プロローグ
僕は生まれつき体が弱かった。
家の中で僕ができることと言えば自分で食事を口に運ぶことと自分で用を足すことだけ。
父さんも母さんもそれ以上僕に仕事を与えなかったし僕はそれくらいしかできなかった。
できて当たり前なことを仕事というのはおかしなことだけど、実際僕にはそれは重労働だった。
常に息苦しくて立つのはおろか腕を上げるのも苦しい。
横になっていても気が休まることのない。
そんな僕にとってできることはできる限り家族の邪魔をしないようにすることだけだった。
具合が悪くなるようなことは避けてただじっと一日が終わるのを待つ。
田舎の村に本なんて希少なものはないしそもそも僕は文字すら読めない。
軽い魔法を練習しようとしたこともあったけど体調を大きく崩すことがわかってからは一度も使っていない。
だから僕ができたの祈ることだけ。
人々を女神様が見守ってくれているのは子供でも知っている。
女神さまはいつもは地震や噴火みたいな大災害が起きるのを防いでくれているらしいんだけど、たまに不幸に陥っている人や人助けをしている人に祝福を与えてくれることもあるんだとか。
うちの村にはいないけど近くの町には女神様に祝福を受けて病気が治った人もいるなんて噂もある。
この国では女神セアさまを祀る宗教、セア教が国教となっていて当然うちの家族も女神さまを信仰している。
セア教が最も重要視しているのが祈りだ。
曰く、祈りの力が集まって女神さまの力になり、女神さまは祈りを通してこちらの生活を知る。
祈りがなければ女神さまは災害を防ぐ力は持てないし、僕たちが何をしているのかわからないんだって。
逆に言えば強く祈れば祈るほど女神さまは僕らを守ってくれるし僕が苦しんでいることが女神様に伝わるということだ。
だから僕は毎日毎日必死に祈った。
どうか僕を人並みの体にしてくれないかと。
もしも僕が人並みの生活を送れるようになって両親に恩返しができるならば一生をあなたに捧げると祈り続けた。
僕は自分に兄弟ができない理由を知ってる。
元々裕福ではないうちでは僕という金食い虫がいる中で子供を育てる余裕がないからだ。
父さんが村長に僕を捨てることを打診されたことがあることも知ってる。
母さんが昔よりもやつれたと隣の家の人が言ってたのも知ってる。
僕がいる限り家族が幸せにはなりえないことは理解できてる。
父さんも母さんも最後にあったのがいつかも覚えていない。
父さんと最後に話したのはお前はなんでそんな風に生まれたんだと怒鳴られた時以来かな?
母さんは父さんと会わなくなるずいぶん前から目も合わせてくれなかった。
それでも僕を育ててくれた両親には感謝をしてもしきれない。
今日も時間になれば母さんがドアの前にご飯を置いてくれる。
僕を養うために父さんも夜遅くまで働いてくれる。
普通の家族愛とは離れた生活だけど確かに僕は愛されている。
だからこそつらい。
ただ迷惑をかけることしかできない自分が憎い。
いっそのこと自害する度胸が僕にあれば今頃父さんも母さんも新しい子供と幸せな生活をつくることもできただろうに。
だれにも頼れない僕が女神さまに縋りつくのは当然のことだった。
どこにも向けれない愚痴も、声に出せない苦しみも聞くに堪えない怨嗟の叫びすら女神様ならすべてを受け入れてくれる気がした。
それだけ強く祈ったからだろう。
僕の願いは女神様に届いた。
そして僕は今、この世のものとは思えないほど美しい女神さまと真っ白な空間にいる。
なんでかはわからないけど、一目見た瞬間目の前にいる人が女神さまだと感じた。
とっさに跪いたのは女神さまがあまりにも美しく、直視するのが憚られたというのもある。
「あなたはとても信心深く祈ってくれました。両親に恩返しをしたいという強い思いも私のもとに届いています」
女神さまの声は澄んでいて、少し幼さの残るような美しい声だった。
普通に話しているだけなのによく響いて心地いい。
「だからあなたの体にある疾患を取り除き、普通の生活をできるようにして差し上げましょう」
「……ぁ、りがとう…ござい、ます」
とっさに出た言葉が本当に言葉になっていたのか自分でもわからない。
女神さまに会えた感動と女神さまと話す緊張とで頭がどうにかなってしまいそうだ。
「突然なことでたいした説明もなくてすみません。忙しくてあまり時間がないの。それでは、あなたの人生に幸あれ」
そういって右手を振り上げる女神さまに咄嗟に顔を上げて静止の言葉をかける。
「待ってください!」
女神さまは手を振り上げたままこちらの言葉を待つ。
僕が呼び止めたのは今を逃したらもう女神さまに会うことがないだろうという予感からだ。何か言いたかったからではない。
けれど、考えるより先に言葉が出た。
「僕の名前を呼んでくださいませんか?女神さまに祝福してくだされば第二の人生を胸を張って歩いていけると思うのです」
自分でも驚くほどすっと出てきた言葉は間違いようのない本音。
これから起こる大きな変化への不安も女神様ならきっと払拭してくれるだろうという期待の言葉。
「わかりました」
女神さまは少し考えるそぶりを見せた後、手を下げ僕と目を合わせた。
「ピース、あなたはこれから胸を張って生きなさい。誰にも恥じることのないように前を向いて。あなたの門出を女神セアが祝福しましょう」
「……ぁ。」
言葉が出ない。
これからもすることはないだろう。
誰かに伝えることすらしたくない宝物として今、この時を心に刻む。
言葉にできない分を精一杯祈りにして女神さまに送り続ける。
これでもう悔いはない。
何の役にも立たない自分とも――――
「それと、あまり昔の自分を卑下しないでくださいね。この十二年間あなたはとても頑張ってました。その努力が私をあなたのもとに導いたのですから」
僕の言葉が出る前に、こんどこそ女神さまは腕を振りぬいた。
僕の意識はあふれ出る涙をそのままに暗転していった。