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異世界転生させた神が頭を抱えて震えている。

作者: からん
掲載日:2026/10/04

倫理観も罪悪感もゼロのタイプの精神男、身体女です。


頭を叩かれてようやく意識がはっきりした。

何故叩かれたのかはよくわからない。目の前の女は使用人といえる格好をしていて、まるで私は叩いておりませんがなにか?と言わんばかりの顔で厭味ったらしく鼻で笑って通り過ぎていく。状況はわからないが、単純にイラついた。通り魔的に喧嘩を売られたのだ、黙っていられるかと手を伸ばそうとして、ハタと気づく。


あまりにも細い腕だった。視線を落とせば汚らしい白いネグリジェを着用していて、裸足でもあった。ぐるりと首を一周してみれば、豪邸というべきか城というべきか、派手な壁紙、柱に装飾、大理石の廊下、見慣れないお屋敷としか思えなかった。


なんだここ、と首を傾げる。記憶が混乱していることに気づいて、背後を振り返って自分がどこからやってきたのか考える。ふらっと来た道を戻ることはできた。躊躇なく一室へ入り、固いベッドへ腰かけた。埃がきらきらと舞った。


ああ、そうだ。あまりに寝心地が悪くて目を覚ましたのがこのベッドだ。そうして無意識にふらふらと外へ出ていた。自分は何をしようとしていたのだろうか。だが、それは一旦置いておこう。現状の把握が必要だ。


ばっとスカートをめくってみれば、傷や打ち身の目立つ汚い脚、色気のない下着があった。女児だ。身体のあちこちを触ってみれば、髪の毛がさらりと零れ落ちてくる。なんと色素の薄いことか。くすんだ金茶は胸の下まで長さがある。身体のあちこちが小さく頼りないのもわかる。


(つまり、誰だこれ・・・)


俺は誰かわからないが、大体12、3歳ぐらいの女に憑依した、ということだろうか。死にかけた自分が海外の少女に乗り移っただろうか、と仮説を立てて、自分が死んだ記憶はないと仮説を棄却する。あのメイドの人種も、屋敷の内装もそうだが、窓の外をみたって日本でないことはわかる。


「ていうかビルがまともにねぇ」


この部屋が二階か三階か知らないが、窓の外が見やすくて結構だ。高いビルは一つもなく、街並みは完全にヨーロッパだ。昔ドイツやイタリアに旅行に行ったときにみたような古びた石畳にカラフルな屋根の色。教会ばかりがでかくて豪華で目立っている。


「さて、夢ではなさそうだが」


この身体の持ち主は、どういう立場なんだ?と悩んだ。さっき使用人に小突かれたことと、あかぎれた指先をみて、使用人の子供か幼い使用人なのだろうと思った。海外だと今も丁稚奉公があるのだろうか、首を傾げる。部屋を見回してもスクールバックやそれらしいものはない。そもそも物がほぼない。


「使用人だとすると、さっき自然と身体が外へ向かったのは仕事のため?」


毎日のルーティンを身体が覚えていたということか、と得心いって頷く。ならば早いこと仕事へ行かねば、と考えた。あまり前の人間と違うことをして人格が変わったことがバレれば面倒になりかねない。日本でさえいまだに狐憑きだのなんだの迷信を信じる人間は多い。悪魔だの病気だのと言われて調べられても困る。


可能な限り情報が欲しい。とりあえず外へ出ようともう一度先ほどの場所まで向かった。何人かの使用人とすれ違ったが、全員に一瞥だけされて無視された。たまにさっきのメイドのようにつまらないちょっかいも出される。舌打ちだったり、嘲笑だったりだ。どう考えてもいじめられている。


(使用人として新人とか、だろうか)


どうやら大きな屋敷のようだし、使用人はそれなりの人数がいるだろう。西洋は家令だの執事だの使用人でも階級分けが多いようだし、そういった関連かもしれない。もしくは単純に新入りの洗礼とか、そういう感じだろうか・・・とりあえず反抗せず黙っているが、違和感は持たれていないようだ。


脳内でマッピングをしながらあてもなくふらついていると、でかい籠いっぱいに洗濯物を詰め込んで背負っている女たちが数人いた。そのうちの一人が俺をみてしかめっ面をして怒鳴ってきた。


「なんです?また服を汚したんじゃないでしょうね、セシリアお嬢様。こっちはもう洗い終わってるんです、ご自分でやってくださいよ!」


セシリアお嬢様って俺のことか?

呆然としている間にくすくすと笑いながら女たちが通り過ぎていく。お嬢様ということは使用人の子供ではなく、この屋敷の主人の娘でいいのだろうか。今のところまったくもってそれらしい扱いではない。


(セシリア?ツェツィーリア?うまく聞き取れなかったが、日本語喋ってるのに容貌も名前も西洋ってなんだそれ)


なんかおかしい、とかみ合わない認識に歯がゆく思っていると自然と視線が下へ落ちた。今わかったのは肉体の名前はセシリア、この屋敷の娘だが使用人になめられている。


「あら、セシリアお姉さまったら」


そして、妹がいる。


視界に割り込んできたのはやたらキラキラした金髪とヒラヒラかわいらしい服を着こんだ少女だった。ご機嫌に胸を張って声をかけてくるが、適当な返しをして何言ってるんだお前となっても困る。妹相手にどんな対応を取るべきなのか、可愛がっていたのか?と考えるもみすぼらしい自分と華やかな自称妹、どうやら格差が見て取れる。


(返事ぐらいしないと、だがこいつの名前もわからんし)


「また使用人に迷惑をかけてますの?この間も仕立てたドレス、さっそく裾を破かれたでしょう。あれ、お姉さまにはもったいないって私用に仕立て直してもらい受けることになったの」


よくわからない話だが、相槌をしていればいいのだろうか。いや選ぶべきは沈黙か、たぶん、うれしい話じゃないだろう。この言われ様、もしかしてセシリアはお転婆か元気っこなんだろうか・・・。


「ブランディーネが12歳になったら社交パーティへ連れていってあげるってパパが言ってたわ。お姉さまのお下がりなんて最悪だけど、そのドレスで行くの。シェイマス王子にもご挨拶しておくわ、お姉さまの代わりにね」


くすくす、なんて口元を隠しながら上品に、そして嫌味っぽく笑った。会話を聞く限りもうすぐ12歳のブランディーネちゃんだ。こちらは一切返事をしていないが、なにやらポロポロと情報を落としてくれる。中々便利かもしれない。


「ふふ、だんまり?でも仕方ないのよ、私は聖女だから」


(俺がセシリアで、こいつがブランディーネ、男がシェイマス・・・?スペイン、フランス、英語系の名前だな)


聖女とか謎の設定は置いといて、俺は人名のバラバラさが気になっていた。いまだに沈黙しているからか、あまり俺の表情に悲壮感がないことに気づいたのか、妹は訝しむように顔をゆがめた。しまったな、返事ぐらいしとくべきか。


「なによ、その目。お姉さまはマナー講師から見放されちゃったんだからデビューできなくて当たり前でしょっ」


ばしゃっと頭上から水が降ってきた。

驚いている間に、妹が甲高い悲鳴を上げて人を集める。まずいのでは、と目の前の妹を黙らせようと思ったが、バタバタと人間がやってきた。使用人ではない、身なりがいい男女だ。


「どうしたんだいブラン」


「ブランディーネ、何かあったのかしら?」


「お姉さまがっまた魔法の操作を誤って!お洗濯に失敗なさったみたいなの」


駆け付けた男女はすぐに妹に駆け寄り、抱きしめ怪我の有無を確認していた。眉尻の下がった心配そうな表情は妹の主張を聞いてキリリと吊り上がった。濡れネズミの俺をみて、何か怒鳴っている。またお前か!いい加減にしろ的な内容だが、俺は頭が追い付いていなかった。どこから水が、ということと魔法の操作ってどういうことだ。妹は魔法で水を出したってことでいいのだろうか。


「あの」


俺は初めて声を出そうとした。か細く繊細な声だ。しかし、その魔法ってなんですか、と聞くのはおかしいだろう。


「水は妹が」


「なんていう言い訳なの!口答えだけでなくブランのせいにする気?!」


ヒステリックに怒鳴り、聞く耳を持たない女は流れるように俺の頬をぶった。普通に痛い。洗脳でもされてんのかコイツ。妹は男の腕の中でにやにやと汚らしい笑みを浮かべて膝をついた俺を見下ろしていた。パパ、と呼んでいるしこの女はママか。


「いいですか、この水浸しの床は貴方が掃除しなさい!メイドには手伝わないよう言っておきますからね!」


そう言いつけて、妹の元へすぐに戻り猫なで声で何か喋っている。凄い喉してるな。パパとやらは見下ろして鼻白んだ様子で無能め、と言い捨てた。そのまま妹と三人で団子になりながら俺の様子を確認することもなく離れていく。


(ラッキーといえばラッキーか)


セシリアという人間は俺という人格に変わったところでまったく気づかれない程度には興味を持たれていないらしい。前のセシリアという女子がどんなのかはわからないが、黙って大人しくしているだけでいいのなら楽だ。行動もしやすい。


それにしても、どうやら単純に西洋人に憑依したとかでもないらしい。タイムスリップでもなく、魔法という存在が当たり前にある世界らしい。異世界というべきか。


(俺をこんな風にしたのは、誰だ?)


誰かのせいなのだろうか、それともこれはこれで自然な現象だったりするのだろうか。わからないことだらけで舌打ちしか出てこない。呪いだったり、神様だったり、なにかしら原因があるのならば、特定したかった。


特定して、胸倉掴んで元の俺に戻せと怒鳴りたかった。


◆


水浸しのところを掃除しろと言われたが、掃除用具もなにもない。気になったのは魔法という一点だけだ。俺にも使えるのだろうか。妹は特に呪文などを唱える素振りはなかった。水たまりを睨むが、何も起きない。


仕方がないので洗濯女たちが出てきた部屋へ入ると、襤褸の布があったので適当に水たまりに投げ捨てて水は吸い取った。襤褸布は元あった場所に適当に戻しておいた。放っておこう。ぽたぽたとシンプルなワンピースのスカートから水が滴るので絞るだけ絞っておく。まぁ寒くはなさそうなのでいいだろう。そのまま部屋へ戻り、考えをまとめる。


情報が足りないので引き続き外で探索したいが、見つかる度にいちゃもんをつけられるのも困る。使用人は無視してくれるのが大半だからいいが、あの三人は面倒そうだ。特に妹につまらん嫌がらせをされて時間をくうことも襤褸をだしそうになるのも困る。


「だが、行動に制限はないな」


令嬢としては扱われていない。かといって使用人でもない。マナー講師が見放したって言ってたな、ということはそういったお稽古事もない。つまりセシリアは何もやることはない。


「透明人間みたいなもんか」


やりようはあるな、と外を睨む。街並みを見る限り、崖だの川だのという傾斜の多い地形ではない。だだっ広く空がしっかり見える。端の方に森があるように見えた。屋敷の周囲は柵があるが、やりようによっては超えることは可能そうだ。


だが外に飛び出るには早い。俺はまず自分のことを知らないといけない、とセシリアの部屋を漁った。そしてものの数分で終わった。思っている以上に物が少ない。隠し扉ぐらいないのか。服と靴と、あと何故か雑巾やモップなどの掃除道具、それと隠すようにしてあった本。この本が唯一の収穫だろう。なんと魔法の教科書と貴族マナーの教科書だ。とにもかくにも魔法を覚えるのは急務だ。


