闇の世界に生きる物
光の届かない地底にも、様々な生物が存在する。
誕生から生涯を通じて地底で暮らす生物もいれば、冬でも温かい為にわざわざ住み着く種も存在する。
広場に集落を作っていたゴブリンがそうだ。
ネズミやトカゲ、蛇に蠍、蜘蛛、ミミズ。地下水が溜まった場所には、エビや魚だって存在する。
そして、それらが瘴気に冒されて魔物化したものもいる。
地底は地上と比較して食べ物が少なく、互いが互いを獲物として捕食する。大抵の場合、大きな物が小さき物を食する弱肉強食の世界。
ソレらもまた、この光届かぬ世界で補食し捕食される関係の中にあった。ソレらは元々廃坑道に住む生物では弱い存在で、生存競争という争いで死んだ生物や魔物の腐肉を食らうだけの生物だった。
その状況が一変したのは、つい先日のこと。
廃坑道の奥深くから強烈な瘴気が湧き上がり、偶然にもその場所近くにソレらの巣が存在した。
強烈な瘴気を浴びたソレらは、身体の組成を変化させて魔物と化した。魔物となったソレらは、あっという間に増殖すると廃坑道内にいた様々な生物を食い散らかした。
地底奥深くから徐々に入り口まで勢力を伸ばす。
広場にいたゴブリン共は非常に食いでのある獲物だった。
そうして瞬く間に廃坑道内で勢力を拡大したソレらが、これ以上勢力を拡大するためには更なる獲物を求める必要があった。
廃坑道から日の当たる世界へと出て、より栄養価の高い獲物を探す。
だがその前に、そんなソレらの前に、ゴブリンとは違う二足歩行の獲物が姿を現した。
数はわずかに九つ。
ソレら全体が腹を満たすには数が少ないが、ゴブリンよりも大きな獲物。
襲うには絶好の獲物だった。
◇◆◇◆◇
町の中でなら教会の鐘が、外でなら昇っている太陽と月と星とが時間を教えてくれる。
しかし、地底奥深くの廃坑道内では、正確な時間を知る術はない。
案内役であるオールトが、パーティー全体の体力を推し量りながら、休息と睡眠の時間を判断して進む。
そうして廃坑道に入って、おおよそ二日の時が過ぎた。
ゴブリンの躯が転がっていた広場から随分と進んできた。
崩れそうだった支保坑は、レティシアの魔法によって新品同様なまでに時間が戻されていて、落盤の危険性も少ない。
気になるのはレティシアの言った、魔力が遮られていたように感じた場所なのだが、地図で見る限り、ウィンたちが進む道とは違う道の先にあるようだった。
「気になるようならリヨンに着いた後で、冒険者ギルドに調査依頼を出せばいい」
レティシアの話を聞いて、オールトたちはそう言った。
廃坑道の奥深くに、勇者の魔力を阻害した何かがある。
ここまでの道のりで、魔物とも出会うことが無く、幸いにして荷物の中に紛れ込もうとする毒サソリや毒蛇にも出会っていない。
鉱物の混じった粘性の高い地下水のせいで、縦抗がわかりにくく、気付かずに吸い込まれでもしたら命を落とすが、十分に注意をして進めば大丈夫だろう。
若い冒険者にとって、良い仕事になるのではないか。
そんな事を話しながら、慎重に下っていく。
やがて歪な形になった十字路へと出た。
道の交差している場所が円形に広くなっていて、まっすぐに進めば勾配が下っていて、左右にある道は逆に勾配が上がっている。
「この道を右側に折れるみたいっす」
地図を見ていたルイスが振り返って言う。リーノが焚き火で出来た炭を利用して目印を刻んだ。
「ふぅ……今度は登りか」
手拭いで汗を拭ってロックが水を一口飲む。
坑道は勾配が登ったり下ったりと、緩急が激しい。
地図の確認のため立ち止まったついでに、ウィンは腰に吊るしている革袋から胡桃の実を取り出して口に入れた。
「レティも食べる?」
そう言ってウィンは横に佇むレティシアに差し出したのだが、彼女はそれには答えず、ウィンのその腕をきつく掴んで止めた。
レティシアは周囲をやけに感情を殺した目で見回している。
「何か来る!」
レティシアが腰の剣を抜いた。
レティシアの警告の声と剣が鞘走る音に、一同がそれぞれの武器に手を掛けた。
付与魔法を得意とするコーネリアと魔導師のイリザが《光源魔法》で広場全体を探るように照らし、彼女たちを中心にして他の七人が武器を持って構える。
交差路で広くなっているおかげで、オールトの斧もルイスの槍もうまく振るえそうだ。
ウィンもレティシアと同様に剣を抜くと、魔力を剣に通しつつ周囲の気配を探った。
(……気配は何も感じない?)
