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  作者: 裕里 沙亜奈
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放課後の口付け

貴方と出会ったのは桜降る季節の校舎だった。


思春期の葛藤のなかで、それぞれが思い思いの情熱を傾ける場所。

遠くに運動部の練習の声を聞きながら、私は陽が西に傾いていくのをインクの匂いに囲まれて過ごした。

幼い日に取りつかれてからずっと私は本の虫で、時間さえあれば一日中本にかじりついていた。

わざわざ自宅から遠い学校を選んだのも、学校見学でみた図書室の蔵書の多さに単純に惹かれたからだった。

この学校なら、心置きなく本が読める。

そんなどうしようもない理由で学校を選んだ。


部活動の生徒以外が帰宅してからが私の幸せな時間だった。返却された図書を整理して本棚に返していく。濃いインクの匂いに包まれて、少しの間だけ私の世界が内に閉じる。どの表紙を開いても、今すぐにここではない場所に行くことができ、私ではない人物になれる。本は私にとって無限の異世界へつれていってくれる魔法の扉だった。

一冊一冊を大切に所定の本棚に戻し最後の一冊を戻し終えてカウンターに戻ると、男子生徒が一人突っ伏して眠っていた。

いつからいたのか、男子にしては少し華奢な肩が規則的に上下している。

覗き込むと、同じクラスの男子なのがわかった。確か、隣の席に座っていたはず。 名前は思い出せなかったけど。


返却図書の整理は終わったので、図書室を施錠して鍵を職員室に届けなくては私も帰ることができない。 起こそうにも、あまりにも気持ち良さそうにすやすやと寝息をたてているせいで気が引けてしまう。

何度か躊躇ったあと、意を決して彼の肩にそっと触れた。

「あの…もう閉めますよ?…」

反応はない。

「あの…」


困り果てて、いっそ放っておこうかなんて思い出したとき寝顔の彼が何か呟いた。

「…え?なに?」


あまりにも小さな声で聞き取れず、彼の口許に耳を近づけた。

「…まだ帰りたくない。」 「…え。」

何が、と聞き返す前に彼の腕が動いていた。

気がつくと、私の唇に柔らかな感触があり、それが人の顔面だと一瞬判別できない距離に顔があった。

──狸寝入り…?


突然の展開に頭がストライキを起こしたのか、ぼんやりとそんなことを思っていた。


「…嫌がらないの?」

唇を離すと、彼が不思議そうな顔で見つめてきた。 「…あ、あの。」

「なに?」

「…えっと。」

「名前?」

「…そう。なに君でしたっけ?」

「…沢木。」

「…さわき、くん、?」

「うん?」

「…狸寝入りですか?」

「…へ?」

「…良く眠っているみたいに見えたから、起こしちゃうの申し訳ないって思ったから。」


彼は目を丸くしたあと、堪えきれない、というように盛大に吹き出した。

私の肩口に顔を埋めて、硬直したまま動けない私を抱き締めた格好のまま爆笑している。


「え?え?」

どうして笑っているのか、どうしたら良いのか分からずオロオロする私の肩口で彼が言った。

「…そこで、狸寝入りって。ほんとに、もう…」

「…あ、あの?」

彼は私を抱き締めていた腕を離し、もう一度今度は触れるか触れないかの口付けをしてから私を正面から見つめた。

「君は、俺のこと知らないと思う。だから、今日から知ってほしい。俺は、君のこと大好きなんだ。だから、君にも俺を大好きになってほしい。」

彼の色素の薄い瞳に私が写っているのが見えた。

何がなんだかわからない、という顔をしてぼんやりと彼の言葉を聞いている。 「…どうかな?」

彼が小首を傾げて尋ねる。絹糸みたいな髪が彼の耳元で夕日を浴びて見事な艶を見せている。

「…だめ?」

彼がもう一度尋ねる。


「…あ、えっと、ふつつかものですが、」

あまりの混乱につい、口をついて出た言葉に私自身が一番驚いた。

彼は、また盛大に吹き出すと笑いを押さえられないまま床に座り込んだままの格好の私を立たせた。

「それはまだ、取っておいて。そのうち、もう一回言ってもらうと思うけど。」

ふわふわとどこか定まらない足取りのまま、その日私は彼に手をとられて学校を後にした。





あの日からずっと、貴方は私の隣にいてくれた。

いつだって、隣で笑っていてくれた。

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