『貴方は妹には相応しくない』と言われたので相応しい男になるべく努力したのに永遠に認めてくれない!
「見つけた!」
勢い良く扉を開けて教室に入って来たのは三年生の女の人。
薄くメッシュが入った髪はふんわりとウェーブがかかっており、耳にはピアス、腕にはチェーンブレスレット、ネイルもばっちりとファッションに疎い僕でさえも彼女がオシャレさんであると分かる出で立ちだ。
ただ一つ残念なのは、整った美しい顔立ちが怒りで崩れてしまっているところだろう。
陰キャオブ陰キャな僕とは住む世界が違う住人だなんて人ごとのように考えていたら、なんと彼女は僕の方にやってきた。
「あんたね、私の妹につきまとっている男は!」
「ふぇ?ええええええええ!?」
な、なな、何を言ってるんだ。
僕はストーカーじゃないよ。
そんなことするわけないじゃないか。
「他の人と……勘違い……」
「ボソボソと何言ってんのよ! 聞こえないわよ!」
仕方ないだろう。
生まれてこの方、仲の良い女の子はおろか友達すらまともにいなかったから話し方が分からないんだ。
「妹から聞いてるんだからね! 図書室で本を読んでいる時に、目が完全に隠れる程に前髪が長くて陰気臭い二年男子からいつも見られてるって」
「あ」
人違いじゃなかった。
確かにそれは僕だ。
図書室は人見知りで友達もいない僕の憩いの場。
そこに今年に入ってからとても可愛らしい一年の女の子が頻繁に来るようになったんだ。
変に思われないようにいつも出来る限り離れた席に座ってたんだけれど、あまりにも好みの見た目だったから本を読むふりしてチラチラと見ていた。
まさかそれがバレていたっていうのか。
「その反応、やっぱりあんただったんだね!」
「え……いや……その……」
「ああもう、言いたいことあるならはっきりと言いなさいよ!」
それがはっきり言えたらこんな陰気な性格にはなって無いよ。
どうしよう、弁明しなきゃダメだよね。
でも見てたことは事実だし。
でもでもそんなこと言ったらストーカーだと思われちゃうし。
でもでもでもちょっと見てただけでストーカー紛いの事はしてないはずだし。
でもでもでもでも……なんてウジウジ考えて何も言えないで居たらこの女の人の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「ああああああああ! ブツブツブツブツ言ってほんっとキモい! あんたみたいな根暗なやつ、だいっ嫌いなのよ!」
そこまで言わなくても良いじゃん。
ぐすん。
「良い事。金輪際妹に近づかないでよね」
そもそも近づいてないし!
僕の聖域に妹さんの方からやってきたのに!
なんてもちろん言えない。
「あんたみたいな見た目も話し方も気持ち悪い男は妹に相応しくないの。もし性懲りもなく妹に色目をつかったら通報するわよ! 分かった!?」
性懲りもなくも何も、僕は何もやましいことしてないんだけれど。
妹さんを意図的に探して追って見たわけでもないし、そもそも見たのだってチラっと数回見た程度だ。
こんなので通報されても警察も迷惑だろう。
なんてことももちろん言えない。
「ふん!」
僕が何も言わないのが分かったのだろう。
彼女は返事を待たずに教室から出ていった。
ヒソヒソ、ヒソヒソ。
ただでさえ普段から陰キャでキモいって敬遠されているのに、あの人のせいで更に悪化してしまったじゃないか。
むしろこっちが訴えたいくらいだ。
――――――――
「はぁ、憂鬱だ」
ベッドの上で今日の事を思い出す。
突然教室に乱入して僕の事を『妹に相応しくない』などと言い放った女の人。
そんな事は僕が一番良く分かっているさ。
大人しそうで可愛いあの子は図書室の妖精だなんて評判になってもおかしくないくらいの美少女だ。
僕みたいな陰キャでネガティブな男が相応しいわけが無い。
というよりも、そもそもこの世に僕に相応しい女の子がいるはずがないんだ。
「……アニメでも見よ」
気分が落ち込んだ時は日常系アニメを見て癒されよう。
可愛い女の子達がキャッキャウフフする姿を眺めるだけで僕の心は浄化されるのさ。
……
…………
……………………
鬱だ。
アニメの内容が全く頭に入って来ない。
まさかこれほどまでにショックを受けていたなんて。
自分で分かっていたこととはいえ、他人からはっきりと『お前はダメなやつだ』と指摘されたからだろうか。
それともあんな美人さんにボロクソに言われたからだろうか。
『ブツブツブツブツ言ってほんっとキモい!』
『あんたみたいな根暗なやつ、だいっ嫌いなのよ!』
『あんたみたいな見た目も話し方も気持ち悪い男は妹に相応しくないの』
気が付けば僕は泣いていた。
どうして僕はこんなに卑屈で惨めで根暗なキモ男になってしまったのだろう。
どうして僕はそんな自分を変えようともせずに諦めてしまったのだろう。
どうして僕は他人を必要以上に怯えるようになってしまったのだろう。
あまりの自己嫌悪で死にたくなる。
でもそれすら慣れっこで何も感じなくなっていた。
ううん、慣れたフリをして何も感じないフリをしていたんだ。
だって僕は今、悔しくて泣いているのだから。
こんな僕にもまだプライドが残されていることが分かってしまったのだ。
変わろう。
努力してみよう。
そして見返してやる。
あの女の人に『あなたなら妹に相応しい』と言わせてみせる。
「よし、やってやる!」
もうすぐ夏休み。
その間に自分を磨くぞ!
