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 玄関に行くと、ライラが現れ、ライラに呼ばれて母が出てきた。

 僕はヴォルトを母に紹介した。

「まあ、フォートスのご家族の方なのですか。フォートスにはいつもお世話になっております」

 そこで、母さんはライラの方に顔を向ける。ライラは首を振る。

「すいません、フォートスはいまどこにいるのかわからなくて」

 フォートスが見つからないことは少なくない。彼の凄まじい仕事量を知る僕らは、彼が見つからなくともさぼっていると思うことはなかった。いや、仮に彼がさぼり魔だとすれば、想像しているよりも短時間で人の数倍の仕事量を維持しているわけで、そうなると怒る以上に畏怖の念が強まることになるだろう。

「いや、気にせんでください。俺がいるうちは出てこんでしょう」

「そんな、せっかく来ていただいたのに」

「いやいや、使用人の兄貴にそんな気ィ使わんでください。急に押しかけて申し訳ない」

 この老人にも、申し訳ないという気持ちが存在したらしい。

「いえいえ、私はフォートスのこと、家族だと思っていますのよ。本当に自分の父のように感じておりますの。いつも助けてもらってばかりで。そのフォートスのご家族なら、大切なお客様です」

 母はきっと本当にそう思っているだろう。

 その言葉に、ヴォルトは照れくさそうにした。

「あいつも喜んどるでしょう、そんな風に思われて。だが、きっと気難しげな顔で「職務をこなしているだけです」とかぬかすんだろうな」

「そうかもしれませんね」

 母とヴォルトの世間話は続く。母の後ろで立っていたライラは消えていた。予定より増えそうな食事の仕度に向かったのかもしれなかった。一方ヴォルトの後ろのアスアは突っ立ったままだ。

 僕は自室に戻ることにした。

 僕の自室は空き部屋の一つである。親に割り当てられたわけでなく、僕が勝手に使っている部屋だ。寝室は母と共有だ。ここでは主に本を読んだり、考え事をしたりする。

 部屋に入ると、僕が作った本の山の隣に、数冊の本と何かが書かれた紙の束が置かれていた。

 目を通してみると、フォートスが作成したものらしく、要するに宿題の類だった。フォートスの学習教室は無期限休暇に入るらしい。次の開講はヴォルトが去ったあと。

 紙の束には、宿題のリストのほかに、課題となっている書籍の解説が書かれていた。

 僕は最初の課題に取り組むことにした。一冊目の本を開く。

 読み出してから、あまり時間が経たないうちに邪魔が入った。

 リアとアスアである。

 僕の部屋のドアをノックせずに開けて入ってくる。

「シェルト。一緒にあそぼ!」

「…………」

 リアはやたらとうれしそうだ。当たり前かもしれない。僕はアスアと会うまで、リア以外の子どもを見たことがなかった。きっとリアも同じなのだろう。彼女はようやく女友達になりそうな相手を見つけたわけだ。快活なリアのこと、人見知りの気などない。

 一方、アスアは人見知りなのか、ただ無口なだけなのか。その顔からはあいかわらず表情を読み取れない。ついてきたということは、リアと遊ぶ気があるということだろうか。正直わからない。

 そういえば、アスアという少女はどことなく猫を思わせる。碧眼の形が猫っぽいのだろうか。それとも黒いショートヘアが黒猫を連想させるのか。あるいは、彼女の他人に無関心な態度が猫的な印象を僕に与えるのかもしれなかった。しかし、その佇まいからは気まぐれとは無縁な、風に流されるばかりの葦のような感じを受ける。

「別にいいけど、何をするの?」

「アスア、何したい?」

「…………」

「じゃあ、おままごとね。私が奥さん、シェルトが旦那さん、アスアが……木?」

「木って。僕はアスアさんにのぼらなきゃならないのか?」

 僕はアスアの方を見ながらいう。コミュニケーション意欲のない人間をごっこ遊びに参加させるのは、地味に酷いと思う。そう考えると、木という配役はアスアのことを思えば一番ダメージの少ないアイデアなのかもしれない。何かが致命的に狂ってるのは確かだが。

「シェルトがアスアにのぼる……? 駄目よ、駄目! 抱きついちゃ駄目!」

「じゃあ、木って何するの?」

「立ってたりじゃない?」

 僕はため息をついた。

「立ってたり、じゃなくて、立ってるだけ」

「そうね。流石に駄目だわ。私奥さん、シェルト旦那さん、アスアが私達の子ども」

 リアから無難な提案がなされる。

「……木」

 しかし、アスアは拒否した。これが僕達が初めて彼女の声を聞いた瞬間だった。

 第一声が木って。

「みんなで本でも読むほうがいいんじゃないかな」

 そもそも、おままごとというのが間違いである。特に主演リアというのがまずい。

 アスア演じる木の根元で情死する男女の姿が脳裏に浮かんでしまう。あまりにも暗すぎるので、そのイメージを振り払うと、今度はアスア演じる伝説の木の下で、リアに告白させられている自分の姿が浮かんできた。どちらにしろ悲劇である。

