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街は危険で、菓子は硬い

私の婚約者は、近衛騎士団の副団長をしている。


名前はアッシュ様。

寡黙で、真面目で、仕事熱心。

そして――語彙がとても少ない。


「下がれ」

「危険だ」

「俺の後ろ」


これが彼の基本三語である。


婚約してからもその使用頻度は一切下がらなかった。

むしろ私限定で精度が上がっている気がする。


「君は……危険だ……下がれ……」


二人きりの時でも現場感が抜けないあたり、

もう職業病だと思うことにしている。


私はソフィーリア・アルヴェーン。

伯爵家の娘で、現在は彼の婚約者だ。


本日はその副団長と、

王都へお忍びで出かけている。


「……アッシュ様。今日は街の散策ですよ」


「人が多い」


「お祭りですから」


「刃物がある」


「あ、見てください!砂糖菓子です」


「……硬い」


過保護の基準が分からない。


彼は真剣な顔で通りを見渡している。

剣に手をかけてはいないが、

いつでも出られる姿勢ではある。


平和な昼下がりである。


私は一歩、前に出た。

すると彼は反射で半歩、前に出た。


結果、私の視界は婚約者の背中で完全に塞がれた。


「……アッシュ様」


「離れるな」


「いえ、離れてはいませんが……」


「近い」


それは私の台詞では?


通りの露店から甘い香りが漂ってくる。

焼き菓子だ。


「菓子店、寄ってもいいですか?」


「……」


「危険だ」


「何がですか」


「選ぶ」


守備範囲が広すぎる。


それでも私は彼の袖を引いた。

ほんの少しだけ。


「大丈夫ですよ。すぐですから」


彼は私の手を見た。

袖を引く指先を、じっと。


それから、ゆっくりとうなずいた。


「……俺が前だ」


譲歩の仕方が騎士である。


菓子店の前で、彼は完全に私の前に立った。

背中が大きい。

そして動かない。


「いらっしゃいませ。ご注文は――」


店主の声が、途中で止まった。


視線の先には、

近衛騎士団副団長の背中がある。


「……あの……」


「彼女に聞いてくれ」


「……視界が……」


彼は一歩も動かない。


「アッシュ様、少しだけ横に……」


「危険だ」


「今度は何がですか」


「後ろが空く」


空いているのは、

店主と私の会話だけである。


結局、彼が選んだ。


一番固そうな焼き菓子を二つ。


「……私、甘いのが好きなんですが」


彼は少し考え、真剣な顔で答えた。


「……噛め」


愛情表現が、筋力基準だった。


店を出ると、彼は当然のように私の半歩前を歩く。


「……満足したか」


「はい。たぶん」


正直に言えば、

選びたかった気持ちはある。


でも、彼が選んだ焼き菓子を思い出すと、

なぜか少しだけ、嬉しかった。


「……なら、いい」


それだけ言って、

彼は歩調を落とした。


人混みの中。

一瞬、私の肩が誰かにぶつかりそうになる。


次の瞬間、

彼の手が私の手を取っていた。


強くない。

けれど、離す気もない。


「……離れるな」


命令口調のままなのに、

それだけで胸が温かくなるのだから、ずるい。


私は指先に力を込めて、握り返した。


一瞬、彼の肩が跳ねる。

けれど、手は離されなかった。


「アッシュ様」


「……何だ」


私は彼の頬にキスをした。


「今日は危険、ありますか?」


彼は一瞬、瞬きを忘れたように固まった。

少しして腹式呼吸で言った。


「……可愛らしい君が、ここにいる。それが一番危険だ」


それは、

今までで一番分かりやすい言葉だった。


私は笑って、彼の手を握ったまま歩いた。


街は平和で、

祭りは賑やかで、

菓子は少し固かったけれど。


この人にとっては、

今日もきっと――

守るべき一日なのだろう。

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