婚約破棄と国外追放をされ他国の王子の手を取りましたが
シャンデリア輝くロートシルト王国の大広間で、第一王子ヴォルネ19歳の生誕記念パーティーが開かれている。大広間にはロートシルトの高位貴族達と、今年度王立高等学園を卒業する生徒達が集まって、歓談、ダンス、丁寧に作られた軽食や珍しいワイン等を楽しんでいた。
そんな中、本日の主役であるヴォルネが王と王妃の前に進み出た。彼の両親は王座で食事を楽しみつつ、次々とやって来る貴族達のご機嫌伺いがひと段落した所で退席し、招待客に気兼ねなく楽しんで貰おうと考えていたので、ちょうど良いと思い目の前の息子に微笑みを向けた。
「ヴォルネ、改めて恙無く成長した事を祝福しよう。王妃と共に退席を考えていた所だが、その前に誕生祝いとしてお前の願いを叶えてやろう。さあ、何を望む?全権は無理だが、軍の指揮権か?お前の私設兵団か?城の宝物などでも良いぞ。我が側近からお前が望む者を仕えさせても良いだろう」
「よく考えるのですよ、ヴォルネ」
「ありがとうございます。父上、母上、今この場で申し上げて宜しいでしょうか?」
「勿論だ」
金髪に緑の瞳を持った美丈夫であるヴォルネは緊張に強張っていた表情を破顔させ、大広間に集う人々をぐるりと見回した。
「ルクリュ・コレット・ローヌ伯爵令嬢、こちらに」
「ヴォルネ殿下、御前に」
薄紅色の髪をハーフアップし、品の良いダークグリーンのドレスを身に纏ったルクリュは、楚々とした薔薇を思わせる出立ちでヴォルネの前に進み出ると、王座に挨拶をし、招待客に眴と微笑みを向けてから、優雅にカーテシーを行った。
18歳になるルクリュは10歳でヴォルネの婚約者となり、以来周囲の期待に応えるべく様々な習い事や学業に励み、王立高等学園では女生徒達の交流を円滑にする言動で厚い信頼を寄せられており、その父のローヌ伯爵は宮廷内では勢力を持っていないが、堅実な領地経営と実直な人柄と認められ、交際範囲も広い。
また、領地内にある鉱山から採掘される金銀を使ったアクセサリーの細工は国内外から受注も多く、長きにわたってロートシルトに安定した利益を齎し続けている。
内外に大きな憂いが無く、貴族達のバランスを変える事の無い中立のローヌ家の娘は、父と同じく堅実に真面目に将来王太子となるであろう第一王子の婚約者として研鑽を続けて来た。
大広間にいる人々が、堂々たる次代を担うヴォルネがそれを支える佳人ルクリュに向かって何を伝えるのかと見守る。
「ルクリュ・コレット・ローヌ伯爵令嬢、今日この日より、ロートシルト王国第一王子、ヴォルネ・サントーヌ・ロートシルトと結ばれている婚約を、この場にて白紙撤回する」
突然の宣言に、一瞬大きなどよめきが起きたが、殆どの者が思ってもいなかった内容に続く言葉を聞き逃すまいと口をつぐんだ。エクリュも状況が分かるまで余計な言葉を発さない様に控えたまま。王と王妃は眉を顰めて眴を交わしている。
「ルクリュ嬢は私の婚約者でありながら、王立高等学園で差別を助長した。被害者であるララーナ・ヴェラン子爵令嬢、こちらへ」
「はい、ヴォルネ殿下」
ヴォルネに呼ばれて前に出て来たララーナは、明るいカナリアイエローの髪と煌めく薄緑の瞳と大平原の慎ましやかなスタイルを持った庇護欲をそそる幼く儚げな少女で、15歳から入学出来る王立高等学園の二年生。堅苦しい所のある貴族のルールに囚われず、学び舎では皆平等という学園の規範を見事に実施して、多くの男子生徒から愛されるフワモテガールであり、逆にその多くの男子生徒の婚約者や姉妹からは見た目は幼女、中身は妖女と呼ばれる魅惑のつるぺたである。
「辺境で育った純粋で幼気で病弱なララーナ嬢を、貴族の規範に通じていないと女生徒達皆で論い辛い思いをしているというのに、学園の状況に心を配るべき立場であるのにそれを止められず、あまつさえ弱い立場にあるララーナ嬢を責め立てるとは」
