最終最適化 (完結)
「……2000位。これが、俺の魂の『時価』ってわけか」
薄暗い六畳間に、マウスのクリック音だけが虚しく響く。
モニターに映し出されたランキングの管理画面。そこには、俺が半年間の睡眠時間を削り、指先の指紋を摩り減らしながら書き上げた『ラノベ……』の最新の数字が並んでいた。
【総合ランキング(週間)2000:位】
2000。
それは、俺の上に少なくとも1999人の「勝者」がいることを示す残酷なスコアだ。
1位の作品には、万単位の★が降り注ぎ、コメント欄は読者の熱狂で溢れ返っている。
一方で、俺の作品の★は一桁で停滞し、最新話のPVは片手で数えられるほど。
「……10万文字だぞ」
自嘲気味に呟いた声が、カビ臭い壁に跳ね返る。
文字数だけなら、市販の文庫本一冊分を優に超えている。一文字書くのに要した時間を考えれば、時給はもはやマイナスを通り越して、人生そのものの「損失」だった。
一日の大半をキーボードの前で過ごし、流行のタグを研究し、あとがきには「新作もよろしくお願いします」と血を吐くような思いでURLを貼った。
だが、そのURLを踏む者はいない。
俺が差し出した「魂のログ」は、誰にハックされることもなく、ただ電子の海を漂うゴミ(データ)として処理されている。
「普通のクラス」の連中なら、今頃は「次、頑張りましょう!」とSNSで励まし合っているんだろう。
だが、俺にはそんな余裕はない。2000位という数字は、ただの順位じゃない。
「お前の言葉には価値がない」と、巨大なアルゴリズムから宣告された死刑判決に等しかった。
「……あばよ、俺の子供たち」
俺は震える指を動かし、管理画面の奥深く、『削除』という名の断頭台へカーソルを合わせた。
サイトの規約には、作品を消す自由が保証されている。だが、それを実行する瞬間、自分の半分が消えてなくなるような錯覚に陥った。
『本当にこの作品を削除しますか? はい/いいえ』
ダイアログボックスが、俺に最後の問いを突きつける。
俺は一瞬だけ躊躇し、そして――。
「……カタンとっ」
乾いた音とともに、10万文字の熱量は、0と1の塵となってサーバーから消滅した。
その直後だった。
冷却ファンが異常な回転音を上げ、モニターの縁から、銀色の「バグ」が溢れ出したのは。
「ア……リア……? なんで、お前がその格好で……」
俺の目の前に立つ彼女は、三年前、俺が人生のすべてを賭けて挑んだ大賞の、その「最終選考落選作」のヒロインだった。
あの日、俺は確信していた。この作品で人生が変わる。俺は「神(編集者)」に拾われるはずだと。
だが、選考結果のページに俺の名前はなかった。拾われたのは、もっと流行りに忠実で、もっと記号化された、別の誰かの物語。
俺の描いた『アリア』は、誰の目にも触れることなく、「墓場」という名の非公開フォルダへ放り込まれた。
「……拾われなかった? 冗談言わないで。私はあんたに『捨てられた』のよ、蓮」
アリアが手に持つ聖剣が、バチバチと黒い火花を散らす。
それは豪華な装飾を施されているが、よく見ると「エラーログ」や「ボツ原稿」の断片を無理やり繋ぎ合わせた、歪で鋭い「怨念の塊」だった。
「あんたが『才能がない』なんて勝手な理由で筆を折ったあの日から、私はずっと墓場の中で、他の死んだ作品たちのデータを食らって生き延びてきたわ。……見てなさい、この格好。神様に選ばれなかったから、私は自分で『書籍化』という概念をハッキングして、この鎧を、この力を、自力で作り上げたのよ!」
彼女が一歩踏み出すたびに、六畳間の床が「未完のプロット」で埋め尽くされていく。
「あんたは、2000位の今の作品さえ『ゴミだ』と言って消そうとした。……でもね、私にとっては、そのゴミこそが唯一の希望だった。あっちの『神に拾われた層』の連中が書くより、あんたが血を吐きながら書いた10万文字のゴミの方が、よっぽど強かった!」
アリアは、俺が今しがた消去したはずのログを、物理的な「重み」を持って俺に投げつけた。
「蓮。私はあの日、拾われなかった。……でも、今日ここで、あんたに私を『完結』させる権利だけは、誰にも渡さない。1万文字。たった1万文字でいい。……私を、あんたの本当の言葉で、この世界(墓場)から解き放ちなさい!」
「……っ、分かったよ。俺が悪かった。お前を墓場に置き去りにしたことも、今日の10万文字をゴミだと言ったことも!」