教科書という一つの指針になるものが見つかった安堵からか、急に空腹を覚えた。そうだ、この肉体がしっかりとしていないと行動できるものもできない。まずは体力だ、と仕方なく部屋を出た。探すべきは食堂か、厨房だろう。


「食堂を出禁になっているのはお嬢様がいつも食事に手を付けなかったり台無しにするからでしょう、部屋にお運びしているものでは満足いただけないのですか。誰も持ってきてない?マディは今朝持って行ったと言ってました。空の食器を私もみておりますよ。なんて卑しいんですか、夕飯を待っていなさい」


なるほど。魔法の前に盗みに入らねばならない。


厨房の使用人に一蹴された俺は目立たない場所をうろつきつつ考える。

飯は何かしらで盗むとして、あとは飲み水だな。


妹が使っていたみたいに魔法で水が出せればいいのだが、普通はどうしているのやら、とスニーキングしつつ観察する。屋敷の庭にガゼボみたいなおしゃれなものが立っており、その中央にやたらキラキラした水場があった。といっても水道ではなさそうで、井戸にしては底が浅い。だが確かに綺麗な水が溜まっている。皆そこの水を飲み水としているようだった。


外の溜め水ってどうなん、と思ったが飲んでみたら美味かったし、ほんのりと光っているようにも見えた。目の錯覚ではなさそうで、その光の源を確認すれば、水場に掲げられた豪奢な台座とでかい宝石。大きさは占い師の水晶玉のようで、だが見た目は真珠のようだった。噴水というイメージにはそぐわないレベルだが、この真珠らしきものが飲み水をじわじわと出しているようだった。こう表現するのが正しいのかわからないが、魔力のようなものが感じられる。


自由に飲みに来ていいみたいだし、見つからないようにこっそりくればいいだろう。

よし、次は飯だ。飯、いい加減腹が減った。


厨房でやり取りしたあの厳めしい表情のメイドが言うに食堂では家族三人で楽しく食事をしていて、俺の飯は部屋へ持ってきてくれるらしい。もちろん知らんし、おそらく持ってきてもまともじゃない可能性が高い。気する必要はないだろう。使用人共は主人の飯が終わればまとまって使用人用の部屋で集まって食べているようだ。チャンスはそのタイミングだろう。


(とりあえず食材保管の倉庫に忍び込む)


小さい身なりは便利だ。食材保管庫はそれなりに広いしジャガイモ袋の影にいれば料理人どもが入ってきてもなんとかなる。小さい鍋とジャガイモと果物類なんかを腕いっぱいに抱えて、俺は満足げに部屋へ戻った。


あれだけしっかりした食糧庫ならば多少減っていても気づかないだろう。食料問題解決、とライチなのかなんかよくわからない木の実を食べながら魔法の教科書を開いた。ジャガイモを生で食う気にはならない。なのに鍋いっぱいに入れてきたのは炎の魔法とかが使えないかと期待してのことだった。


「まったく、何もしない癖に一人前に食事は要求されるんですね」


がちゃがちゃと食器の音をたてて蔑む言葉が滑らかに出してくる女がマディかなんかそんなやつだろう。時計がないからどれくらい魔法の本に集中していたか分からないが、当然ドアを乱暴に開けられ、無作法に入ってきて中断した。ノックの一つもできないメイドに呆れるよりも先に、乱暴に用意された食事の汚さに驚いた。絶対これはないだろう。なんでドブネズミの死体を堂々と置いたんだコイツ。異世界だとネズミの姿煮があるんですか、きったねぇ。異世界人やべぇな。


「では失礼いたします。私も忙しいので食器はご自分で片づけてください」


そう言ってメイドはさっさと出ていった。まるで自分は仕事ができるみたいな物言いを終始していたが、ネズミの姿煮スープが皿からはみ出てこぼれているあたり、メイドとしてだいぶ無能だ。そもそもスープとパンだけって本当か?海外の食事事情は詳しくないのでなんともいえなかった。ただスープは嫌がらせの一つだと思う。とはいえ異世界だ。俺のもっている常識がどこまで当てはまるかもわからない。あまりにもネズミが堂々と盛り付けられていたので俺はすっかりこういう料理なのかもしれない、と悩んでいた。このパンも普通に見えるがレーズンの代わりに虫でも入っているのか?そう考え始めると当然食べる気にはならなかった。あのメイドが食器を引きに来るわけでもないようだし、とりあえず放置だ。


ベッド下に隠しておいた盗んだじゃがいもと鍋を取り出してもう一度魔法の教科書を開く。

夕飯も果物というのもなんだ、ジャガイモを煮るのに挑戦するぞ。


◆


朝からどうにも慌ただしいと思ったら、家族の三人が出かけるらしい。ほぉ、チャンスだなと思った俺は玄関へ走り寄った。いつもは小突いてくる使用人どもも今日は忙しそうで、走り寄る俺を嫌な顔をしてみるだけだ。


いつもよりも格式ばった豪華な服装の三人、二頭の馬が繋がれた大きめの馬車が用意されていた。見送りに並んだ使用人たちの後ろからこっそり近づいたのを、目ざとく妹にみつかり、にっこりとほほ笑んで声をかけられた。


「ふふ、セシリアお姉さまってばお急ぎになってどうなさったの。お姉さまは馬車に乗らなくていいのよ」


「まぁなんて恰好なのセシリア、はしたない。いいですか。私たちは王宮で王妃さま主催のガーデンパーティがあるから二週間は留守にします。その間問題は起こさないように」


二週間か、中々いい長さだ。

相変わらず特に返事もすることもなくフットマンたちに傅かれながら馬車へ乗り込む姿を眺めていれば、そんな俺をどう思ったのか知らないが、妹は優越感に満ち切った顔をして手を振ってきた。


遠ざかっていく馬車を眺めていればいつの間にか残されたのは俺だけ。早朝の冷たい空気の中でこの恰好では風邪をひくかもしれない。それは駄目だ。せっかく二週間目、目障りな存在がいないのだ。しっかり活動しておかねば。


そもそも王宮ってどこにあるんだろうな。

ちょうどいいし書斎を漁ってみたい。地図を探してみるか。


部屋に戻った俺は、まずは腹ごしらえだとジャガイモを魔法で出した水で洗う。


そう、結論として、魔法は当たり前のように使えた。

というよりおそらくセシリアはもともと使えたのだろう。俺が理屈を理解してチャレンジしてみれば、まさしく身体が覚えているというスムーズさで魔力を自由に操れた。存在しない筋肉を動かしているような不思議な心地だ。水を出せたし、その水を沸騰させることもできた。だが炎は出せなかった。土の塊を出すこともできなかったし、風も吹かすことはできなかった。これは適正の問題なのだろう。そして、傷が治せた。


本によるとこれは、聖の属性であり、これらを万全に扱えるものは聖女と呼ばれて各村で古くから愛されていたと記述されていた。


ここでようやく妹が私は聖女なのよ、と威張っていたことを理解する。姉妹だからだろう。妹も聖女で、セシリアもまた聖女なのだ。


おそらくは適正のある人間が少なくて貴重な医療従事者として重宝されている、と言ったところか。なんにしてもこれで、暴力を振るわれたりしても自分で怪我を治せるならば多少の無茶が効く。もう少しこの世界の常識を取り入れてから、と思っていたがこの屋敷の中ではその常識がズレていそうに思える。外のほうがよさそうだ。


ふってわいた二週間。さっそく俺は外へと出た。家族を乗せた馬車が出ていったあと、大きな門は閉められたが、使用人が出入りする小さい門は鍵も閉められずに開けっ放しだった。嘘だ。ちゃんと閉まっていたが枝と魔法でピッキングできた。大した構造でもない玩具みたいな鍵だった。こんな豪邸のくせに不用心もいいところだ。見張りもいないし、と笑う。


姿を隠す魔法とかないものか、と思ったがそんな便利なものは本に載っておらず、仕方なく俺は人目につかないよう歩いた。周囲と見比べながら、服装は浮いてないか、行動はおかしくないかと観察する。人間がいればできるだけ聞き耳を立てて、ついでにこの街の地理を脳内で埋めてく。


時間が時間だからか、目に見えて人ゴミがあるわけではない。市場のような場所があれば、と思ったがそう簡単にはいかないようだ。軽く見て回った感じ、屋敷を出てすぐの一本通りから向こう三つぐらい先の通りまでは富裕層しかいないと見える。それより先へ行ったときに明らかに身なりや家が貧相になっていくのがわかる。中々明確に貧富の差、いや身分差があると感じた。


さらに先に行こうかと思ったが、川を渡ることになりそうだ。橋にはどうみても乞食としかいえない人間が座り込んでいるし、チンピラ染みた人間が向こう岸に何人かいる。


(スラム、か?)


そうなると女児一人というのは危ないかもしれない。セシリアは引き返してもう少し屋敷周辺を探索することにしようと思った。魔法という不確定要素がある以上、確実に危険から逃げられるとは思えない。そうして橋の手前で立ち止まっていた。


「おい、クソガキ!金払えや!」


突然の怒鳴り声に肩を揺らして振り返れば、続けて地面に何かがたたきつけられる音が響いた。店の前に積まれた木箱をわざと崩したのだろう。中身が散乱している。そしてその原因だろう少年は、何故かセシリアに向かって走ってきた。少年の腕の中にはパンと果物が積まれていて、すれ違うタイミングで一つだけパンをセシリアへ押し付けてきた。その勢いでセシリアは思わずパンを受け取り、そのまま後ろへ倒れた。


「ガキの仲間かっ」


追っかけてきた店主らしいでかい男が箒か何かを振り上げてくる。

今のを見て何故そんな結論になる、頭に血が上りすぎだろう。


とっさに転がって避けて、この状況に巻き込んだ少年を追いかける。足の速いガキで、もう背中がほとんど見えなくなっていたが逃がすものか。落とし前付けてやる。


腕いっぱいに盗品を抱えている少年よりも身軽な俺はぐんぐんとスピードを上げて声の届く範囲まできた。途中までいた被害者たる店主はいつの間にか消えていた。


「てめぇっどういうつもりだ!仲間扱いされたじゃねぇか!」


「ハッお嬢様かと思ったらその口の悪さ!てめぇも川育ちか?!」


驚いたように少年が吐き捨ててくる。このまま勢いよく蹴とばしてやろうか、と思ったがやめておく。しばらく走り回っていたが、どうやらセシリアよりも少年のほうが先に体力が尽きたようだ。汚い路地裏でぜぇぜぇと息を切らして壁に寄りかかって座り込んでしまった。盗品だけはしっかりと抱え込んでいて、セシリアへ渡さない、と言わんばかりに睨みつけてくる。


「くそ、どういう体力してんだよお前」


セシリアもまた息切れしていた。そもそも運動不足らしい肉体だ、本当は早々に体力は尽きていた。だがこの土壇場で聖属性の治癒魔法を全身にかけてだましだまし回復することができた。追いつけたのはそういうズルだったが、少年は畏れるような表情を隠さなかった。

セシリアはこういう使い方もできるのか、と自画自賛的に感心していた。


「・・・はぁ、しつけぇな。パン一つくらいならやるから」


「見逃してくれって?」


「おい、俺はフォークス盗賊団の一員だぜ?あんま調子のんな」


「いや知らんよ」


見せつけるように出された右腕だが、入れ墨が入っていることしかわからない。素直にそれを言えば予想外だったのだろう。少年は脅しが通じなかったことにはぁ?と声を漏らして驚いていた。


