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プロローグ

「なあ、紫遅くない?」

「……ああ、そうだな」

 岬はおそるおそると澄まし顔をしたままコーヒーを啜る伊織を見た。

 伊織がコーヒーを呑みだして、七杯目に入った。その間何をしていたのかと言われれば、ただただ居心地の悪い時間を肩身狭い思いで過ごしていただけ。時間が無いのではなかったのかと一向に帰ってこない紫に心の奥底から叫びつつ、ここまで来た。

 流石に、長すぎはしないだろうか。

 窓の外を見ても、何の背景も変わりはしない。いまだにぎらぎらと太陽が光っているし、惨たらしい一枚の絵画の様で。御覧の通り、時間の経過なんてわからない。

 でも、なんだか。呼吸なんて必要ないはずなのに、何故だかここは息苦しい。黙りこめばその一瞬で、階段上の絵画が繰り返しフラッシュバッグする。いまにもその臭いだとか、沈黙だとかが自分を襲って来そうで。

 あれを描いたのは一体どんな奴なのだろう。

 きっと――


「ねえ」

 はたと、沈んでいた思考が浮上する。はっとして振り返って、その正体を見た瞬間、岬の体が固まった。


 真っ赤だ。


 赤い。


 いや、金色?


 血の様に鮮やかな赤色の髪に気の強そうな金色の目、それからやけに目につく泣きぼくろ。自信満々の、厄介そうな少女だと一瞬で思うような。それでもどこか目の奥の光りに心奪われそうな。

 黙りこみ動けもしない岬と同じく、翠もその少女を凝視していた。

 どこかで、どこかで――

 喉に何かが突っかかったような気分だ。しかしその少女と目があった瞬間、そんなことすら忘れてしまった。


 何故だか人を惹きつける目だった。


 それにはきっと人により良し悪しがあるだろうけれど、目があった瞬間その少女を無視できない様な。


 その証拠に、どこかひょうひょうとしていた伊織すら、ぴりぴりとした空気を出し始めた。



「……何で、お前がここに居んだ」

 苦々しい表情で、伊織がカップから手を放す。少し乱暴な音がして、机に落ちて。それを人が拾って、一気に喉に通す。

 ごくり

 聞こえたわけでもないのに、何故だかそれが大きく聞こえた様な気がした。


「遊びに来ちゃった」

 それからにこりと、何処までも綺麗に笑った。


「帰れ」

「お客さんもろくにもてなせないの? まったく」

 噛みつく伊織に大げさなまでに肩を竦め、それから「宮辺ちゃん、もう行っちゃった?」と翠と岬に顔を向ける。

 美人さんだ。

 もうなんていうか、ゲームだとか漫画のキャラみたいな。完成度の高いコスプレみたいな!?

「……聞いてる?」

「あっ」

 それからたっぷり数秒して、岬が漸く我に返った。

「い、行ったって……?」

 それからつられて、翠も冷や汗をかきつつ震える声を振り絞る。

「何処に、ですか」

 そりゃあ、と至極当然な顔をして、元の場所とさらりと答える。後ろで慌てて立ち上がる伊織が視界に入って、翠はハッとした。それから、伊織に噛みつかんばかりに睨みつけた。

「紫が、俺らが下にいるうちに元の世界に帰ったってことか……? じゃあ、あんた、時間稼ぎで……!」

「……お前らが望んだ。あいつの助けになりたいってな。そうだろ?」

 嫌そうな顔をして、ちらりとその少女に目を向ける。そして目が合うと、びくりと肩を震わせて顔をそむけた。

「誰が……!」

 バッと立ち上がって掴みかかろうとした翠の手が、すり抜ける。

 ああそうか、触れないんだ。なんで。なんでこんなことに。なんで今なんだ。あいつには言ってやりたいことがあるのに。何も今じゃなくてもいいじゃないか、あと少し、あと少しでも良いんだ。たった数分でも数秒でも――

「ああっ、クソ……!」

 歯を食いしばって、握る手のひらに爪が食い込む。怒りでどうにかなりそうだ。息を荒げる翠を見て、少女がはたと首をかしげた。

「どうかした?」

 たったひとり、一度も動かなかった岬が、声をかけられて顔を上げた。

「あのさ!!」

 困惑少し。それから、寂しさと。期待。


「あんた……あんたが、“赤桐”?」

「うん、そうだよ。良くわかったね」

「じゃあ、ALICE?」

「うん、そうだね」

 異様な会話だ。居心地の悪そうな伊織と、それから必死に理性を保とうとする翠。その中で、立って一人見ず知らずの少女に期待の目を向ける岬。


「じゃあさ、紫に会わせてくれないか」

「……」

 少女の表情は、変わらない。何も言わず、首をかしげ微かに微笑したまま岬を見ていた。


「紫って言うのは、宮辺ちゃんのことでしょ? 何でそんなにこだわるかなあ」

 それからまるで我儘を言う子供の相手をするように、困り顔をした。

「いや、だって、そりゃ友達だし!!」

「そうだね、ただの友達だ。友達を世界を超えて追っかけるの? ストーカーじゃあるまいし」

「でもさ、多分。今のままじゃ駄目だって、そう思うから」

「ふうん? そうなの?」

「だってあいつ、泣きそうなんだ。迷子みたいな顔して、疲れきってさ。だから、言ってやりたいことがあるんだよ」

「ほほう」

 面白そうに、少女は笑った。




「じゃあ、良いよ。ただし、あたしが出来るのは君たち宮辺ちゃんの世界に連れていくって、それだけ。命の保証はしない。もちろん、宮辺ちゃんが見つけられるかも、君たち次第」



 あそこはこの国と違う。


 誰もが当たり前のように武器を隠し持つところ。



――さあ、どうする?





「ありがとう! 行く!」


 へらりと笑った岬に、少女もにこりと笑った。




「さてはて、それではみなさん目をつぶってくださいな」



 再び目を開けた時、君たちは不思議な世界に居る。



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