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女王蟻

 逃げ込んでいた通路から出て、再び広場の中へと戻ってみると、右往左往としていた蟻たちはすでに秩序を取り戻していた。

 ウィン、レティシア、ミトの三人は、岩陰を利用して、慎重に女王蟻の側へと近づいていく。

 そのとき、一匹の蟻が近づいてきた。

 キチキチと強靭な顎を鳴らし、ピクピクと頻繁に触覚を動かしながら、三人が潜んでいる岩へと近づいてくる。


(見つかる)


 ウィンが剣を強く握りしめた時だ。

 ヒュッという鋭い風切り音がして、一本の矢が蟻の片側の複眼に突き刺さった。

 蟻はわずかに上半身を持ち上げると、危害を加えた輩を探るように頭を巡らす。

 矢を射ったのは通路から身を乗り出した一人のドワーフだ。

 彼は、蟻をおびき寄せることに成功したことを見て取ると、通路へと素早く引き返す。その後を追ってウィンたちが潜む岩の横を、蟻が凄まじい速度で通り過ぎて行った。危害を加えられた怒りで、周囲が見えていないのだ。そのまま通路へと飛び込んで行く。


「ふぅ……」


 ウィンは肩を大きく動かして息を吐いた。 

 女王蟻への進路を妨げる蟻を、通路に残っているドワーフたちが一匹ずつ矢を使っておびき寄せているのだ。

 弓を射ている彼らは、目標としている蟻を観察し、その動きを予測。そして矢を射ち込む。わずかでも見誤れば、蟻を集団でおびき寄せてしまう、大変な神経を使う作業だった。

 ロックとコーネリアも彼らを手伝って、蟻と通路で戦っているはずだった。

 

(凄いな……)


 先行するミトの低い背を見ながら、ウィンは感心していた。

 ドワーフたちは、ウィンたち以外に炸裂弾を仕掛ける者たちも、広場の中に展開していた。

 蟻たちをおびき寄せる役目の者たちは、彼らの行く先にも目を配って、近づく蟻という危険を排除し続けていた。

 ドワーフ族は人間と違って軍を持たない。

 戦いの必要があれば、集落で青年に達した者が戦士となるらしい。そのため普段から集団での戦闘訓練など積んでいないはずだ。

 しかし、今の彼らは練達した騎士団にも匹敵する、連動した働きを見せていた。


 やがて、それぞれが予定した場所へと辿り着いた。

 岩陰から気付かれないよう盗み見れば、体長がどのくらいあるのか計り知れない、巨大な女王蟻がすぐ近くに見える。

 はちきれんばかりに膨れ上がった腹部には、大量の卵が詰め込まれているのか。

 その女王蟻の周囲には、まだまだ夥しい量の蟻がウロウロしている。

 炸裂弾を仕掛け終わったドワーフたちが、慎重に元来た道を辿って通路へと戻って行く。

 仕掛けられた炸裂弾から伸びる黒い線は、導火線となる黒色火薬。

 準備は整った。

 奥の通路で松明がグルグルと回された。

 合図を見て、ウィンとレティシアは互いに顔を見合わせると頷いた。

 