「なんで知らねぇんだ!プーンの兄貴が率いる隣領にもまたがる大盗賊団だぜ?!」


「その大盗賊の下っ端くんがなんでチンケな盗みしてんの」


「こ、これは!盗賊団のためのじゃねぇ。お前、橋の下の人間じゃねぇな?フォークス盗賊団も知らねぇし、流れもんかよ」


どうにも少年は素直な性質なのか、割と聞けば答えてくれた。息切れも回復したのか、立ち上がり歩き出す。こちらが危害を加えないことがわかったからか、並んで歩いてももう撒こうとしなかった。最初は一発殴ってやろうかと思ったが、どうやら情報源になってくれそうなので、ちょうどいいと俺はついて行く。


「流れもんなら、森のほうから来たのか?橋の向こう?」


「いつの間にかここにいた」


「そーかよ。攫われたか捨てられたかだろうな。商人に買われたわけじゃねぇんだろ」


「あぁ、私のようなのは多いか?」


「まぁな、森のほうから逃げてくるやつは隣の領の人間。橋の向こうからくるやつは薬中」


橋の下から川に沿って掘っ立て小屋のようなものが連なっている。日本なら完全に違法建築だな。だが、結構な人数がいるようでその景色は難民キャンプのように見えた。その中でも、屋根もまともにないテント擬きに少年は入っていった。流れでついていったが、振り返った少年に、お前の分はねぇぞ、と警戒されてしまった。構わないので適当に返事をした。


「それで、お前このへんに住むのか?ここらのシマはもう一杯だし、向こう岸がいいんじゃねぇの」


「向こうの岸もこんな感じか・・・」


「もしくは裏路地だけど、あそこは此処等のが仕事場にしてることが多いから」


ひどい臭いだな、と単純に思った。生活水として川を使っているのだろうが、汚水もすべて垂れ流し、こんなところ呼吸をしているだけで病気になりそうだ。正直、冷遇されていてもあの屋敷のほうがマシだな。


「なぁ、その盗賊について教えてくれよ」


「興味あんのかよ、女じゃ仲間にはしてもらえねぇぜ」


眉を寄せて少年がツンと言い放つ。不機嫌とは違った、どことなく心配するような眼差しに良いやつかもな、と思う。テントの中は茣蓙や毛布のようなものを敷いて床にしていて、生活用品を隠す場所もない。それらを観察して、おそらくここで暮らしているのはこの少年だけではないだろうとアタリをつけた。善良そうなのに、盗賊に加味し、心もとない食事を必死に運び、セシリアに絆される少年。


(こいつ、守るべき存在がいるな)


少年とのいくらかの問答と、盗賊の存在、街の様子、この川の様子。

俺は少なくともこの街にまともな警察組織やそれに連なる存在はないと見た。


方針を変えよう。

俺の知らない、前のセシリアを知るものは少ない方がいい。


「女が盗賊に乗り込んだら慰み者にしかなれないだろ、行かないさ」


少年はどことなく安堵した顔をした後、生意気そうにうなずいた。勝手についてきたセシリア相手に居所を教えて、追い出さないあたり、このまま押しても問題なさそうだ。だが俺はそこまで悪辣でもない、そろそろ対価を見せておきたい。


「教えてほしいことがある。ただとは言わない」


「はぁ?なんだよ、お前手ぶらじゃねぇか」


「とりあえず、綺麗な水はどうだ」


掲げた手で水を出し、それを宙でとどめる。まるで宇宙空間で水を撒いて遊ぶような、無重力のそれを美しいと俺は思うが、少年は唖然とした間抜け面をさらした。これは賭けだった。果たしてこの魔法とやらが、どれくらい周知されているものなのか。もしも、秘匿技術であったり、属性によって差別対象になるのなら危険だった。また、貴族の間で独占された知識で貴重なのか、一般人の生活にも根差されているぐらい普及しているのかで今後の魔法使用について考慮する必要がでてくる。


(この反応は単純に驚いている、でいいのか)


「おまえ、貴族なのか?」


「貴族がこんなとこにいると思うか」


「じゃ、じゃぁ・・・ご落胤ってやつか。そういうのは高級娼婦だけだと思ってたけど。でもそうか、お前攫われてきたんだもんな」


「あぁ」


よくわからんが少年の中では攫われてきたことで決定したらしい。思考の浅い人間は勝手に辻褄を合わせて自分の理解の範囲で納得してくれるから楽だな。


反応をみる限り、少年は狼狽えていたが特別に忌避する反応は見せなかった。むしろ、だされた水に興味津々で、飲めるのか?と聞いてくる。報酬として出したのだ、味見程度に飲ませてみれば、美味しいと感動していた。そうか、俺は普通の水だと思ったが少年には美味いのか。推察するに泥水をそのまま啜ってそうだ。そりゃぁ美味いだろうとも。


「何を教えればいいんだ」


どうやら魔法は一般人も認知しているが貴族が独占状態にあってそこから外れた一般人魔法使いもいなくはない、そこそこ貴重といった感じか。かなりいい状態だ。魔法を使った瞬間に悪魔と罵られることも覚悟していたが、よかった。この力は金になる。俺は内心でほくそ笑んだ。


◆


知らないことは知らないと言ってくれて構わない。と言えば質問の大半は知らない、だった。だがそれはつまり貧民街にいる子供は知らなくても普通、という基準になる。きまりの悪そうな顔をする少年に俺は怒らなかった。


常識的な質問と、この川の下のこと、ある程度必要な知識はいれたあたりで切り上げた。報酬を水がめにゆっくりと溜めてやり、お互い少し気が抜けたタイミングに切り込む。俺が一番聞きたかったことだ。


「盗賊たちは、貴族の屋敷を襲わないのか?あの屋敷目立ってるだろ」


「馬鹿だな、貴族の屋敷には守りの結界があんだろ。よく知らねぇけどさ。とくにあの家は聖女がいるから結界が強いんだ」


「ふぅん、その守りの結界ってのはなんなんだよ」


「ボスが言ってたんだ。貴族とか金持ちの家には守りの石ってのが埋め込まれてて、大事にされてんだと。それを壊せたら結界が壊れるんだけど、あの家は聖女がいるから結界が強くて無理だって。いつもなら使用人を脅したりして石を汚させたり壊すよう命令するらしいんだけど」


「汚すだけでいいのか?」


「綺麗じゃないとダメなんだってよ。穢れると勝手に壊れる」


ふぅん、と俺は守りの石を想像する。


「あ、そうだ」


「なんだよ」


「お前、名前は」


「・・・レードル」


また来る、と言って俺はレードルのテントから立ち去った。


一旦帰ってきた俺は誰とも会わないようにしつつ、水晶のある水場へと向かう。誰もいないことを確認して、その水場へ身体を投げ込んだ。服ごとだ。


ごぼぼ、と肺の空気を水中で吐き出して、苦しくなったら顔を出す。それほど深くもない。勢いよく水を跳ね飛ばしながら立ち上がり、ばっしゃばっしゃ顔をこすって服も揉み洗う。


「くそっ鼻がいかれたな」


身体に貧民街の臭いが染みついているのがわかる。風呂に入りたいところだが、湯舟だの追い炊き機能だの気の利いたものはここにはない。ましてやセシリアに使わせてもらえるはずもない。ならば水であろうと全身洗いたければここが一番だ。綺麗なのはわかりきっているしな。ここが飲み水場?知らんな、俺は魔法で水が出せるから興味ない。それに水は常に湧き出てるのだ。しばらくすれば入れ替わってるだろう。


「浄化の魔法かなんか、あるだろ。覚えたい」


現代的衛生観念に慣れ切った日本人の精神からすると頭痛のする場所だった。貴族共が貧民を汚いから近寄るな、と差別しているのを見てもそりゃそうだろうな、と今なら納得するだろう。


「ふぅ・・・」


ため息を吐いて、顔を上げれば耳鳴りがした。

水が入っただろうか、と思ったがそうではない。皮膚がひきつるような感覚、これは魔力の揺らぎだな、と思った。ふと頭上をみる。円形の屋根があるだけだが、キラキラと舞うものが見える。いや、見えているのだろうか。感じていると言えばいいのかもしれない。目には見えないものだ、言われないと意識できないものだ。これは、結界か。ぴりぴりと肌の上を魔力が滑るようだ。そしてその魔力はこの水場・・・水晶から感じる。


まさに完璧に美しかった水晶は、どことなく曇ったように見えた。


「これが、守りの石か」


なるほど、と思った。そして、こんなにも簡単に穢れるのか。笑いが漏れる。

結界が揺らいでいるな。


思いつきで曇った水晶を綺麗になるようスカートの裾で磨いてみれば、元の輝きを取り戻し、そして結界も整ったように感じられた。腹の底からゆっくりと笑いがこみあげてくる。


聖女である自分が綺麗にすれば輝くが、汚そうと思えばそれはそれで容易で、結界もすぐにほころぶ。結界を破壊するなんて楽なものだ。たまに食事に出されるドブネズミの死骸を、持ってきてやろう。きっとすぐに壊れる。


「ふ、はははは」


この屋敷を守る石とやらを探すつもりだったが、手間が省けた。

これだ。確信をもってそう言える。


◆


「発火」


適正でないため魔法は使えない。だが食堂で置きっぱなしになっていたライターらしき存在を使えば簡単に勢いよく炎が立ち上る。青と赤を行き来する不思議な炎はあらかじめ撒いていた油をなめていく。残念ながらガソリンではないのでその勢いはゆっくりだが、まぁ周囲は木々が豊富だ。直に広がるだろう。ついでに洗濯用の乾燥魔法をそこらにかけていく。これは水分を蒸発させるので水魔法になるらしい。絨毯も壁紙もカーテンもよく燃える。


「きゃぁあああ!!いや、いやぁあ!」


「命だけは、命だけはっ」


「貴様らここをどこだと思って!」


いくつもの悲鳴が下の階から響いてきた。順調なようだ。自分の近くにまで炎が立ち上り、酸素も薄くなってきたので、移動をする。酸素も薄くなっていたので少し離れた冷たい空気に大きく深呼吸をする。屋敷内は隠れていくつか火の手を上げた。


「あっつぅ、次は外かな」


窓の外から炎を落としていく。広げていた飼い葉が燃えていき、しばらくすれば屋敷全体が炎に包まれる。外へ逃げられなくなったことに気づいたらしい者たちからさらに悲鳴が聞こえてくる。


「誰だ火をつけやがったのは!」


「俺たちじゃありやせんぜ、プーンさんっ」


燃えていく絵画や金目の物に盗賊どもは予定外だ、と舌打ちをした。殺した使用人の懐中時計やアクセサリーなどをまさぐっていた男も煙に驚いて逃げていく。女と馬車だけは奪っていけ!と指示を出していく。その中にはレードルの姿も見えた。


「いやぁああ!!助けて!やめて!」


綺麗にまとめられていた髪の毛を乱し、血が出るほどに悲鳴を上げている女は、どうやら妹のブランディーネのようだった。殴られたのか鼻血も出ているしよくわからない。ドレスを裂かれて腕から血を流しているし結構抵抗したのだろう。お父様!お母様!と叫んでいるが父親らしき男は廊下でさっき衣服を剥がれた状態で転がっていた。炎にのみこまれても抵抗していなかったし、魔法が使えそうな厄介なのはとっとと殺されたのだろう。母親は隣の馬車に連れ込まれている。妹も母親も魔法は使えるんじゃなかっただろうか?魔法を封じる方法もありそうだ。