僕はこの時、生まれ変わったんだ。
な~んて格好つけたものの、何から手を付けて良いか分からない。
目標は決まっているから、それをクリアするために頑張れば良いんだよね。
あの人から指摘されたことは大きく二つ。
見た目と話し方だ。
話し方は治すのに時間がかかるかもしれないけれど、見た目の方は直ぐにでも取り掛かれる。
私服を見せる機会など無いだろうから、最初にやるべきは髪型だ。
これまでは自分で切っていたから酷い有様。
だって床屋に行くと前髪切られちゃうし、会話したくないし……
でも僕は変わると誓ったんだ。
勇気を出して『美容院』に行くぞ!
「え?美容院って予約が必要なの!?」
しかも近くにある人気店は電話での予約しか方法が無い。
いきなり電話なんて無理だよ。
ネット予約がある別のお店を探そう。
…………そうじゃないだろ!
変わるって誓ったのにいきなり日和ってどうするんだ。
こんなんじゃきっとまた妥協しまくって楽な方に流れて諦めちゃう。
勇気を出して電話するんだ!
「はい、フレッシュメンズヘアーです」
「あ、あ、あのっ……」
「?」
「よ、予約を……」
「予約ですね。お客様のお名前とご希望の日時をお願いします」
「え、あの、えっと。美杉 義道です。あと…… 」
四苦八苦したものの、お店の人が僕を蔑ろにせずちゃんと聞いてくれたおかげで無事に予約出来た。
この店は良い店だ。
我ながらチョロいな。
でも本当の試練はここからだ。
「ご希望はございますか?」
「…………」
だって美容院に行ってもどうしたら良いか分からないんだから!
どうにか勇気を振り絞って美容院の中に入り席に案内されたところまでは良いものの、やはり話しかけられたところで人見知りが発動して無言になってしまった。
相手は若い男の人なのに、それでも上手く言葉が出ない。
「美杉さん?」
まずい、このままじゃ店員さんに不審者だと思われて追い出されてしまうかも。
なにか、なにか言わないと。
「お、おお、おまかせ、で」
魔法の言葉『おまかせ』
困ったらこれを使おうと思っていたけれど、いきなりやってしまった。
だって勢いで来たからどんな髪型にすれば良いかとか分からないんだよ。
「お任せですね。でしたらこの中にご希望の髪型はございますか?」
「え?」
こういう時のマニュアルがあるのだろう。
店員さんは沢山のモデルさんが載っている雑誌を僕に見せてくれた。
はわ~みんなめっちゃ格好良い。
同じ男とは思えない。
え、この中から選ぶの。
僕なんかが真似しても似合わないよね。
どうしよう。
「美杉さんならこちらか、こちらがお似合いだと思いますよ」
店員さんナイスプレー!
困っていたら助け船を出してくれた。
でも、それかぁ。
本当に似合うのかな。
いや、ここは店員さんを信じよう。
「こ、これで」
「分かりました。そちらはワックスが必要になりますがよろしいでしょうか?」
「わ、わっくす?」
「はい、髪を整えるのに使います」
確かにこのモデルさんの髪はベタッとしてないでふわりと盛り上がっている。これってワックスで固めてたんだ。
あれ、でもそれって困るかも。
「あのその、ええと」
「はい」
この店員さんは良い人だ。
僕が焦って上手く言葉が出なくても嫌な顔一つせずに待っていてくれる。
落ち着こう。
落ち着いて普通に聞くんだ。
スラスラと言葉が出なくても良い。
ゆっくりでもちゃんと伝えることを意識しよう。
「ワックス、落としたら、どうすれば、良いですか?」
家に帰って頭を洗い流したらせっかくセットされたのが崩れてしまうことが心配だった。
「ワックスを落とすとこちらの髪型になります」
「へぇ、良いですね」
ワックスがあった方が格好良いけれど、無くても十分に格好良かった。
もちろんそれはモデルが良いからだろうけれど。
「それにこちらの髪型は手入れが簡単ですので、ご自身でセットが可能だと思います」
「僕が!?」
「はい、ご希望でしたら簡単にですがやり方を教えますよ」
髪型に無頓着だった僕が自分の髪をセットする。
しかもこんな格好良い感じに。
教えてくれるって言うけれど出来るのかな。
「それでは問題無いようでしたらはじめますね」
「は、はい」
店員さんは手際よく準備をはじめ、髪にハサミを入れ始めた。
あれ、おかしいな。
すぐに異変に気が付いた。
店員さんは僕に全く話しかけないのだ。
話しかけられたらどうしようと不安に思っていたのが拍子抜けだ。
他のお客さんは店員さんと話をしているのに僕だけ無言。
やっぱり僕みたいな気持ち悪い客とは話したくないのかな。
さっさと終わらせて出て行って欲しいって思ってるのかな。
ああもう、ダメダメ。
ネガティブにならない、根暗にならない、卑屈にならないって決めたじゃないか。
僕の方から話しかけるくらいしないと、何も変われないぞ!
「あ、あの!」
「なにか?」
マズい、店員さんの手が止まってしまった。
不満があると勘違いさせてしまったかな。
早く何か言わないと。
「えと、えと……」
やっぱりこの店員さんは良い人だ。
今度もまた、僕が話をするまで待っていてくれた。
落ち着け―
落ち着け―
落ち着け―
よし、言うぞ。
「何かお話しませんか?」
何言ってるの!?
こんな中途半端に話を振っても困らせるだけじゃないか。
「ええ、もちろんですよ」
「あ、あれ、良いの?」
神!
髪だからとかじゃなくて本当に神!
