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「シェルトー! おっひるごはーん!」
リアよりも元気な声が、耳に飛び込んでくる。アスアの声は二週間以上で数回しか聞いていない。そのせいで耳慣れぬ声だ。
あんまりうるさいので、風船が割れるように非現実感が割れてしまった。
別に心地いいわけでもなかったのに、その状態に戻れなくなると、急に惜しい気がしてくるのはなぜだろう。
「わかったよ」
と、僕は精一杯大きな声を上げた。
しかし、僕は自分の失敗に気付く。ここから声を上げたら、僕がここにいることを知らせることになる。もっと別の方向に行ってから、あるいは地上におりてから答えれば、僕がどこにいたかはわからなくなる。結構気に入っている場所が知られてしまうと、退屈したリアが、くつろいでいる僕の真下で声を張り上げることになる。面倒な話だ。今回はアスアだが、喜び屋になった彼女はリアよりうるさいに違いない。
僕は自分の間抜けさに呆れながら、アスアに僕のお気に入りの場所が特定されていませんように、と祈りながら昼食に向かった。
昼食の席について、食べ初めると、すぐにアスアのメニューが違うことに気付いた。つまり、フォートスが薬物治療を行っているという僕の推測は正しいということだ。
「ごちそうさま」
僕は急いで食べ終わると、フォートスの元に急ぐ。今日はフォートスに命術を教えてもらう。ついでに、アスアの症状について少しばかり聞いておこうと思う。僕にできることはないが、気になることは聞いておいたほうがいい。フォートスも別に隠しはしないだろう。
生命力の利用法、命術には三種類ある。法術と戒術と仙術だ。
法術というのは、第一の神、創血神トゥルイドの作り出したこの世界の裏にある法則にアクセスし、様々な現象を起こす術である。
トゥルイドというのは、かつて平坦で穏やかだった仙境に山を作り、天候をつくり、この世を新たな法則で満たした神である。平穏すぎる仙境には何も障害がなく、万能たるトゥルイドには退屈すぎたのだ。
あらゆる生命は純粋な形のないエネルギーであったが、トゥルイドの力で、物質に縛り付けられた。その結果できあがったのが、血である。それまで、大地には虫しかいなかったが、トゥルイドが木や土や虫や水に生命が縛り付けられた血をたらすと、現在の生命の形をとったという。
しかし、これは、あくまで原初のおときばなしであり、アシュタムがどこかで拾い聞きして気に入ったこの話を広めたという説もある。
詳しくは知らないし、異伝も数多くあるそうだ。ちなみに、トゥルイド的な、という意味のタスク語は、傍迷惑な、とか、大きなお世話、とかそんな意味である。また、やんちゃな子どもをトゥルイド的な子どもと表現する。この場合は、もうしょうがない子ね、というニュアンスが込められている。これらは、タスク語文化におけるトゥルイドの立ち位置がよくわかる表現になっていると思う。
法術は一応、この世界の自然科学・自然哲学の中心となる分野である。地球における電気系統の工学のかわりに、この世界にはこの方法論が存在する。その詳しいメカニズムは、完全には解明されていない。様々な学説があり理論の上では非常に煩雑な反面、初歩的な法術に限れば利用すること自体は難しくない。
戒術とは、血戒と自由律を介して生命力を利用する技術だ。これは、法術以上に個人差があり、法術に長けた人でも使えなかったり、法術が苦手な人でも使えたりする。僕は使えないし、理屈の方もよくわからない。
仙術は、純粋に生命力を使用する技術である。これも僕には全く未知の領域である。
僕がフォートスから教わったのは、初歩の法術である。火を出したり、水を出したり、というものだ。
生命力は無尽蔵だが、使える量に限りがある。限界に達した場合、起きる症状は基本的に筋肉の疲労みたいなもので、ああ、もう使えない、と実感するだけだ。別に体力を使うわけではない。
フォートスは、僕に法術の初歩の理屈を教え、実践させる。僕は限界までそれをやるだけだ。ひたすらその繰り返し。
この世界においては、日常生活に必要な法術もある。また、法術やその理論は学問の基礎の一つとされており、仮に就学する場合、これができないとお話にならない。
僕は、この法術というものが気に入っていた。地球にはなかったものだからだ。ある意味でそれは、コンピュータを使うのに似ている。基盤で何が行われているかはわからないが、様々な操作の結果が目に見える形で現れる。ただ一つ違うのは、このコンピュータの基盤は大地を覆っており、モニターは現実そのものだということだ。
ちなみにアスアの症状について、フォートスは試行錯誤を始めたばかりだという。少なくとも、躁的な現状を少しばかりおとなしくさせること自体は不可能ではないそうである。とはいえ、たかが知れたものらしいし、対処療法に過ぎないが。
ヴォルトがどうしているのかについて聞こうと思ったが、その気配を察知したのかフォートスは消えてしまった。