「ヴォルネ殿下、私が悪いのです。みんなが親切に助言して下さっているのに、私がいつまでも身の振り方を直せないばかりに、ルクリュ様達にきつい言い方をさせてしまっているのです」
「黙っていてくれないか。優しいララーナ嬢がルクリュ嬢達を庇いたくなる気持ちはよく分かるが、このままでは今後入学してくる生徒達に悪影響がある」
お前は何を言っているのだ?と、思っている大勢と、そうだそうだ可愛い正義と思っている単純な一部の男子生徒達が別の意味で固唾を呑んで状況を見守る。
俺、今輝いてるぅ。byヴォルネ。
ヴォルネは義憤と勇気に溢れるナイスガイだ。超大英雄だ。文武両道質実剛健容貌魁偉謹厳実直明朗闊達博識多彩。四文字熟語を並べ立てて表せちゃうナイスガイだ。ナイスゲイでは無い。
であるが、人間だもの、欠点もある。あるのだもの、だも、だなも。その欠点があるからダメなのだけれども。
慎重なのにちょっと抜けている。ある意味、堅苦しいだけではなく人間らしい弱点だが、彼を支える周囲の協力もあって今迄全く問題にはならなかった。今この瞬間までは。
どうしよう、うちの子ここに来てやっちゃったよ。
今、一番心中穏やかでないのは王と王妃であろう。王家の者が発した言葉は、余程の事がない限り翻してはならない。偉そうな王様装備は民草の汗の結晶で、その判断は国の方向性と安寧を決める。大いなる権力を持っているからこそ、軽佻浮薄な事は決して許されない。
誕生祝いとして願いを聞くと言った手前、そして第一王子が一同の前で発した言葉であれば、即時に翻す訳にはいかない。
「殿下、わたくしから発言をしても宜しいでしょうか?」
「許す」
「ヴェラン様は学園に入学されて二年目になります。規範や規則を守っていただけませんと、下級生にも示しがつきません。ヴェラン様が気安くお声を掛ける男子生徒の方々には婚約者のいる方も多く、困っている事や相談はわたくしを含めた女生徒の誰でもお声を掛けて下さって構わないと何度も申し上げております。であるのに、相談するのは高位貴族の男子生徒の方々と殿下のみ。これでは皆様から苦言を受けるのは当然ではありませんか」
「それを当然というのが間違っているのだ。人のあり方を受け入れ、その人あった対応をする。それが大切なのだ」
「ですので」
「話を遮るな。良いか、これは私からの慈悲だ。ルクリュ嬢がララーナ嬢に対して危害を加えた証拠があるのだ」
ヴォルネの隣から側近として認められている宰相の孫が、ピンクパールのハイヒールをふかふかのクッションの上に乗せた物を、会場の人々に見える様高く掲げた。
一部から「やだ、足に履く物を頭より高く上げたら、埃が下に落ちて来そうだわ」と言った声も出たが、守るべき愛らしいフワモテを囲んで意気軒昂な王子達の耳には入らなかった様だ。
「どの様な証」
「焦るな、ゆっくり順に見せてやる。そうしてゆっくりと反省するが良い」
「此方のハイヒールには卑劣にも毒の塗られた画鋲が仕込まれておりました。まかり間違って履いて仕舞えば、傷付いた足から毒が入り込み、五臓六腑を害していたでしょう。才色兼備なララーナ嬢だからこそ、怪我をする前に私達に訴える事が出来ました」
ルクリュに良く見える様に目の前に出されたハイヒールの中にはたんまりと画鋲が入っている。満杯というほどでは無いが、履く前に気付かなかったら頭の出来を疑うほどにはたんまりと入っている。平均的な思考の持ち主ならば、これを履こうとは思わないだろうし、犯人は一体何がしたいのかと一種不気味な気分になる事もあるに違いない。
「何故それをわたくしが」
「次だ」
「これはララーナ嬢の制服のスカートです。我々男子生徒には分かりませんが、プリーツスカートという種類になるそうです。このプリーツと呼ばれるヒダの表からは隠れて見えない折り込みの部分全てが切られており、立っている時は良いのですが、動くと隙間が出来てしまうという醜悪な罠が仕掛けられているのです」
