第4話 進路に迷う生徒
放課後の職員室は、少しざわついていた。
進路指導の時期が近づくと、いつもこうなる。
資料の束、電話の音、同僚の低い声。
佐伯恒一は、自分の机で書類に目を通していた。
そこへ、控えめなノックの音がする。
「失礼します」
入ってきたのは、**相沢 由奈**だった。
成績は上位。
授業態度も真面目で、欠席もほとんどない。
「どうした」
「進路のことで……少し、いいですか」
佐伯は頷き、椅子を指さした。
「座れ」
相沢は、鞄を膝に置き、背筋を伸ばして座った。
緊張しているのが、すぐに分かる。
「志望校、まだ決まらないか」
その問いに、相沢は小さく首を振った。
「決めなきゃ、とは思うんですけど」
「思う?」
「はい」
相沢は、しばらく言葉を探してから続けた。
「やりたいことが、分からなくて」
「それで?」
「周りは、みんな決めてるみたいで」
声が、少しだけ震えた。
「私だけ、遅れてる気がして」
佐伯は、相沢の成績表を閉じた。
「遅れてるわけじゃない」
即座にそう言った。
「でも……」
「周りが早いだけだ」
相沢は、俯いた。
「先生」
「何だ」
「夢がないのって、ダメですか」
その質問は、宮坂の言葉とは違う重さを持っていた。
投げやりではなく、必死だった。
佐伯は、少し考えてから答えた。
「ダメじゃない」
「本当に?」
「本当だ」
佐伯は、相沢の目を見て言った。
「夢がある人間より、ない人間の方が多い」
「でも、進路は……」
「進路は、選択だ」
「正解じゃない」
相沢は、驚いたように顔を上げる。
「正解じゃ……ない?」
「選んだあとに、正解にしていくものだ」
それは、誰かに言われた言葉ではなかった。
佐伯自身が、長い時間をかけて理解したことだった。
「今、決められないなら」
「決めなくていい」
相沢は、目を見開いた。
「でも、提出期限が……」
「期限までに、決められる範囲でいい」
「無理に、誰かの夢を借りるな」
沈黙が落ちる。
相沢は、ぎゅっと鞄の取っ手を握った。
「……少し、楽になりました」
「そうか」
「先生は……」
言いかけて、相沢は言葉を飲み込んだ。
「いや、何でもないです」
佐伯は、何も追及しなかった。
「今日は、ここまででいい」
「また、来い」
相沢は立ち上がり、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
職員室を出ていく背中を、佐伯は静かに見送った。
夢がないことを、責めなかった。
それだけで、救われる人間がいる。
佐伯は、自分の胸に手を当てた。
少しだけ、息が苦しい。
それでも、まだ大丈夫だ。
卒業式までは。