爽やか笑顔で返事されたら惚れてまうやろ。
「お客様とお話しするのは我々の楽しみですから」
「そう、ですか。ごめんなさい」
「何故謝られるのでしょうか」
「僕、人見知りで、話が苦手だから、つまんない」
他の人みたいに和気藹々とした会話には決してならないだろう。
むしろ僕に気を使ってしまい楽しくならないと思う。
「お気になさらないでください。お客様のペースでどうぞ」
「店員さん……」
「よろしければ水野とお呼びください」
そういえば最初に席に案内された時に自己紹介されたっけ。
緊張してて忘れてた。
「水野さん、僕、格好良く、なれるかな」
「はい」
断言したよ、この人。
「本当に?」
「もちろんです、そのために私がいるのですから」
ひゅー、格好良すぎでしょ。
水野さんは見た目もイケメンだけれど、中身もイケメンじゃないか。
それにとても話しやすい。
「僕、変わりたいんです」
「はい」
「明るく、なりたいんです」
「はい」
「普通に、話せるように、なりたいんです」
「はい」
水野さんは優しい笑顔で僕の想いをシンプルに肯定してくれる。
それがとても心地良かった。
「差し支えなければ、美杉さんがそう決意された理由を教えていただけますでしょうか」
女の先輩に気持ち悪いと言われたこと。
その人の妹には相応しくないって言われたこと。
それらが悔しくて自分を変えようと思ったことを素直に伝えた。
すると水野さんはとんでもないことを言い出した。
「分かりました。我々は全身全霊をあげて美杉さんをサポート致します」
「え?」
ここって美容院だよね。
メンタルケアとかそういうのもやってるってことじゃないよね。
不思議に思っていた僕の考えを察したのか、水野さんはある質問をした。
「美杉さんは、私達の仕事って何だと思いますか?」
「髪の毛を、切ること、ですよね?」
「はい、もちろんそれも仕事の一つです。ですが我々の本当の仕事は『お客様が変わるお手伝い』をすることなんです」
「変わる、お手伝い」
ああ、まるで僕のためにあるかのような仕事じゃないか。
「気分を変えたい、格好良くなりたい、生まれ変わりたい。例えばそんな変わりたいと願うお客様の力になりたい。髪を切るのはそのための手段の一つに過ぎないのです」
格好良すぎてマジで惚れそうなんだけど。
イケメンやばすぎでしょ。
「ですから私達は美杉さんの変わりたいという願いを叶えたいんです」
ふと目線を横にやってみる。
隣のお客の髪を切っている女性店員が鏡越しに僕に頷いてくれた。
反対側の店員さんも同じだ。
こんな風に僕に優しくしてくれた人は家族以外に今までいなかった。
例え仕事だったとしても嬉し過ぎる。
やばい、泣きそう。
というか泣いちゃった。
「あ゛り゛か゛と゛う゛、こ゛さ゛い゛ま゛ず゛」
なんて恥ずかしいんだ。
店員さん達だけではなくて、他の客にも僕の情けない話を聞かれてしまっただろう。
顔をくしゃくしゃにしてみっともなく泣いているところを鏡越しに見られてしまっただろう。
でも不思議なことに嫌な気分では無かった。
僕は水野さんから貰ったタオルに顔を埋めながら温かい涙を流す。
「ひとまず美杉さんは髪の手入れとお化粧を覚えましょう」
「お化粧ですか?」
髪の手入れは分かるけれど、男なのにお化粧?
「うん、若い男の人は放置しがちなんだけれど、毎日化粧水をつけるだけで肌の艶がだいぶ変わるよ。それに肌の保護にもなるからずっと続けれていれば歳をとっても肌が長持ちするしね」
「美杉さんの場合は女の子を見返すわけだから、しっかりやらなきゃ」
「俺が使ってるやつとかオススメだぜ」
あれあれ、他の店員さんやお客さんまでも会話に入って来たぞ。
どういうことだ?
「美杉さん大人気ですね」
「はぁ……」
意味が分からないんだけれど、もしかして同情されちゃったのかな。
「一応今日色々と説明しますが多分覚えられないでしょうし分からないことも多いでしょうから、いつでも僕らに相談してください。後で連絡先をお渡ししますので」
「は?」
連絡先?
なんで?
「言ったじゃないですか。全身全霊をあげてサポートするって」
「はいぃ!?」
あれって仕事の範囲内でってことじゃないの!?
まさかプライベートでも教えてくれるなんて。
しかも水野さんなら話しやすいから色々と聞けそうで凄い助かる。
「そうそう、連絡先は僕じゃなくて彼女にしますから。次からの美杉さんの担当は梅島さん。梅島さん良いかな」
「もっちろんです!」
「ええええええええ!?」
ま、待って。
梅島さんって隣のお客さんを担当してるめっちゃ綺麗な女の人だよね。
無理無理無理無理!
「練習するならやっぱり女の人じゃないと」
「うあ、その、あの、ええ」
髪や肌の手入れだけじゃなくて会話の方もサポートしてくれるの!?
それにしたっていきなり綺麗な女の人が相手とか無理ですぅ!
水野さんで慣れてからステップアップさせてください!
って思っているのに梅島さん話しかけてこないで!
自分のお客さんに集中してください!
お客さんもニヤニヤ楽しそうにしてないでさ、あんな綺麗な人が他のお客に興味持ってるの嫉妬しなさいよ!
「メッセージ待ってるからね。毎日必ず美杉さんから話しかけること」
「あわわわ」
「それとも毎日電話の方が良い?」
「メッセージ送りまーす!」
ダメだ、この流れは止められない。
でもそれで良いのかも。
こうやって強引で逃げられないようにしてくれた方が頑張れるかも。
まさか僕の性格まですでに読まれている!?
