教本
教本を読むと、今までの自分の知識が浅かったことがよくわかる。
今までは女神さまに祈るとそれが女神さまの力になることや、女神さまは自分たちを見守ってくれているとその程度の知識しかなかった。
実際、説法でも女神さまの偉大さと雄大さを伝え、いつも見守ってくれている女神さまに感謝を祈るという内容が繰り返されていたから深い知識なんてつけられるはずもなかった。
セア教の存在意義も、女神様の偉業を伝え残し忘れないように守るものだと思ってしまっていた。
実際には女神さまは人々が支えなければならない存在であり、全知全能の神ではなかった。
セア教が重視することも女神さまの偉業を残すことではなく、少しでも女神さまに祈る信者を増やすことが最優先。
なんて不甲斐ない。
本来であればすべての人を救い、全知全能になれるはずの女神を人の醜い猜疑心が邪魔しているのだ。
これは間違いなくセア教の失態だ。
教本によると女神さまは人々の祈りを力に変える。
これは比喩でもなんでもなく、人々の祈りを通してしか女神さまは力を、生きるためのエネルギーすら手に入らない。
そして女神さまは祈りに乗せられた感情や情報を手にすることしかできない。
女神さまは天にいらっしゃるから下界のことを一つ一つ見て回ることができないのだ。
逆に言うと、すべての人が女神さまを信仰すれば女神さまはそのエネルギーで地震や噴火を止めることができる。
実際、女神さまの逸話の中には噴火しそうな山のマグマを一瞬で消し活火山の活動を止めたというものがある。
さらに、世界中の人が祈れば女神さまは世界中で何が起こっているかを知ることができる。
まさに全知全能になるのだ。
なのに今はそうではない。
僕が生まれ育った神聖セア教国ではセア教は国中で愛されている。
けれどこの国以外でどれほど愛されてるか。
東の国では違う神を崇めているというし、北の国は無信教ともいう。
セア教がそれらの国に広まらないのは女神さまの素晴らしさがわからないからだろう。
祈らなければ女神さまはその場所のことがわからない。
それではいかに女神さまが素晴らしい力を持っていてもふるえない。
教皇様は何をやっているんだ?
女神さまの素晴らしさは本物だ。
東の神様がどれほどのものかはわからないが無信教の北の国にはすぐにでもセア教を広げるべきだろうに。
みんながみんな女神さまの素晴らしさを信じるだけで誰もが幸せになれるのに。
はやく神父にならなければ。
僕がこの世界を変えなければならない。
セア様がすべての人の神様になってすべての人を救わなきゃならない。
勉強して強くならなければ。
一人でも世界を回ってセア教を広められるくらいに。