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沈黙の方程式

第一章:不在の音


午前3時。


静まり返った住宅街の一角で、けたたましいサイレンが夜を裂いた。現場は、作家・相川芹香あいかわ せりかの自宅の隣家だった。




彼女はその物音に起こされ、夢うつつのままカーテンをめくった。パトカーの赤色灯が揺れる。玄関先に佇む警察官の姿。救急車は来ていない。――ということは、すでに手遅れだ。




「また、誰か死んだのか……?」




この一ヶ月で三人目だ。




一人目は、町の図書館司書。心筋梗塞という診断だったが、何か釈然としなかった。


二人目は、近所の塾講師。浴室で感電死――という説明に、町はざわついた。


そして三人目は、芹香の隣人。独居の元数学教師・磯村正義いそむら まさよし――静かに暮らしていた老人だった。




事件現場の状況を知る術はなかったが、奇妙な既視感が芹香の中に芽生えていた。




(……何かがつながっている。私は、気づいてしまっているのかもしれない)




彼女は数年前まで、推理小説で数々の賞を取ったベストセラー作家だった。だが一作のスランプ作をきっかけに筆を折り、現在は隠居同然の暮らし。




しかし今、眠っていた「観察と推理」の本能が――再び目を覚まそうとしていた。




第二章:数字の遺言

翌日。

警察が立ち去ったあと、芹香は磯村邸の前で奇妙なものを見つける。


それは――郵便受けに差し込まれた、一枚の便箋だった。


表にはこう書かれていた。


「この問題が解けたら、私の“死”の理由がわかるだろう」


Σn=1〜∞ {(-1)ⁿ / n²} = ?


“Answer the silence.”


(……数式?)


ただの遺書ではない。

これは、磯村が最後に残した“メッセージ”だった。


芹香は、かつての読者の声を思い出した。


――「あなたの小説は、現実と地続きで怖い。でも美しい」

――「事件より、人の闇とその先の真実を見つけるのが好きだ」


これはもう、ただの事故ではない。

推理小説よりも先に、現実が彼女を呼んでいる。


第三章:沈黙の数式

磯村の死から二日後。

芹香は、あの数式の意味を追い、中央図書館の学術書フロアにいた。


Σn=1〜∞ {(-1)ⁿ / n²}


調べた結果、それはオイラーの交代ゼータ関数と呼ばれるもので、値は -π² / 12。


(π、周期、円……回帰。繰り返される事件?)


だが、より気になったのは文末の言葉だった。


“Answer the silence.”


(沈黙に答えよ…?)


その瞬間、彼女は思い出す。

磯村が耳の不自由な孫娘と手話で会話していたことを。


そして玄関前で見つけたチョークの軌跡。複雑に描かれたその線は、まるで音の波――“サイン波”に似ていた。


(沈黙とは、音のない状態。そしてこれは、音の再現。誰かがこの“形”で訴えている?)


第四章:記録なき告発

その夜、刑事・神原透が訪ねてきた。


「この事件、小説で見たことがある。あなたの作品――『方程式は死を語る』だ」


十年前に芹香が書いた短編。その内容はまさに、今現実で起きていることと一致していた。


「つまり、誰かが小説を“設計図”にして、現実で再現してる――」


(模倣犯……?)


彼女の創作が誰かの“殺意”を刺激してしまったのだ。


第五章:虚構の殺人者

神原が示したログによると、芹香の古い電子書籍を“この町の中学校”のネット回線から読んでいた者がいる。


芹香は、古本屋「山口書房」の店主・山口環に会いに行った。


「君の作品は素晴らしい。だが、あれは“設計図”なんだよ。君が再び“書く”ように仕組まれている」


何かを知っているような口ぶり。

その夜、芹香は未発表の草稿を読み返す。


「第三の犠牲者は、真夜中、町の図書館で吊るされる」


そして、犯人からメールが届く。


“沈黙に続く音は、どこに響く?”

f(x) = sin(x) + sin(3x)/3 + sin(5x)/5 + ...

【24時間以内に答えなければ、“物語”は終わる】


第六章:残された一節

深夜の図書館。

草稿に書かれた通り、人が天井から吊るされていた――が、芹香が間一髪で助ける。


「犯人は、小説の一節を“朗読”していた」

助け出された美術教師の証言。


朗読劇のように、書かれた通りに演出されていたのだ。


芹香の草稿は誰にも渡していない。だが、クラウドにアップロードされていた。共有設定ミスによって、誰かがそこにアクセスしていた――。


第七章:未発表草稿の中に

新たな死者が見つかる。ポケットにはまたもや式:


f(t) = sin(t) + (1/3)sin(3t) + (1/5)sin(5t) + ...


これは、フーリエ級数。沈黙から音を合成する式。


つまり、“音の再構成”――

沈黙の中にある告発が、また始まった。


そして芹香の草稿には、次に殺されるのは**「相川芹香」本人**であることが記されていた。


第八章:図書館の死角

図書館の奥にある旧音楽アーカイブ室。

そこには、10年前の吹奏楽部の練習録音が保管されていた。


再生すると――ある少女の悲鳴と怒声。


「お前には音楽は無理だ!」


その直後、音声は切れた。


これは事故死ではない。**集団による“音の暴力”**だった。


この録音を密かに保存していた磯村。

加担していた元教師たち。

彼らが次々と「処分」されていった理由が、今明らかになる。


第九章:音を盗む者

録音テープの存在こそが、事件の鍵だった。


そしてその“音”を聞いたのは、磯村の孫娘――由依。


聴覚障害を持つ彼女は、音ではなく記憶と形で音を“認識”していた。

祖父の死と、自らの過去。

彼女が動機を持つには、十分すぎる。


第十章:最後のプロット

最後の死者の懐から見つかった紙にはこう書かれていた:


“The final note is yours.”


すべては、芹香に“物語の終わり”を書かせるためだった。

彼女自身を巻き込んだこの事件の結末を。


第十一章:沈黙の終止符

由依は“音を盗まれた少女”の代役として演奏に参加した少女だった。


沈黙の中で、彼女はすべてを知っていた。

祖父の死。暴力の記憶。

そして、芹香の物語が、それを正義として昇華するための道具であると。


だが、芹香はこう決断した。


「私は殺されない。物語は、ここで終わらせる」

エピローグ:再び、物語を書く日

事件から三ヶ月後。


芹香は『沈黙の方程式』という本を出版した。

それは小説ではなく、「現実の事件」を記録したものだった。


「書くことは呪いになる。でも、沈黙が人を殺すなら――私は、書く」


最後のページにはこう記されている。


“Answer the silence.”

今度は、読者であるあなたが、この沈黙に答えてほしい――


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