魔導研究所所長の息子が魔法で空中に浮かせたワンピース型の制服を揺すぶると、腰から切替となっているプリーツスカートの部分がフラダンスの腰蓑もかくやとばかりに、細長いテープ状に裂けた布地がひらひらと舞う。昨今の日本のフラダンス教室などでは現代フラダンスと言われるものが主流で、衣装はふわりとしたパウスカートを使い、今回被害にあったプリーツスカートは神に捧げるカヒコフラダンスで使われるティーの木の葉で作られたティーリーフスカート型にされてしまっていた。
慎み深い女性達が眉を顰めたのは、その破廉恥な所業だけでなく、元々のスカートの丈が短い事が大きい。幾ら動きやすさを優先させた為に、通常の服よりも制服の方が丈が短く作られているとはいえ、膝下までの長さとされている筈のスカートが短すぎる。
いや待て、もしかしてララーナの太腿が十センチ足らずという可能性は無いだろうか、否、ティラールの横でくねくねしているララーナの太腿は平均の長さである。であれば、ララーナは下履きが見えるか見えないかのデンジャラスプレイを実行する露出狂の可能性も浮上するが、現状ではそれは置いておくしかない。招待客の脳内にはララーナ露出狂疑惑が既に強く刻まれてしまったし。
「その様なおかしな事を」
「次だ」
「此方はララーナ嬢のペンケースです。ご覧下さい、中に入っている色とりどりのペンですが、表示の色と入っているインクが合っていないのです。低劣且つ悪魔の様な所業によって、赤を青に、黒を緑に、青を黒に、緑をオレンジにといった様に、中身を入れ替えられているのです!」
子供の悪戯レベルの低劣な悪魔の所業実行犯という情けなく、且つ完全にバカにされたとしか思えない濡れ衣を着せられたルクリュは、意気揚々とペンをカチカチ鳴らしながら試し書きをしてみせて色違いになっている事を主張する大司教の孫に、ダークネスイリュージョン(byモリガ◇アースランド)的な超必殺技を実行したい気持ちを貞淑な令嬢としての矜持で抑え込んだ。
「わたくしがそんなこ」
「次だ」
「そして遂にララーナ嬢の命を直接狙い、学園の大噴水に叩き込んだのです。証拠品として此方の制服と、目撃者の証言があります」
騎士団長の息子が、どんよりと変色した制服を剣の鞘の先に引っ掛けて掲げた。先程の切られた制服とは別のもので、此方もスカートが短い。短いスカートを憎む犯人が、次々と制服を葬っている可能性は無いだろうかと感じた者も少なからずいたが、黙っていた。このダメ感漂う王子劇場に巻き込まれたくないからだ。
「証人とはどな」
「私です!」
慎ましい胸の前で手を組んで、くねくねと揺れるララーナ。
「当事者は証人とし」
「あの時、私を噴水に突き飛ばしたのはルクリュ様でした!頭に紙袋を被り、制服を着ていらっしゃいましたが、紙袋にはルクリュ様の名前が書かれており、声もその下品なスタイルもルクリュ様のものでした!」
「わたくしは下品なスタ」
「無駄に大きな胸と、高慢ちきな口調はルクリュ様しかありえません!」
「わたくしは高」
「紙袋に名前が書いてありました!」
変態だー!紙袋を被った女生徒。そんなものが実在するのならば、それは変態。変態対露出狂の中庭での対決。そんな事があれば、流石に前後に他の目撃者がいてもおかしくない。しかし、名乗り出る者はおらず、訳の分からない変態にされたルクリュの心は折れる寸前だ。弁明しようにも話をしている最中に、常に邪魔をされてしまうし。
抗議が出来ない所為で、現在のルクリュは頭が弱くて加減を知らず、子供じみた悪戯を真剣に行い、服装を下品に魔改造する変態という事になっているのだ。ヴォルネの主張を認めて繋ぎ合わせた場合、ではあるけれど。
「ヴォルネ、其方の願いはローヌ令嬢との婚約の白紙撤回で良いのだな」
「違います、父上。それは願いを叶える為の前置きに過ぎません」
「何だと、待て!ヴォ」
「王子なりま」
「ロートシルト王国第一王子、ヴォルネ・サントーヌ・ロートシルトの名において、我が国の宝である令嬢達に差別を加え害をなすルクリュ・コレット・ローヌから貴族籍を剥奪し国外追放とする!」
