黒髪の賢者と置き物ヒーラー
【ネクロの樹海 深淵】
三百六十度森林が生茂る僅かな間隔を突っ切る。
ここら一体を支配する死霊の群勢へと向かい打つようにただ一人、今宵は迷彩服に胴着を身に付け、短刀を拵え、念の為に魔力が蓄積された媒介具を保持した、この世界の基準では二十代前半の黒髪の賢者が、いつもは柔和な表情を険しくさせ躊躇なく急所を捌いていく。
「しぃー……はぁっ! ふっ! 今道を切り開いている! 付いて来れる者は後ろに続いてくれー! 奥深くに居る残党を倒せば、ギルド周辺を夜な夜な襲う輩はいなくなる、踏ん張ってくれ」
「了解。死ぬんじゃねえぞ、シュー」
木々を回避しながら短刀で死霊に連撃を繰り出す。
そんな青年。黒髪の賢者と称されるシュー・カイノが先駆けた後を、ギルドから選抜された特別編成部隊が追尾して行く。
核心を貫きつつ数を減らし、とどめに魔力を込めた媒介具を発動して誘い込み、後方から包囲するギルドメンバーが死霊への一斉攻撃を仕掛け浴びせる。
「ぐっ……よし」
役目を果たし、シューは一歩引いて見据える。
あとはこのまま任せたら戦いは終わるだろうと判断して一先ずは胸を撫で下ろす。
一応反撃には備えるけど、死霊はギルドメンバーの手により打倒と浄化をして行き、やがて陰惨な雰囲気が夜明けと共に快晴へと変わり、温暖が肌を包む。
「おいお前らー……オレ達の勝ちだー!」
編成隊長から勝鬨があがる。騒々しく拳や武器を天空に捧げて余韻に浸る最中、シューはさりげなく樹木に凭れ掛かり尻餅をつく。
「終わ……痛っ」
人知れず羽を休めようと手を着いた瞬間、その腕が痺れて拒絶する。シューが原因を探る為に覗き見ると、短刀を持っていた逆手の二の腕に一線の切り傷があり、軽傷ではあるけど気が付いて意識が正常になった途端に痺れが増して来て苦悶の表情で耐え忍ぶ。
「魔力なら……ギリギリ残っては、いるけど」
回復魔法をシュー自ら施せば良い話なのだが、少しだけ迷う。帰路のゆとりを加味しているけど、それ以上の理由が普段のパーティーメンバーの為にある。
「お、おいシュー……その腕――」
「――えっ? ああ、いつの間にかやられてたらしい。んんまあ、どうってことの無い傷だよ」
ギルドメンバーのドドに気付かれてしまったことに動揺して、シューは反射的にヒールを掛けてしまう。もちろん何もおかしくは無いし、身を案じるだけの行為だ。
「……」
「……どうしたんですか?」
「いや……――」
「――こちらに構わず、向こうの輪に加わってもいいですよ?」
奇異の視線を、苦し紛れにごまかす。
二の腕の切り傷が癒えていく。けれど戦闘による心労は、深緑の爽やかな空気に残留している。
【バールタウン ギルド街】
死霊との一戦から数日後、ギルドの拠点があるバールタウンには平穏が訪れていた。
睡眠すらまともに取れない日々から解放され、かつての繁盛を超え、反動的にお祭り騒ぎという表現が適当だろう。
商人が手を叩きながら大声で招き、子ども達は我が道を行くように駆け回り、婦人の井戸端会議が止め処なく交わされている。
ほのぼのとした日常。そんな大通りを真っ直ぐ進んだ先にある、黄銅色が基調のドーム型設備が、シューが所属するギルドだ。
シューが木扉を軽く押す。ギルド内は酒盛りの飲食店の側面を伏せ持つことから、ウッドテーブルとウッドチェアが面積の殆どを占める。
巷の料理店に比べると些か素朴な調理でかつ高価なのがネックだけど、たびたび珍奇な食材や年代物の銘酒を取り揃える事から、人々に心の余裕があればたちまち人気店になる。
その表れかシューがギルドに入るなり、葡萄酒特有の甘酸なアルコール臭が蔓延し、鼻腔を通じて酔ってしまいそうになる。
「……」
「おおシュー! お前も一杯どうだ!」
火傷でもしているかのように赤面になり酩酊するギルドメンバーのドドが、酒樽を脇に抱えながらシューに訊ねる。
「体質的に飲めないの知っているだろ、全く。からかうんじゃないよ」
「ふはははっ! 戦術はこのギルドでも指折りに長けているのに、まだまだ幼稚だな」
ドドは近場のウッドテーブルに酒樽を置く。
その余波で微弱な地鳴りが起きているけど、現在このギルド内の半数以上が千鳥足で、気にかける様子はシューの視点からは見受けられない。
「好きに言ってくれて結構だ。だけどドド、忠告しておくがそのまま家に帰らない方が賢明だよ。また娘さんに敬遠されるだろうからね」
「なにおぉ? 酒も飲めねえ、葉巻を吸えねえ、女漁りも碌にしねえ小童みたいなお前に言われたくねえもんだ……せめてよく後方支援に呼んでいるヒーラーのアーリンとでも戯れておくんだな」