「後は服も買いに行かないとね」
「え、でも、普段、制服」
「ダメダメ。普段からおしゃれを意識することで自然に出来るようになるんだから」
「は、はぁ……」
そんなものなのかな。
いずれファッション誌を参考に買おうと思っていたからアドバイス貰えるなら嬉しいけれど。
「ということで、今度私と一緒に買いに行こっか」
「!?!?!?!?!?」
美容院がこんなに怖いところだったなんて知らなかったよ。
――――――――
そんなこんなで夏休み明けの登校日。
僕は美容院のみなさんから教えて貰った知識と技術をつぎ込んで身だしなみをセットした。
といっても練習した通りに髪をセットし、化粧で肌を潤わせ、綺麗に磨いた靴を履き、爪を短く切り、眉毛や指毛などの髪以外の毛を整えて清潔感を出しただけだけれど。
その『だけ』がみんな出来てないんだよって梅島さんは言ってたけれど本当にそう思う。
こんな簡単なことで別人になったかのような雰囲気になるのだから。
「え、誰?」
「あんなイケてる男子うちのクラスに居たっけ」
「夏休みデビューしたんじゃね?」
教室に入ると、いつもゴミを見る様な目で見てくるクラスメイト達が興味津々で僕を見てくる。
しかも好印象のようだ。
「は!? 美杉!?」
「嘘でしょ!」
「ないない、絶対無いって!」
僕が席に座ってようやく誰なのか分かったようだ。
気持ちは分かるよ。
僕だっていまだに鏡を見て自分が別人のように見えるんだから。
「ねぇ、美杉君なの?」
隣の席の女の子が話しかけて来た。
今までは僕と話をするどころか体を向ける事すら無く、机を離して距離を取っていたのに。
「おはよう、倉峰さん。そうだよ、僕は美杉だよ」
「え?」
「あはは、こんなに変わっちゃって驚いたよね」
どうでしょうか。
女の子相手でも普通に話が出来るようになりました。
あの人達かなりスパルタだったからね……
「マジで美杉なのか?」
「おいおい、何があったんだよ」
倉峰さんが声をかけたことをきっかけに、クラスメイト達が押し寄せて来た。
凄いな。
見た目が違うだけでこんなに劇的に反応するんだ。
「ちょっと頑張ってみただけだよ」
「いや、ちょっとってレベルじゃないだろ」
「倉峰さんとか照れてるし」
「て、照れてないよー!」
「あはは、もし良ければ身だしなみを整えるコツを教えようか?」
「マジで!?」
「教えて教えて!」
あれ、なんか友達が出来そうな勢いでフランクに話が出来てるぞ。
これなら及第点じゃないだろうか。
早速あの人に突撃だ。
でもぶっちゃけたところ、あの人が誰なのか知らないんだよね。
名前もどのクラスなのかも全く知らない。
だから三年生の教室を虱潰しに探さなければならない。
上級生のフロアに入るのってなんでこんなに気まずいんだろう。
「今のイケメンだれ?」
「二年生っぽいけど見たこと無いな」
「ここに来てるってことは誰かの弟とか彼氏なのかな」
イケメンって、流石に言い過ぎじゃないかな。
美容院で見た雑誌に載っていたあのモデルさんはもっと格好良かったと思うよ。
イケメンっていうのは彼らや水野さんみたいな人のことを言うんだ。
「あ、いた」
見覚えのある顔だ。
後ろの席の女子と話をしている。
でも呼び出してもらうにしても名前が分からない。
あの人を呼んでくださいってお願いするのもなんか失礼な感じがするし。
仕方ない、こっちから向かうか。
「失礼します」
そう小声で挨拶して教室内に入ると、みんなが一斉に僕の方を見た。
なんで!?
人と会話をするのが慣れたとはいえ、流石に緊張するんだけど。
僕はそんな羞恥プレイに耐えながらも彼女の元へと向かった。
「あの、少しお時間よろしいでしょうか」
「え?私?」
「何々。三浦さんの知り合い?」
「ううん、ち、違うと思う」
三浦さんって言うんだ。
ようやく名字を知れたよ。
「三浦さんと仰るんですね。失礼しました、僕は美杉と言います」
「は、はぁ」
よし、ちゃんと話が出来ている。
このまま落ち着いて続けるんだ。
「僕は夏休みの前に妹さん関連で三浦さんにお叱りを受けたのですが覚えてますでしょうか?」
「は?」
あれ、覚えてないのかな。
そんなことは無いと思うんだけど。
「ほら『妹には相応しくない!』って二年生の教室まで来ましたよね」
「ええええええええ!?」
姿が変わりすぎてすぐに分からなかっただけだったか。
あれだけのインパクトのある行動をしておいて流石に忘れないよね。
「え、うそ、あの時のキモ……じゃなくて、男子があなたなの!?」
「あはは、キモいって言って大丈夫ですよ。僕もそう思ってましたから」
「うっそおおおお、ありえなーい!」
「そう思いますよね。でも頑張ったらこうなっちゃったんです」
「ありえない……ありえない……あいつがこんな……めっちゃタイプなんだけど」
最後の方が小さくてちょっと聞こえなかったけれど、この驚きは好印象と受け取って良いのかな。
「どうでしょうか。見た目も話し方もこうやって治しました。また図書室に行ってもよろしいでしょうか」
「図書室……?」
「はい、妹さんに近づくなって言われたので」
「あ!」
三浦さんのこの時の反応がとても面白かった。
顔が青くなったり赤くなったりの百面相で失礼だけどちょっと笑ってしまいそうになっちゃった。
三浦さんは少しの間考えてジャッジを下す。
「ダメよ!」
ええええええええ!?
