13話 二人の優しさ
魔界に生まれ落ちたときから、マギアは僕と共にあった。
体の内側を巡りながら、
解放されるときを待っていた。
固い蛇口は、防衛本能の表れだ。
器が育つ前にあふれれば、
大きな力は器ごと破裂させてしまう。
時が来て、器は耐えられるように
なっても蛇口を開けるのは難しかった。
あまりに固く締めすぎたから、コツを忘れてしまっていた。
でも、もう大丈夫だ。
手足は無意識で動かせる。
なら蛇口だって、同じように開け閉めできる。
マギアを解き放ち、操る感覚を僕の体はもう覚えていた。
「見た感じ、操作は得意そうだな」
ひとしきり笑った後、うごめく魔道具の砂を見ながら
執事はそう見解を述べた。
「もっと細かく、それこそ糸みたいに動かせるよう磨いてみろ」
お前ならミリ単位でもやれるかもしれん、と彼女は言った。
さすがに要求が厳しい。
これから特訓していくしかない。
僕はごくりとつばを飲み込んだ。
「んじゃ、最後は『変化』だな」
腰を据えて、僕は執事の話に集中する。
マギアを使うための基礎の三段階、いよいよ大詰めだ。
属性型のマギアは、
火・水・風・地・雷の5つに分かれる。
ここまでがおさらいなのだが、
人によって属性の得意不得意があるらしい。
例えば、火の属性が得意なら
大した訓練をしなかったとしても炎のマギアを使える。
逆に、火の属性が苦手だとしたら練習を重ねても小さな炎を
出すだけでやっとということも珍しくないらしい。
「だから最初は、得意な属性を見つけてから特化して
熟練度を上げていく方がいい」
「ええと、得意な属性って
どうやったら見つかるんですか?」
一番気になったところを、僕は迷わず質問した。
執事は、にやっと笑みを浮かべた。
「いい質問だな。『変化』は感覚というより、
イメージが物を言うんだ」
「いかにリアルなイメージを描き、
具現化できるかで精度が変わる」
同じ火だとしても、炎の色やゆらめき
その熱量は様々だ。
人を暖める暖炉の火、
料理を煮炊きするかまどの火、
そして誰かを攻撃するための火。
目的が違うのに、同じ火属性だから
と一緒くたにできるわけがない。
具体的にイメージができて、
はじめて思うような効果が出せる。
それがマギアの原理なのだという。
「得意な属性っていうのは、
つまりイメージがしやすいかどうかってことだ」
イメージのやり方は人それぞれ
らしく、後は自分で試せということらしい。
執事の言葉に僕は頭を捻った。
5つの属性は自然のなかにあふれているものばかりだ。
色々観察しながら、イメージを磨いていくといいかもしれない。
「さて、ついでに『特殊型』のマギアの話も少ししておくか」
どうやら彼女が想定したよりも僕の飲み込みが早かったらしい。
少し得意な気持ちになりつつ、
僕は続きの話に意識を向けた。
属性型と特殊型は、そもそもの力を
溜め込む魔素供給器官が全く別物なのだそうだ。
特殊型のマギアが使えないというのは、
必要な器官が体内に備わっていない結果らしい。
逆に、ほとんどの魔人は
両方の器官をもっているから、特殊型も使える。
特殊型のマギアの機序はブラックボックスだという。
どう発現させるのか、発動するコツは何なのか、
制御を磨き上達させるにはどうすればいいか
全ては個人の感覚次第らしい。
「だから私のやり方を教えることも出来ないってわけだ。
自身とひたすら向き合って、自分の力だけできっかけを掴むしかない」
そこまでいい終えてから、
執事は立ち上がり、僕に背を向けた。
「まあ、考えすぎずにがんばれ。
マギアはお前自身の力なんだから」
草むしりから続いた訓練はどうやらお終いらしい。
彼女が屋敷へと戻っていくのを、動きがとれないまま僕は見送る。
僕の頭の中は、特殊型のマギアのことでいっぱいだった。
誰も教えてくれない、手がかりは自分の内側にしかない。
他の誰でもない、僕自身の力へと手を伸ばす。
「ああ、そうだ」
なにか思い出したのか、
執事が足を止めて、僕を振り返った。
「預けてるナイフだが、
もし特殊型をマスターしたら魔素を流してみるといい」
おもしろいことが起きる、と
執事は愉快そうに笑って今度こそ立ち去った。
(特殊型、多分もう使えるんだよな…)
ヨゼに殺されかけた時、
向けてきたナイフを僕は跳ね返した。
あの力は、属性型のどれとも違っていた。
手にナイフを握り、切っ先を自分に向ける。
記憶をたどって、「あの時あふれた力」をより
リアルにイメージする。
今ならきっと、僕だけの
マギアをはっきりとつかめる気がする。
力が動く。
そして手の中のナイフが―――
(なるほど、これが
おもしろいこと、か…)
その日から、僕は毎朝執事に勝負を挑んだ。
マギアについて教えてもらった
とは言え、僕と執事との間の力量差は圧倒的だった。
ナイフはことごとく避けられる。
マギアを交えても、フェイントにすらならない。
格上にことごとく遊ばれている状態だった。
負けるたびに、当然ペナルティ。
草むしりや家事の雑用を命じられることもあった。
いきなり厚い書物を渡されて
1日で全部読むように言われることもあった。
ときには、買い物や情報収集の
お供を仰せつかったこともある。
おふざけのような指示も中にはあったけれど、
振り返ってみればいつも意図があった。
他種族の言語や文化を知った。
魔界の歴史を学んだ。
食べられる野草や毒の知識といった
サバイバルのスキルも得た。
朝の勝負にはまだ勝ててはいなかったのに、
知らない内に報酬は先払いでもらっていた。
安全な暮らしを自分で作り出すための術を、
彼らは僕に叩き込んでいったのだ。
「先生」「王様」
彼らを呼ぶ声に親しみを
こめるようになったのはいつからだろう。
彼らのことを、僕はいつの間にか
姉や兄のように思い始めていた。
二人のやさしさや思いやりは、
僕の心をすっかり溶かしていた。
命令なんてなくても彼らが
笑ってくれるなら、僕はどんなことでもしたいと思えた
(このまま、ずっと二人と暮らせたらいい)
そんな思いがよぎったこともある。
でも、他人の温かさに触れ
魔界をより知ったからこそ譲れない決意があった。
心に決めたことを貫くためにも、
僕は先生である執事にまず勝たなくちゃいけない。
差を埋めるために、体力をつけマギアを磨いた。
経験の差を埋めるために、空いた時間を訓練に費やした。
そうして、気づけば3年の月日が流れていた。
「今日こそ、勝たせていただきます」
3年間毎朝繰り返してきた勝負に
終止符を打つと、僕は宣言した。
全てを賭けて、自分を育ててくれた先生に僕は、勝つ。