一歩ずつ
次の回からリヨン王国へ移るため、いつもよりも短いです。
それから勇者様のお師匠様4巻、6月29日に発売となります。活動報告でも告知していますので、ぜひご覧になってください。
よろしくお願いいたします。
切り離された女王蟻の頭は、その後もしばらくの間、ガチガチと不気味に顎を鳴らし続けた。頭部を失った女王蟻の巨体が、体液をまき散らしては、枯れた世界樹の若木や岩へとぶつかっている。
その巨体の足下を這いまわっていた蟻が、次々と踏み潰されている。
炸裂弾が爆発した時以上の狂乱状態と化していた。
暴れ回る女王蟻に踏みつけられないよう、とりあえずウィンたちは通路へと逃げ込んだ。
通路の奥では蟻の嫌う香が焚かれていて、その奥で、コーネリアたちとドワーフたちが、歓呼の声を上げてウィンたちを出迎えた。
「おい、ウィン! やったな!」
ロックがウィンに駆け寄ってくると、バシバシと頭や背中を叩いて興奮気味に叫ぶ。
「レティや、ミトさんのおかげだよ。二人が女王蟻の足を斬ってくれたから、俺が頭を落とすことができたんだ」
「いや、それにしたって凄かったぜ? よく動けるよな、あの女王蟻の顎とか足を間近で見ていて。突進を躱しているお前を見ていて、背筋が凍りそうだったぞ」
「レティといえば……レティ、怪我はなかったのか? 思いっきり投げ出されていたけど?」
女王蟻の身体を駆け登っていたレティシアは、宙高くに放り出されていた。
きちんと着地はしていたし、その後の女王蟻の攻撃を躱すことで精一杯で怪我などの具合は聞いていなかったが、大丈夫だったのだろうか。
「怪我はないよ。あの時は助けてくれてありがとう」
確かにどこにも怪我はしているように見えない。
「そうか、良かった」
ウィンはほっと安堵の息を吐いた。
「それにしてもウィン、ほんとにやったな!」
「何が?」
ロックはウィンの肩に手を回して、それからウィンと並んで立っているレティシアに交互へ目を向けた。
「お前、ついにレティシア様と並んで戦ったんじゃないか!」
(ああ、そういえば――)
ロックに言われて、ウィンはレティシアと顔を合わせた。
(そうだ。俺は今日、レティと並んで剣を振るって戦ったんだ……)
それはウィンが心の中で新しく目標としていたもの。
勇者の旅を終えた後、ウィンとレティシアが並んで剣を振るったことはなかった。
ザウナス校長との決戦も、盗賊団に扮したペテルシアの騎士との戦いでも、そして皇宮に出現した魔族とも、最も強敵と思われる相手は常にレティシアが戦ってきたのだ。
それが今日、女王蟻という敵に対してウィンはレティシアと並んで戦った。
もちろん、魔疎という条件下、聖霊剣こそ振るっていたものの、魔法が使えないレティシアの実力はほとんど出せてなかったに違いない。
それでも、今日ウィンはようやくレティシアと一緒に戦うことができたのだ。
いつか、コーネリアに「なぜ、騎士を目指すのか」と問われた時、レティシアと自分との間にある差についても考えたことがあった。
遠い地で一人頑張っていたレティシアは、自分の予想をはるかに超えた魔王を倒すという、誰にも成し得なかった偉業を成し遂げて帰って来た。
レティシアの立っている世界は、ウィンにとって果てしなく遠く険しい道の先にあるもので、並大抵の努力では辿り着ける場所ではない。だが、レティシアは、ウィンなら必ずそこへ到達するだろうと信じ続けてくれている。
ウィンはドワーフたちと喜び合っているコーネリアを見た。
幸運にも恵まれて、ウィンはコーネリアの従士として目標の騎士となれた。
そして今日、もう一つの目標であったレティシアとも、ついに肩を並べて戦えた。それが例え、限られた条件下だったとしても、ウィンには大きな前進のように感じられた。
(俺もレティの立つ場所に向かって階段を昇って行けている。少しずつ、一歩ずつだけど――)
「お兄ちゃん」
レティシアがウィンの顔を見上げて、嬉しそうに笑っていた。その頬は、虫除けの香を焚く火の明かり程度でもわかるくらい、興奮で紅潮しているようだった。
レティシアは本当に嬉しそうに笑顔を浮かべている。
きっと、レティシアもウィンと肩を並べて戦えたことを喜んでいるのだろう。
レティシアがウィンへ右手のひらを上げる。
「やったね!」
ウィンもその手に、自分の右手で軽くパシッと合わせたのだった。
◇◆◇◆◇
その後、まだ坑道内で狂乱状態となっている蟻たちを避けるようにして、ウィンたちはリヨン王国へと抜ける道へと案内してもらった。
案内役を買って出てくれたのはミト。
「女王蟻を倒せばもう増えることはないじゃろう。どれ、ワッシが案内してやろう」
重量のあるハルバードを軽々と背負い、ミトはさっさと前を歩く。