「ま!」
「お!」
「これはこれは大変な場面に居合わせてしまいました。ローヌ令嬢、ヴォルネ殿下が貴女を邪険にする度、私の心は本当に傷みました。貴女のその輝く瞳に、美しく靡く髪に、知性の煌めきに、春風の様な所作に魅了された私に、貴女の手を預けてはくれませんか?」
「待つのだ!ティラール王子!」
疾風の様にルクリュの前に出現し、流れる様に膝をついてからの、手を取りーの、指先に額を当てーの、視線を上げて熱い瞳で見つめーのする、一人の青年。
リースリング王国からの留学生であり、第四王子でもある、ティラール・オルク・リースリング。艶やかなダークグリーンの髪はゆるく三つ編みにして背中に垂らし、深い青の瞳は憂いを秘めて輝く。しっかりとした体躯で常に鍛錬を欠かさず、しなやかで上品な所作はダンスでも剣技でも老若男女に関わらず感嘆させる貴公子。
「ロートシルト陛下、これは異な事をおっしゃるのですね。今、此方のレディは、陛下の息子であるヴォルネ殿下に婚約を撤回された上に、貴族籍を剥奪され、更に国外に追放とされたのです。私は王立学園でヴォルネ殿下がレディに対して不誠実な態度を取られているのを何度も見ました。悲しみに暮れるレディに失礼にならない程度に何か出来る事はないかと申し出た所、婚約者である殿下に不実な事は出来ないとおっしゃったのです」
「嘘だ!ルクリュはティラールとダンスを踊っていたぞ!ガゼボや図書館で話していた事もあるし、食堂で一緒に食事を取っていただろう!」
「ヴォルネ!ティラール王子に対して失礼であろう!」
「ティラール殿下、息子の言動、わたくしからお詫び致しますわ」
「父上、母上……」
「ヴォルネは黙っておれ」
「陛下、妃殿下、私はリースリングの王子ではありますが、一留学生ですので名前を呼び捨てされた程度は気にしません。ですが、貴族籍を奪い国外追放としたとはいえ、同じ学舎に通うレディに声を荒げるのは少々問題があるかと」
ティラールは両手でルクリュの手を包み、溢れる様な微笑みを浮かべた。
「レディ、この様ないい加減な理由で断罪する様な相手の側にいては危険です。婚約している間には伝えられませんでしたが、私の手を取っていただけないでしょうか?勿論、急な話ですから、先ずはレディの安全を最優先として、リースリングに着いてからゆっくりと諸々の事を考えていただければ幸いです。国外追放という事ですので、現状を考えれば私とリースリングに向かうのが一番安全かと思います。あちらに着いてから、よく考えた結果、他国に行かれるという答えを出された場合でも、我が国が責任を持って安全に移動出来る様手配致します」
「ティラール王子、我が国の問題に手を煩わせるつもりは無いぞ」
「煩いどころか麗しのレディの護衛を努めさせていただく光栄を、誰かに譲ろうという気はありません。しかも、先程のヴォルネ殿下の宣言で、此方のレディは国内に寄る辺のない身になられ、王子直々に処罰を受けた罪人となられましたので、ロートシルトの方々からは庇護を受けるどころか、命を狙われても王子の命が前提となっている限り阻止する事が出来ません。ですので、少なくとも隣国の王子である私以外、レディを守り切れる者はいないと考えます」
にこやかに笑うティラールと、憤慨するヴォルネに目を向けたロートシルト王は軽く天を仰いだ。
招待客の中から様子を見ていたローヌ伯爵夫妻が出て来て、ティラールに頭を下げる。
「ティラール殿下、我が娘を守れるのは殿下しかいらっしゃいません。どうか娘を宜しくお願い致します」
「ルクリュ、親切な殿下は貴女を大切にしてくれるでしょう。落ち着いたら手紙を送って頂戴」
「分かりました、お父様、お母様。ティラール殿下、ただのルクリュとなったわたくしでも、殿下にとって価値のある存在なのでしょうか?」
「もちろんです、レディ。こんな危ない場所から早く立ち去りましょう。ロートシルト陛下、殿下に国外追放されたルクリュ嬢を伴って国に戻る許可をいただけますでしょうか?」
