八十七話目「おにぎりに関する恨みつらみ」
昔のおにぎりに対するの怨みの話をして良いですか。
ダメだと言われても書き綴りますが。
その昔、おやつを食べる習慣のない家で育ちました。
十五時頃にお腹が減ってきて、「おやつちょうだい」と言うと、「握り飯でも作って食え!」と言われました。
実際に茶碗一杯分の握り飯=おにぎりを作って食べました。
夕食の時、婆さんが「米が足りない。誰が食べたんだ!」と怒っていました。
結局おまいらは、個人個人の都合の良い事ばっかり言いたがるのな。
と言う事を、ずっと覚えていた。
子供(特に俺個人)の意見は怒鳴って黙らせる家だったなぁ。
SNSで「おにぎらず」の動画を観ることがありました。
ラップで包むことで「握らないでおにぎりを作る」方法を紹介してたり、海苔で巻く事でおにぎりっぽい物を作ったりしていました。
炊飯器から熱い米を手に乗せる…と言う苦難をクリアした結果なのだろう。
美味しければ「おにぎらず」でも良いのだ。
そう。美味しければ。
梅干しは殺菌になるから、梅干しおにぎりが一番良いんだと理屈を言いながら、その梅干をみじん切りにする事も無く米の中央にぶっこむ奴は信用成らん。
梅干しの入ってる所以外は、腐食するだろう?
毎回、腐れかけの米を食わされていた、遠い昔の遠足の思い出。
ずっと昔から不思議だったんですけど、「子供は際限なく飯を食えるはずである」って言う思い込みって、何処から発生したんでしょうね。
親戚の家にご飯をご馳走になりに行った時、色んな味のおにぎりを出してもらったのですが、幾ら食べても「もっと食えもっと食え」と言われて、言われるままに食べた後、夜間に吐き気がしてきて全部リバースしたと言う経験があります。
骨格がごつくて体が大きめに見えるので、内臓も大きいはずである…と思われるのは解せぬ。
要らないと言っても「出された物は黙って食え!」と言われるし。
とある工場の「昼食の食堂の様子」と言うのを、遥か昔にテレビで見た事があります。
「我々の工場では、食事中に私語は一切しません(どうですか、この規律ある行動は。素晴らしいでしょう?)」と言う説明がされていたけど、すごくたくさん人がいるのに、全員沈黙して飯を食っている様子は、不気味でした。
よっぽど、飯がまずいのでは…と考えたくらいです。
人間は、美味い物を食ってる時は黙ると言う法則を聞いた事があるのですが、不味い物を食べている時も黙るよなぁ…と思って居たし、今でも思って居る。