ここまでやってダメなのぉ!?
「まだダメなんですか……」
「ち、違う。そうじゃないの」
「え?」
「見た目も話し方も問題無いわ。でもほら、それ以外はどうかしら」
それ以外とはどういうことだろうか。
「例えば見た目は良くなったけれどオシャレについてはまだまだよ」
「ああ、なるほど」
そこはちょっと悩んだんだよね。
一応アクセの類についても叩き込まれたのでお気に入りのものは何点かある。
でもいきなり学校に持って来るのもやりすぎかと思って今日は持って来てないんだ。
「でしたら明日持ってきますね」
「え?」
「目立ち過ぎないように抑えてたんです」
「そ、そうなの」
ああ、でも一つだけ持ってるものがあったな。
「そうそう、目立たないものを一つだけ持ってました。こんなのはどうでしょうか」
僕はポケットに入れておいたケースを取り出し、中から眼鏡を取り出した。
「伊達ですが、どうでしょうか」
「…………」
「あの?」
「すこ」
「え?」
「すこすこのすこ」
顔を真っ赤にして呆然とした表情になってしまった。
おおーい、大丈夫ですかー
「三浦先輩?」
「はっ! い、いいんじゃないかしら」
「それは良かった。他に妹さんに相応しい条件ってありますか?」
「う゛……」
何でも言って下さい。
頑張りますから。
「や、やっぱり中身が伴ってないとダメね。成績が良くて運動も出来ないと」
「分かりました」
「え?」
「夏休み明けの実力テストで結果を出してみせます。運動の方は正直苦手なのですが、球技大会で頑張るところを見て頂けたらと思います」
「え?え?」
「それではまた後日。今日は突然来てお騒がせしてしまい申し訳ありませんでした」
よ~し頑張るぞ~
「あれ、え、待って、ヤバない?」
三浦先輩の戸惑いの声を背に、僕は意気揚々と引き上げた。
勉強は元々それなりの成績だった。
全体的に平均よりやや上。
両親に勉強しろと言われたくなかったから、その分だけ勉強していた。
もっと集中してやればケアレスミスが減って応用問題も解けるようになるだろう。
『頭が良いかどうか絶対に聞かれると思います』
水野さんのアドバイスにより、夏休み中にスパルタ勉強会が開催された。
アレはもう思い出したくない記憶。
皆さん僕を磨くことに僕以上に夢中になっちゃって本気すぎるんだもん。
「やった、ランキングに入った」
その結果、実力テストは十五位だった。
ここは一位になる流れじゃないかって?
ちょっとやそっと勉強しただけで取れるわけないじゃないか。
漫画やネット小説じゃあるまいし。
「ということで、いかがでしょうか」
「…………」
「ご不満でしたら次の定期テストでもっと上を目指しますけど」
「…………」
「三浦先輩?」
「うひゃあ!?」
結果報告に来たら三浦先輩が固まっちゃった。
どうしたんだろう。
「あ、ああ、うん。凄いわね。勉強も出来るなんて……」
「わぁ、褒めてくれた」
「ほひゃあ!?」
嬉しくて思わず笑顔になっちゃった。
逆に三浦先輩はまた真っ赤になって固まっちゃったけど。
「次は球技大会ですね。頑張ります!」
問題はこっちなんだよね。
僕は運動がかなり苦手だ。
夏休みに特訓させられたとはいえ、ポンコツがそこそこ動けるようになった程度。
体力も力も技術も全く無い僕に出来ることは一つしかない。
『まだ行ける! まだ走れる! 諦めるな! 見返すんだろ!』
短期間で身に着けられる唯一の能力『根性』でアピールするんだ。
「パス頂戴!」
「ほい」
「ぬりゃああああ!」
今年の球技大会の二年生の種目はラグビーだ。
僕はクラスの二軍チームで参加することになった。
相手は運動部が数多く所属する一軍チーム。
柔道部なんかにタックルを喰らったら、ひ弱な僕は吹き飛ばされてしまう。
だからどうしたって言うんだ。
これほどに根性を分かりやすくアピール出来る種目は他にはない。
サッカーとかじゃなくて本当に良かったよ。
「まだっ、まだあっ!」
どれだけ吹き飛ばされようが決して諦めず必死で食らいつく。
僕に出来るのはそれだけだ。
「絶対に通さないいいい!」
少しでも歩みを止めようと陸上選手の腰にしがみ付き、引き摺られながらも気合で放さない。
「行くぞおおおお!」
少しでも前に進めようと柔道部のエースに真っ向勝負を挑む。
「うわああああ!」
「くそおおおお!」
「まだまだああああ!」
そのほとんどが上手くいかないけれど、決して諦めはしない。
ダメな男が魅せられるものなんて、これしかないのだから。
「美杉、パス!」
「!?」
僕の必死なプレイに感化されたのか、なんて言ったら自意識過剰かもしれないけれどチームメイトもやる気が出てきた様子。
どうせ勝てっこないしと気を抜いた雰囲気だったのが、いつの間にか本気になっていた。
だからと言ってもやしっ子の集まりである二軍集団。
勝つどころか良い試合にすらならなかった。
それでも……
「いよっしゃああああああああ!」
なんとか完封負けだけは防ぎ、僕らはまるで優勝したかのように喜び合った。
三浦先輩に良いとこを見せようと頑張っただけなのに、結果として友達も沢山出来ちゃった。
まさか生涯の友と言える程に長い付き合いになるとは思わなかったけれど。
