していた。
レムルシル帝国は確かにその図体に見合うだけの物資と兵士を豊富に揃えている。
だが大国ゆえの安寧からか、愚かな上級貴族たちは戦争に慣れておらず、安穏な暮らしを求めるものが多い。
皇帝アレクセイをして、政務を放り出して臣下の好き放題にさせている。
かつてルクレツィアは、東部方面騎士団の内部の帝国の実態を見抜き、そこを付くことで帝国に苦渋を舐めさせた。
ジェイドはクライフドルフ侯爵公子という、最初から持っていた高い地位を利用して、かつての母のように帝国の切り落しを狙っている。
コーネリア皇女の身柄を手に入れられなかったが、ノイマン皇子を傀儡の皇帝にしてやればいい。
そして母を、その祖国を踏みにじった帝国の権力をジェイドが握る。
それがジェイドの帝国に対する復讐だった。
会話文が無いという……