「お、撤収か」


火が回ってこない守り石の水場から観察していると馬が手に入ったことに大喜びしている盗賊が鞭を振るって馬車は走り出した。予定外の火の手に、とっとと撤退とするらしい。盗むものの最優先は飯と酒のようだったし、食糧庫は教えておいたから問題なく奪っていったようだ。ブライダルカーの空き缶のように括り付けられた使用人が引きずられていき、血の跡が道を作っていく。あれには何か意味があるのだろうか。


貴族の屋敷のキャンプファイヤーに楽しそうにしている盗賊はまだ何人かいたが、しばらくすればぞろぞろと馬車を追いかけていき、後には燃え盛る音と夜の静寂がやってきた。周りの住人たちは盗賊が騒いでいたからか、ちらちら窓から様子を伺っている姿が見えるが、静かなものだ。それはそうだろう、うっかり外に出て巻き沿いは食らいたくないだろう。


ちらりと視線を落として水場の石・・・結界の要であった守り石をみる。見事にドブネズミの血に汚され、今は小さくヒビがはいっている。


結界が壊れた時、誰も気づかなかった。魔法を使える家族はいないから、魔力の揺らぎに気づくものはいなかったのだろう。音もなく、静かに溶けるように自分たちを守る結界が消えていく。タイミングがいいことに、直後くらいに家族は帰宅した。賭けだったのはその時点で結界の消滅に気づかれるかということだっただが、これも俺に都合がいいことに、スルーされた。


着替えなどの荷物と金になりそうなものを持ち出して土に埋めていた俺は土まみれのまま出迎え、嫌味と自慢、叱責を食らった。あとは盗賊を待つだけだと心から笑みを浮かべて歓迎した。


俺は守り石の存在を確信した後、次の日にはレードルのもとへ再度足を運んでいた。


「お前は盗賊の頭に情報提供するだけでいい」


そう言い放った俺にレードルは難しい顔をした。


「あの貴族の屋敷の結界を破れるって情報だ。お前の手柄にしていいぜ。褒美ぐらいもらえるかもしれない」


「嘘だったら俺が殺されるんだぞ」


「信じる信じないは任せるさ。時間も多少ある。貴族どもは今、留守らしいしな。あと一週間後ぐらいに帰宅するって話だ。運よくそのタイミングで襲えれば王宮からの土産をたっぷり持ち帰ってるぜ」


「お前のメリットはなんなんだよ」


「ふん、あえていうなら復讐さ」


「あぁ、お前ご落胤だったか・・・いいぜ、のった。お前が結界を壊せるんだな?」


自信をもって頷く。

話はそれで成立した。結界の破壊が確認され、屋敷の人間も気づかず問題がなさそうであれば、すぐにレードルへ教えて、一昼夜もしないうちにこうして屋敷は燃えることとなった。


(後始末はしないとな)


明日、レードルと落ち合うことになっていた。成功したら少しばかりの報酬をくれるという話になっていたし、そうでなくても生きたままの使用人や妹の口から俺の名前が出たりしたら問題なので確認したかった。


屋敷はいまだに燃焼中。夜であるし、寝る場所はない。俺は水場の屋根の上でごろりと寝ころんだ。寝心地は最悪だが、キャンプファイヤーで夜なのに明るいし、温かいし、まぁうたた寝くらいはできそうだ。


肉の焼ける臭いに、なんの感情も浮かばなかった。


◆


「レードル、うまくやったな」


「お前か!巻き込まれたかと思ってた、大丈夫だったか?皆大収穫だって喜んでたぜ!」


盗賊の根城があるだろう森の入口、人のいない早朝にレードルの明るい声が響いた。腰には少々派手な短剣がつるされていて、おそらくは戦利品だろう。草木をかけ分け出てきた藪の向こうには獣道が続いていた。たどっていけば根城へつくだろう。


「攫ったやつらはどうした」


「あー、売るやつ以外は玩具だな」


「聖女とその母親もか」


「あぁ、あいつらな。一番貴重なのはわかってるんだけどよ。聖女とか売り先が逆にねぇってんで親子ともども使いつぶすんだと。だからまぁ、ボロボロだよ」


レードルが話してくれた内容は、攫われた使用人はすでに可愛がられて何人かは死んでいて、売られる予定のやつだけまだ地下牢。そして貴族であるが故に売るのが面倒な親子はまだ玩具として生かされている。


「お前も根性悪いよな、見たいだなんて」


「当然だろう、復讐なんだぞ」


「仲間に見つかるなよ、お前見目は悪くないんだから、見つかったら玩具の仲間いりだぜ」


俺はかばえないからな、と忠告してくれるレードルはいいやつなのだろう。


正直、復讐の心などなにもない。だって復讐を考えるほど愛着も思い出もない。ただ俺になる前のセシリアを知っている人間は消えてほしかった、それだけだ。

だが、まぁ・・・虐められていたセシリアはきっと満足してくれるだろう。身体を奪ってしまっている詫びだ、詫び。


「ほら、あそこだ」


少し大きな山小屋といったところだろうか。見た目はボロボロだが、作りはしっかりとしている。外には円形に石を並べて作った焚き火がいくつかあり、その周りに何人か横たわっている。死体ではなく、レードルいわくただの酔っぱらいだ。それだけなら春の歓迎会シーズンの道端と同じだが、一人二人裸に剥かれた女が一緒に倒れているのが、悪夢のような光景だ。


「小屋のなかにいるんだな」


「あぁ、っても中に入るにはドアを通るしかないぜ、窓もねぇし・・・たぶん地下に入れられてるだろうしさぁ」


まぁ皆寝てると思うけど・・・、とセシリアが見つかる心配をするレードルに、いい子だなぁと思う。先導するレードルは無防備に背中をみせ、するっと近づくセシリアをなんの警戒もしない。今回の戦利品だと見せびらかしてくれた短剣は持ち手は派手だが、ただの革の鞘、音もなく引き抜けた。


幅広な短剣は子供の首などさっくりと切り裂いてくれた。大声を出されても困るし、抵抗されてはこの少女の体だと不利。頭を押さえて裂いた傷口を大きく広げて派手に血抜きをする。数回の痙攣のあと、レードルは足から力も抜け、くずおれていく。そっと地面に倒し、見つからない場所へ引きずった。


「いい剣じゃないか、ありがとうレードル」


続けて呑気に外で眠りこける酔っぱらいどもも一突き、一突き丁寧に殺していく。起きないように致命傷を与えていけば、イビキも聞こえない静かな森へとなった。


残るは小屋の中か、と入り口へ視線をやった。


貴族の屋敷を襲わせたのがセシリアだとどこからか漏れてしまっては、なにかしらで不利になる可能性があるので、まとめて全部殺しておきたかった。ましてや使用人の何人かはそのまま売るだなんていうのだ。この街をみる限り大がかりな警察的な組織は見当たらなかったので、このような大胆なことをしたが、もし万が一村の組合レベルでも捜査をする機関があれば、証言者を残しておきたくない。永遠に口を封じておきたい。


レードルが先ほどいっていたように、窓ひとつないので中の様子を伺えない。入り口から入って大丈夫だろうか。血のにおいで野性動物などが寄ってくる可能性や、中にいる人間が外に出てきて騒ぎになる可能性、浮かんでは消えて、やはり時間をかけるべきではない、と思う。幸い扉の鍵から取手の部分は壊れていた。おそらくは盗賊たち自身が<引っ越し>の際に壊したまま、といったところか。


慎重に、音もなく扉をわずかに開けて覗きこむ。灯りはついていないようだ。玄関口は壁を挟んで斜め奥にもう一部屋、物音はしない。死角が結構ありそうだ、と判断して屋内へ侵入した。短剣だけでは心もとないのが、扱いきれない武器をいくつも持っても無駄だ。


小さい寝息が聞こえる。二人ほど男が毛布などを被って雑魚寝をしていた。だがその奥にはまだ部屋が続いているらしい。扉はないが、ぼんやり光が灯っているのが見えた。耳をすませば物音も聞こえる。俺はより物音などに気を付け、毛布を被っている上から短剣を深々と首を一回、胸骨を避けて胸を一回、暴れられて隣の男が目を覚ますのを警戒しながらの、少々苦しい態勢だった。


「あーあ、しばらく使うっていってたのによぉ、もう全然反応しねぇぜ」


寝ている二人を殺した部屋の奥には、暖炉がありよく見えた。はしゃぎすぎだろ、と独り言をぶつくさといってる小太りの男が背中を丸めながら腰を揺すっている。男と、なぶられている女、それ以外はよくわからない。ソファに一人ぐらいいるかもしれない。

だが物が多くて隠れる場所に困らない。小さな体をさらに小さくして俺は移動した。


振り向く前に、やる。力の差を埋めるために大きく振りかぶって喉を狙った。

男は半裸で、武器も携帯していない。背後から首を狙ったが、他の人間たちより脂肪が多かった。そして意外と体格もあったようだ。抵抗され、振り払われた。やはり起きている人間を狙うのはまずかったか、と俺は軽率さを反省した。


まだ生きている仲間がいたらまずかったが、男の悲鳴と応援を呼ぶ声に反応して駆け寄ってくるものは誰もいなかった。ラッキーだ。盗賊は残るこいつだけという証左だろう。


「な、なにもんだガキ・・・!どっから」


即死とはいかないが、そこそこ深く切りつけられたのだろう、男は喋り辛そうに、げほっと血を吐いた。喉元を押さえる手の隙間からぼたぼたと血が漏れ出ていて、このまま失血死してくれないかと思った。男は下半身丸出しのままドタドタと距離をとろうとソファの後ろまで下がった。視線が武器を探しているが、残念ながら床に転がっている。無防備に手を伸ばすことはできない。


俺もまた、身体的にも武器的にもリーチが短い。このまま膠着状態になるかと思ったが、ふと基礎的な魔法でも殺せそうだな、と考えめぐった。


試して見よう、と腕に魔力を込める。最初ブランディーネに水をかけられた時、呪文などはなかった。本で勉強してわかったのは、呪文は方程式のようなもので、口に出してもいいし、そうでなくてもいい。発動は魔力のみがものをいう。俺はずるり、と心臓から指先まで魔力をひっぱりだすイメージで動かした。人の頭ほどの水球を出現させ、男の頭へどぼんと沈めた。魔力をといてただの水とするのではなく球体を維持することさえできる。無言で、なおかつ少し遠い場所にも魔法を出現させられ、形も思うまま、なんて便利なのだろう。


パニックになった男は俺に向かって腕を振り回して突撃をしてこようとした。だが、ごぼごぼと何をいっているかわからないし、暴れた拍子になにかにつまずいて転んで、結局子供のように床でじたばたしているだけで、そのまま動かなくなった。


「もしかしてこいつがボスだったかな?」


クエストクリアだなと思ったが、まだ地下牢なるものを見ていない。見張りがいるなら面倒だしさっさと行くか、と疲労感を無視してしゃがみこんでいた状態から立ち上がってストレッチをした。


あ、そういえば。と暖炉の前に転がった女を見下ろした。この騒ぎのなかでもピクリともしないのですっかり忘れていた。


ざんばらに切られた髪の毛に、あちこち変色した肌、首に剣をあてられていたのか、浅い切り傷がついていて、これがブランディーネだと言われても俺は正直自信をもって肯定ができない有り様だった。顎が外れかけているのか、妙に半開きのままの口もとからは、かすかに呼吸がされていて、生きていることに感心すると同時に同情してしまった。なに、俺もいまはセシリアという女の体なのだ。一歩間違えれば可能性はある。


ソファの影に転がされていた母親らしき女は、遊び終わったということなのだろう。さらに悲惨な状態で死体となっていた。


この手の輩は見目の良い女を好むくせにすぐボロボロにするのはなんなのだろう。自らの手で壊すのが良いとか、そういう話なのだろうか。そんなどうでもいいことを思いながら、可哀想に、と一思いにとどめをさしてやる。