「そうだ、先輩は何処だろう。見ていてくれたかな」
居た、こっちを見てる。
「せんぱ~い!」
大敗なのにチームで必死に頑張れたことがあまりにも清々しくて最高にハイな気分だった。
「負けちゃいました」
言い訳はしない。
負けは負けだし、運動が不得意であることには変わらないだろう。
根性を認めて貰えなかったならば、これから地道に頑張ろう。
「あ……うん……」
「先輩?」
何かしらの答えをくれるかと思って待っていたけれど、三浦先輩は体操服の裾をぎゅっと握ってもじもじしたままだ。
「………………よ」
「え?」
何かを呟いたようだけれど聞こえなかった。
周囲には別の試合を応援する人が多く騒がしいから仕方ない。
「…………ったよ」
「ごめんなさい、先輩。この辺り少し騒がしくて聞こえないんです」
もう少しだけ先輩に近づいて、耳を寄せる。
すると先輩は真っ赤になった顔をあげて僕をキッと睨んだ。
「だから、格好良かったって言ったの! 超格好良かった! 馬鹿!」
そしてそのまま走り去ってしまった。
ええと、これって合格ってことで良いんだよね。
後日改めて確認したところ、僕の予想は正しく勉強も運動も合格を頂けた。
ただ予想外だったのは、妹さんに相応しい条件はそれだけでなかったということだ。
「あなたが妹を楽しませられる相手なのかが分からないわ」
「それは……」
確かに相性というのは重要だ。
一緒に居てもつまらなかったり不満を抱くようであれば相応しくないと言われても当然だろう。
でもなぁ。
「それって付き合ってみないと分からないですよね」
せめて友達として一緒にいる時間があれば良いのだけれど、近づいてはならないと言われているからそれも無理だ。
「だ、だだ、だから、その、てて、提案があるわ」
「?」
またしても三浦先輩が動揺している。
もちろん真っ赤だ。
「わ、わたひが、試してあげる」
「え?」
試すってどういうことだろう。
「だーかーらー、私を妹だと思って楽しませなさいって言ってるの!」
「ええええええええ!?」
「つつ、次の日曜とか、どうかしら」
つまり三浦先輩を妹さんだと思ってデートすることで、僕と妹さんとの相性を確認するってことか。
お姉さんだから妹さんのことを良く知っているとはいえ良いのかなぁ。
「でも三浦先輩に迷惑では」
「べ、べべ、別に迷惑かどうかは、私が決めることでしょ」
むぅ、そう言われたら反論出来ない。
結局、三浦先輩に押し切られる形でデートの予定が決まってしまった。
「一回だけじゃ分からないから」
「放課後デートも試してみないと」
「学校での逢瀬も大切だわ」
最近、僕はずっと三浦先輩からの課題に挑戦し続けている。
最初はデートだけだったのに、今では学校でもそれ以外でも一緒に居ることが多い。
「チャットの相性も確認しないと」
なんて言われて連絡先を交換し、毎晩他愛もないメッセージのやりとりを続けている。
まるで恋人になったかのようだ。
だからこそ課題の意味があるのだろうけれど。
でもそろそろ結果を教えて欲しい。
これまで不合格は出ていないのだから、妹さんに会わせてくれても良いんじゃないか。
「ダ、ダメよ。絶対にダメ!」
なんていつも拒否されてしまうのだけれど、納得できない。
だから僕はある日の放課後、三浦先輩を校舎裏に呼び出して少し強めにお願いしたんだ。
「もう二か月近くも課題を続けてますよ。そろそろ妹さんに会わせてくれても良いじゃないですか」
「ダ、ダメよ。絶対にダメ!」
でも結局認めてはくれない。
「ダメな理由を教えてくれないと困ります」
「…………」
いつもと違いもう少し食い下がってみたら、三浦先輩は少し俯いて何かを考え出した。
これはもしかすると進展するかもしれない。
「…………妹じゃなきゃ…………ダメ?」
「え?」
それは一体どういう意味なのだろうか。
「例えば、私とかは? 例えばの話だからね!」
三浦先輩と恋人になる、か。
「三浦先輩とお付き合いできるなら嬉しいですよ」
「ふぇ?」
「綺麗ですし」
「ふゃ!?」
「オシャレですし」
「ひゃ!?」
「驚くとちょっと変な声出すところとか可愛いですし」
「ふしゅー……」
もちろん見た目だけじゃない。
「それに何より課題でご一緒させて頂いて楽しかったですから」
相性という意味では全く申し分ない相手だ。
「でも僕はやっぱり妹さんが良いです」
「……………………なんでぇ?」
例えばの話なのに、なんでショックを受けてる感じなんだろう。
「いやぁ、これ以上はちょっと」
「そこで止めないでよぉ、なんでもするからぁ」
「例えばの話ですよね?」
「も、もちろんそうよ。私が何でもするとしても妹を選ぶのかって聞いてるの」
突然めっちゃ早口になった。
あはは、夏休み前までの僕みたい。
「でも言ったら三浦先輩怒りますよ」
「怒らないから」
「本当ですか?」
「本当よ。ほら、さっさと言いなさい」
「う~ん……………………」
絶対に言ってはダメだと思うんだけど、逃がしてはくれなさそうな雰囲気だ。
仕方ない、甘んじて怒られるか。
「妹さんの方が胸が大きいからです」
「あ゛あ゛!?」
いってぇええええ!
ほら怒ったー!