 通路で身を隠しているドワーフの一人が、幾筋も伸びている黒色火薬の導火線に点火。

 岩盤が崩落しないよう、鉱山を知り尽くしたドワーフたちが仕掛けた炸裂弾へ、同時に点火するよう火種が走って行く。

 そして、轟く轟音。

 モウモウと湧き上がる煙。そして火薬の匂いと、わずかに酸味を帯びたような匂い。炸裂弾に練り込まれている虫除けの薬品の匂いがウィンたちの鼻に辿り着き――。


「――――っ!」


 恐らくは「行くぞっ!」と叫んだのだろう。

 爆音で耳がおかしくなっていたウィンには聞こえなかったが、ミトの口が動くのを見てウィンは潜んでいた岩陰から飛び出した。




 近づいて女王蟻を見上げれば、その大きさはもう小さな山にも思えるほどだった。

 この場所にいたという竜も、この女王蟻のように大きかったのだろうか。

 ウィンの握る剣が頼りなく感じられる。

 女王蟻の巨大さから見たら、ウィンが握っている剣など、針のように頼りない物にしか思えない。

 女王蟻を囲んでいた蟻は、炸裂弾に驚いて、それぞれが人の頭くらいも大きさがある白い玉を顎で持ち上げて右往左往としている。

 きっとあれが卵なのだろう。 

 中には卵を見つけることが出来ず、ただ右往左往としている蟻たちもいて、それらがウィンたちの障害となる可能性もあったが、後方のドワーフたちがそうした蟻を見つけては奥の通路へと引っ張ってくれていた。

 ウィンたちと女王蟻を阻むものは何もない。

 

「うおっしゃあ!」


 ミトが雄叫びを上げて、ハルバードをガンッと女王蟻の横っ面に叩きつけた。

 身長こそ低いがミトの、ウィンを上回る太さの腕と脚の筋肉がパンパンに膨れ上がって、腰の回転を利かせてハルバードを振るう。

 重武器であるハルバードの一撃は、さしもの巨大な女王蟻にも無視できない打撃となった。

 衝撃で女王蟻の頭部がブレたように見えた。


「きいたのか?」


「でも、まだまだ全然元気みたい」


 ウィンの呟きにレティシアが応じる。

 人間の大人の背丈もあろうかという巨大な触覚を震わせて、女王蟻が頭部をもたげた。

 伝わる怒りの波動が、周囲の空気をビリビリと振動させているように感じられた。

 頭部を持ち上げた女王蟻との距離は、ウィンとレティシアの位置からは、徒歩で数十歩は間合いが出来ている。

 しかし、その巨体さゆえにすぐ傍にいるように錯覚を覚えてしまう。

 ウィンも動き出す。


(腹部に攻撃する?)


 上体を持ち上げているため、女王蟻の頭部や胸部には剣が届かない。

 接地している腹部を斬りつけるべきか。 

 ウィンが思考を巡らせているその刹那、女王蟻の腹部が持ち上げられて蟻酸が射出された。

 とっさに左側に身をかわす。

 巨体故に他の蟻たちとは比較にならない程の蟻酸の量が、地面に撒き散らされて、ウィンの目に、鼻に、強い刺激を与えてきた。

 今の蟻酸は女王蟻の横面を叩いたミトに向けてのものだった。だが、彼もすでにその射線上からは退いていて、女王蟻の巨体を支えている足に思い切りハルバードを叩きつける。

 巨木をまさかりで打ち倒すかのように振るうハルバードの刃が、女王蟻の太い足をへし折らんとばかりにぶち当たる。

 衝撃。

 女王蟻の巨体が傾ぐ。

 バランスを崩したため、女王蟻の胸部が剣の届く位置にまで下がった。

 

「はっ!」


 鋭い呼気とともにウィンは剣を振るう。

 固い岩を叩いたような手応え。

 女王蟻の甲殻はその巨体に見合うもので、他の蟻を遥かに上回る分厚さのようだ。

 魔法で強化されていないウィンの剣は、わずかに女王蟻の胸部を傷つけただけだった。

 体勢を立て直した女王蟻は、己に刃を突き立てようとする小さな生き物たちに、猛然と襲いかかった。

 再び上体を高く持ち上げて、自由になった鋭い鉤爪を思わせる前足を振るう。

 まともに喰らえば、ウィンの身体はズタズタに斬り裂かれるだろう。

 足場が悪く、身を屈めたり飛び退いたりと、何とかその攻撃を躱すが、その度に地面のくぼみや瓦礫に足を取られて体勢を崩してしまう。

 そこに女王蟻の前足が振り下ろされる。とっさにウィンは剣を頭上に掲げて盾とし、防ぐ。

 固い物がぶつかり合う音。ウィンの剣を握る両腕に衝撃が伝わる。

 

「くぅあっ……」


 ウィンの口から思わずうめき声が漏れた。

 剣身の腹を左手で支えて、全力で衝撃に耐えた。

 女王蟻の足と剣がぶつかったのは一瞬のことだったが、ウィンの全身は、巨大な鉄塊に殴りつけられたような衝撃を覚えていた。

 剣を持つ腕が、踏ん張っていた足が、ビリビリと強烈に痺れている。

 しかし、いつまでもその場所にとどまり続けるわけにもいかない。

 痺れた身体に鞭打って、女王蟻が前足を振り回すのを掻い潜る。

 

(レティ!?)