◆


地下牢は見張りがおらず、まだ元気そうな使用人がセシリア様!お嬢さま!と涙ながらに牢のなかから手を伸ばしてきていた。鉄柵の奥にまで短剣は届かないし、と仕方なくそのまま地下牢と山小屋は燃やした。外の酔っぱらいたちの死体も一緒に小屋に放り込んだし、森で生活する上で薪もしっかり備蓄されていたので、よく燃えた。一部森に燃え移ったのが計算外だったが、風向き的に帰り道は安全だったので問題ない。


血まみれの衣服をどうするか考えていなかったので、汚い盗賊どもの衣服を一部ちょうだいすることとなってしまった。臭くて残念だが、貧民としてなら目立たないだろう。


屋敷まで戻ってくると、そこには立派な屋敷はどこにもなかった。ぷすぷすと燃えかすの柱や崩れた石壁などが跡に残っているだけで、中々綺麗に倒壊していた。


(さて、どうしようかな)


ここで逃げればセシリアも盗賊に攫われてともに死んだことになって万々歳、でもかまわないが、少女の一人旅は治安面で不安であるしあらゆる点で不便そうだ。


ではここにとどまって、盗賊に襲われた!どうしたらいい?と保護を求める。しかしそれでは貴族の女としてどこかに嫁入りとか、貴族の責務でがんじがらめにされそうな予感がする。


のんびりとそう考えながら、土に埋めて避難させていた荷物を探す。どちらにしろ最低限の荷物は必要だろう。焼けて結晶化したキラキラの土を靴でよけながら、目印を探して掘り返す。スコップが欲しいがそんなものはないので、そのへんの板やガラスだ。


「セシリア?!セシリアなのか!」


ひと段落ついたと思って、気が抜けていたのだろう。背後に人が寄ってきていたのも気づけず、大声で呼びかけられて驚いた。振り返った視線の先にはなんだか儀礼用の軍服じみた格好をした男がいて、真っ青な顔で金髪を乱れさせていた。派手な顔だ。絶対に会ったことはないと確信できる。だがこいつはセシリアと名前を呼んだ。


「あ、あの・・・」


「ブランは、君の妹はどうしたんだ!このありさまは、何があった!」


「妹は、盗賊に攫われて・・・」


「あぁなんてことだ!盗賊に?!ならどうして君はここにいるんだ。一人だけ隠れていたとでも?まさか君が彼女をいじめているのは本当だったのか、こんな、あぁブラン・・・助けに行かないと!」


身振り手振りが大げさで、一人で演劇でもしているのかと呆気にとられてしまった。そんな俺をどう思ったのか、何をぼぉっと突っ立っているんだ!なんて声を荒げてくる。


「僕の護衛騎士が後から追ってくる、そしたらすぐに盗賊の元へ向かう。君、案内できるな?」


「あなたは何故ここに・・・」


「報告がまだだったか、僕はブランとの婚約のためにきたんだ。馬車でこの屋敷が燃えていると聞き、いてもたってもいられず魔法を使用して先行した」


怒りと悲しみを耐えるように眉間にしわを寄せて語る男。面倒だな。あとからこの男の騎士?とやらが追い付くのか。しかも魔法を行使できる。男は俺を睨みつけて、さぁ今度は君が話す番だと促す。だが、話せることなど何もない。警戒されても困る。なんとか世間話程度に収めるべきだろう、と意図して柔らかく微笑んだ。


「私も何がなんだかわかっておりません。目を覚ますと部屋は炎に包まれておりまして、服にも火が付いてしまい、仕方なくこんな恰好を」


「・・・まさか死体からはぎ取ったのか」


「ええ、他にありませんでしたので。ブランも母も盗賊に連れていかれまして、父は真っ先に殺されておりました。夜でしたので盗賊の行方はわからないんです」


「・・・なぜ」


「何がです?ブランはおりませんし、屋敷もこんな状態です。もてなせませんが、立ち話もなんですから移動しましょう。素敵なお召し物が汚れますよ」


「なぜ、笑っていられる!お前、家族が心配ではないのか!ブランが、ブランがどんな目に合っているかと・・・!くそっお前が攫われればよかったのに」


「あぁ、言わんこっちゃない。服が白いから煙のススがついてしまっています」


男は、どことなくかみ合わない会話に初めて恐怖を抱いたようで、一歩後ずさりした。柔らかい微笑みは初めて少女を美しい造形だったと気づかせたが、似つかわしくない状況によっておぞましいものに思えた。ブランの姉は、冴えない女だったはずだった。無能だと評判だった。それが、目の前のペラペラとしゃべり続ける女はなんだ。前に一度顔を合わせたときはこんなのではなかった、と汗がこめかみを伝った。


「そちら軍服でしょうか、しっかりした生地のようで」


「・・・ほ、んとうにお前はセシリアなのか」


男は震えた指で帯刀した剣に手を添えた。ガチャ、と音がしたタイミングで、微笑みは絶やさず、俺は一歩で距離を埋めた。


「あなたには、ネクタイがお似合いだと思いますの」


貫くほど深々と刺す。少しの目くらましに水魔法を使えば、さっくりと短剣は顎下の柔らかい部分へ刺さった。詰襟部分は邪魔だったので避けたらそうなっただけだ。身長が高い分狙いやすかった。ごつり、と上顎で止まった感触、そのまま乱暴に剣を喉まで裂けば、血しぶきを上げて倒れた。長い剣を引き抜こうとしたポーズのまま痙攣していた。


短剣を引き抜けば、裂いた喉からでろりと舌が引きずり出された。白い軍服の上半身は真っ赤になり燃えにくそうな状態になった。すぐに護衛騎士とやらがくるなら、この死体は隠したい。引きずるとバレるだろうか、と服を引っ張ったところで、胸の勲章にあるシェイマスの文字に気づいた。


(あ、こいつ王子か)


いつだかブランが言っていたシェイマス王子か、と思い当たり頭を抱えた。先ほどまで考えていた盗賊に襲われましたと言って保護される計画は取り消し線を引いておく。一家は盗賊に襲われ全滅、その盗賊もどうやらアジトが燃えて全滅、先行して様子をみにきたシェイマス王子はショックのままに燃えた屋敷の崩落に巻き込まれた。雑だが、まぁこれでいいだろう、とあらすじを修正していく。


まだ燃えている屋敷の柱や建材を王子の死体へ落としてもう一度火をつけておく。完全に燃えるかどうかを見届ける暇はない。さっさと離れるべきだ。王子が来る前までしていた荷物を掘り返す作業を急ぎ、護衛騎士とやらに見つからないように川へ向かった。どこへ移動するかは決めていないが、まぎれるならば川の下、貧民街だ。まともな戸籍もない世界のようだし、貧民は数が多い。裏社会とのつながりも大きい。わざわざ貧しい暮らしなどに甘んじたくもないが、一時的に身を隠すならばベストな選択だろう。


ただ、まずは、消臭呪文を調べるところからだ。


◆


汚い布の服をきた庶民に、奴隷に、スラムの子供たち、がやがやとした人通りにずっと眉間に皺を寄せたままとれなくなりそうだった。気高き白い神官服が汚れぬように人を縫うように慎重に歩いた。準一級神官のグラムにとって、こんな朝市は仕事場でもなければ買い物に近寄ることもない場所だ。あまり治安のいい市場ではないし、海が近いから船乗りなども多い。


「おっ神官さん悪いね!」


「いいえ、良きご加護を」


魔法杖をもつ右側にぶつかってきて、そのまま気安く笑って通り越していった男は、スリではないようだったが、上半身裸で、荷物も担いでいたし、配達系の仕事だろう。残り香のように汗臭さが鼻について、吐き気がした。


(まったく、何故私がこんなとこへ)


不満と苛立ちが募るが、仕方ない。あまりにも最近噂が広がりすぎていて、教会の運営にも支障が生じている。グラムは噂の真偽の確認とあわよくば聖女の確保をしにきたのだ。何人かの第三級神官が噂を耳にして、勧誘へ赴いたらしいが接触できなかったようだった。どうも商人が聖女を匿っているようだという。


不治の病が治った。欠損患者が五体満足になった。奇跡の光が漏れ出ている。だというのに、教会よりも安い値段で、なおかつ食料などの物品での支払いも受け付けている。


眉唾物だ。そこまで強い力をもつものが、こんなところで育つわけがない。魔法とは才能や力があれども魔法の基礎を学ばねば宝の持ち腐れとなる。そして魔法の基礎をきちんと教えられるのは貴族階級か、教会だけだ。


(そういえば橋の向こうの貴族が盗賊に殺害されたらしいな、あの家にも聖女がいた)


もしや実は死んでおらず、ここまで逃げてきたのではないか?とグラムは少し考えたが、すぐに考えを消した。橋の向こうとは言ったが国境が跨ぐことになるし、結構な距離がある。盗賊に襲撃されて着の身着のままでは無茶だ。


やはり一番可能性が高いのは貴族ご落胤からの隔世遺伝で貧民から聖なる魔力が発現し、それをいち早く察した商人により多少の手ほどきを受けた、といったところだろう、噂は大げさになるものだ。ましてや教会よりすごい、などと不遜な噂があるのでは、取り締まらねばならない。


(ふむ、この辺りだという噂だが)


少し人通りの少なくなってきたあたり、店ではなく住居ばかりになってきたのだろう、狭いスペースで畑などがある。ここらの貧民が勝手に作った畑で、しおれた人参のようなものが植わっていた。きょろきょろと視線をやって話の聞けそうな人間などを探す。


ちょうど大荷物を背負って横切る男が目についた。荷物の重みを表すような重い足取りに、何度か大きく深呼吸をしていた。その右手には小さな子供の手を引いていた。子供は小枝かなにかのような手足で、ふらふらと引っ張られていた。よもや誘拐かと思ったが、不安そうにぐずっている子供を勇気づけるように大丈夫、大丈夫と男は何度も繰り返していた。


「オルゴールをもってきたんだ。コンロさんはその場で品物を買い取ってくれるから、ちゃんとそれで治療を受けられる、とんでもない聖女さまだというよ」


その後に続いた台詞は大変気に食わないことに教会との比較で大変罰当たりな内容だったので、グラムは青筋を立てつつも一旦保留としておくことにした。まさか教会を銭ゲバ呼ばわりとは。金のない人間は金がないだけの態度が必要だというのに、なんと横柄な人間だろうか。男が背負っているようなガラクタを広げて治療をしろなんて、無茶なことをいうやからはたまにいるが、もちろんゴミを持ち込まれても困るので拒否している。それならきちんとお布施をしてくれる信心深い人間を治療するほうが、“正しい人間を”救うことができるというものだ。


それはそれとして、どうやら大当たりだったようだ。

男がこそこそと入っていったのは住居兼商店といった様子の裏口だった。扉の前で聞き耳を立てたところ、ガラクタをその場で買い取り、それに見合った治療をするという形らしい。なるほど、商人の強みだなとグラムは納得した。そしてその相場はおそらく教会より安いのだろう。


(コンロとか言ったか・・・ここは古物商か?)


