3話 絶望との駆け引き
暗い部屋に僕はうずくまる。
時間の感覚はとうに麻痺していた。
思い返せば、家を襲ったやつらは転生者と知って僕を狙った。
母さんをあっさり殺したくせに、「高く売れる」から僕は昏倒させられただけですんだ。
そうして、手錠をつけられ狭く暗い部屋に押し込められた。
母さんが教えてくれた通りだ。
数少ない転生者には希少価値がある。
何をしたって構わないとされる対象だから、高値で売られることもあるのだと。
用途は様々らしいが、どれもろくでもない。
そう、僕はドレイにされるのだ。
じめじめとした暗い部屋は、気力を奪っていく。
うめくような怨嗟、嘆くばかりの涙、壊れたような笑い、そして僕らを拘束する鉄の音。
出口は重たい金属の扉で閉ざされている。
他には、窓すらない。
絶望的な状況だ。
それでも生きることを諦めないでいよう。
いつか突破口を見つけよう。
根拠のない希望を自分に言い聞かせる。
~数時間後~
ガチャッと鈍い音とともに扉が開いた。
閉ざされた部屋に光が射す。
でもその光は絶望の続きをもたらすだけだ。
部屋に入ってきた男は機械的に商品たちを見繕っていく。
「おっと、お前は今回の目玉だからな」
声をかけられたのは僕だ。
目玉商品と言われても、もちろんうれしいわけがない。
抵抗する前に全ての身動きは封じられた。
「生命力が強いやつがご希望だからなあ。まあこんなとこか」
嗜虐的な笑みを浮かべた男は、商品たちを連行しつつ口笛を吹いた。
今回選ばれた商品は4人。
定例の闇オークションではなく、上得意様の希望に合わせた取引らしい
「前回の取引は2ヶ月前だったか。まったくイイ趣味をお持ちだ」
今回買われる商品はどれだけ保つんだろうなァと男はにやけながら話す。
話し方で察するに、売れた後のことなど商売人にとってはどうでもいいような言い方だ。
僕たちが連れてこられた部屋で待っていたのは白衣の男だった。
腕組みをして、神経質そうに指をタップしている。
「やあ、待ちかねたよ。今回こそはいい取引がしたいものだね」
「ドクター、お待たせいたしました。今回はきっとご期待に添えるかと」
目の前で繰り広げられる会話に僕は眉をしかめた
うさんくさい腹のさぐりあいだ。
いかにもな薄笑いが気持ち悪い。
僕たちを無理やりに並ばせてから、男はドクターに向き直った。
「今回は良いのがいますよ。戦闘民族から珍種まで。特にこの転生者の魔人がおすすめ」
おどけたように、男はセールストークを始めた。
やはり僕が今回の取引のメインらしい。
転生者という言葉に力が入っている。
「こいつですよ」
抵抗を封じられたまま僕の髪ごと体が持ち上げられ、ぶちぶちと毛の抜ける音がする。
「ほほう、魔人の転生者か…」
丸眼鏡のレンズ越しに、ドクターと呼ばれる客が僕をじいっと観察していく。
まるで爬虫類のような温度のない目だ。
ドクターの視線は僕から他の商品たちへゆっくりと移り、そうして最後に僕に戻ってきた。
ドクターと僕の目線が一瞬合う。
視線の冷たさに、僕はゾクリと背筋を震わせる。
「そうだね。どの子もいい子ばかりだけど」
無表情だったドクターは唇を歪ませていた。
考える素振りはポーズでしかない。
浮かぶ感情は愉悦。
その笑みはごちそうのカエルを見出した蛇を思わせた。
「うん、その魔人の子にするよ」
ドクターは購入する商品を指差した。
僕だった。
「ありがとうございます」
うやうやしく、商売人は礼をとる。
(ああ、やっぱり僕なのか)
予感は現実になってしまった。
切実に外れてほしかった。
このドクターという客は間違いなくやばい。
悪寒がどんどん強くなっていく。
「…このくらいの額でどうかね」
「まいどあり。老婆心ながら高い買い物ですから、もう少し
サイクルを控えられてはどうかと。まあ、うちとしてはありがたいですがね」
「ならもう少し強い子をよこしなよ。まあ、今回は見どころありそうだけど」
男とドクターの交渉の内容も不穏すぎる。
このままだと、殺されるよりもひどい未来が待ち受けていそうだ。