ウィンだけでなく、オールトたち、ロック、ウェッジ、リーノも、敵の姿を探して視線を彷徨わせている。
気配を感じているのはレティシアだけらしい。
だが、それだけに必ず何かが潜んでいる。
「――リーノさん! 上!」
レティシアの鋭い警告。
「上!?」
上を向いたリーノにシッと何かが発射され――。
「――っがああ!」
咄嗟に左腕を差し出してリーノを庇ったウェッジが苦痛の悲鳴を上げた。
「ウェッジ!」
「このやろうっす!」
リーノの悲鳴と同時に、ルイスが天井に向かって槍を突き出す。
何かグシャッという潰れるような音と、穂先が貫いて岩壁を削るような音が響く。
「蟻!?」
ルイスの槍に突き刺されてボトリと落ちてきた物は、体長五十センチにもなろうかという巨大な蟻。
「ウェッジさん、こっちに!」
苦痛に顔を歪めたウェッジが、腕を押さえてコーネリアのいる場所まで下がった。
蟻酸がウェッジの革製の篭手を侵食し、その下の肌が重度の火傷を負ったように爛れていた。
(ひどい……)
コーネリアはすぐに水で蟻酸を洗い落とすと、すぐに治癒魔法の詠唱を始める。急いで治癒魔法を使わなければ腕の肉が溶け落ちて、骨にまで達してしまう。
「このっ!」
ウェッジが抜けた穴から、パーティーの背後へ回り込もうとした蟻に、リーノが大きく剣を振るった。
蟻の外殻に剣の先が当たるが、斬り裂くとまでは行かず、表面に傷がついただけだった。
「こいつらかなり硬いっすよ!」
矢継ぎ早に槍を繰り出しているルイスが叫ぶ。
彼の攻撃は、前進してくる蟻の頭部や胴体を何度も捉えているが、突き出した穂先の角度が悪いと外殻で弾かれてしまって、有効な攻撃となっていないようだった。
「イリザ、魔法が欲しいっす!」
『刃よ、我に従え! 我、剣の理を識りて、刃に現す!』
イリザの付与魔法。
ルイスの槍の穂先に魔力が付与されて、淡い輝きを灯す。魔力で切れ味が強化されたルイスの槍は、今度は多少狙いがずれていても、硬い蟻の外殻で弾かれること無く傷をつけることに成功した。
「はっ!」
こうなると間合いの長いルイスの槍は、蟻に対して有効な武器となる。
攻撃が届きにくい天井から迫ってくる蟻を貫き落としていく。
一方でルイスよりも苦戦しているのがオールトだ。
オールトの武器は戦斧。
重量のあるこの武器は間合いが短い。最も重量があるため、いかに硬い蟻の頭部や腹部でも、振り下ろされた斧は易易と外殻を砕き叩き潰した。
しかし、その分取り回しが遅いため、腕や足を刃物のように鋭い蟻の歯で噛み千切られて流血している。
それでも蟻の腹部から発射される危険な蟻酸は、斧を盾のように使って直接体に浴びるのを防いでいるのは、培ってきた経験故だろう。
『我、風の理を識りて、悪しき剣を阻む盾と成せ!』
