覚悟の位置
夜会の日の朝は慌ただしい。
侍女たちは私の周りを忙しく行き来し、
ドレスの確認、髪の結い直し、装身具の選定と、
いつもより念入りだった。
その合間に――
侍女が一人、私の耳元に顔を寄せた。
「お嬢様」
「はい?」
声が、やけに低い。
「このままですと、初夜は失敗します」
唐突すぎる宣告だった。
「……失敗、とは?」
「はい。あの近衛副団長様は、
こちらから何も仕掛けなければ、
一生見回りで終わります」
見回り。
確かに、
それは大いにあり得る。
「ですので」
侍女は真剣な目をして続けた。
「お嬢様から行ってください」
「……私から?」
「はい。積極性です」
なぜか、胸を張っている。
「具体的にはですね」
情報が整理されていない予感がした。
「胸が苦しい、と言うのです」
「……はい?」
「上目遣いで。
少しだけ谷間を見せながら」
「……」
「はだけるのも有効です」
有効?
「下品だとか、はしたないとか、
ただ一人の男に女が決めたのなら
気にしなくていいのです」
本当に?
「堅物というのはですね、」
侍女はにこりと笑った。
「スライム並みに軟体になります」
評価が雑だった。
夜会前。
私は応接室で、
アッシュ様の到着を待っていた。
護衛として、
彼は私を迎えに来る。
……迎えに来る、はずだ。
「……ソフィーリア」
ノックと同時に、
聞き慣れた声。
「どうぞ」
彼はいつも通りの制服で現れ、
一礼した。
「準備は……」
私は、
ほんの一瞬迷った。
そして――
侍女の言葉を思い出す。
失敗より、
転ぶほうがまし。
「……アッシュ様」
「何だ」
私はそっと胸元に手を当てた。
「少し……
胸が、苦しくて……」
上目遣い。
……の、つもり。
「!?」
彼の反応は、即座だった。
「どこだ」
距離が一気に詰まる。
「え?」
「苦しいのは、……どこだ」
声が完全に任務中である。
「いえ、その……
この辺りが……」
私は、
ほんの少しだけ前屈みになった。
ほんの少し。
「……!」
彼が止まった。
完全停止。
「……動くな」
「……はい?」
「今、医師を――」
「いえ、大丈夫です!」
慌てて否定すると、
彼は一歩、後ずさった。
壁に背中が当たる。
「……服装が」
「はい?」
「その……
非常に……
危険だ」
視線が、
私の胸元と天井を行き来している。
忙しい。
「危険、ですか?」
あえて一歩、近づく。
「……はい」
「それは……
外敵ですか?」
「……内的要因だ」
答えが重い。
「……ソフィーリア」
「はい」
「……その」
喉が鳴る。
「その……
本当に、苦しいのは……
胸か?」
限界だったらしい。
私は、
思わず笑ってしまった。
「大丈夫です」
そう言って一歩下がる。
「……え?」
「侍女の助言でした」
沈黙。
彼の顔が、
ゆっくり赤くなる。
耳の先まで。
「……二度と」
低い声。
「……そういう入れ知恵は受けるな」
「はい」
即答した。
すると彼は、
深く息を吐いてから、ぽつりと。
「……だが」
一拍。
「……今のは」
言葉を探す沈黙。
「……非常に危険だった」
そう言いながら、
彼は視線を逸らしたまま私から離れようとしなかった。
私は、
心の中で侍女に礼を言った。
どうやら――
効果は抜群だったらしい。
そしてこのあと、
彼は夜会の間一度も私から目を離さなかった。




