表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

朝は静かに始まらない

朝は静かに始まるはずだった。


「……起きているか」


低くて小さな声。

目を閉じたままでも誰の声か分かる。


……けれど。


「……ん」


私より先に腕の中の子が反応した。


あ、今日はもう無理だなと

目を閉じたまま思う。


「……アッシュ様」


「……すまない」


反省している声ではある。

でもこの人が同じことを繰り返すのも私は知っている。


「パパ……」


眠たげに名前を呼ぶと、

彼の空気がはっきり変わった。


「……起きたか」


声が柔らかい。


副団長でも騎士でもない。

ただの父親の声だ。


「だっこ」


短いお願い。


「……了解した」


彼は慎重に布団をめくり、

私ごと抱き上げようとして、ふと止まった。


一瞬考えてから。


「……君も一緒でいい」


「はい」


結局三人で部屋を出る。


廊下を歩くとき、

彼はいつもの癖で半歩前に出かけて――

すぐに気づいて歩幅を揃えた。


「……今日は急ぐ必要はないな」


「ええ。穏やかですよ」


「……そうだな」


十分な日だった。


食堂には侍女が待っている。


「おはようございます」


「……おはよう」


子どもが元気に手を振る。


「おはよ!」


「……元気だ」


そう言いながら、

彼の手は自然に背中に添えられている。


「パパ。きょうは、なにするの?」


「……走る」


「ころぶ?」


「……たぶん」


「おかし!」


「……控えめにな」


控えめ、という言葉を

この人が使うようになるとは思わなかった。


私は思わず笑ってしまう。


「成長しましたね」


「……そうだろうか」


本気で分からなそうな顔だ。


子どもが椅子に立とうとすると、

彼の手がすっと伸びる。


早い。


でも、すぐに私を見る。


私が先に支えたのを見て、

そのまま力を抜いた。


「……任せた」


それだけ。


昔なら、

何も言わず全部自分で抱え込んでいた。


今は違う。


庭に出ると、

子どもは当然のように走る。


そして当然、転ぶ。


私は一歩前に出る。


「大丈夫?」


「ママだいじょぶ!」


膝に土がついただけ。


彼は少しだけ息を吐いた。


「……よかった」


その言葉が、

以前よりもずっと軽い。


昼下がり、

子どもは彼の腕の中で眠ってしまった。


「……重いですか?」


「……軽すぎる」


真顔だった。


「ちゃんと育ってますよ」


「……毎日、見ている」


それだけで、

どれだけ大切にしているか分かる。


部屋に戻り、

彼は子どもを寝かせてから、

何も言わずに私の隣に座った。


距離が近い。


でも、昔の張りつめた近さとは違う。


静かで、落ち着いていて、

逃げ場を塞ぐ感じがない。


「……今日は静かだったな」


「ええ」


「……こういう日も、悪くない」


珍しい。


私は彼の肩にそっと寄りかかる。


彼の手が、

迷うことなく私の背に回る。


「……離れるな」


言い方は変わらない。


でも今は、

命令でも注意でもない。


ただの確かめるような声。


「はい」


短く返す。


彼はそれで満足したらしく、

そのまま動かなくなった。


守るものは増えた。


気にかけることも、増えた。


でも――

この人はもう、立ち位置に迷っていない。


半歩前に出なくてもいい場所を、

ちゃんと知っている。


そして私は、

そこにいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