「うーん、それがいいかな」

「じゃあ、書庫にいこうか」

「あ! そうだ、昨日のあれ」

 昨日の、という言葉から、泡沫のような視覚的イメージがいくつか浮かぶ。

「ああ、あれね」

 リバーシ的なゲームである。名前は確かスピールといったか。

「やっぱり、あっちにしよ」

「いいんじゃないかな。あれはリアの部屋に置いといたっけ?」

「うん。いこっ! アスア!」

 そういって、リアはアスアの方を向いた。僕もそちらに目をやる。

 アスアはその場に座って、僕がこの部屋に置いておいた本の一冊を読んでいた。

 これは、僕らに対して無関心であり、関わりたくないという意思の表明なのだろうか。それとも、普通に本を読むのが好きなだけだろうか。わからない。

 別に喋れないわけではなさそうなので、聞きだすことも可能かもしれない。

 しかし、そこまでして知りたいとも思わない。面倒だし、かわいそうだし、「うざい」とかいわれたくないし。

 僕とリアは顔を見合わせた。

 僕はその場に座って、フォートスの宿題の本を再び手に取った。

 リアもそこら辺の本を適当に持ってきて読み出した。

「リア、フォートスの宿題は?」

「明日やる」

 その麻薬的フレーズは封印すべきだ、と僕の人生経験はいう。諭すべきか少し悩む。しかし、そういうことをいって子どもに疎まれる役は、やっぱり親がやるべきだろう。僕の温いお説教より、ライラの極寒にして灼熱の愛の鞭の方が、リアの教育にもいいだろう。


 夕食にはヴォルトとアスアも参加することとなった。

「ねえ、ヴォルトさん。ちょっと気になってたことがあるんですけど」

「なんだ、シェルト」

 ヴォルトは意外にも行儀のいい食べ方をしていた。とはいえ、別に品がいいというほどではなく、最低限の礼儀を保っているといった感じである。

「フォートスは食事をしたこと、あります?」

「まあ、あるぞ。ただあいつは偏食家でな、飯を食っとるんだか、薬を飲んどるのか、よくわからんくらいでな。俺が奴と食ったのも、その習慣がまだなかったころだから、随分昔のことだ。習慣ができてからの奴の食事はすぐ終わるようになってな、しかも人と全く違うもんばかり食っとるわけだから、人と一緒に食うことなどできなくなっちまったんだ」

 僕は少量の薬草をもしゃもしゃと頬張る執事を想像した。確かに人と食卓を同じくするには難しい食習慣である。

「なるほど。なんかフォートスらしい気はしますね」

「肉を食わんから、あいつはすっかり枯れ木よ。あいつは植物の力を過信しとる。きっと本気で木だの草だのになりたいと思っとるだろうよ」

「それはどうでしょうね。肉食ばかりの人だって、牛や羊にはなりたがらないでしょう」

「牛や羊は嫌だが、獅子や虎ならなりたいがな、俺は」

 ヴォルトはそういいながらサラダを食べる。我が家の食事は菜食が中心であり、肉や魚は基本的に保存食を少量使う程度である。もちろん、新鮮なものを使う場合もあるが、今日の食事はそうではない。もしかすると、ヴォルトには不満かもしれなかった。