「……はあ」
シューは今日のドドに何を言ってもダメそうだと溜息を吐いて立ち去り、左片隅にある所属者限定の受付へと向かう。
ここでは性急性の高い依頼を受付担当の人から伝え聴く、この街の食料や材料不足などの依頼を隣接するクエストボードに貼り付けられた茶紙を取り、用件を達成したのち受付担当の人に見せて確認し、報酬を得る手段としてギルドメンバーがよく利用する。
他にはギルドに属するための審査、請求額の支払い、ギルドから脱退する場合などにも用途がある。
「……アーリンさん?」
「えっ? ああ、シュー……さん」
シューが受付担当の人に依頼内容を訊ねようとすると先客がおり、つぶらな茶色い瞳と引き締まった輪郭に金色のロングヘアーを片耳に掛けた少女アーリン・ララヒーが浮かない顔をして答える。
エクリュカラーの膝丈まであるワンピース、ガーターベルトで黒ストッキングを止め、荒れた林道でも耐えうるブーツを履き、デザインより収納性に赴きを置いているリュックを背負う。
今にも旅に出てしまいそうな装いだ。
「あっ丁度良かったです。もし依頼があればまたお誘いしようと思っていたの――」
「――……ごめんなさい」
アーリンがそう告げて一礼すると、そそくさと早足でギルドの外へと出て行ってしまう。
「……」
「あの、シューさんの耳には入れとくべきだと判断して言いますと、アーリンさん――」
茫然として無言でアーリンを見送るだけのシュー。
そこに受付担当のナタがこっそりと事情を説明してくれる、とても神妙な趣で。
「――……という訳なんですよ」
「なんで……」
その後すぐ。シューは依頼を受諾する事を取り止め、アーリンを探し求めバールタウンを巡る。
【バールタウン 居住地区】
シューはアーリンの魔力を感知して追う。
アーリンはヒーラーだ。魔法の使い手でもある。
ギルドメンバーにこのような行為はプライベートを阻害しかねないけど、大切な人を失ってしまうかもしれない状況には代えられない。
「……これ多分、微弱な魔力を振り撒きながら動いてるな――」
アーリンはシューの思考を逆算して、バールタウン内を動き回りつつ意図的に魔力を発動する事で撹乱。追って来ることまで予期した原理だ。
「――仕方ないか」
けれどそれは、時間稼ぎに過ぎない。
シューはバールタウン全域に魔力網を張り巡らせ、直近で放出された不自然な魔力の流れの場所がアーリンの居る場所だと目星を付ける。
というよりそもそも、シューはアーリンの魔力の特徴を理解している。その気になればすぐにでも見つけ出す事は可能だった。
なのに敢えて、アーリンの経路を泳がせていた。
突如としてギルドから退会したいと伝えた真意を、少しでも探りたかったからだ。
結論として、シューはなかなかバールタウンから出立しないアーリンは、まだどうするか迷っているんじゃないかと思いつつ、先回りして前から話し掛ける。
露店や住宅街から離れた日陰小道。
金色の髪と大きなリュックはやはり目立つ。
「アーリンさん」
「……シューさん、どうして私を追いかけて来たりするんですか」
アーリンはシューを発見するなり、驚いた素振りもなく諦めがついたように一息吐く。
魔力を使い過ぎ、大荷物での移動が負担だったのもあるけど、追いかけてくれた事に少し安堵していた。
シューが一歩だけ踏み寄る。
「理由を知りたいからです。随分と捜しましたよ」
「……それは嘘ですね。貴方ほどの実力者なら魔力の流れですぐに分かるはずです。ましてやこちらから発動しているのですから尚更……仮に魔力を隠そうとしても無駄な事だったでしょう」
アーリンが不満気に引き退る。
ただ逃げようとも隠れようともしてはおらず、シューの疑問に答える意思はあった。
「……ギルドを辞めるというのは本当ですか?」
「……はい」
「な、なにか止むに止まれぬ事情があるとか?」
「いえ」
暫しの沈黙。遠方の商工から値段が安い事をアピールする煽り声すら聴こえる。
「……なら、どうして? 今日だって依頼を受けたらアーリンさんを誘うつもりだったんですよ」
「……」
「確かにお互いの利害の一致という関係ではあると思います。でも個人的には、アーリンさんとのパーティーはその……良いなとは――」
「――なら、私は不要じゃないですか」
アーリンは沈痛な思いで告げる。
そして項垂れるように歩き始め、シューを横切ってバールタウン郊外へと行こうとする。
「待って下さい、逆です! アーリンさ――」