扉近くから気配が消えたので、もめることなく治療のために奥へ行ったのだろう。少し離れて表口へ回った。看板はあるが、古くかすれてよくわからない。首をひねっていると、突如として閃光が窓を貫きあたりを包んだ。


一瞬のことだったので、グラムは頭がついていかずチカチカと立ち眩みがしただけなのだと頭を振った。音もないし、体感としての衝撃はなかった。なんてことはない汚い店の入り口がそこにあった。ただ、窓の向こうで泣いて喜ぶ声が漏れ聞こえてきたのに気づいてしまった。グラムは、平静を装いながらいつもより激しく活動する心臓を手で押さえた。


奇跡が起きたかもしれないと思った。


未だにはっきりとしない明滅した視界を、何度か眉間をもみほぐしながら入口の監視を続けた。しばらくすれば泣いて喜びながら感謝を述べる親子が出てきて、ぺこぺこと頭を下げながら帰路についていた。その時に窓辺に少女が現れたことに気づいて、グラムは確信した。その少女が聖女なのだと。親子を見送るように眺めるその静かな表情は美しく、身なりが少々みすぼらしいが十分な器量があることがわかった。俗っぽい言い方をすれば貴族顔だ、と思った。


必ずこいつを取り込まねば。


グラムは踵を返して、一度教会へ報告することに決めた。まずはあの商店からからめとらねばならない。それは神への信仰心であり教会への忠誠心という強固で純粋なものだったが、獲物をいたぶる肉食獣の笑みでもあった。


◆


列車や、遠くへ行く移動手段もなく、また他国の事情などもいまいち入ってこない。不衛生さもそうだが、情報の少なさに、とりあえず誰かに拾ってもらおうと思った。


当初、貧民街に紛れてしまえば移動していてもバレないと考えていたのだが、甘かった。やつらは人が消えても気にしないが、人が増えるとしっかりと警戒してくるのだ。


自分もしばらく貧民街に拠点をおいて、馴染み始めたときに実感した。面子がほとんど変わらないのもあって、よそ者ってのは意外と目立つのだ。貧民街の人間はすみ分けや縄張り意識が強く、誰がいなくなった、誰が死んだの噂が回るのが速く、見慣れないやつがいる、という場合、どこから流れてきたのか、関わっても大丈夫なのか、金ズルになる獲物なのか、そうやってコミュニティを利用して探りをいれられる。


特に俺のようにそこそこ身ぎれいにしていると特に。しかも女だ。ちょっと想像できない頻度で危ない目に合った。しばらくナイフを手放せなくなってしまった。一体何人の目撃者を消しただろうか。もちろん誰かがいなくなったというのもそれなりに目立つので、俺はふらふらと放浪していた。


山賊と家をとっとと潰したことは早計だったかもしれない。そう思う程度に貧困とは不自由だった。空っぽの胃袋を押さえながら、俺は炊き出しでもやっていないか、淡い期待を抱いて教会らしきところへ行った。この世界の宗教ってものが気になったのもある。


一目見て、駄目だなと思った。

金のかかった立派な、おそらくこの世界の基準で最新の建築技術で作られた豪奢な教会は、どうみたって浮浪児は立ち入れない。誰にでも開かれし聖域なんていう類ではない。小汚い金のない信者は、教会前に敷かれたカーペットに並んで、五体投地のような大げさな動作を繰り返し祈っていた。やつらが何に祈っているのかわからないが、中に入れないことに何も思わないのだろうか。


なんだってよかったが、少なくとも福祉的な生業はしてなさそうだった。舌を打って、魔法で出した水で飢えを我慢する。


教会という存在は、この目立ったもの以外見つけられなかった。軽く情報を収集した感じ、他にもたくさん宗教があるというわけでもなさそうで、もしかしたら国教が定められているのかもしれない。


軽視していたが、聖女という称号は教会に関わりあるのだろうか。


知識が欲しい。常識が欲しい。知らないと何もできない。

そして、求めている知識はおそらく教会にあるのだろう。得てして宗教と学問は密接な関係がある。


「教会はすり傷にだって金をとるんだ」


「あいつら、病気は治せないって金だけとっていきやがった」


「いくら積んでも俺らみたいなのは、四級のやつらの練習台だよ」


ちょっと話を聞くだけでも、出てくるのは不平不満ばかりだ。だがどうにも治療って行為は教会でしかできないという認識らしく、そういえばこの世界で病院の類はみたことがない。薬草を大量に軒先につるしている家はあるっちゃあるが、あれが薬草屋や治療関連の施設だったのだろうか。


教会に直接拾ってもらうというのは、専売特許らしき怪我の治療、聖女としての力を売り込めばできるのかもしれないが、危ういとも思った。すっかり忘れていたが、俺は王子を殺しているし、魔法は貴族しか使用できないとなるとどの貴族かと調べられる可能性もある。


・・・面倒くせぇなぁ

頭を掻きむしってしゃがみこむ。髪の毛が絡まってぐちゃぐちゃになってしまい、指が通らずつっかえる。イラっとしてそのまま引きちぎりたかったが、深呼吸をしてから水魔法で汚れを落とした。一定の清潔さは保てるが、風呂に入った後の爽快感などは皆無。精神がすさんできたのを自覚する。


「おい、大丈夫か」


目の前に影がさし、なんだと顔を上げれば青年、というには年嵩の男がのぞき込んでいた。とっさに逃げるかどうか考えたが、その目がまっとうそうな光が宿っていたので一旦保留だと力を抜いた。


「こんなとこにいても治療は受けられねぇぞ、スラムのガキだろ」


そう男は忠告してくれた。たまにいるらしい。ケガしたガキがお慈悲をもらえるんじゃねぇかって教会前に座り込み、景観が悪いと追い払われることが。


俺は不安そうな顔面を作ってそのありがたい忠告を聞き、頷いた。教会に潜り込む方法はまた考えよう、と立ち上がったところで腹が悲鳴をあげる。


「怪我はどうにもしてやれねぇが・・・飯は少し用意してやれる」


男は口元だけでもそもそと言った。おいでよ、とも言わず俺をみるので恐る恐るといった風に行ってもいい?と聞けば男は無言で背中を見せた。着いてこいということだろうと判断して追いかけた。無言だが、ちらちらとみてくる視線に含むものはなく、ただ子供の歩幅に合わせてくれているようだ。


(こりゃ、とんでもない善人をひいたかもな)


運が向いてきたのを感じて、俺は賭けに出ることを決めた。

つれてこられたのは小さな古びた商店で、一見しただけでは物置かなにかのように見えた。雑貨屋、でいいのだろうか。男は待ってろ、と言って建物の中へ消えた。さすがに中にいれてはくれないようだ。むしろ入れられたら警戒せざる得ない。再び裏口らしき扉が開いた時、男はパンを二つほど持ってきた。俺は素直に受け取って、その場でかじりついた。チーズの固まりが混じったパンは久しぶりの固形物で、美味しかった。硬すぎないし、日はあまり経っていないパンだ。やはりこの男はお人好しだ。


「タカりにはくるなよ、ずっとは施せねぇ」


そんな言い方じゃ乞食はタカりにくるぞ、と思いながらも、もぐもぐと咀嚼に集中した。エネルギーがないと頭も回らない。そんな俺を眺めて、男はどことなく満足気に見えた。パンを一個食べ終えて、一息ついたタイミングで俺は口を開いた。


「なぁあんた、商人なんだろ。俺を商品にできねぇかな」


「売春の斡旋はしてねぇ」


「そうじゃなくてさ、怪我治すのは教会じゃなきゃ駄目なのか?」


嫌そうな顔のまま、男は首を傾げた。何がいいたいんだ、という目に促されて俺は話を続けた。


「俺もちょっとだけ怪我治せるんだ、でもこんな小汚いの教会が拾ってくれるかわかんねぇし、この力がどれくらい治せるのかもわかんねぇ」


お前、聖なる魔法が使えるのかと口を間抜けにあけて驚く男に、頷いておもむろに手をとった。男の手は小さな古傷が多くて、血のにじんだささくれも目立っていた。俺がそっと包むようにして握れば、ほのかな光の後に男の指は綺麗になっていた。その手を掲げて、男は震える声で聖女だ、と漏らした。


「なぜ・・・証明できれば教会は拾ってくれるはずだ」


「わかんねぇじゃん、追いかけ回されるのは勘弁だ。それに、どうせやるなら金になるほうがいい」


「治療は・・・教会の独占状態だ。聖なる魔法を使えるものは教会が囲っているし、おおっぴらにすれば、すぐに教会がつぶしにくる」


「教会が来たら俺が大人しくついていって終わり、でもいいんじゃないの。それまで儲けた金まで奪うとかはないよね?俺とりあえず衣食住がほしいだけだし、他はあんたが好きにしてよ」


「そりゃ流石にないが・・・別に俺じゃなくてもいいだろ」


「あんたが仲介してくれりゃ、怪しいガキでも仕事になるし。金になるように治療頑張るからさぁ、頼むよ」


あんたの不利にならんようにするから。ふてぶてしい態度に、男は頭を抱えたが、同時にわずかな希望がちらついた。胸に灯ったのは枯れかけた正義感と理想。貴族だけを教会内に招き、庶民は外で祈る光景、教会の壁に血まみれにもたれ掛かって死にかけている男を前に壁が汚れたと嘆く神官、傷だらけの孤児をいないものとして扱う信者たち、走馬灯のごとく脳裏をよぎり、そして押さえつけていた憤りが沸き上がってきた。なにもできぬ無力感をどうにかする手段が、目の前にふってわいた。


なんの力もないのに、人並み以上にあった正義感を慰めることのできる機会だ。少しばかり教会に一泡ふかせることができるかもしれない、とほの暗い感情がないとは言えない。


「・・・俺はコンロ」


「俺は・・・そうだな。いい感じの名前考えてよ」


聖女にふさわしい感じの。

二人は利害の一致を察して、しっかりと握手をした。


◆


眩しさに目がくらみ、何度も瞬きをして正常な視界を手に入れる。本当は目頭をもみ込んでしまいたかったが、聖女さまはそんな庶民臭い仕草はしないだろう。不細工な顔にゆがまないように気を付けながら、目の前の患者の様子を確かめる。


何が起こったかわからない、といった雰囲気の娘は首を傾げていたが、後ろに立っていた父親が涙声で治ってる・・・!と言えば、ようやく自身の背中が痛くないことに気づいたらしい。体中にあった湿疹も、背中にあった大きな傷もなくなっているのだと、手足を確認している。無邪気に治ったー!すごーい!とはしゃぐ姿に父親は感極まり抱きしめて、号泣をした。


「ありがとございます、ありがとございます・・・、おお、ソレルさま」


俺、セシリア改めソレル。

なんだそりゃ人名かそれ?と思ったが神様の弟子たちの一人の名前だとかなんとか。こっちの神話だろうか。よくわからんが聖女っぽい名前としては正解なのか、患者には様づけされがちだ。まぁ医者や治療イコール教会、信仰、の世界だし、自然とそうなるのかもしれない。


俺はなんと反応していいかもわからないので、アルカイックスマイルという名前の愛想笑いで逃げ切っている。満足げにしているのは隅に立っているコンロばかりだ。


SSRな善人の男、コンロはうまく俺を利用してくれた。


最初は俺の治癒がどの程度なのかわからず、まずは実験的に少しでも症状が軽くなればいい、という条件の患者を連れてきた。さっそくといわんばかりの早さでの患者確保で驚いたのだが、どうやらコンロの友人の娘だったらしい。


寝床から動かすこともできない患者だというので、わざわざ足を運ぶこととなり俺はそれなりに警戒していたが、全身大火傷を負っている少女にそんな警戒心は飛んだ。火傷痕が爛れてシーツは妙な汁まみれ、彼女からは異臭がした。喉も焼かれているのか、呻いている声も少女のものとは思えないほどだ。