王と王妃は内心の不満を押し殺して威厳を取り繕い、国外に出るルクリュに幸いを願う言葉掛けをして、ティラールへ出国の許可を出した。
ーーーーーー
思っていたのと違う……。
ルクリュと同じテーブルに着いて、滔々とリースリング王国での生活について説明するのは、腰までの長い黒髪を後で緩く編んで垂らし、理知的な茶色の瞳の輝きこそ目立つものの、それ以外の容姿は取り立てて褒められる様な事も無い女性。ただ、その平凡な女性こそが、リースリング王国第四王子であるティラールの王子妃エスティーナ・ノイラール・リースリングで、21歳にしてティラールのハレムにいる侍女を含めた五百人程の女性を纏める筆頭にして唯一正式な妻である。
リースリング王国は国内で宝石や油田を多く産出する国ではあるが、それを狙って攻め込まれる事多数。その為、多くの将兵を有しているが、戦闘があれば勝敗に関わらず不幸な事は起きるし、出征中に主人の居ない家に女子供だけというのも危険だ。
元々、リースリングのハレムは夫を喪った寡婦と子供を敵味方関係無く受け入れていたし、遊牧的な気風を持つ国民も多い為、移動式の生活に着いていくのが難しい体力の乏しい子供を行儀見習いを兼ねての受け入れもしている。
要は、幼い子供と未婚女性と寡婦と自力で動けない年寄りを受け入れる孤児院と救護院と修道院の役目も兼ねた施設なのだ。勿論、教会運営の孤児院等もあるが運営費が寄付等となる為に、生活に余裕が無く人気も無い。
リースリングでハレムを持つのは、王と王に許可された王族の男性と、受け入れられる管理者と財産を持った上でリースリング王妃と側妃二名に審査を申し込み許可された者だけである為、各ハレムの収容人数はどこも多く、保護されている者達に掛かる金額も大きい。
幾ら中で労役や手仕事があっても、それだけで費用を捻出するのは無理な上に、気楽な駆け込み寺の様に考えて入って来る不届き者もおり、怠け者は追い出す様にしていても見極め期間も必要で、更に追い出された怠け者は生来ダメ人間なので適当に名前を偽って別のハレムに転がり込むという事もしてのける。
だったらハレムの女性の価値を上げて、外で稼げる様にしたら良いじゃない。
ぴこーんと閃いたのは先代の王弟のクラレンド大公で、一部では賢者ハレム王として名高いが、本人は「何か別の意味に取られそうだから、その呼び名はやめてプリーズ」と本気で嫌がっている。
そんなクラレンド大公は先ず自分のハレム、気がつけば千人を超えていた増築のお化けの様な場所から手をつけた。自分の妻である当時妃と側室にあたる夫人二人にお願いして、ハレムの全ての女性をリスト化。夫や家族を待っている者、美しい上に優れた特技や能力を持つ者、見た目は然程では無いが優れた特技や能力を持つ者、ある程度の芸事を身につけた者、頭空っぽでも美貌を持つ者、平凡だが勤勉実直な者、まだまだこれからの子供、ダメ人間に分類し、先ずダメ人間を放逐した。ぽいぽい。
勿論、ただぽいぽいすると、他のハレムに向かってしまい、お兄ちゃんや甥や臣下のみんな達にコラってされてしまうので、国内のあちこちにある鉱山の施設の労働者として派遣した。鉱山の周りは栄えてはいるものの、中央から離れているのでどのハレムからも遠い。転がり込んでダメ人間とバレるまでぬくぬく生活をする為には、かなりの旅費を稼がなくてはならないけれど、ダメ人間にそんな事が出来る訳が無い。賢者ハレム王のお荷物は一掃された。
さて、迎えを待つ者はそのまま保護を続けるとしても、当然お金が掛かる。不慮の事故も無いとは言えないので、ただぼんやりと暮らされては意味が無い。秀でた能力た芸事を持つ者はハレム内の教師となり、特に無い者は手に職をつける。身内の職業に合わせて励めば、迎えが来た時にそれなりの力になれる。
乳幼児は保護しか出来ないが、それなりに大きくなったら教師達に師事して才能を伸ばす。これで迎えの無い子供に対しての養子希望がグッと増える。