ルイスの剣に魔力を付与した後のイリザは、二人を狙って浴びせられる蟻酸を、風の障壁の魔法を次々と詠唱して巧みに防ぐ。そのイリザのすぐ傍で、リーノが蟻を彼女に近づけないように牽制していた。
一方で、ウィンとレティシアもまた並んで剣を振るっていた。
彼らの傍では負傷したウェッジがコーネリアの治療を受けている。
レティシアがウィンよりも突出して、剣を振るう。
魔王を滅ぼした『聖霊剣』ではなく騎士剣と同じ剣だが、レティシアが身に纏う黄金の輝きが剣を包み込み、硬いはずの蟻の外殻を紙のように切り裂いていく。
足場の悪い廃坑道内で機敏な動きをする蟻を全く苦にせず斬り裂くレティシアだったが、それでも討ち漏らした蟻がウィンへと迫る。
「くっ、きりがない!」
その一匹の頭部を跳ね飛ばして、足で蹴り飛ばしたウィンは突破口を探して広場の中を見回した。
蟻が雲霞の如く湧いて出てきている場所は、十字路で真ん中の道。下っている道からだった。
その先に恐らく蟻共の巣があるのだろう。
道の天井、左右の壁、地面と、隙間が見つからないくらいに蟻共がみっちりといて、まるで無限に湧き出てくるかのようだった。
レティシアの手が届かない天井から回り込んだ蟻が、腹部から蟻酸を発射する。
溢れ出てくる蟻によって徐々に押し込まれていたウィンには、浴びせられる蟻酸を躱せる程の足場が無く、咄嗟に剣で蟻酸を叩き落とした。
真ん中の下り道から蟻が湧いて来るため、徐々にパーティーは中央から左右の道へと二つに分断されつつあった。
リヨンへと続いているという右の道側に、オールト、ルイス、イリザ、リーノが、左の道側へウィン、レティシア、コーネリア、ロック、そして負傷しているウェッジの五人が押し込まれて行く。
「お兄ちゃん! ここだと、狭すぎて押し切られちゃう。奥の道に逃げたほうがいいかも!?」
レティシアが天井から飛び掛かってきた三体の蟻を、一振りで斬り伏せながら提案した。
「このままじゃ身動き取れなくなる! こっちも先の道へ引くぞ!」
オールトの叫ぶ声。
「そっちの道からでもリヨンに繋がっている道があるっす! 遠回りにはなるっすけど!」
「分かりました! レティ! ロック! 後ろを頼む! コーネリアさんは明かりをお願いしていい?」
「任せて!」
「分かった! 早く行け!」
ウィンはウェッジに肩を貸すと抱え上げた。
「すまん、ウィン」
《光源魔法》を持つコーネリアが先頭で左の道へと飛び込み、続いてウェッジを抱えたウィンが飛び込む。
「ロックさん、先に行って!」
レティシアが剣を振りながら、殿について蟻を薙ぎ払った。
少しでもレティシアは自分たちの方へと蟻が来るように、大きく動いた。
ロックが道に飛び込んだのを確認してから、レティシアもジリジリと道へと下がって行く。
(魔法を使えば一掃できるのに!)
