はなびらの色
inspired by 寿美菜子/ライラック
春の訪れを思わせる穏やかな風が、蒼穹に浮かぶ綿雲を躍らせる。
太陽ものんびりと街を照らすこの時間、見下ろす街並みは、午睡するように静寂を保っていた。
きい、と海鳥の啼く声がこだまする。大きな白い翼に、照らし返される陽光がまぶしい。
群れのうち数羽が、連れだって聖堂の円蓋に舞い降りた。
じっと動かず羽を休める彼らは、屋根に飾り付けられたオブジェのふりでもしているようだ。
高台に建てられたわたしの借家は、ずいぶん歳をとっているために、
床はきしむし、風で吹き飛ばされそうになったりするし、好物件とは言いがたい。
街の市場へ買いものに行くにはいいが、帰ってくるのも一苦労だ。
おまけに、家賃はしっかり相場通りときている。
ただひとつ、住人に引越しを思いとどまらせているのは、この景色だと思われた。
ベランダから眺めるこの街は、まるでミニチュア・ハウスの展示場だ。
その奥に広がる水平線も、ゆたかな表情で語りかけてくる。
絵心のある者がここに住めば、キャンバスを窓辺に置かずにはいられないだろう。
わたしは、欄干に身を預けながら、鳥を数えたり、雲の形を何かに喩えたりして過ごす。
それで、だいたい休日の午後はおしまいになる。
毎日はほとんど同じことの繰り返し。
季節のサイクルも、精密な時計の針のように、ただ確実に巡るばかりだ。
けれどもその中に少しだけ、ちょうど四年に一日だけ閏日があるように、
僅かなアクセントが込められることだってある。それは、いつ起こるかわからない。
だから、じっと待ち構えていなければ、しばしば逃してしまうのだ。
からん、からん。乾いたベルの音が、部屋の中から響く。来客を告げる呼び鈴だ。
友人を招いてはいなかったはずだから、きっと届け物だろう。
ゆるんだ身体を持ちあげて、わたしは玄関へ足を向けた。ふわりと、緑色のカーテンが揺れる。
木製の扉の向こうには、思った通り、小包を抱えた青年がいた。
彼の差し出す包みを受け取り、用紙にサインをする。
礼を告げると、彼は帽子をとって小さく頭を下げた。
初々しいその仕草は、彼がまだ若いことを表している。わたしより二、三歳は年下だろう。
忙しそうに次の配達先へ去る背中を見送ってから、わたしは扉を閉じた。
大きさのわりに、ふわりと軽い小包である。
貼り付けられた差出人の表示には、学生時代に親しかった旧友の名前があった。
学院を卒業してから、数度手紙のやり取りをしたきり、彼女の近況はわからない。
けれど、包みから微かに香るライラックの匂いが、彼女の幸福な日々を知らせている。
あの薄紅の花色は、この日常にも彩をつけてくれたみたいだ。
寿美菜子さんの楽曲『ライラック』より着想。
素敵な歌に少しでも近づけていたらいいなあ、と思います。