第3話 問題児
その生徒の名前は、**宮坂 遼**だった。
窓際の一番後ろ。
授業中も、宮坂はほとんどノートを取らない。
頬杖をつき、外を眺めているか、机に突っ伏している。
成績は悪くない。
ただ、やる気がない。
担任でもある佐伯恒一の耳には、何度も名前が入ってきていた。
「提出物、出しません」
「授業中、寝てます」
「注意しても、聞きません」
職員室では、すでに半ば諦められている存在だった。
その日も、宮坂は教室に残っていた。
放課後の静かな教室で、机に座ったまま動かない。
「帰らないのか」
佐伯が声をかけると、宮坂はちらりと視線を向けただけで答えた。
「別に」
それ以上、何も言わない。
佐伯は、無理に踏み込まなかった。
代わりに、教卓の上でプリントを整理し始める。
沈黙が続く。
「なあ」
先に口を開いたのは、宮坂だった。
「先生さ」
「何だ」
「どうせ俺なんか、何やっても同じだろ」
投げやりな言い方。
自分で自分を突き放すような口調。
佐伯は、手を止めた。
「どうしてそう思う」
「進路も決まってねえし」
「親はうるさいし」
「やりたいことも、ねえし」
宮坂は、天井を見上げた。
「このまま卒業して、適当に働いて、終わりだよ」
佐伯は、すぐには答えなかった。
その沈黙に、宮坂は少し苛立ったように言う。
「ほら、先生も何も言えねえだろ」
佐伯は、ゆっくりと宮坂の方を向いた。
「今、決めなくていい」
宮坂が、眉をひそめる。
「は?」
「進路も、将来も」
「今、決めなくていい」
それは、指導要領には載っていない言葉だった。
「じゃあ、何もしなくていいってことかよ」
「違う」
佐伯は、はっきり言った。
「考えるのを、やめなくていい」
宮坂は黙った。
「やりたいことがないのは、悪いことじゃない」
「見つかってないだけだ」
佐伯は、宮坂の目を見て続ける。
「俺は、今まで何百人も見てきた」
「今、何も決まってないやつの方が、案外ちゃんと生きてる」
宮坂は、視線を逸らした。
「……先生はさ」
「どうなんだよ」
「自分の人生、ちゃんと決まってんの?」
その問いに、佐伯は一瞬だけ言葉に詰まった。
決まっている。
終わり方だけは。
「まだだ」
佐伯は、そう答えた。
「だから、俺も考えてる」
宮坂は、小さく鼻で笑った。
「ずるいな」
「先生」
「大人なのに」
佐伯は、少しだけ微笑んだ。
「大人だからだ」
しばらくして、宮坂は鞄を持って立ち上がった。
「……ノート、次からちゃんと取るわ」
「提出物も、出す」
「約束しなくていい」
佐伯は言った。
「やれると思ったら、やれ」
宮坂は、ドアのところで振り返った。
「先生さ」
「明日も、いるよな」
佐伯は、一瞬だけ間を置いて答えた。
「ああ」
それは、嘘ではなかった。
宮坂が教室を出ていくと、夕方の光が差し込んだ。
佐伯は、しばらくその席を見つめていた。
最後まで向き合う理由は、特別なものじゃない。
ただ、時間が限られているからだ。




