4話 ヨゼ・ヤトロスという男
ドレイとなった僕を買ったのは、ドクターと呼ばれる客だった。
絶対服従を強いる従紋をつけられた以上、
主人となった彼に逆らうことは許されない。
なにもかも、想定以上に最悪の方向に向かっていた。
ただひとつの救いは、マギア。
僕のマギアについて、ドクターは何も知らない。
唯一の切り札になりうる秘密を守れたことだけが僕の光明といえた。
僕らを乗せた車は、大きな屋敷へとたどり着いた。
門の表札には、ヨゼ・ヤトロスという名が刻まれていた。
僕を買った男、ヨゼ。
ドクターと呼ばれていたように、彼は確かに医者だった。
診察に使うような部屋を通り過ぎ、
ヨゼは僕を地下へと連れて行った。
隠し扉を越えて、階段を下っていく。
「さて、こっちに来なさい」
連れてこられた場所には、鉄さびの匂いが染み付いていた。
壁にはグロテスクな器具が並んでいる。
(どう考えても、人を痛めつける道具だよな…)
使われた人たちがどうなったかを考えると吐きそうになった。
ヨゼが壁の一面を叩くと、
備え付けられた拘束具の鎖が軽く揺れた。
「ここが今日から君の部屋だ。君の毎日はこの鎖に繋がれる」
身の毛がよだつ思いがした。
青ざめた僕などおかまいなしに、ヨゼは恍惚と語る。
「車の中にいたときから興奮が抑えられなかったよ。
ああ、楽しみすぎて…」
彼は本当に心から楽しそうだった。
子供が蝶の羽をもぐような残酷さをもっていて、
彼は拷問を愛していた。
その道具の醜さも、与える苦痛も、
人が壊れていく過程も、全てがヨゼを惹きつけた。
思うままに遊びたい。
思うままに楽しみたい。
だから、ヨゼはおもちゃに反抗を許さない。
「何をしている。早く来い」
屋敷への移動時に気づいたが、
従紋を使われると意識が遠くなるらしい。
気づくと僕は、壁の鎖に繋がれていた。
太い鎖は、身動きすればするほど擦れて手首を傷つけた。
「たっぷりと楽しませてくださいね」
獣に使うような太い鞭が鳴り響く。
打たれた皮膚は切り裂かれて血を流す。
自分に向かってくる鞭が怖かった。
経験したことのない痛みに、僕はすっかり怯えていた。
ヨゼはにやりと笑う。
「あは!良いね、とても良いよ」
自分の狙い通りに反応する対象が、
ヨゼは楽しくて仕方ない。
鞭は、使いようによっては人をたやすく殺せる武器だ。
だがヨゼの目的は違う。
大ぶりに、あえて弱く顔を打ち据えた。
目の前に迫る鞭の動きと音は、相手に本能的な恐怖を叩き込む。
「これから毎日決まった時間、
私のタノシミに付き合ってもらうよ」
さらに言葉で恐怖を植え付けさせ、鞭を振るう。
従紋で身体を、恐怖で心を支配するのが
ヨゼの遊びのルールだった。
そして心か体が壊れきったら、ゲームオーバー。
「貴重なモノを壊れるか壊れないか、
ギリギリでなぶるこの快感…ああサイコゥ」
せっかくのゲームは長く楽しみたい。
だから、なるべく丈夫な奴隷を頼んでいるし、
だんだん精神と共に壊れていく姿が見たくてたまらない…
そんなヨゼの心なんて、僕が知るはずもない。
喜々と自分をなぶる相手の感情なんて、理解したいとも思わない。
僕はただ痛みに耐え、怯えながら、暴虐の嵐がすぎるのを待った。
「まあ、今日はこのくらいで良いでしょう。
今日遊び尽くしてしまってもね」
もったいない、とヨゼがつまらなそうに呟く。
意識がもうろうとつつも、ヨゼの呟きが聞こえた。
「ヒール」
治療を意味する力ある言葉が、ヨゼの口から告げられた。
ぶわっとやわらかな光の力場が部屋に満ちて、
その心地よさに目を閉じた。
(ああ、気持ちいい、
痛みが消えていく…)
僕が目を開ける頃には、光はあとかたもなく消えていた。
合わせて、傷だらけだった僕の体も元通り。
鞭の痕は全て消えていた。
「驚きましたか?これが私のマギアです」
ヨゼが僕に問いかけた。
ニヤリと笑いながら話す姿に恐怖すら感じる。
ヨゼは医者らしく、治療のマギアを持っているのだと言う。
すぐ死なれては困るから、と主に拷問相手に対して使うらしい。
本業の医者ではなく、拷問マニアとしてのヒールだなんて
皮肉だな…と僕は力なく笑った。
「ああ、マギアを知らないのでしたね」
そう言うと、ヨゼは僕にマギアの解説を始めた。
マギアとは、すなわち魔界の
生き物たちが使うことができる
先天的あるいは後天的な能力・才能を指す。
最低限の解説でしかないが、
ヨゼはそれ以上語らないことにしたようだ。
マギアを知らない子供相手に論じたところで、
時間の無駄でしかないと判断したらしい。
部屋を立ち去るヨゼの後ろ姿を見ながら、
僕は内心安堵していた。
【僕がマギアを知らない】とヨゼは思っている。
うまくごまかせている。
依然、体は鎖につながれたまま、心は怯えたまま。
それでも僕は一縷の希望を捨ててはいなかった。