次にリストの上位である才色兼備の女性達の絵姿と釣書を、国内の優秀な者達に数人分送る。この時、相手の地位は関係無い。優秀な若者にも似合いそうな相手を数人選んで送りつける。そして見合いをして、両者納得がいったら婚礼。数人分なのは妻となる人をクラレンドから押し付けられたのではなく、自分で選んだという気持ちを持って貰う為で、女性の方も相手が気に入らなかったら数回会って為人を知ってから断っても良い事にした。こちらも、命令で嫁したのではなく、納得して婚姻したと感じられる為の配慮だ。
これにより、優秀な男女がお互いを大切に出来る婚姻を結び、クラレンドと王家に感謝する様になった。
その後、国内でハレムの女性を妻、従業員、使用人、養子として希望する者を募る。リストはハレムの受付と主要な街の役所に設置し毎月更新する。当然、優秀な者や勤勉な者程早く引き取られる為、我が家に店にと皆がこぞって受け入れていく。
この時、クレランドとその妻達は『美貌だけれど頭がアレ』な女性についての扱いは慎重に慎重を重ねた。アホは国を傾ける、悪女は国を滅ぼす。捨てずに最後まで面倒を見るという契約を結び、例えば『年寄りのコンパニオンだったけれど、爺さん死んだから放逐します、ハレムに返します』といった相手には渡せない。保護したのなら最後まで面倒を見るのが決まりです。
結果、残った美しい女性達は他国への商隊に同行し、『美しいけれどちょっとアレ』な女性として適当に売り子などをさせる。するとあら不思議、独身の美しい店員、しかも逃したら国に帰ってしまうと人気が出てそれに伴い商品の売り上げも上がった。更に、帰国前には女性店員が殆ど出先の国の住人になって帰って来なくなった。
そんなこんなで、大成功した賢者ハレムを手本に残りのハレムも改変し、紹介の際に手数料を取る事によって運営も黒字に転化した。ある意味国家ぐるみの人身売買。クラレンドは慈善事業とお見合いによる国力増強と主張中。
せっかくならこれを更に進化させればいいじゃない。
クラレンドの甥、第一王子は生まれながらにハレムを持っていた。実態は第一王子名義運営の保護施設だけれど。聡明な第一王子は10歳になる前に、もっとえげつない運営を思いついた。
国外で困っている女性も保護してあげればより人道的且つ人材活用出来るじゃない。
そうして留学という名目で他国に滞在しては、辛い目にあっている優秀な女性をリースリングに連れ帰り保護していく。狙い目はしっかりとした教育を受けた貴族の女性や、優秀なのに安い賃金でこき使われている人々で、ある程度の地位がある場合、国外追放を命令されたら即保護するという手法で保護を進めた。
根本的にリースリング王家の顔面偏差値は高い。戦闘経験が自然に増える遊牧民の末裔であり、鍛錬も欠かさないので体格も優れている。厳しい戦いから弱き者を守るのは、強い者の使命だというのが国の方針であり心得だ。
そんな第一王子が婚約者に裏切られて困っているレディに優しく、しかし、失礼にならない程度の距離で、思いやりを持って対応すれば第一王子ハレムに優秀な人材が揃い、それを弟達が真似るのは当然だ。
ルクリュはハレムの成り立ちと現在の運営状態、嫁ぐとしたら相手にはどの様な希望があるか、今はゆっくりしたいというのならどんな事を教えられるか、心機一転働いてみたいのならどんな仕事をしたいか、といった事をエスティーナとその左右に座るティラールの夫人達に次々と質問され、聞き取りをされていく。
ここに来るまではティラールに本人も気付いていなかったルクリュ自身の魅力を次々と甘い言葉で囁かれ、壊物の様に大切に接して貰い、随行した侍女達に敬意を持って仕えられて、自分は他国の王子の妃になるのだと思っていたのに。それなのに、正妃だけでなくそれを支える側妃に相当する夫人が二人もいるなんて……。
いや、それ以前にもララーナに惑わされて夜会のエスコートを何度も無視される度、声を掛けてくれてヴォルネの顔を立ててファーストダンスを踊った後、騎士の礼を持ってルクリュの知人の集まる一角にエスコートしてくれていた。
