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近すぎる夜

夜というのは、

どうして距離を曖昧にするのだろう。


昼間なら気にならない沈黙も、

灯りが落ちると少しだけ重くなる。


私は今、

自室のソファに座っていた。


そして――

向かいにアッシュ様がいる。


「……」


「……」


会話はない。


理由は簡単で、

特に用件がないからだ。


ただ、

彼が「見回り」を口実に来て、

そのまま帰らなかっただけ。


「……ソフィーリア」


「はい」


名前を呼ばれる。


それだけで空気が少し変わる。


「……眠くはないか」


「まだ大丈夫です」


「……そうか」


それきりまた沈黙。


彼は立っている。

私は座っている。


距離は、

三歩もない。


なのに妙に近い。


私は昨日の言葉を思い出していた。


――俺が前を向ける理由だ。


あんなことを言われた後で、

何も意識しないでいられるほど、

私は鈍感ではない。


「……アッシュ様」


「何だ」


私は少し迷ってから言った。


「今日は……危険、ありますか?」


彼は一瞬固まった。


昨日と同じ反応だ。


視線が泳ぐ。

呼吸がわずかに乱れる。


「……」


「……ありませんか?」


「……今は」


言葉が短い。


そして、

なぜか一歩近づいた。


私は思わずソファの背に手をつく。


「……アッシュ様?」


「……離れるな」


まただ。


その言葉は命令の形をしているのに、

今はどこか、

自分に言い聞かせているみたいだった。


彼は私の前に立ったまま、

動かない。


手も伸ばさない。

触れもしない。


ただ、

視線だけが外れない。


「……君が」


声が、低い。


「……近い」


それは、

私の台詞だった。


私は小さく息を吸って、

そっと立ち上がった。


距離は、

さらに縮まる。


「……大丈夫ですよ」


そう言うと、

彼の眉がほんの少しだけ寄った。


「……何が」


「私」


短く答えると彼は完全に黙り込んだ。


限界だったのだと思う。


次の瞬間、

彼の手が私の肩に触れた。


強くない。

でも迷いがある。


「……触れるが」


確認するような声。


「……はい」


それだけで十分だった。


彼はゆっくりと、

私を抱き寄せた。


ぎこちない。

角度も力の入れ方も、

すべてが不器用。


でも、

とても大事にしている抱き方だった。


私は彼の胸に額を預ける。


心臓の音が、速い。


「……アッシュ様」


「……」


「近衛騎士団副団長としてではなく……

今は婚約者として、

そばにいてくれませんか」


それから、

彼の腕に力がこもった。


「……努力する」


真面目な返事だった。


私は思わず笑ってしまう。


「努力目標なんですね」


「……難しい」


正直でよろしい。


私は背伸びをして、

彼の頬に口づけた。


軽く。

触れるだけ。


それだけで、

彼の全身が硬直した。


「……ソフィーリア」


「はい」


「……次は」


喉が鳴る音がした。


「……俺がする」


その言い方があまりにも真剣で、

私は頷くしかなかった。


唇が触れる、

深くなるって逃げ場がなくなる。


少しだけ長く。


それは、確かに次を予感させるキスだった。


離れたあと、

彼は深く息を吐いた。


「……今日はここまでだ」


「はい」


名残惜しそうなのは、

私も同じだ。


彼は一歩、距離を取る。


「……休め」


「はい」


「……危険はない」


その言葉に、

私は小さく微笑んだ。


危険があるのは、

たぶん――

私たち自身だ。


夜は静かで、

部屋は暖かくて、

距離はもう戻らなかった。

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