生きているのが不思議だった。まともに処置もされていない、とコンロを見上げたが痛ましいものを見る表情は正しく誠実そう。その友人も涙ながらに心配していて、真っ当な人間に見えた。


(あぁ、医療的処置の方法がわかんないのか)


魔法でぱぱっと治すものという意識なのか、民間療法のようなものは広まっていないらしい。こんなじめじめした日当たりの悪い場所で熱に苦しんだまま、清潔さもない。俺は仕方ないか、と思いとっとと治癒の魔法をかけてやることにした。


(魔法がかからなかったら、一思いに楽にしてやってもいいが・・・)


いや、リスクが高いか。そんな風に考えつつ、俺は横たわる彼女へ手をかざした。聖魔法特有の光がぼんやりと彼女の皮膚を撫でるようにして輝き、うめき声が戸惑いに変わる。


「あったかい・・・」


「おぉ、なんという・・!」


心地よさそうに顔を緩める彼女の肢体を全ての光が滑らかに覆ったのをみて、男二人が感嘆の声をあげる。効果は目に見えて現れた。皮が剥がれてひどい状態だった彼女の身体はみるみる内に正常な肌が見えてくる。


俺は大きく深呼吸をして、汗を拭った。火傷痕のない綺麗な肌とまではいかなかったが、一旦いつ死んでもおかしくない状態からは脱出できただろう。最低でも瘡蓋の状態にはなった。


「すみませんがこれ以上は今の私では・・・」


「なんてこった!予想以上だ!」


「すげぇ、こんな重傷を・・・!やっぱりあんたは聖女なんだ」


感動の涙を流す親子と、興奮で息切れしたようなコンロ、三人で俺を囲み称えて感謝する。悪い気分ではなかった。熱と痛み、そして何かしらの感染症を併発していたらしい娘は多少動けるようになったらしく、その後清潔を保って順調に回復をしているという話だった。その時は実験的なものだったので、次からは有料だといいつけて、コンロと俺は帰って、これからの計画を二人で練ったものだった。


「ありがとう、ありがとう、俺の親友を助けてくれて」


コンロが涙ながらに感謝するのを見て、俺はこの善人はこれから熱心に尽くしてくれるだろうと確信した。コンロはかなり慎重に治療行為を隠蔽していたが、俺の目的は教会を呼び寄せること、噂は広まってくれなければ困る。なので治癒魔法を使用した際の発せられる光であったり、劇的な効果であったりという演出を派手にしてみた。


人の口に戸は立てられぬ。ましてやコンロはその持ち前の正義感で正しい患者を選ぼうとしていた。チンピラや悪い人間と判断されたものは依頼の途中で断る。もちろんそういった人間は断られること自体にプライドが刺激され、反発する。コンロを探ったり、治療の話が本当か真偽を確かめるためにコソコソと嗅ぎまわったりしてきた。


そうして、教会へ告げ口するものが現れるのも当然のことだった。


「何か欲しいものはあるか、ソレル」


「衣食住、全て満たされてますよ」


治療費に法外な値段は取っていない上、物々交換が多いようだったが、生活は他より少し豊かになっている。正直に言えばこの暮らしを手放しがたいと俺が思ってしまうほどだった。


「随分それらしくなっちまって」


「こっちのが聖女様っぽいだろ」


治療に関する雑務は全てコンロ任せ、何人もの患者を診てきた俺に治せないものは、既にほぼなくて、昔のように魔力が足りないということもない。効率的で演出が派手で治療は完璧、まさに奇跡のような治癒魔法へと進化していた。


そうして幸か不幸か、教会はきてしまった。


「捕えろ!聖女さまを御守りしろ!」


「教会か!」


「おい、金銭は発生していないぞ!剣を降ろせ!」


いつものように治療をしていた部屋へ、甲冑をきた男たちが突入してきた。

ドアは蹴破られ、待機していたコンロが倒れ、そのまま取り押さえられる。依頼人である付き添いの男も剣を向けられていた。甲冑をきた教会所属騎士以外に、非武装の神官も背後から現れ、浪々と歌を詠むかのようにここで聖女様が酷使されているとの噂を~と宣言をしたが、それを過ったのはその聖女たる、俺である。


「治療がまだです。完了するまで待機なさい」


患者の患部へ手を当てたまま、そうはっきりと言えば騒がしくなったその場の空気はわずかに制止された。俺はそれら周囲の様子を全て無視して、突然のことに驚きで硬直して怯えてしまった患者の肩を摩り、落ち着かせてから、いつもどおり治癒の魔法を使用した。


掌から柔らかく温かい光が溢れ、患者を包み込むようにいくつかの光球がきらめきながら取り巻いた。謎の発疹はみるみる治っていくのが目に見えて、完全に元の皮膚になる瞬間にカッと強烈な光に目がくらむ。


瞬きを繰り返し視界が落ち着くと、そこには泣いて聖女の手を握る患者がいた。そのさらけ出された裸体は痣一つない、間違いなく健康体。そんな光景は、まさに奇跡を描いた絵画のようであった。


「お待たせしました、神官さま。私ソレルと申します」


「・・・準一級神官のグラムです。この度は聖女様が不当に利用されているとのことでお助けに上がりました」


「それはありがとう、ですが私は私の意志で治療を善意で行っておりました。金銭の授受もなく、患者は全て知り合いのコンロを頼ってきた方たち、これは信者同士の互助であり決して教会の教えに反する行為ではありませんわ」


俺がそう言い切ればグラムと名乗った神官はちらりと取り押さえられているコンロへ視線をやった。コンロはキッと睨み返し、口を開こうとしたのがわかったが、それを抑えるため、俺はコンロの前に跪き、労わるように言った。


「拾っていただいてありがとうございます、父さん」


「ソレル・・・」


「教会へ召し上げられるのでしたら、抵抗はいたしません。さぁ、拘束を解いてください」


どこか不服そうな神官だったが、彼の手の合図で騎士に押さえつけられていたコンロたちは解放された。


「・・・では、事情の聴取と聖女保護の観点についてお話がございます」


「わかっています、父さんは商人ですから聖女の生育に相応しくない環境だったと言うのでしょう。ですが私は元々孤児であり、父さんは保護をしてくださったのです」


貴族が魔法を使えるのは当然であり、聖女はステータスだが、一般庶民で聖女が現れた場合、聖女を正しく真っ当に育てることができないと判断され、教会へ供出することになっている。今回の場合は俺が孤児だったので一時的にコンロが預かっており、いずれ教会へ行くことは決定事項だった。そう言っても、グラム神官はふんっと口元を歪めてつまらない言い訳を、と言った。


「いいでしょう、では今回その男は不問にいたします」


「寛大な処分に感謝いたします。・・・父さん、さようなら」


まぁコンロもそこそこ稼げただろ、じゃぁの。

俺はグラム神官について、振り向かずその部屋を去った。後ろから聞こえる鼻声も甲冑の擦れる音にかき消された。


◆


教会に行こうと思った理由がいくつかある。


俺の教会のイメージといえばキリスト教、日曜礼拝、観光地、なんていう程度だ。かつてたしかにイエスキリストと呼ばれる原点の男がいたかもしれないが、世界を作った唯一神など壮大な神話は全てただの誇張とまやかし・・・宗教というものは基本的にそういうものだと考えている。


だが、こと異世界になると話が変わる。

この神という存在、信仰心とは別に、実在をしているらしい。

当初は一体何をいっているのか真面目に理解ができなかったが、神は天に存在している、らしい。


聖女という存在もそうだが、どうにも神がいる、実在しているというのは事実として受け入れられていて、神託やお告げってのは真面目にある、らしい。遠い昔の奇跡という伝承などではなく、定期的に目に見える形で奇跡の光が降り注ぎ頭の中に神託が民衆に聞こえたりする・・・らしい!


俺はまだ体験していないのでさっぱりである。

とりあえずこの魔法のある世界には神とやらが存在しているし、なんなら殺せると聞いて興味が湧いた。


神殺し・・・神殺しの蛮人。異世界から召喚した勇者が、神殺しの武器を作り出し、神に歯向かって魔王となってしまったという伝説がある。そしてその神殺しの武器は破壊ができず、教会が封印したとのこと。本当に神を殺したかは話に残っていないが、神を殺せるだけの凄い武器ではあるそうだ。


そういう感じらしいので、神がいるならば俺のことを何か聞けるかもしれない。

もしかしたらもしかしたら、俺をこんなふうにした主犯かもしれねぇだろ。


ということで、コンロの下から素直に教会にいったわけだが・・・。

失敗だったかもしれないと絶賛後悔中である。


「ソレルさん、お祈りの後の清掃は外を担当していただきます。その後は広間で治癒、途中でレンゲ卿のお屋敷へ向かってください。夕食の準備がありますのでそれまでの帰宅をお願いしますね」


早起きして、ひたすら金払いのいいやつらの治癒をさせられ、しょぼいスープとパンを作って食う生活。清貧が大事か知らんがなんのうま味もない。コンロのところで生活していた時のほうが余程マシである。


なんだこれ、と思った。書斎や資料庫だってあるはずだというのに俺にはまだ早いだとか言われて触れることもできず、お祈りのためのうすっぺらい経典だって回し読みが前提で祈りの言葉をとりあえず暗記しろと言われる始末。


もっと勇者の情報よこせや。神殺しの伝説とか絶対残されてるだろう。


(教会きた意味がねぇ・・・どうすっかな)


資料庫に忍び込んだとしても、使える自由時間がない。

周囲の人間は逃亡防止のためか、きっちり管理されていて、安易に殺したりもできない。悩ましい、と思っていると書斎近くの豪奢なドアが開いた。さっと身を隠して様子を窺うと、そこからはグラム神官と聖女見習いが出てきた。


(あそこは、神官しか入っちゃいけない部屋なんじゃ・・・)


何故二人が、と邪推しつつ観察していると、聖女見習いへグラム神官が何か言っている。


「それでは、今夜ですので」


「・・・はい」


「伯爵は大層熱心な信者です、安心なさい」


俯いた聖女見習いを安心させるような優しい言葉だったが、どうにも胡散臭い。神官が去った後も立ちすくんだままの彼女へ、声をかけるかどうか俺は迷った。だが彼女が次第に鼻を啜って膝を抱え込んでしまったので、仕方なくたった今通りがかったフリをした。


「あの、どうされました?気分が悪い?」


「っ・・・!ソレル!いつからそこに」


驚いたのか、後ろへ転がるように尻もちをついた彼女は泣き顔のまま俺を睨みつけた。俺が心底わからない、と困惑を表情に出せば、彼女は口を震わせながら小さく呟いた。


「・・・お、お清めの儀式だって言われたの」


「え?何」


「・・・知らないの、あんた・・・そっか、新人だものね」


呆れたような表情で彼女はふらふら立ち上がった。それ以上何か言うつもりもなさそうだったのを、俺は引き止めて尋ねた。きっと聞いておかねばいけない話だろう。真剣にじっと見つめれば、彼女も根負けしたかのように頷いた。


「あんた、綺麗だし知っとかないとね・・・」


お清めの儀式、それはつまり金を払った奴に好きな聖女を抱かせてやろうじゃねぇかという・・・要するに教会主導の売春のようだ。


(ゴミカスすぎる)


「断ったら破門なんだもの、どうしようもないわ」


そう言って彼女は唇をかみしめて涙を何度も拭った。俺からすれば破門?勝手にしろよボケと言いたいところだったが、破門の烙印を押されればこの街に居られなくなるのは必至だ。この世界にある最低限の人権が引っぺがされるのは、死活問題だろう。悔しそうな彼女に同情するが、俺にはどうしようもない。