しかし、狭い通路内で高威力の魔法を使用すれば、全員を巻き込んでしまう。
天井にも左右の壁にも、そしてもちろん地面からも蟻が津波のように押し寄せてきて、レティシアの視界は蟻で埋め尽くされてしまった。
右側の道へと行ったオールトたちの姿が見えない。
「レティ!」
道の先からウィンの声。
「大丈夫。先に行って!」
雨の如く降ってくる蟻酸、咬み合わせられる鋭い歯。
天井から頭上へと落ちてきた蟻を縦一文字に切り裂いてから、後ろへと飛び退いた。外れた蟻酸が、レティシアの足下に水溜りを作る。
『我、彼の者を戒める縛鎖を放つ!』
更に後ろ向きに飛び退きざま、呪文を詠唱する。
レティシアの左手から伸びた光の鎖が、蟻たちへと絡みついた。
押し寄せてきたことが仇となって、光の鎖が絡まった蟻たちが道を栓するように詰まった。
それを見て、レティシアは身を翻して道を登って行く。
自身の身体から溢れ出る魔力の輝きが、道を照らしてくれる。
足場の悪い道を登って行くと、先をゆくウィンたちの姿が見えた。
先頭をコーネリアと入れ替わったらしく、ロックが《光源魔法》の付与された棒を持って走っていた。
「上がった先に広い場所があるぞ!」
ロックの叫び声。
レティシアは後ろを振り向く。
魔力の輝きで照らしだされた背後の道にはまだ蟻の姿は見えない。
しかし、レティシアの鋭敏な感覚が背後から迫り来る蟻の大群の気配を感じ取っていた。
「後ろからまだ蟻が来てるよ! その広場へ急いで!」
コーネリアが広場にまで辿り着く。
腕を負傷したウェッジの足が遅い。
ウィンが支えて走っているが、蟻が来るまでに広場まで間に合わないか。
レティシアはもう一度後ろを振り返る。
黒く蠢く大量の影。
暗く足場の悪い廃坑道では、人よりも虫の魔物である蟻のほうが機動力が高い。
ようやくウィンとウェッジが広場にまで辿り着いた。
レティシアは再び足を止めると、口早に呪文を詠唱した。
『土の理を識りて、万物を穿つ槍を放たん!』
《牙礫槍》の魔法。
天井から、左右の壁から、地面から、幾本もの岩槍が生み出され先頭の蟻共を貫き、体液を地面へと撒き散らした。その様子を確認すること無く、レティシアは一目散にウィンたちが待つ広場を目指して駆け登る。
そして、背後から轟音が轟いた。
レティシアの《牙礫槍》の魔法のせいで、廃坑道の天井が落盤したのだ。
落盤で何トンもある岩が蟻たちに向かって転がり落ちていく。
レティシアを、小さな石の破片や砂埃が追いかけてきたが、勾配が登りとなっているため、大きな岩は転がってこない。
「レティ!」
「お兄ちゃん!」
道から広場へと飛び出すと、ウィンがレティシアを待っていた。
レティシアはウィンの腕の中へと飛び込む。
ウィンはレティシアを庇うようにして、彼女の身体を抱え込んだ。
空気を震わせる轟音が更に断続的に響き渡り、ウィンの背中の革鎧にビシビシと小さな岩の破片が当たる。
やがて、破片が飛んでこなくなり音が収まった。
「何て無茶を……」
ウィンはレティシアを抱きすくめたまま、呟いた。
ウィンたちが登ってきた道の奥の方が、完全に岩で塞がっている。
「お兄ちゃん……痛い……」
「ごめん」
ちょっと力を入れすぎてしまったようだ。
ウィンはレティシアの身体を離すと、彼女はすぐに身体を離さずそのままの姿勢でふぅっと小さく息を吐いた。
「ウェッジ、大丈夫か?」
広場の真ん中で蟻酸を浴びてしまった左腕を押さえてうずくまっているウェッジ。
短時間では傷を癒やしきれなかったらしい。
「すぐに治癒魔法をかけ直します」
コーネリアが駆け寄った。
「これなら、さすがに追ってはこれないな」
恐る恐る落盤で埋まってしまった道へと近づき、一抱え以上もある大きな岩を手で触ってみる。
「リーノやオールトさんたちは大丈夫かな?」
無事でも、今の落盤の音は聞こえたはずだ。
心配していなければいいが、とウィンが考えていた時、
「そんな……」
ウェッジに治癒魔法を掛けようとしてコーネリアの小さく、そして焦ったような声が聞こえた。
「魔法が……魔力が感じられません……」