僕は、仕方ないので、前にフォートスから借りた本を手に、書庫で関係がありそうな書物を探ってみた。
何かめぼしいものを見つける前に、リアとアスアの襲撃を受け、彼女らと楽しいひと時を過ごすこととなった。
…………はあ……疲れた……
やがて、アスアは以前よりもおとなしくなった。
リアが二人に増えたような感じだ。しかし、リアが何かと上品ぶりたがるのに反して、アスアはやや少年的だった。
僕が木に登ろうとすると、ついてくることもあった。
リアも登ろうか迷ったようだったが、頑固さが発揮されて、結局登ることはなかった。
明るくなったアスアはリアと大の仲良しになったらしく、リアは地上から、アスアは樹上から僕を追っかけまわした。
彼女達のなかで、僕を見つけることそれ自体がゲームになってしまったようだった。
僕は、ほどほどに付き合いつつ、あいかわらず本を読んだり、勉強したり、自主訓練したり、木に登ったりしていた。
最近はよくぼーっとする。眺めるという行為が性にあっているらしい。
何も考えない、というのはすばらしいことである。地球の頃はそんなこと全然なかった。いつも頭の中は言葉で満ちていた。
何かしら、せかされるように思考は流れ続けていた。
ふと自分が眠っていたことに気付くように、自分が何も考えていなかったことに気付いたりする。それは、思考の連続性が突然絶え、ふと我に返るという、あの奇妙な感覚とはまた違う、独特の感覚であった。思考の連続性が途絶えるとき、意識は思考対象を不意に失ってしまったことにうろたえる。しかし、考えていなかったことに気付く瞬間、意識は改めて自分の存在に静かに驚くのだ。
それはあたかも、不意に自分の存在に気付いた、あのときのように。
シェルト「こんぬっぺ、こんぬっぺ、くなーれぬぺーた!」
アスア「ぬぅ、恐るべきバルバロイめ! その呪文を以て、アイン王子をも殺したのだな。そこに直れっ、打ち首である!」
リア「おやめになって、お父様」
アスア「何をいっとる! いとしい我が娘、アンよ!」
シェルト「ふんなっぱ、ねぽーら!」
リア「この人は悪くないの、なぜわからないの?」
アスア「我が娘をたぶらかしてくれたか、ナマスギリである!」
リア「本当の犯人は、ワンなのよ」
シェルト「ぬんぽっぺ、まにんめぽーら!」
アスア「そんな訳はあるまい! ふん!」
重たい処刑刀を頭上に両手で持ち上げるイチ将軍。
リア「やめてっ! お父様は私のお腹にいる孫の父親を殺すことになるのよ!」
ガシャァン! 刀が地に落ちる音。
シェルト「ぬっぺほふ、ぬらぁりひょん!」
ヒに駆け寄るアン。
アスア「なにをいっておる……」
リア「この人と私は、」
シェルト「ぽとぽんぺっと!」
リア「愛し合っているのよ……!」
シェルト「くさぁれ、ばいたぁ!」
アスア「なんだとぉ!」
イチ将軍、全身の穴という穴から墳血(トマトベースの血袋を用意のこと)。
リア「あの日、真相を知ったワンはアイン王子にそれを告げました」
シェルト「むらぁむらぁ……あやむぁちぃ……」
頭を掻き毟るイチ将軍。
血とともに、大量の髪が落ちる(散髪の際、とっておくこと)。
リア「すると、なんということでしょう。驚きと怒りのあまり、王子の全身の血管が破裂し、真っ赤になってそのままお亡くなりに!」
アスア「なんというふしだらな娘よ……それはワンのせいでなく、お前の不義のせいではないか……お前と王子は婚約者だったのだぞ!」
シェルト「かえーすー、くぉとぅぶぁも、ぱりまっせん!」
リア「お父様、打ち首にするなら、ワンを!」
アスア「話を聞けェい……」
将軍、うつ伏せになりそのまま果てる。
シェルト「ぱとうぱとうぱくたばぱってぱくれぱたぜぱ、このぱじじぱい!」
リア「お父様、お父様、ああ、なんということでしょう! じいや、じいや!」
駆けつけてくるイ執事。
母「だんな様! ああ、なんということだ」
リア「ゴミ捨て場に片付けて置いてください」
母「お嬢様……わかりました、ところで」
リア「わかっている。これだろう?」
指の形で金を示すアン。
シェルト「ぱにんげぱんってぱやつはぱほんとぱうにどぱうしよぱうもなぱい」
リア「ヒ、ああいとしいヒ、二人でこの家をのっとってしまいましょう!」
シェルト「ぱ一晩ぱ同じぱベッドぱでぱ寝たぱだけぱで、ぱ図々しいぱんだよぱ」
死んだイチ将軍の口から、メロディが流れ出す(口笛)。
執事、娘、バルバロイ、三人が調子を合わせて。
春が来た、春が来た、我が世の春が
親父死んだ親父死んだ、遺産だぞー
ぽとぱとぺんぺった、くんぬれぽぺっぱ
ぺとろんぽぺっぱ、くんぬれぽぺっぱ
半年後には娘が流産しー
一年後には、執事と娘は謀殺されー
ぽんぬぺろっぱ、くんぬれぽぺっぱ
バルバロイは豊満な未亡人と再婚
ぷてんぷけっぱ、かたるんぺっぱ
だけどー、くてるんぺっぱ
バルバロイと未亡人はー
性病患い、全身腐る
春が来た、春が来た、この世の春が
悪が死んだ悪が死んだ、不貞のおかげー
……カーテンフォール(観客はいないので、各演者が精々拍手に励むこと)。