電車のシートでぐったりしていると、突然隣に座る女性がよりかかってきたうえに泣かれました。地獄です。
「はあ、疲れた……」
電車のシートにもたれかかりながら、今日も僕はため息をついた。
今の会社に入社して5年。
ほかの若手社員よりは経験値はあるものの、なかなか要領をつかめないでいる。
今日も上司からダメ出しをくらってしまった。
真面目にやれと言われてしまった。
真面目にやってるよ、と思いながらも謝るしかない。下手に口答えすれば、嫌味が100倍にもなって返って来る。だから、最初から最後まで謝りっぱなし。
もう精も根も尽き果ててしまった。
はあ、明日はまた一から企画書の見直しか。
あーあ。
コンと頭を窓ガラスにつけ、目を閉じる。
このまま、どこか遠くへ行ってしまいたい。
そんな風にも思っていると、肩に何か重たいものを感じた。
うっすらと目を開けると、目に飛び込んできたのはスーツ姿の女性の顔だった。
眠りこけながら僕の肩に頭を寄せている。
どうやら、電車に座りながら眠ってしまったらしい。
憔悴しきった顔をしていた。
ヤバい、どうしよう。
こういう場合すごく悩む。
このまま寝かせてあげた方がいいのか。
起こしてあげた方がいいのか。
でも下手に起こすと「肩も貸して上げられない小さいヤツ」と思われそうで怖い。
どうしよう、どうしよう。
と悩んでいると、女性は僕の肩にもたれかかりながら不意につぶやいた。
「ねえ、どうして……」
………。
なんですか? という思いで目を向ける。
女性はあいもかわらず爆睡中。
どうやら、寝言をつぶやいたらしい。
っていうか、どんな夢を見てるんだ。
何食わぬ顔で無視を決め込んでいると、再度女性はつぶやいた。
「どうして……」
………。
「どうして……」
………。
「ねえ、どうして……」
こっちが聞きたい。
どうして? って。
「どう…して……」
気づけば、女性は眠りながらポロポロと涙をこぼしていた。
「ふおっ?」
思わず声を出しそうになって慌てて口をおさえる。
ちょっと、泣くんですか!?
ここで泣くんですか!?
見ると、他の乗客たちが好奇の目で僕らに顔を向けている。
「違います! 違います!」と全力で首を振る僕。
必死で「僕の連れじゃありません」アピールをするものの、彼女はなおも「どうして」を連呼している。
これは起こしてあげた方がいいかもしれない。
そう思い、強めに肩を揺らしたが女性はいっこうに起きる気配がなかった。
起きる気配がないどころか、いっそう僕の肩に顔をうずめてくる。
なんなの、この人!?
嫌がらせ!?
そしてそんな彼女は顔をうずめながら衝撃的な言葉を口走った。
「どうして……浮気なんてしたの?」
………。
ちょおおおおおおおお!!!!!
なに言ってるんですか、あーた!!!!
なに言ってるんですか、あーた!!!!
「この浮気者……」
おーい、おまわりさーん!!!!
ヘルプミー!!!!!
今度ばかりは静観を決め込んでいた他の乗客たちも一斉に僕に目を向けた。
当然、僕は全力で首を振る。
違う違う! 僕じゃない!
女性は涙を流しながら今度は「浮気者」を連呼している。
これはヤバい、ヤバすぎる。
中には「こいつ浮気しやがったのか」と蔑んだ目で見てくる人までいる。
だから、僕じゃない!
仕方なく女性の身体をゆすった。
「起きてくださーい」と心の中でつぶやきながら。
しかし女性はいっこうに目を覚まさない。
覚まさないどころか「くう」と可愛い寝息を立てて再度、僕の肩によりかかってくる。
……拷問ですか。
そうやって女性を行ったり来たりさせているうちに、ようやく電車は自宅アパート近くの駅へと着いた。
ふう、やっと解放される。
サッとシートから腰を浮かすと、女性は「あた」と言いながら目を覚ました。
そしてキョロキョロと辺りを見渡す。
天然っぽい感じがちょっと可愛い。
すると彼女は「あ……」と言いながら慌ててホームに降りていった。
って、同じ駅なんかい!
僕も気まずい思いで女性のあとについて降りた。
女性は僕の前をカツカツとヒールの音を響かせて歩きながら「はあ」と深いため息をついている。
どうしたんだろう、めっちゃ気になる。
寝言が寝言だっただけに、めっちゃ気になる。
でも、声をかけるのもなんだしなあ……。
と思っていると女性は歩きながらハンカチを取り出し、それを目に当てはじめた。
しかもグスグスと鼻音をたてていた。
ああ、これ、男にはダメなパターンだ。
僕はそれを見た瞬間、思わず声をかけてしまった。
「あ、あの……」
「はい……?」
振り向いた彼女の目はすごく赤かった。
すごくはれていた。
きっと思いっきり泣いた後なんだろう。
「何か……ありました?」
そう尋ねる僕に、彼女は一瞬怪訝な表情を浮かべるも、すぐに顔をクシャクシャにして泣き出した。
「うええ」と可愛い声をあげて泣いている。
「よろしければ、聞きますよ?」
僕はそう言って彼女をベンチへと座らせた。
そこで聞いた話によると、ことの顛末はこうらしい。
先週の金曜日、28歳の誕生日を迎えた彼女(僕より3つも年上でビックリした)には、長年付き合った彼氏がいて、お祝いをしてもらう予定だった。
ところが誕生日当日、彼氏から「急な仕事で会えなくなった」とメールが来てお祝いディナーは中止となった。
それならばと、彼女は合鍵を使って彼氏の家でサプライズ待機していたのだが、当の本人はなんと別の女を連れて帰ってきたというのだ。
もちろんその場は修羅場と化し、彼女は別れを告げてそのまま帰宅。
以降、一切の連絡を絶ち切った。
……そして、現在に至るらしい。
「それは……まあ、お気の毒といいますか……」
思った以上に重めの話で、なんと言っていいかわからず途方に暮れた。
正直、僕には何の力にもなれない案件だ。
「すいません、何のお力にもなれず」
「ううん、聞いてくれただけで嬉しかった。ありがとう、おかげでスッキリした」
そう言う彼女はどこか吹っ切れた顔をしていた。
「こんな時間まで付き合わせてごめんなさい。あなたにも帰りを待ってる彼女さんとかいたでしょう?」
「いえいえ! 彼女なんていません! 生まれてこの方ドフリーです! 彼女いない歴イコール年齢です!」
いらないことまで言ってしまった。自分で言ってて虚しくなる。
でも僕の返答があまりに想定外だったのか、彼女は一瞬きょとんとしてプッと笑い出した。
「クスクスクス」
「あ、ひどい」
「すいません、まさか真剣な顔でそんなこと言われるとは思わなかったので……クスクスクス」
笑われるとは思わなかったけど、元気になってくれたようでよかった。
彼女は笑いながら涙を拭き、聞いてきた。
「あの……いつもこの時間の電車に乗ってるんですか?」
「あ、はい。残業がなければいつもこの時間の電車です」
「そうなんですね。私もです。もしかしたらいつも顔を合わせていたのかもしれませんね」
「あはは、そうですね」
「また今度、お話を聞いてもらってもいいですか?」
「もちろんです」
にっこりと微笑んだ彼女には、もう泣いてる跡は見えなかった。
その後、二人は急接近するのでした。
お読みいただきありがとうございました。