2話 招かざる訪問者
魔界に生まれ落ちて2年。
周囲に警戒しながら、安全を第一に生きてきた。
森から外に出ることなく、ミテス母さんと二人で暮らしてきた。
いつか平和な日々が終わるとしても、もう少し先のことだと思っていた。
「ミテスさん、あんたんとこのガキ本当は転生者なんだって?」
僕の期待を打ち砕くように、見知らぬ来訪者は嘲笑った。
とっさに反応したのは、母さんだった。
オークの頑強な肉体と力で、開きかけた扉を強引に塞ぐ。
扉の向こうは複数なのだろう。
ガンガンと激しく扉が打ち立てられ、怒声のようなものも聞こえてくる。
漠然とした恐れが、現実になってしまった。
なんとかしなくちゃいけないと頭の中では分かっているが
どうしたらいいのかわからない。
立ちすくむ僕に、母さんが吼えた。
「逃げなさい!はやく!!」
そうだ!!逃げなくては。
でも、家の出入り口は今にも破られそうな木の扉一つ。
「貴方はこんなところで死んではダメなの!」
ミテス母さんはなおも叫ぶ。
その目には焦りと悲しみ、そして覚悟があった。
逃げるって、どうやって?
それに何より、母さんはどうするの?
大きな打撃音とともに、扉が蹴破られる。
勢いで母さんが床に吹っ飛ぶ。
悪夢だと目をそらせたらどれだけ楽だろう。
目の前で起きている光景は、僕に思考停止を許さない。
「このブタ野郎が!さっさと開けろよ!」
家に乗り込んできた男たちはひどく苛立っているようだった。
「あなた達どこであの子のことを…」
よろよろと体勢を立て直そうとする母さんを見て、男たちは舌打ちする。
「うるせー!答える義務はねーぜ」
男の一人が唾を吐きながら、母さんに怒鳴り散らす。
彼らの目は、母さんを障害物としてしか見ていなかった。
母さんに手を出すな。
男たちにそう喚いてやりたかった。
むしろ全力で殴りたいくらいだった。
「え…な、なに…」
なのに、僕の喉はひきつって意味のない言葉をこぼすばかり。
彼らを殴るどころか、腰が抜けて身動き一つとれやしない。
(どうして、僕はこんなに弱いっ…)
今の僕は、母さんを助けるどころか足手まといだ
自分の非力さが、心底嫌になる。
「じっとしとけよ転生者のガキ」
すくんでいる僕は、彼らからすれば容易い獲物なのだろう。
いやらしく笑いながら近づいてくる。
「早く逃げ…」
僕をなんとか逃がそうと母さんは必死にあがく。
でも、そんな母さんの優しさは暴力で踏みにじられた。
「うるせーよ!黙ってろ!」
苛立った男たちは、母さんを殴りつけた。
何かが折れる嫌な音とともに、血しぶきが舞う。
首謀格らしき男は舌打ちをひとつこぼす。
仕事の邪魔をする障害物の存在が彼らには不快でしかなかったのだ。
目的は転生者のガキひとり。
ガキは商品だが、他はどうでもいいのだ。
なら、彼らは決断に迷わない。
「こいつはもういい、殺せ」
オスッ!と手下の男が応える。
簡単な仕事とはいえ、邪魔をされればむしゃくしゃする。
腹いせにはちょうどいいと、男は磨き上げたナイフを取り出した。
少しでも、彼らはみじめな障害物を哀れんだのだろうか。
せめて一思いに壊してやろうと決めたのか。
「かわいそうに、転生者なんかに関わらなきゃ死ななかったのにな」
男のつぶやきとともに鋭い刃先がオークの皮膚をあっけなく貫いた。
「え…っ」
心臓の位置を間違いなく一突き。
痛みは一瞬だっただろう。
あっけなく倒れた目の前の物言わぬ死体。
彼らにとっての障害物。
そして、僕の大事な母さん。
(ミテス母さんが、死んだ…?)
無駄だとわかっていても、母さんに手を伸ばした。
(母さん、母さん…)
でも僕の手は、男たちに阻まれそのまま体を宙に浮かされた。
つかまれた髪から、ぶちぶちと毛が抜けていく。
「お前は高く売れる。逃さねーからな、このゴミ野郎が」
次の瞬間、激痛とともに僕は吹っ飛んで床に落ちた。
僕を掴み上げた男が、そのままみぞおちに一撃をくらわせたのだ。
胃液が逆流して呼吸ができない。
のたうつことすらできず、意識が暗く落ちていく。
「とりあえず寝てろ、じゃあな」
男がにやりと笑う。
何も出来ないまま、僕はこのまま死ぬのだろうか。
それはあまりに悔しかった。
許せなかった。
僕は、生きなくてはならないのだから。
僕は、闇の中で目を覚ました。
明らかに家とは違う、じめっとした空気と血の匂いが漂っていた。
どうしてこんなところにいるのか、何があったのか。
体は鈍く重たかった。
みぞおちから響く痛みが、だんだんと記憶を蘇らせていく。
(突然襲ってきた男たち、そして母さんは殺され、僕は…)
がちゃりと金属の擦れる音がした。
あわてて手元を見ると、手首にはごつい手錠がはまっている。
「なんだこれ…」
呼吸を落ち着かせ、なるべく冷静に周囲を見回す。
薄暗い空間に、何人もの魔人や魔物が押し込められていた。
うなだれる彼らは、誰もが鎖につながれている。
「えっ…」
信じたくはないが、思い当たる状況は一つしかない。
襲ってきた男も言っていたじゃないか。
「お前は高く売れる」と。
母さんが教えてくれた転生者の末路の一つ。
(殺されても、売られても…)
間違いない。
僕は、ドレイにされるために連れてこられたのだ。