確かに、隊列の馬車にはルクリュの知っている貴族の女性達も保護されていた。ヴォルネがここ一番の大失態をやらかした時に一緒にいた側近達の婚約者や、ルクリュが相談を受けていた女性達。他にも、平民の女性が纏って乗っている馬車もあった。
ルクリュと同じ様に婚約者に邪険にされている女性達とも一曲ずつダンスを踊り、エスコートしていた。学園の休みの日は街のあちこちに出没していたという話も聞いている。
「では、暫く教師として滞在されるという事で。わたくし達としては、ルクリュ様は豪商の妻となるのが最善だと思っておりますわ。大きな金額を動かす夫を支え、且つ商売へのアドバイスも出来る才覚をお持ちの様子ですし、ローヌ領の職人方の技術があればリースリングの良質の宝石と組み合わせて最高級の宝飾品が出来るでしょう」
「それから、ご家族をこちらにお呼びになる時はハレムの隣にある宿泊施設も使えます。警備も厳重で国賓対応出来ますので、どうぞお気軽にお申し付け下さいませね」
「ご意見ご不満はいつでもどうぞ。出来る限り期待に添える様配慮致します。それから、ハレムから出るのを希望されるのであれば止めませんし、行きたい場所まで責任を持ってお送ります。その際、ある程度の纏まったお金と身の回りの物は支給されますので安心して下さいまし」
「我が国では正妻と夫人は国内の者と定められています。寵妃や愛妾を希望とされるのなら、ティラールにそう伝えますが、ルクリュ様の様に多くの知識をお持ちの方はカゴの中で過ごすよりも外で実力を発揮された方が楽しいと思いますわ」
すらすらと話す三人に対して一瞬呆気に取られたルクリュが気を取り直して背筋を伸ばし、誰も彼もが憧れた王子の婚約者の美しい姿で口を開いた。
「今直ぐ出たいと言っても良いのですか?お話をお伺いしますと、わたくしを利用するつもりでこちらに連れて来たのですから、今わたくしが居なくなっては損となりますわよね?」
ルクリュのどうだといった力に満ちた視線をエスティーナは笑顔で受け止めた。
「損得では無いのです。救いを求める者を保護する目的で行っているので、それが必要無いのであればそれまでの縁です。ルクリュ様が国外追放とされた、だからティラールがリースリングで保護した。その保護施設がこちらだったというだけですわ。リースリングは国内外を問わず、困窮している人々、苦しい思いをしている人々、助けを求める人々を受け入れる事を使命としているのです」
ーーーーーー
結局、ルクリュがハレムに入った初日にエスティーナから言われた言葉は現実になった。
暫くの間、ハレム内の学校で教師を務めたのち、リースリング屈指の大商会の後継ルビエールを紹介され、先ずは高等仕事の為の従業員として通いで働いた所、ルクリュの提案を時に反論や却下をしながらも、しっかり受け止めて戦力として認めてくれるし、ロートシルトで時々感じた男尊女卑も無く、純粋にルクリュという人間を判断して貰えるのが本当に心地良かった。
娘に対して不実なヴォルネを許せなかったローヌ夫妻は、鉱山を含め豊かに開墾した土地である領地と爵位を王家に返却して庶民となってルクリュの元にやって来た。その際、細工技術者も連れて来てリースリングに工房を借りて、ルクリュの職場である大商会と取引を始め、素晴らしい宝飾品を次々と生産した。
両親がリースリングに移住後、ルクリュはハレムを出て両親が借りた屋敷からルビエールに送り迎えされて仕事していたが、ルビエールを気に入ったローヌ夫妻が夕食を一緒に取ったり、休みはルビエールの家族も一緒に観劇に行ったりとしているうちに、ルクリュとルビエールは相思相愛の恋人として婚約結婚の運びとなった。
「神の僕ルビエール。貴方はルクリュを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「神の僕ルクリュ。貴女はルビエールを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