「そんな詭弁がここでは許されているのですか」


「そうだよね?!やっぱおかしいよね?!先輩らは奉仕活動だからとか言ってさ、聖女の徳が高まるとか、どこの教会もやってるとか言うけど、こんなの・・・!」


ヒートアップする彼女の背中を撫でさすり、落ち着くように言うがあまり効果はない。俺も頭の中で今後の予定を修正していく。その夜伽行為が果たしていつ頃、どういうタイミングで強要されるのかわからないが、彼女の口ぶりでは決して珍しいことでもなさそうだ。


(このまま教会に長居は無用だな)


この身体は俺のじゃねぇからどうでもいいっちゃどうでもいいけど痛覚とかはあるわけだし、そもそも気持ち悪いのでなしだ。そのまま勢いで相手を殺してしまう自信がある。


「そうだ、ねぇ・・・御守りをあげるわ」


俺はハンカチを握りしめている彼女へ、そっとあるものを渡した。


◆


「誰がこのような危険なものを持っていたのか、調べなければならない」


突如集められた聖女たちは不穏な空気を感じ取りざわざわと落ち着きない。そんな中でグラム神官は一つの十字架を掲げ持ち、宣言をした。


「これより身体検査となる、隠し立てはするな」


そうして他の神官たちは戸惑う聖女たちを列に並ばせて何人かずつ呼び出した。当然わけがわからず、聖女の中でも年嵩のリーダー的存在が事情を求めて声をあげた。グラム神官は眉間に皺を寄せて重たそうに口を開いた。


「昨夜、伯爵が暗殺された。下手人はミシェーラという話だ」


「そんな・・・!ミシェーラが暗殺者ですって?!」


「何かの間違えですわ、グラム神官!だって彼女は就寝の点呼にだって・・・」


「清めの儀式の最中だ。この毒針が飛び出す十字架を持ち、伯爵を攻撃した。現場を抑えられ、護衛によりにミシェーラはその場で斬首された」


声をあげていた聖女たちも、清めの儀式だということ掲げられた十字架に細い針が飛び出ているのを見て、息をのんだ。その後は一転して粛々と身体検査を受けていく。列には当然俺も並んだ。


(せっかく俺のとっておきの武器をやったのに・・・まぁ上手く扱えるかは別問題か)


俺にしては珍しく善意だったというのに、下手をうったミシェーラとかいう女のせいで俺は面倒な身体検査を受ける羽目になった。グラム神官も検査の人間として関わるらしく、それぞれ部屋へ移動する前の聖女たちへ入念に魔法で毒物がないかを調べている。


(・・・どうすっかな)


靴に仕込んだ小さいナイフは見つかるだろうか。このまま別室に入って神官を殺し、窓から逃げる?それから隣の国にまで逃げられればいいが、教会は国を跨いでも繋がりがあると言う。それほど簡単ではなさそうだ。


「ソレル、毒物なし。部屋へ」


(・・・お?)


チェック通ったな。グラム神官は俺が最後の一人であることを確認して、俺の後をついて来た。そのまま別室での身体検査も担当してくれるらしい。


既に検査を終えた聖女たちが衣服を整えながら戻ってきている。中には詰められたのか、違反物を持っていたのか、泣いている女もいた。丁度空いた部屋があり、俺はそちらへ誘導された。最後だからか、神官と俺の二人だけになった。


「・・・では、そこへ立って。一枚ずつ服を脱いで私へ渡しなさい」


俺はとりあえず頭から、と頭巾を丁寧に取り、グラム神官へ渡す。彼はくしゃりと布を握りつぶしながら中身がないかを確認している。袖のボタンや襟元を広げて脱衣をしながら、そんなグラム神官を観察した。


あまり警戒をしている様子はない。彼も別に複数人の暗殺者だとか、協力者がいるとかは本気にしているわけではなさそうだった。形式的に全て調べて対外的に問題ないと示したいだけだろう。


「グラム神官」


「なん・・・がっ!うぶっ」


無防備に顔を上げた彼の口へ小瓶を押し込んで、そのまま顔面から押し倒す。怪我をさせたいわけではない。頭はぶつけないように体勢には気を付けて足をひっかけた。無様に倒れるグラム神官は、小瓶の中身を勢いよく飲み込み、ごほっごほっと噎せ返って起き上がれなかった。


「お静かに・・・」


転がっていく小瓶を視線で追いながら、俺は仰向けに倒れたグラム神官の胸から腹へ腰を下ろして、彼の喉元に隠し持っていたナイフを当てた。咳き込む合間に睨みつけてくるが、俺は優しく微笑んで落ち着くのを待ってやった。


(さて、即効性があると踏んでの行為だが・・・)


それなりに博打であると自覚しているので、緊張から手が震えた。血がにじむ程度にナイフは首へ当てて、小瓶の薬が効かなければすぐに首を掻き切れるようにした。それはグラム神官もわかっているのだろう。真っ青な顔で身体を固くしている。


「な、なにを飲ませた・・・目的は」


「おや、味はよくご存じなのでは?ミシェーラに渡したのは貴方でしょう・・・」


「ま、まさか・・・貴様お清めの聖水を」


「はははっ聖水!聖水ですか!そんなに高価な媚薬なんですか?それ」


おえっと吐き戻そうとするグラム神父の頬を軽く叩けば、息を荒げ過呼吸にでもなったかのように呻きだした。起き上がろうと腹筋に力をいれているのがわかったが、もちろんそれは許さない。両肩を足で押さえて眺めていれば、顔色の悪いグラム神官がどんどんと真っ赤になり、汗が伝っているのがわかる。起き上がれもしないのにかくかくと腰が動いているのが滑稽で、思わず笑ってしまう。


「安心してください、貴方の魔法で毒物ではないと証明されている」


御守りを渡した際、ミシェーラが代わりにと言って渡してくれた聖水とやらは、お清めの儀式の際に準備として飲んでおけと渡された儀式の道具・・・教会が用意したものなのだから、グラム神官の意志一つで毒とは鑑定されなかったのだろう。


「さぁて、目的でしたか・・・そんな大したことではないんですよ」


「はぁ、はぁ・・・何、んっ」


俺はナイフを当てていた首を労わるように優しく撫でてやった。血のにじんだ傷口は綺麗に元通り。びくびく身体を震わせているグラム神官は明らかに朦朧とした様子だが、俺が殺す気はないと判断したのか、抵抗が明らかに弱まっている。呼吸が苦しそうなのもあり、座布団扱いも可哀そうだろうと俺は立ち上がって彼を見下ろした。


「私、ちゃんと知りたいんです。神様について」


「・・・な、ならば聖女として研鑽を・・・ふぁっ」


起き上がろうとするグラムの胸を踏めば、よがるように声を上げた。


「ええ、熱心な聖女として資料庫に入室したいわ」


「ふぅーっ、ふぅーっ、あそこは二級神官からしかっ閲覧は・・・!」


「知ってますわ、それを押して言ってます」


「たかが聖女がっ許されるはず・・・!ぐあぁっ!」


勢いよく股間を踏み潰し、痛みに喘ぐグラム神官の涙目を見てから、優しく手当をしてやる。美しく微笑んで撫でてやれば間抜けに治癒の魔法で股間を輝かせ、なおかつ元気に復活する姿。グラム神官が嗚咽を漏らして嘆き始めるのもすぐだった。


(媚薬を飲んだ状態異常は治ってない・・・これは健康な状態ともいえるわけか)


治癒の魔法で出来るのは、正常な状態に戻すことなのか?魔法の定義はどうなっているのか、コンロの下で患者を治しながら俺は色々考えた。力不足だと怪我が治りきらない時があったが、そこから自然治癒が進むことを考えると元に戻すのではなく、正常に代謝させている、健康になるまで時間を進めている状態に近いのではないかというのが俺の推察だ。


古傷が身体に沢山ある患者が来た時に治癒した際、コンロが依頼を受けた病気だけを治療した。頑張れば古傷も消せると思ったが、それは感覚として俺の意志で選ぶことができた。


「その媚薬を飲んだ状態を健康状態と考えれば・・・いつでもこの状態にできるんじゃないかしら、ねぇグラム神官」


「は、はぁ?なにを?!」


「治癒の魔法を研究するのに熱心な聖女ですの、是非協力してちょうだい」


その時のグラム神官の顔は、神経質そうな傲慢さはもはや影もなく、痛みと快楽に酔ったまったく酷い面だった。俺はそれを気にせず、グラム神官へ治癒の魔法をかけ媚薬状態を治癒したり、または媚薬状態に戻したり、水魔法で応用できぬものかと試してみた。


その途中で彼を優しくケアすることも忘れずにいれば、暗殺者だとか身体検査だとか、何もかも全てが吹っ飛んだようだった。


この教会で一番えらいのは準一級神官であるグラム神官、彼を抑えればこの教会は実効支配したも同然であった。


◆


「あぁ、俺ってツイてるなぁ」


博打は大当たり。誰も殺さずに済んだし教会から破門されることもなく脱走する必要もなくなった。聖女の扱いを向上させようと待遇改善に動くこともでき、資料庫も書斎も俺だけは確認できるようになった。


四つん這いで椅子になるグラム神官の頭をよしよしと撫でてやれば、首まで赤く染めながら息荒くはい、と首を縦に振った。時折身もだえして揺れるのが難点だが、悪くない腰かけである。


「色々読んだけれど、異世界より召喚した勇者が異世界に帰った事例はないのかしら」


「・・・ふぅ、ふぅ、そもそも帰還の魔法は、ないと聞いています」


「そうなの・・・では神様に頼んで帰還したという事例は?」


言い淀むグラム神官の尻を物差しでパシッと叩く。良い音だ。


「はぅっ、私は存じ上げません!そもそもこの二百年近くは異世界からの召喚を禁術と定めております・・・」


「そう・・・それは、最後の勇者が、神殺しに手を出そうとしたからかしら」


「詳細は、わかりませぬ」


俺は手元にある歴史書を眺めながら、真偽のほどを考えた。資料庫の手前に置かれた比較的綺麗な書物の殆どの書かれている内容はごく平凡と言っていい。物語のように綺麗なハッピーエンド。嘘くさいものだ。だが奥に行くにつれ古く、襤褸く、そして詳細な情報が入って来る。残酷な現実、不都合な歴史、描き直された絵画、どれが正しいのかわからない。わざと悪辣に書かれた者や、妙に功績の多い聖人など、政治的な力関係も見て取れる。勇者は、等しく都合のいい善人ばかりが描かれている。


「帰れねぇのかな・・・」


「・・・ソレル様?」


俺は一生この女なのか。

メンタルが強い自覚のある俺でも、よぎった不安に目を伏せるぐらいはする。


書物に描かれた立派な神様の絵へ視線を落としてから、明かり取りの窓を見上げてそこから見える星空を睨みつける。果たしてそこに座しているかどうかはわからないが、わざわざ天啓を与える神だ、きっと信者の祈りは届くのだろう。祈りが届くならば呪いとて届くだろう。


(元に戻れないとしたら?)


そんなもの、神を殺してすっきりするしかないな。



彼を転生させた神は、そんな想いを受け止め、震えて泣いていた。



End


最後の方書くのに飽きて面倒だから神官さまにはとっとと椅子になってもらった。


主人公:文明国家としてきちんと法整備された世界でなければなんでもする野蛮人の根性をもったサイコパス。死んだ記憶がないから憑依だと思っている。ちゃんと前は一般人やってた。そんなやつが警察機構の緩いなんちゃって中世ヨーロッパでチート魔法という凶器を手に入れたので誰も止められない。


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