パンプスで思いっきり足踏まれちゃったよ。
くぅ~マジでいってぇ……
「さいってー!」
「だって男ですもん……」
女性の胸が気になるのは仕方ないじゃないですか。
せめて三浦先輩ももう少し大きければ。
絶壁なのはちょっと。
「絶壁じゃねーよ! ちゃんと膨らんでるから!」
心読まないで!?
しかも口調がぶっ壊れてますよ!?
「ま、まぁその、そういうわけで僕は妹さんの方が良いかな~って思う訳で……」
「あんたみたいな変態を会わせるわけが無いじゃない!」
「ですよね~」
でもどうしよう。
困った。
これまでコツコツ稼いできた好感度が一気にマイナスになってしまった感じだ。
「もういいかな……」
「え?」
おっと思わず口に出てしまったか。
まぁいいや、僕も疲れたしそろそろ終わらせよう。
「さっきのを除いて、結局先輩からダメ出しもらってないですし、もう会いに行っちゃおうかなって」
「ダ、ダメ!」
「ダメって言われても、もう十分でしょう。今の僕が妹さんに会いに行っても誰も文句は言わないと思うんです」
「ダメ、絶対にダメ! お願い考え直して!」
「そう言われましても、このままじゃ何も変わらないですし」
三浦先輩を見返すという目的はもう達成している気がするんだ。
それなら妹さんと仲良くなるのを次の目標としても良いだろう。
「じゃ、じゃあ次の課題をクリアしたら考えてあげる!」
「え?」
考えてあげるっていう表現が微妙だけれど、今までみたいにただ課題が出るだけでは無くなった。
クリアすれば妹さんに会わせてもらえる可能性が少し上がったかもしれない。
それならまたやる気が出るかも。
「課題って何ですか?」
「……それは……その」
他に確認することってあったかなぁ。
財力とか。
それはすぐには何ともならないから困る。
しかし三浦先輩が告げた課題は、もっとぶっ飛んだものだった。
「キ……」
「き?」
「キスよ!」
「…………は?」
何を言っているのだろうか。
キス?
それって恋人同士がするあのキス?
「何を言ってるんですか、それこそ判断出来ないじゃないですか」
まぁ、人形相手にやってその動きを見て判断するなんて方法で分かるかもしれないけれど、それは何か嫌だ。
「で、出来るわよ」
「どうやるんですか?」
「…………」
「先輩?」
「わ、わたしに……その……して……」
聞き間違えだろうか。
三浦先輩は自分にキスをしてくれって言ってるような……
「自分が何を言っているのか分かってますか!?」
「わ、わわ、分かってるわよ。これも妹のためだもん!」
もんって可愛く言われても。
「流石に無理ですよ」
「私じゃ……ダメ?」
「う゛っ……」
それは絶対に男の人の前で言っちゃダメですよ。
僕じゃ無かったらとっくに襲われてますから。
「練習だから。ノーカンだから。ね、キスが上手かったら妹も喜ぶよ」
「本気ですか!?」
「…………うん」
人気の無い校舎裏。
顔を真っ赤にして、妙に可愛らしい仕草の多い三浦先輩。
その雰囲気に僕はあてられてしまったのかもしれない。
絶対にありえないはずのその課題を受けてしまったのだ。
「じゃあ、その、本当に、いいんですよね」
「うん」
これまでと違って予習する時間が無いからぶっつけ本番。
上手くできる自信なんて全く無い。
でもここで逃げるのはもっとダメだ。
なんとなくそんな気がした。
やり方なんて分からない。
ひとまず三浦先輩の両肩に手を置いて……
「あ、待って」
「え?」
先輩は僕の動きを制止した。
やっぱり止めたいってことかな。
なんてことは無かった。
「その、壁ドン、して?」
「壁ドン?」
「妹が! 妹が、その、憧れって言ってたから」
「そ、そうですか」
幸いにもここは校舎裏。
程よい壁がすぐそばに在る。
「それでは失礼して」
「きゃっ」
少し強引に先輩の体を押して壁際に寄せ、右腕を壁に触れさせる。
手のひらでは無くて腕全体をくっつける方法だから顔の距離がとても近い。
「ふぁあああああああああああああああああ!」
「先輩!?」
先輩は突然奇声をあげた。
かなり顔が近かったからびっくりしたのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「は、ひゃい……」
それからはもう何も言葉は無かった。
先輩は震える不安げな瞳で僕を見つめている。
僕も目を逸らさず見つめ返す。
…………この先どうすれば良いんだろう。
僕のキスのイメージって、女の子の肩に手を置いてそっと口づけるシンプルなやつだ。
壁ドンからのキスなんて考えた事が無い。
いや待てよ。
そういえば以前、恋愛アニメでこんなシーンを見たことがある気がする。
その時は確か……
くいっ
「ぬほっ」
ちょっと先輩笑わせないで下さいよ。
ぬほって何ですかぬほって。
でも少しだけリラックス出来た気がする。
右手で壁ドン、左手で顎クイ。
その状態でしばらく見つめると、先輩はそっと目を閉じた。
ああ、近くで見ると更に綺麗に見える。
こんな素敵な先輩に想われて僕は幸せ者だ。
その気持ちをこめて、ゆっくりと優しく唇にそっと触れた。
「どうでしたか?」
キスの後にこんなことを聞くのは野暮だろう。
でもこれは課題なんだ。
結果を確認しなければならない。
果たしてジャッジは。
「一回じゃ……分からない……」
その言葉に僕は再び口づけをする。
何度でも、何度でも、先輩が満足するまで。
――――――――
というか、いくら僕でもこの状況の意味が分からない程鈍感では無い。
三浦先輩の気持ちなんてもうとっくに分かってた。