「ヴォルトさん、料理は口に合いますでしょうか」

 そのことが気がかりとなったのだろうか、ライラが食事について尋ねると、ヴォルトは笑って答えた。

「いえいえ、とてもおいしく食べさせてもらっとります」

 そこで、母さんのほうに顔を向けた。

「フォートスが奥さんのことを考えて、薬草を選んだことが良く分かります。ですがね、定期的に牛肉を食べて、少し運動量を増やす方が俺はいいと思いますよ」

「そうですか。今度、フォートスに聞いてみようかしら」

 母はそう答えた。

「いやいや、あいつは薬草と水だけで生きてる男ですからね。肉なんぞというに決まっとります」

「そういえば」

 と、ライラが口を挟んだ

「ヴォルトさんは何をしにこちらへいらっしゃたんですか?」

 母が、うっかりしていた、という顔をした。

「そういえば、ライラにはいってなかったわね。ヴォルトさんはこの辺りの魔物を追っているそうよ。ライラにも教えておくべきだったわね」

「この辺りに、そんな物騒な魔物はいなかった気がしますが」

 ライラが疑問を口にする。

「トロルスロースは腹が減るまでは無害ですよ。どっか人目につかんところでぐっすりしとるんでしょう。しかし、腹が減ったら暴れだすでしょうな」

「トロルスロース? トロルって名前がつく魔物なのに、腹が減るまで無害なんですか?」

 トロルというのは、凶暴・貪欲・不潔の象徴といっても過言ではない。

 トロル○○といった名称で呼ばれる魔物の頭についている「トロル」とは、トロル的魔物であることを示しており、基本的にトロル種とは関係がない。トロル種に属する魔獣は○○トロルという名前がつけられる。これらトロル種は過去何世紀にもわたる徹底的駆除によって、現在ではかなり少なくなっている。

 トロル的魔物がトロルを冠する所以は、その凶暴かつ貪欲な行動様式にある。トロルと呼ばれる魔物は、野生の生物としては明らかに必要以上の食欲に突き動かされ、過剰な捕食行動を行う。稀に、食道どころか気道にさえも食物を詰め込み自滅しているものさえいるほどである。トロル的魔物は発生すればただちに討伐される。それらの被害はケースごとにばらつきがあり一概には言えないが、百害あって一利なし、という点は間違いなく共通しているからである。

 トロル的魔物は、通常の生物から発生する。これは一種の病気のようなものである。一匹がトロル化すると、伝染するようにして同種の一部もトロル化し、トロル化していない仲間を食い殺す。仮にこのとき、外部に食欲の対象がない場合、トロル的魔物は共食いを行う。人間にも、トロル化したらしき例がないわけではない。

 トロル化の理由には諸説ある。病気説、血戒説、自死衝動説、神の意思説などなど。

「トロルスロースはなぁ。確かに活動を始めるとやばいんだが、体内の栄養素が一定以下にならんと、自衛以外では動こうとせんのだ。トロルといってもスロース(ナマケモノ)だからな。まあ、動いてくれんうちに見つけて殺せればいいんだが、無理だろうな。被害報告から考えて、そろそろ捕食の時期だろう。トロルにしてはかなり少食なせいで、一回の被害が小さくなって結果として今日まで逃げ延びたが、まあ、俺にかかれば楽勝よ」

「もしかして、フォートスを探してたのは、そいつの捜索のついでなんですか?」

「そういう面もあるな」

「トロルスロースの移動能力はどれくらいでしょうか? この家は安全と考えてもいいのですか?」

 ライラはやはりセキュリティに関心が行くようだ。母はこの点、かなりいい加減である。

「大丈夫でしょう。フォートスがいますからな。あれがおったら、地獄も楽土も大して違わん。守ることに関しちゃ、俺も奴にはゆずらねばならんぐらいですからな」

「やっぱり、フォートスは頼りになるわよねぇ」

 母は嬉しそうにいった。この人に気楽さは、ライラとフォートスという有能な二人によって、ますます酷くなっていっている気がする。

「今日の夜も、辺りを見回ります。野宿しますんで、さっきもお願いしましたが……」

「はい、アスアちゃんは任せてくださいね。アスアちゃん、今日はうちでゆっくりしていってねー」

 母が注意を引こうとアスアに呼びかけた。しかし、アスアはあいかわらずの無表情でそちらに目を向け、特になんもいわず、再び顔を夕食に向けた。

 もそもそと小動物的にパンを食べるアスアをさびしげな目で見つめる母に、ヴォルトはややばつが悪そうに「最近はいつもこうなんです。人見知りでして」というようなことをいった。豪快な怪老が初めて見せる物憂げな顔は僕にとり、印象深いものであった。

「ヴォルトさんは冒険者なんですよね? なにか面白い話、ないんですか?」

 僕は話題を変えることにした。僕にしてはかなり無邪気を装った態度で、ヴォルトに冒険譚をねだる。

「おお、そうだな……」

 以降、食卓はヴォルトの見聞録で賑わうこととなった。

 彼の冒険者として真実どれぐらいの腕なのか僕は知らない。だが、語り部としての彼はなかなかどうして、達者であった。

 その夜、僕と母のベッドにはアスアが招かれた。すると、アスアに興味のあるらしいリアも一緒に寝たいといい出した。僕は窮屈だからいやだといった。そこから、あれこれと話がこんがらがり初め、結局僕とアスアとリアが一緒に寝ることになった。そしてなぜかライラと母が一緒に寝ることになった。正直わけが分からなかった。


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