「気ぃつけぇよ? 天井が脆くなっておる所が多いからのぉ」
ミトは廃坑道であるこの道ですら知り尽くしているらしく、地図すらも目を通すこと無く、更には道を曲がる度に危険箇所を前もって知らせてくれた。
「どういうわけか、支保坑が頑丈になっておる。これも世界樹の若木が枯れたことと、竜が姿を消したことと関係があるかもしれんとワッシらは考えておるんじゃが……」
「ごめんなさい。支保坑は私の魔法です」
「なんじゃと!?」
不思議そうな顔で岩盤を支えている支保坑を叩いて言うのに、レティシアがそう答えてミトが目を剥いて驚く一幕などあったが、歩きながらそうした事を話しているうちに、リヨン側へと抜ける道へと辿り着いた。
そこではすでにオールトたちが辿り着いていた。
坑道の外は夜を迎えていて、オールトたちは焚き火を囲んでいたようだった。
「誰だ!」
武器を構えて立ち上がる彼らに向けて、ウィンたちは大きく手に持つ明かりを振ってみせた。
その明かりを見て、坑道から出て来る人影を見て警戒しつつ立ち上がっていたオールトたちは、その人影がウィンたちのものだと気付き、躍り上がって喜んで駆け寄ってきた。
「無事だったか!」
特にリーノの反応は凄まじく、彼女はガタイの大きなウェッジの姿を目に映すと、人目も憚らずその身体に抱きついて激しく泣きじゃくった。
いつも一緒にいるウェッジと離れ離れとなって、不安でたまらなかったのだろう。
ウェッジがそんなリーノの頭を、困ったように撫でる。
その様子を見て、イリザも涙を浮かべていた。
「はあ……坑道内で分断された時には、いくらレティシア様がいらっしゃってもダメかと思ったぜ。いや、本当に無事で良かった!」
そう言ってとりあえず焚き火の傍へと誘うオールトに、ウィンは後についてくるミトを手で指し示した。
「こちらのミトさんたちがいなければ、本当に地底の底で迷うところでしたよ」
「ドワーフか?」
それからお互いがそれぞれ自己紹介を交わす。
オールトはミトに酒を勧め、ミトは嬉しそうに顔を綻ばせた。
それから別れてからの互いの行動を話し合った。
オールトたちは追いかけてくる蟻たちを何とか撃退した後は、大した障害は無かったらしい。
途中、幾度か蟻と遭遇することはあったが、大した数でもなく、ほとんど無傷で切り抜けることができた。
ウィンたちが迷い込んだような魔力の枯渇する地帯、魔疎には行き当たらなかったらしく、魔疎の事を聞いたイリザは、そんな所で戦闘することにならなくて良かったと、青褪めた顔で言った。
一方で、ロックがウィンとレティシア、そしてミトの戦いぶりについて、興奮したように語った。
よっぽどロックの脳裏に、女王蟻との戦いが焼き付けられたのかもしれない。
身振り手振りを交えて熱く語っていた。
「まあ、俺たちはウィンやレティシア様が子どもの頃の事も知っているからな。あの二人なら、それぐらいやれそうだって思えるが……」
オールトがそう言うと、ルイスとイリザも一様に頷いた。
そんな一同の様子を面白そうに眺めていたミトだったが、酒を飲み干してから一息つくと、口を開いた。
「お前さんら、リヨンの王都へ向かうということじゃが、ワッシも同行して良いかの?」
「それは構いませんが……」
一同の視線が、帝国の皇女であるコーネリアに集まり、彼女が代表してミトへと答えた。
「前にも言うたが、そっちのお嬢さんは帝国の貴族か何かじゃろ? そんな人物がリヨンの王都へ向かうということは、王宮に用事があるんじゃろ。蟻が鉱山に湧いたことは、人の国にも伝える必要があるじゃろう。女王蟻を倒したとはいえ、新しい女王蟻が誕生しないとも限らん。あの蟻が山から溢れることがあれば、人の里とて他人事ではあるまい? 騎士でも軍でも出してもらったほうが良かろう」
「確かにそうですね。ですが、私たちはレムルシル帝国の人間です。リヨン王国に軍隊の派遣をお願いはできますが、確約することは出来ませんよ?」
「なに、構わん。軍の派遣に関してはワッシが直接頼んでみるつもりじゃ。彼の国には『剣聖』の小僧がおるんじゃろ? いや、小僧はマズイか? 確か王太子じゃったな。まあ良い。とにかく、『剣聖』の小僧であればワッシと会おうという気にもなるじゃろう」
そう言って酒を呷るミト。
一国の王太子が会うことを拒むことは無いだろうと、簡単に言ってのけるミトに、ウィンたちは思わず顔を見合わせた。
そんな一同の反応を見て、ミトは大きく口を開けて笑った。
「ワッシにどうしてリヨンの『剣聖』が会いたがるか不思議かの? そちらのレティシア殿――『勇者』殿程のものじゃないが、ワッシにも称号があってな」
そして、ミトは傍らに置いてあったハルバードを持ち上げて見せて言った。
「『剣匠』ミト。一応、ワッシはそう呼ばれておる」