(なんとか逃げ出せないか…)
現状を突き崩すきっかけがほしくて、部屋中に視線を走らせる。
けれど、僕の逃亡を許してくれるほど奴らは甘くなかった。
「では、さっそく契約へ」
男は僕の首根っこをつかみ、ずるずると引きずった。
シャツで首がしまって、息ができない。
僕は苦しさにあえいだ。
僕の体が荷物のように床に放り投げられる。
理不尽な扱いに、せめて立ち上がろうとした。
が、物理的に不可能だった。
僕が転がされた床には悪趣味な装置があったらしい。
もともと手錠で不自由だったのに、さらに四肢が床に固定されてしまう。
(なんだよ、これっ…)
張り付けになってしまえば、じたばたあがくこともできない。
「これ、少し痛くていやなんだよね」
「まあまあ、そうおっしゃらずに」
唯一自由になる口で、僕はひたすら声を上げた。
せめて一糸報いたかった。
ドクターたちにとっては人の叫びなど、
日常茶飯事なのか、どこ吹く風と聞き流す。
何かの作業をしながら、笑みすら浮かべてのんびり話を進めている。
「では、手のひらに紋章を」
「はいはい、さっさと終わらせて僕は帰りたいよ」
「馴染んだら、そのまま相手のうなじに当て、紋章を刻んで下さい」
二人が僕に近づいてくる。
そして僕の項に何かが触れた。
ドクターの手のひらだろう。
刹那、火花が散った。
頭からつま先まで巨大な杭で撃ち抜かれたような激痛に意識が破裂しそうになる。
獣じみた悲鳴は、自分の喉から発せられていた。
(何が起こったんだ…首が、熱くて痛い)
痛みが駆け抜けたあと、荒い息を吐きながら僕は男とドクターの会話に耳を澄ませた。
「お疲れさまです。こちら請求書です。契約内容の説明をさせて頂きますね」
まあドクターならとっくにご存知でしょうが、と男は面倒くさそうに言葉を続けた。
話の内容が飲み込めていくにつれ、恐怖で僕は暴れだしたい気持ちになった。
首の痛みは、従紋という枷が僕に刻まれたかららしい。
従えたい相手に対し、手からうなじへと刻むことで契約が成立する紋章契約。
手に紋をもつドクターは僕の主人となり、うなじに紋をつけられた
僕は絶対服従を強いられる。
契約を破棄するための条件は、二つだけ。
一つ目は、主人たるドクターが契約を破棄すると決めること。
二つ目は、僕か主人たるドクターのどちらか、あるいは両方の死。
僕から破棄したいと望むのなら、死ぬしかない。
でも、絶対服従を強いられる僕には死すら自由にならない。
(最悪すぎるだろ…っ)
男とドクターはさくさくと僕という商品の支払や引き渡しについて話をまとめていく。
彼らにとっては、ただの道具を売り買いしているだけなのだろう。
「ああ、楽しい日々が始まる予感がする」
ドクターは誰に聞かせるでもなく、楽しげにつぶやいた。
おもちゃの心など、主人は気にしない。
ただ、彼にはひとつ新しいおもちゃの性能として
確認しておきたいことがあった。
「そうだ、君マギアは使えるのかね?」
その問いに、僕はハッとなる。
転生者であることの次に、「隠すべき秘密」として母さんが教えてくれたことだ。
「簡単に自分のマギアのことを他人に話してはダメよ」
母の声が蘇る。
使いこなせるようになれば、切り札となる力。
(マギアなら…いや、今はまずしらを切り通さなくちゃ)
少しでも疑われれば、無理やり従わされる。
そうすれば、後はない。
僕はぶんぶんと首を振った。
マギアなんて言葉すら聞いたこともない。
そんな風を装った。
もともとおもちゃには必要以上の性能など求めていなかったのだろう。
ドクターは、「そうですか」とだけ返すと、僕を連れて建物の外へと向かっていく。
「外に車があるので、それに乗りなさい」
従紋の力がさっそく働いているのか、どんなに行きたくなくても
ぼんやりした頭で足を勝手に動かしてしまう。
外は見覚えのない夜の街だった。
森の家からどこまで来てしまったのか、
そしてこれからどうなってしまうのか。
僕の地獄の日々が、この日から始まった。