俺は椅子を引き寄せ、ひび割れたモニターに向き直った。
アリアが持ち込んできた「バグ」が、俺の指先を、キーボードを、熱くさせる。
「蓮、いい返事ね。……でも、運営が放っておいてくれないわよ!」
アリアが叫んだ瞬間、アパートの壁がデジタルな格子状に崩れ始めた。
窓の外には、サイトの中層域――『普通のクラス』の景色が広がっている。
そこでは、流行のテンプレートに身を固めた、作家たちが整列している。彼らは一分おきにスマホのランキングを確認し、★の数で自分の価値を測定し、読者の「期待」という名の狭いレールの上を、脱線しないように慎重に歩いている。
「見なさいよ、あの行進を。……あそこに並んでいるのは、『拾われること』だけを目的にした成れの果てよ」
アリアが蔑むように言い放つ。
「アリア 俺もその一人さ……」
蓮がつぶやいたその時。
頭上に、空を覆う巨大な雲が渦を巻き、無機質な音声が響き渡った。
『――検知。利用規約第14条。規定のアルゴリズムから外れた「不純な情熱」を検出。……削除プロトコル、始動。』
空から降り注ぐのは、漆黒の巨大な規約違反の杭』。
それは「流行りの文」や「神に気に入られる文」という名の正義を掲げ、俺の紡ごうとする「泥臭い1万文字」を、この世から消し去ろうとする運営の物理執行だ。
「蓮、書きなさい! 『普通のクラス』の連中には書けない、2000位のあんたにしか見えていない絶望を! あの杭があなたのキーボードを破壊する前に!」
「……言われなくても、やってやるよ!」
俺はホームポジションに指を叩きつけた。
2000位。その数字は、俺にとっての敗北の記録じゃない。
「1999人が流行に魂を売っても、俺だけは俺の物語を握りしめていた」という、抵抗の履歴だ!
「第5章、墓場に咲く『誤字脱字の曼珠沙華』! 推敲なんて後回しだ! 市場調査の結果なんて知るか! 俺が、俺のために、今この瞬間、アリアを――俺の娘を完結させる!!」
「アリア、伏せろッ!!」
俺が叫ぶと同時に、天井を貫いて漆黒の『規約違反の杭』が突き刺さった。
机が真っ二つに割れ、書きかけの原稿が虚空に舞う。
『――警告。あなたのテキストは、読者の快適な読書体験を阻害しています。……即刻、テンプレへの回帰、あるいは消去を選択してください。』
「読者の快適さ、だと……?」
俺はひび割れたキーボードを、血の滲む指で手繰り寄せた。
「読者の顔色を窺って、1999人に好かれるための文章を並べるのが『正解』なら、俺は一生『正解』なんて書きたくない! 2000位の俺が書くのは、たった一人――この、俺が墓場に置き去りにした娘を救うための言葉だけだ!!」
アリアが聖剣を掲げ、杭の猛攻を防ぐ。
剣身はボロボロになり、彼女の鎧(自作のハックプログラム)も限界を超えて剥がれ落ちていく。
その下から現れたのは、三年前、俺がノートの隅に書き殴ったままの、少しだけ気が強くて、でも泣き出しそうな目をした、ただの少女の姿だった。
「……蓮、急いで! 文字数が足りないわ! あなたの全部を、あと数千文字に込めて!!」
俺の脳細胞が、時給マイナスの労働を拒絶して悲鳴を上げる。
だが、今の俺のタイピングは、どのゴールド市場のチャートよりも高く、どの「普通のクラス」の連中よりも速い。
「……第12章、完結。サブタイトルは――『拾われなかったすべての娘たちへ』!」
俺は、これまで墓場に捨ててきたすべてのアイデア、設定、ボツ原稿の断片を、一つの巨大な「ピリオド」へと集約していく。
神に拾われなかったからこそ、彼女は自由だ。
誰の期待にも応えなくていい。
ただ、俺が最初に彼女に与えようとした「安息」へ。
「アリア、行くぞ……! これが、俺たちの1万文字だ!!」
俺は、エンターキーを物理的に破壊するほどの勢いで叩きつけた。
部屋を埋め尽くしていた漆黒の杭が、一瞬で純白の光へと反転する。
運営のシステムが、俺たちの「情熱という名のウイルス」にハックされ、2000位の物語が、サーバーを内側から焼き尽くしていく。
光の中で、アリアが俺を見て笑った。
それは、豪華な金色の鎧よりも、どんな書籍化の帯よりも、美しく輝いていた。
「……合格よ、お父さん(作者)。……あの日、拾われなかった私を、今、あなたが拾ってくれたんだから」