 その際、視界の端に後ろへと回り込もうとするレティシアの姿が映った。

 レティシアは軽やかに腹部から一気に胸部、そして頭部まで駆け登ると、その頭部に斬りつけた。

 レティシアの持つ『勇者』の武器、『聖霊剣』は固い女王蟻の甲殻もやすやすと切り裂いて、黄色い体液が噴き出した。

 だが、『聖霊剣』で斬り裂かれた痛みで、女王蟻が激しく身悶えをし――。


「レティ!」

 

 レティシアの軽い身体が大きく宙へと投げ出される。

 普段であれば魔法で空を飛べるのだろうが、今この広場は魔疎と化しているため魔法が使えない。

 しかし、レティシアは身軽に空中で身体を翻すと、足場の悪い場所で身体を転がして衝撃を殺して立ち上がる。

 そのレティシアの動きを追っていたウィンの目に、不規則に振り回していた女王蟻の前足が彼女へと迫っているのが目に止まった。

 とっさにウィンは走りだすと、剣を放り出してレティシアの身体を抱きしめて横に飛ぶ。

 間一髪。

 二人を掠めるようにして、女王蟻の前足が空を切り裂いていった。

 

「あ、ありがと。お兄ちゃん」


 腕の中で礼を言うレティシアに返事をすること無く、ウィンはすぐさま立ち上がると武器を構える。

 先程ウィンとレティシアを掠めた前足が、振り子のように戻ってきて、二人へと振り下ろされようとしていた。

 放り出した剣は――。

 視界の端に鈍色に光る剣を見つけて、ウィンは剣に向かって飛びついた。その身体の上を再び女王蟻の鉤爪のような前足が空を切り裂いていった。

 素早く剣を拾って立ち上がると、次の攻撃に備える。


(レティは!?)


 レティシアは大きく後方に飛び退いて、女王蟻の前足を躱していた。

 剣を下段に構えたまま、再び後方に回り込もうと走りだしている。

 早い。

 魔法による《身体強化》も無く、足場も悪いこの広場を、レティシアはそう感じさせない見事な動きで女王蟻の死角死角へと回り込もうとしている。

 再び、背後から女王蟻の身体を登ろうというのだろう。

 身軽なレティシアだからこそできる、離れ技。

 

(なら、俺が女王蟻の気を引く!)


 ウィンは駆け出すと、再び胸部に斬りつけた。

 やはりかすかに傷は付く。が、浅い。 

 女王蟻が身体を大きく揺り動かしたので、ウィンはその巨体で押し潰されないよう、一度下がって距離を取る。

 

「……硬いな」


 その時、ウィンの視界内にミトの姿が映った。

 ミトは女王蟻の巨体を支えている後ろ足の一本を狙って横合いに回り込もうとしていたのだが、ウィンとレティシアより動きが鈍重な彼は攻めあぐねていたらしい。

 そのミトに向かって、唸りを上げて振り下ろされた女王蟻の前足。避けれる間合いではない。

 

「――っ!」


 声にならない叫びを上げて、ウィンが目を見張る。

 ハルバードを構えているミトの、吹き飛ばされる姿が脳裏に描かれ――。

 その刹那。

 ミトが野太い声で雄叫び、いやそれはもう咆哮と言っても良いかもしれない程の声を張り上げて、強く前に踏み込む。そして、大地をも打ち砕かんといわんばかりに頭上高くに振り上げていたハルバードを振り下ろした。