だから三浦先輩を選ぶのか、それとも妹さんを選ぶのかをはっきり決めるために、疑似カップルの課題を終わらせようとしたのだ。
その結果がキスのご所望であり、僕はそちらを選んだというだけのこと。
ただその選択により、どうやら先輩の理性がぶっ壊れてしまったようだ。
「の~りくん」
なんて嬉しそうに自分から腕を組んでくるし、
「キスは上手くなったかな」
なんて自分からキスをねだってくる。
極めつけは僕が『そろそろキスの課題も終わりじゃないですかね』って冗談交じりに言った時の事。
「つ、つつつ、次は、か、から、からだの、あいひょうを……」
可愛すぎるんですけど。
もちろんたっぷり相性を確認しましたよ。
何度も何度も。
これで終わりだと思うでしょ。
それがまだ課題には続きがあるんですよ。
「相性を知るには一緒に暮らす必要があるわよね」
「はぁ」
「ほら私、三年生でしょ。近くの大学に行くつもりなんだけど、それを機に一人暮らししようと思うの。それで、あの、その……」
後は言わなくても分かるよね。
見た目、話し方、勉強、運動、付き合い、キス、えっち、そして同棲。
美人でおしゃれで可愛らしい先輩との課題は僕が高校を卒業しても就職してもずっと続いている。
だっていつまで経っても先輩は妹さんに相応しい男になったって認めてくれないんだもの。
こうなったら次の課題に挑戦するしかないな。
僕は史織さんを夜景の見えるレストランに誘って、そのことを伝えた。
「そろそろ次の課題に取り掛かりませんか?」
「え?」
「もう課題の内容は決めてあるんです」
初めて僕の方から課題の内容を提案する。
内容なんて一つしか考えられないから問題無いはずだ。
「結婚生活の相性も確認する必要がありますよね」
「!?」
僕の言葉の意味が分かったのだろう。
史織さんは両手を口に当てて驚きながらも喜ぼうとした。
しかしすぐに暗い表情になる。
ええ、この展開は予想外だぞ。
まさかここまでの流れで断られるなんてこと無いよね!?
「ごめんなさい」
嘘でしょおおおおおおおお!?
「あ、違うの! そうじゃないの!」
思わず窓をぶち破ってダイブするところだったよ。
ふぅ、落ち着こう。
「その、ずっと言わなきゃって思ってたんだけど」
「う、うん」
ごくり、と唾を飲み込んだ。
この期に及んで史織さんが躊躇する理由とは一体何なのだろうか。
「私、課題だなんて言ってたけど、本当はのり君と付き合いたかっただけなの」
…………え?
「のり君が妹と付き合えないように邪魔してたの」
…………知ってましたよ。
まさかバレてないと思ってたの!?
キスしてえっちして同棲までしてるのに!?
「本当にごめんなさい! うわああああああああん!」
待って待って、泣き出しちゃったよ。
ええ、あの、どうしよう。
とにかく落ち着かせないと。
「泣かないで。泣かないで。僕は知ってたからさ」
「うわあああ、え」
おお、泣き止んだ。
ピタリと変わるところが子供みたいでちょっと可愛い。
「え、あの、どういう」
「どういうもなにも、言葉の通りだよ。高校生の頃から知ってたよ」
「なんで!?」
いやぁ、それはこっちこそ聞きたいよ。
「なんでも何も、毎回会う度に恥じらって楽しそうにデートしてたら分かるよ」
「な、な、な」
おお、ここまでの恥じらいは久しぶりに見たな。
最近はえっちの時も少し赤らめる程度だから。
「なんで言ってくれなかったの!?」
「お互い分かっててやってるのかなって思って。だってそうじゃなきゃ流石にキスやえっちなことなんてしないよ」
「はわわわ」
う~ん可愛い。
大人になって更に美人になったけれど、たまにこうして可愛らしい驚きの姿を見せてくれるのがたまらない。
「それに妹さんに僕を取られまいと必死に課題を出す史織さんが可愛くて」
「馬鹿ああああああああ!」
久しぶりに怒られちゃった。
両手を上下に振ってるのが子供っぽくてやっぱりちょっと可愛い。
「もう、ほんと馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿」
「ごめんって、機嫌直してよ」
史織さんが拗ねる姿なんてレアだ。
ここしばらくはずっとデレデレ姿しか見てなったから。
でもその貴重な時間はすぐに終わってしまった。
「馬鹿……ふふ」
「あははは」
「ふふふふふふ」
「あははははは」
やっぱり笑顔の方が好きかな。
ひとしきり笑い合い、史織さんが落ち着いたのを見計らってから僕は再度切り出した。
「次の課題に進みませんか?」
ポケットから小さな箱を取り出した。
ベタだけれど、史織さんはこういう王道が好きだと僕はもう知っている。
だから夜景の見えるレストランを選んだのだ。
史織さんはその箱を見て少しだけ驚いたようだけれど、すぐに満面の笑みを浮かべて応えてくれた。
「はい」
さて、これからが大変だ。
いや、これからも大変だ。
結婚生活で合格を認めて貰わなければならないのだから。
その前に結婚式を成功させるのが先か。
特に、今もなおアドバイスしてもらっている美容院のみなさんに僕らの姿を見せてあげないと。
僕達にとって彼らは恋のキューピッドであり恩人だ。
感謝してもしきれない。
そして式が無事に終わり結婚生活が上手くいったとしても、課題はまだまだ続きがある。
その全てに合格するよう頑張るよ。
子育てから老後の生活まで。
それらすべてに合格を貰えるまで、僕は妹さんに相応しい男になれないのだから。
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