結婚式はティラールのハレムに併設された式場で行われた為、ルクリュの教え子達や世話をしてくれた侍女達や仲良くなった女性達が詰めかけて、賑やかで明るく楽しい物になった。結婚願望がある未婚のハレムの女性は結婚式がある度に「次に幸せになるのは私!」と意気込みを語る。
兎に角、弱者、特に女性に優しい大複合施設なのだ。
それからのルクリュはルビエールの商会と業務提携したローヌ工房を夫婦で盛り立て、たんまりとお金を稼ぎ、多くの寄付を世話になったハレムに寄付しつつ、週に一度教師としても働き、ニ男ニ女を産み育て幸せで充実した日々を送っている。
そして、ルクリュ家族にとってもうどうでも良くなったヴォルネは、学園の生徒をケアしていたルクリュと側近の婚約者達が居なくなった後、側近達とあちこちに謝罪し学園の平穏に奔走した。気付かない所でルクリュ達に支えられていたのだと反省もしたので何とかギリギリ踏みとどまった王太子その側近として、親世代にビシビシ扱かれながら成長中だ。
また、ララーナがバングルとして身に付けていた辺境で手に入れた胡散臭い『ハッピーになるお守り』に、物事を深く考えなくなるという効果がある事が判明した。気楽な辺境、楽天的な思想でのんびり暮らすのには向いているのかも知れないが、国の法で精神に働きかけるアイテムは作成も所持も禁止と決められている。ヴォルネ達と騎士団で実態調査をし、現地の人達が『ハッピーな気分になる石』と呼んでいる特定の場所で採取出来る鉱石を危険物として封印した。
ちょっとばかり、いや、結構アホなララーナは、ルクリュがティラールに連れ去られた後、「何で悪女を逃したのよー!」と癇癪を起こし、大騒ぎ。挙句にルクリュの冤罪が発覚、更に大騒ぎするララーナをお怒りのロートシルト王妃が拘束、王妃教育をがっつり詰め込んで泣いても許しまへんで、とやった所、まあまあそれなりの王太子妃候補になった。怒りの王妃しゅっごい。
まあまあそれなりなので、お約束のドジは健在だが、その時には王妃の閃く特注扇で瞬時に張り倒されて侍従に回収されている。頑張れ、侍従の人達。そして、頑張れ、積み上がる特注扇と、扇職人。
ロートシルトの優秀な女性達を流出させる原因の自作自演については、毎日決まった時間の奉仕活動三年間で償う事になり「お腹痛いんですぅ」と仮病を使った日には「じゃあ寝たまま市中引き回し晒し刑ね」と全く目が笑っていない王妃の命令により、リヤカーにベッドを乗せた物に括り付けられた状態に医者を添えて、王都をぐるぐる回る晒し刑が実行された。頑張れ、仮病に付き合わされた医者の人。
ローヌ伯爵領の鉱山と畑を大喜びで受け取った王だが、職人が移住したのと、有限財産である鉱石の産出が減って行き、思ったよりも全く美味しくなかった。しょんぼり。また、勤勉堅実なローヌが治めていたからこその勤勉堅実なローヌ住民も、それまできっちりローヌ公の決めたルールで運営されていた学校や病院等の施設を引き継いだ新しい領主が、ロートシルトの平均的なルールと比べて人手も運営費も遥かに掛かるという事で、全て平均に戻した結果、当然全ての業種の生産性がゆっくりと低下した。しょんぼり。
とはいえ、結果を反省した王は国の未来の為にしっかりとした政治を行うとして地道に改革をしていこうと決めた。
最後に、留学生としてあちこちの国で活躍していたティラールは、20歳を超えてからは他国に外交や商隊随行といった仕事と共に、苦しんでいるレディやマダムや子供に声を掛け、状況によっては一緒にリースリングに帰国するスタイルに変えた。20歳超えた学生はどの国にも少数しかおらず、大概専門家となるので特定の人としか関わらず拘束時間も長くなるからだ。
乙女の純情を弄ばれたと感じたレディ達に時々ボコボコにされるものの、夫婦仲良く保護した人が納得出来て楽しく暮らせる為の活動を続けている。