かくも長く凍てついた散歩の果てに
その晩僕は親友の浦路に電話で告げる。
「シベリアに行く。大草原で彗星を見るのだ」
浦路は多分いつもの薄ら笑いで通話を切った。
待ち合わせの深夜、大きなザックを担いだ僕に浦路は目を丸くする。
「本気だったのか、日世取」
散々な一日だった。
模試はE判定、告った女子に振られ。
憧れの安仁屋先生には鼻で笑われた。
「こんな三角関数が解けないの?日世取」
(女王様の冷たい目線はちょい癖になるけど)
おまけに帰宅するなりバカハスキー犬、岩吉が尻を噛んだ。
もう明日の補習に参加する気なんか無い。
「行くぞ。シベリアへ」
浦路と僕は夜の道を歩き出す。
ホントの本気だったわけじゃない。
適当なとこで適当な理由をつけ戻ってくる、ただの散歩のはずだった。
だが冬の小雨は僕を頑なにした。
「日世取、気が済んだか?帰ろうぜ」
浦路の口調も癇に障った。
「360度の地平を見てからだ」
浦路はため息をつき歩き出す。何だかんだ親友だ。
雨が雪に変わって、さすがに心が折れた。
「おい、浦路…あれ?」
横を向くといつの間にか浦路が重装備で驚く。
厚めのコートに毛皮のフードで頭部を覆っていた。
「何だ、まるで極地の越冬隊…」
ゴウッと突風が吹いた。
気がつくと僕も毛皮の軍服姿だ。
「同志ヒョードル!しっかり!置いてくぞ」
同志?
猛吹雪の中、浦路を見る。
「アーニャ曹長、ヒョードルの反応が」
不思議な言葉の先に厚手の軍用コートを羽織った長身女性。
「軟弱者が。同志ウラジミール、ここに捨てていけ」
「しかし」
安仁屋先生?
まさに氷の女王だ。
「ふん、三角関数が解けないから凍土も溶けないのだ」
僕を冷たく見下ろし、鼻で笑う。
「このE判定が」
大平原は猛吹雪で何も見えない。
同志ウラジミール…いや、浦路の声が遠くに響く。
「ヒョードル!頑張れ!E判定でモテなくてお先真っ暗でもダイジョーブだ!」
…大きなお世話だ。
視界が暗くなっていく。
ただ深夜の散歩に出ただけだったのに…何でこんなことに。
「バウ!」
「うわっ」
岩吉が飛び出てきて、僕の尻に嚙みついた。
「イワン!それは餌じゃない!」
浦路は引き離すが尻が痛い。
「日世取、ボーッとすんな」
安仁屋先生が僕の尻をつねっていた。
教室に爆笑が広がり、僕は目を醒ました。
隣の浦路の薄ら笑い。
僕は茫然と黒板に書かれた三角関数の問題を眺めた。
補習中に酷い悪夢だ。
冷や汗をかく耳元に安仁屋先生の甘い囁きが。
「同志ヒョードル、冬の大三角形に彗星は見えたか」