二百三十話目「お弁当に添える物」
二千二十五年三月二十四日。
夜。
一日出かけてきた後は、疲れているらしい。
出かけ先では、ずっと作業をしているから、無自覚な疲労はあるのだろう。
それに、回復アイテムが乏しい。冷凍食品多めの蛋白質弁当は食べ応えはある。だが、腹持ちは悪い。
蛋白質弁当と一緒に芋でも食べられれば良いのだが。ジャガタライモや薩摩芋は、ギリギリ野菜だと思うのだ。
レンジで蒸かした芋をラップで包んで持って行けば良いのだろうか。
弁当と一緒に、ラップに包んだ芋を持って行く…。うん、絵面は面白いな。面白さは求めていないが。
たぶん今週一週間、食パンを食べないかもしれない。もしもを考えるなら、水曜日辺りに飢えに負けて食パンを買うかもしれないが。
どちらかと言うと、食パンより芋や林檎やバナーナを食べて凌ごうとしている。
思いついたのだが、せっかくお弁当袋を買ったんだし、弁当と一緒に林檎を持って行けば良いのでは?
明らかに、そっちのほうがオシャレ。丸かじりするんだとしても、オシャレ。
出来たら、果物用のお弁当箱も用意して(究極はタッパでも良い)、ちゃんと皮をむいて切ってある林檎を持って行けたら良い気がする。
ピックは要らない。爪楊枝で良い。
林檎も高額なので、そんなに毎日持って歩けないが、ジャガイモを持って行くよりは良さそうだ。
猫って蒸かした薩摩芋食べるんですよね。彼等が薩摩芋のうまさを理解すると知って、その話を聞いた時はちょっとびっくりしました。
おいどんも、数年ぶりに薩摩芋が食べたい。だいぶ甘いけど…。芋だから大丈夫だとは思うのですが。
とりあえず、昼に自分で用意した弁当を食べるようになってから、少しは節約できるようになってきました。
単純に、毎日お昼ご飯で六百円の出費はしなくなりました。
家に帰って来てからも、すぐに食べられるものはないけど、簡単でも作れば食べられると言う状態は、「買い置きの物をそのまま食べちゃう」より、満足感が違うみたいです。
食材に接している時間が長い事と、思ったような味の物が食べられた時の「ご褒美感」がすごいのです。
ただし、年中飯の事ばかり考えていると、人生を呪いたくなります。
しかしですが、ペットボトルのお茶を買ってがぶがぶ飲んでしまうのは治りませんでした。甘くないお茶は別腹らしいのです。
ハムを利用して、丸いフライパンで四角い卵焼きを焼く方法を編み出しました。
基本は押さえたので、美しい卵焼き作りに力を注ぎます。