 女王蟻の前足とハルバードの刃が激突。

 岩塊が砕けるような破砕音と共に、振り下ろした慣性で飛んで行ったのは女王蟻の前足。

 砕き折れた所から、黄色っぽい液体が噴出している。

 しかし、その代償にミトも、衝撃で背後へと飛ばされて岩に叩きつけられていた。


 前足をへし折られた女王蟻の巨体が、大きく巨体が傾いだ。しかし、横転するまでは至らず踏みとどまると、前足を折ってくれた小癪なドワーフ目掛けて突進した。

 女王蟻の武器は何も鉤爪のような鋭い足だけではない。

 人間の胴体など軽く千切れそうな強靭な顎。

 まだ岩に叩きつけられた衝撃で動きが取れないミトを、その強靭な顎で噛み千切ろうというのか。

 大きな不気味な複眼からは女王蟻の感情は読み取れないが、ウィンにはその複眼に憤怒の感情と、そして憎悪の対象としてミトを映しているように感じられた。

 その女王蟻に向かって、ウィンは走りだす。

 地面にうずくまっているミトを噛み千切ろうとするのならば、女王蟻の頭部はウィンの剣が届く所にまで下がる。

 千載一遇の好機。

 その時、ウィンは僅かに自分が笑っているのに気づいた。

 動けないミトに迫ろうとしている女王蟻の強靭な顎。

 絶体絶命の危機。

 だが、刺突の構えを取って走るウィンの脳裏には、先程見たミトの一撃が浮かび上がっていた。

 

 ウィンは魔法が使えない。

 騎士学校に入学したばかりの頃、《身体強化魔法》を使った騎士候補生たちとの模擬戦闘で、力任せに押し切ってくる彼らの剣の前に、いつも敗北を喫していた。

 魔法で強化され、身体能力で優る騎士候補生たちに対向するために、ウィンは徹底的に剣を打ち合わず、躱す技術を高めていった。

 相手の攻撃を誘い出してから躱し、反撃の一撃を加える。ウィンの剣技の基本。


(躱すだけじゃない。俺よりも強い相手の力を、逆に利用した攻撃)


 剣を強く握りしめる。

 女王蟻は巨体だが、その巨躯に見合わない早さで動いている。

 しかし、集中力を高めているウィンの目には、ミトへと突っ込んでいく女王蟻の動きが、ゆっくりと流れているように見えた。

 大顎を掻い潜り、左側の複眼に向かって剣を突き出す。

 女王蟻自身の突進力と巨体の重量が、ウィンの突き出した剣の刃先一点に集中し――その結果、複眼に剣が根本深くまで突き刺さった。

 複眼に突き刺された剣の痛みに、女王蟻が頭部を大きく振り上げる。

 剣を強く握りしめていたため、後方へと吹き飛ばされなかったウィンも、その女王蟻の挙動に従って、宙を激しく振り回されることになった。

 しかし、それでも剣を離さない。

 離したら宙高く投げ出されて、岩盤に叩きつけられてしまう。

 と、急に女王蟻の身体が横に流れるようにして、倒れこんだ。

 背後に回り込もうとしていたレティシアが、女王蟻の身体を支えていた後ろ足の一本を斬り落としたのだ。

 その僅かに動きが止まった隙に、ウィンは両足で女王蟻の複眼の上に立ち、力任せに剣を引き抜く。

 黄色い液体がウィンの身体に飛び散るが、構わずそのまま女王蟻の頭部の上を走る。

 激しい痛みを感じ取っているのか、女王蟻が牙と触覚を震わせて大きく身動ぎをした。

 立ち上がろうとしている。


「小僧、頭部の継ぎ目を狙え!」

 

 衝撃から立ち直ったミトがウィンに向かって叫ぶ。

 他の蟻と同じく、そこだけは硬い外殻に守られておらず、筋肉の繊維が剥き出しとなっている。

 再び女王蟻が頭をもたげようとする前に、ウィンは頭部と胸部の継ぎ目に剣を突き出し、ぶちぶちっと繊維を引き千切るような手応えを感じながら、剣を大きく横に振るった。

 ウィンの剣が切断できたのは、筋肉の繊維の約半分強。

 しかし、それだけで十分。

 女王蟻の頭部は、その重量が手伝って、大地へと転がり落ちたのだった。

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