「――元々、私には魔術の素養がありません。専門であるヒーラーとしても他の人より劣ります。以前の死霊討伐部隊に選抜されなかったのも当然です。
しかし私はシューさんが受けて来た案件にいつも同行して、その報酬の半分を頂き、日々の生活とギルド内での立ち位置が実力以上に良くなってしまった。
正直。快適な環境が整い過ぎて、胸が苦しくなる事なんてあるんだなと。それを紛らわそうと最後の望みとして、回復魔法が不得手だと言うシューさんの支援をと、思っていました。けど――」
小道の影に、金色の繊維が舞う。アーリンが微笑を作って振り返り、長旅を共にして来たシューの雄志を一目見ようとする。これが別れ際の所作だと、言わんばかりに。
「――やはり、回復魔法が苦手なんて嘘でしたね」
「……」
「ドドさんから、大きな切り傷を自らの回復魔法で一瞬にして治癒したと、聴きましたよ」
「……」
シューはなにも答えられない。
「最初からそうだろうなとは薄々思っていました。でもシューさんが回復魔法が苦手だからと、私とパーティーを組みたいと言ってくれたのが嬉しかった。
相当腕の立つ人だと胸がざわついて、男の人だという緊張もあって、少しでも力になろうとこれでも研鑽を積んだんですよ。ふふっ、あの頃は私も若かったですね――」
アーリンが回顧して、お互いに新人だった頃の幼さに苦笑いしながら馳せる。
まだ黒髪の賢者と呼ばれる前のシュー・カイノ。
そして影で置き物ヒーラーと呼ばれる前のアーリン・ララヒ。二人が口約束をしたワンシーン。
「――だけどもう、利害が合っていません。依頼も殆ど任せきりな状態な上、報酬も折半。私ばかりを贔屓していると見られて、嫌味を言われ、ギルド内で衝突し孤立気味なのも知っています……シューさんに害悪しかもたらさないなんて、ヒーラー……失格です」
向き直るアーリンは、リュックの肩掛けの位置を調整しながら、震え消えてしまいそうな声を絞り出す。
「黙って居なくなろうとしてごめんなさい。でもシューさんに私史上最高のヒールを施す機会だと思いました……失敗しちゃいましたけどね。ね、願わくば、私以上のパーティーメンバーが連れ添ってくれる事を、遠くから祈って――」
「――……行かないで、下さい!」
そう喚くと、黒髪の賢者ことシューは何をするかと思えば、幼子の我儘な振る舞いのように、アーリンのリュックにみっともなくしがみ付いた。
「う……うう……っ!」
「えっ、な、なにしてるんですか!?」
あまりにもそのイメージとかけ離れたシューの行動に流石のアーリンも戸惑い、疲労もありバランスを崩して後ろ向きに倒れ込んでしまう。勿論の事、シューをも巻き添えにして。
二人分の重量に大荷物。清掃がお粗末な小道の埃が舞う最中、背後ろで辛うじて受け身をとる。それでもその重力を全て分散出来るわけじゃない。
「いっっっ!」
「……どうしちゃったんですかシューさん。その、私を止めるにしたって、他にもやり方がありますよね」
最上に寝転ぶアーリンがどこにも痛みは無いと衣服を払いつつ立ち上がり、挟撃されたリュックを退かしながら、シューの身を案じ訊く。
「いや……反射的に言葉より身体が先に出たというか、口下手だからかな?」
「……そうでしたっけ? まあ強いて言うなら、誘って下さる声が大体上擦ってるなとは思いますけど」
「それ初耳です」
「わざわざ言いませんよ、そんなの」
そう言いつつアーリンはシューの身体を淡々と寝そべらせて、服装の皺からおおよその患部を特定して、ヒールを撫でるように掛けていく。
「ありがとうございます、アーリンさん」
「……当然の事ですよ。あっ後頭部は打ち付けてない……ですよね?」
「あ、はい……」
「それは良かったです」
柔和な声質がシューの鼓膜を揺さぶる。
強打した背中の疼痛が消えて行き、日陰の地面が冷んやりとして節々が心地良い。
「……ごめんなさいアーリンさん。回復魔法の事、いつか言おうと、思っていたんですよ」
「……」
「でもその……なかなか言いにくいじゃないですか」
「そうですね。でも、私はドドさんから伝え聴くんじゃなくて、シューさんから指摘されたかったです」
アーリンがシューと決別しようとした一番の理由はそれだった。遠慮させてしまっていると、この機を逃すと一生給与されるだけの日々になるかもしれないと、何よりシューのためにならないと思い悩んだ。
「……今、白状するのはずるいかもですけど」
「……覚悟は、出来てます」
アーリンは双眸を閉じて、そのときを待つ。
