第9話 空いた席
卒業式から、数日が経っていた。
校舎はすでに、年度末の顔をしている。
廊下を歩く人影もまばらで、
春を待つだけの静けさがあった。
宮坂遼は、用事があって学校に立ち寄っていた。
書類を受け取るだけの、短い滞在のはずだった。
職員室の前を通りかかったとき、
無意識のうちに、ある席を探している自分に気づく。
佐伯の席。
だが、そこはきれいに片づけられていた。
机の上には何もない。
椅子も、きちんと押し込まれている。
まるで、
最初から使われていなかったみたいに。
「なあ」
背後から、声をかけられる。
同じクラスだった生徒だ。
「佐伯先生さ」
「倒れたって、聞いた?」
宮坂は、振り返った。
「……倒れた?」
「うん」
声は、ひそめられている。
「卒業式のあと」
「帰りに、具合悪くなったらしい」
「病院に運ばれたって」
誰から聞いたのかは、分からない。
正確かどうかも、分からない。
ただ、
そんな噂だけが、静かに広がっていた。
「マジかよ……」
宮坂は、それ以上何も言えなかった。
「でもさ」
もう一人が、続ける。
「大丈夫なんじゃね?」
「だって、卒業式」
「最後まで立ってたし」
その言葉が、胸に刺さる。
最後まで。
宮坂は、何も言わず、職員室を後にした。
校舎を出ると、春の風が吹いていた。
ふと、卒業式の日のことを思い出す。
佐伯は、確かに立っていた。
最後まで。
それだけが、はっきりとした事実だった。
理由は、分からない。
真実も、分からない。
ただ、
佐伯は戻ってこなかった。
それだけだった。