「いや……だって、アーリンのヒールの方が好みだから頼んでいたとは、なかなか――」
「――あぁ……んんっ?」
「だから回復魔法を使える事を隠してたとは――」
「――いやいやいや……えっ? 私が回復しか取り柄がないのに、シューさんも回復が使えるから一人で賄えて私は用済みって……理由じゃないんですか?」
アーリンの疑問符にシューは内心で首を傾げる。
顔を微妙にずらして、より喋りやすい体勢にする。
「そんな訳ないですよ。回復使いなんて幾らいても困らないし、それにアーリンさんのヒールが他人と劣っているとは一度も感じたことないし」
「……ギルド内のヒーラー枠で呼ばれたことは一度もありませんよ、私」
自虐的に呟くと、完全に痛みが無くなったシューが四つん這いになり、既に正座しているアーリンの眼の前でゆっくりと胡座をかきながら述べる。
「……アーリンさんのヒールは、どちらかというと衛生救護班じゃなくて、町医者のようなタイプだからじゃないですかね?」
「町医者?」
「はい。即効でこなすヒールじゃなくて、それぞれの人達に寄り添うような温かいヒールなんです。
もしこの街が襲われてしまった場合、ギルド団長と同じくらい老齢の人から、ドドの娘さんくらいの子どもまで、日頃から診ているアーリンさんほどバールタウンで信頼出来るヒーラーはいないでしょう。つまりは単純に相性の問題だと思いますよ」
「……」
アーリンは基本的にシューからの誘い以外の依頼が来ないため、空いた日には街を練り歩き人々と触れ合い、もし転んだりして治癒が必要なら迷わずにヒールを施せる。
専門のヒーラーの中には、戦闘以外の魔力行使をしないという矜恃を持つ者が多く、アーリンのようなスタンスはバールタウンでは珍しい。
シューとギルド団長はそれを理解していて、死霊討伐の際も敢えて外されている。
「……でもそれなら、シューさんが私をパーティーに誘うのっておかしくないですか? 街のために尽力する方が向いていると言われた気がします」
「ああそれは――」
この事に関しては明確な理由があると、シューは少々得意げな表情になる。訝しんだ様相のアーリンとは正反対の中、人差し指を立てる。
「――アーリンさんは敵を撹乱するのが巧いからです。あとは発見も早くて、魔力の雰囲気から概算で戦力分析も出来る。少数精鋭、小戦力ならこの上ない人ですから」
「……そんなこと、誰にも……」
納得いっていないアーリンに、シューは更に続けて補足する。
「……今だってこの街の殆どにアーリンさんの魔力が分散しているというのに、街人も他のギルドメンバーも気が付いてない」
「……シューさんには、バレてますよ?」
「それは長年一緒だったので、傾向や特色からアーリンさんによるものだなと分かるだけです。これが初見なら絶対に分かりっこないですね」
「……」
シューにはアーリンに対する贔屓目もある。けれど戦力としてみなしていないのにも関わらず、パーティーに誘った事は一度たりともない。
アーリンがシューの置物ヒーラーと揶揄される最大の所以は、なかなか戦果に直結しないせいで、過少な評価しか得られないからだ。
「だからもし、アーリンさんが力不足でギルドを辞めようとしているのなら、全力で止めます」
「……」
「これからも一緒に、支え合えたらなと思います」
「……嬉しい提案ではあります……けれどまた、シューさんが私のせいで悪く言われるかも――」
シューは意に介さず、土埃で汚れた顔を綻ばせながらアーリンを遮り語勢を強めて答えた。
「――それらも全部含めての、パーティーですよ」
「……全部ですか?」
「はい。アーリンさん、一緒に戦いましょう」
「……懐かしいですね、その言い方――」
それはかつて、シューがアーリンをパーティーに誘った文句だ。余談だけど、当時はとても声が上擦っていた。この辺は少し、成長が見られると言えるのかもしれない。
「――はい、疲れたり怪我をしたら言って下さいね」
ヒーラーとしてはありふれた言葉かもしれない。
されどアーリンはこの答えをあてがった。
未熟な賢者と未完成のヒーラー。
シューとアーリンの誓いは、意志で繋がれる。
【ゴーセーの洞窟】
黒髪の賢者はキメラの核心を砕く。置物ヒーラーと揶揄された少女の索敵から、二人では打倒する事は無謀な討伐依頼を容易く熟なす。
「あっシュー、そこに居て」
「えっ、どこか傷でもある?」
「打撲痕の気配があるね、ヒール」
「ありがとう、アーリン」
艱難な交戦の後だとは思えないくらい、粛々とした平穏な空間。シューとアーリンのパーティーは、今でもお互いの日常となっている。