第五話
翠視点です。
「……わけわからん!」
ひと段落ついたと言わんばかりに席を立った男を見送って、岬はうなだれた。それを見て、ぼんやりと考え込む。
異世界。管理。異界屋。ALICE。時間。
色んな世界がある。どうやらファンタジーものと同じように。魔法だなんだで召喚されることもある。しかしそうすると世界間の均等が崩れてしまうことがあるから、それを管理するために異界屋がある。異界屋は総括で、それぞれの世界に住む周りより力の多い人にその管理を手伝わせる。それが、ALICEか。……ああ、頭が痛い。岬じゃないが、わけがわからない。
紫がそのALICEで。どうやらその初期メンバーで。昔から、その管理とやらを手伝っていた。……ならその設立は最近なのか? いや、まて、たしかあの伊織とやら、初めに「時間が無いとこ出身」だとか言っていなかっただろうか。ならば、そうとは限らないのか?
――ああ、いや、そんなことよりも。時間が無いというのは、一体どちらの意味なのか。その課せられた「代償」とやらが紫の体を蝕んでいる、と言う意味か? それとも、紫が帰るその日が近いという、そう言う意味? どちらの意味にも聞いてとれた様に感じる。
ぐるぐると行ったり来たりの思考に小さくため息をついて顔を上げれば、期待の顔でこちらを見る岬と目があった。
うわ不細工。
「ど、どういうことでしょうか、翠せんせい」
「そうですね、残念な脳味噌をもつ君には私が特別に教えてあげましょう」
つまり、だ。
「紫はもともと、数ある世界を股にかけ、まさに世のため人の為働く特別な存在だった。違う世界に迷い込む哀れなこどもを元の場所へ帰らせる、迷子センターのお姉さん的存在だ。しかしある時、紫が言った通り、突然勝手に違う世界に落ちた。しかしそこはお姉さん。迅速に持ち場に戻ろうものの、それが出来ない。多分、「上」の許可が下りないんだろうな。それがズルズルと続き、今に至る」
「つ……つまり?」
「つまり、その許可さえ居りればさようなら、だ。決まりにのっとってな」
さりげなくけん制されたのだろうかとぼんやり考えて、翠は息をついた。
壮大な話だ。突拍子のない、可笑しな話。抜けている点だっていくつもある。それでもその場所なんかよりも、ずっしりと胸の奥を締め付け頭から離れない言葉があった。
異世界? そんなの気になんてしないさ。結局普通に過ごしてさえいれば関係はないのだから。
異界屋? そんなのどうでもいいさ。結局俺達に接触することだってない。
ああ、それでも。
紫がそのALICEとやらの初期メンバーだというのならば、なんて重たい役目だ。たとえば物騒な世界があったとして。そこで紫が過ごすとして。……なんて、ゾッとするような話。いつか見た、あの、傷が脳裏に浮かぶ。白い華奢な体に不釣り合いなその傷痕。治ってはいるのだろう。それでもきっと、あの傷痕は一生消えることはない。……。
「翠……?」
ああ、もう、一体なんて言えばいいんだろうか。
紫が大切なのだと、危ない目にはあって欲しくないのだとそう言えばいいのだろうか。そんなこと言えるはずもない。紫はきっと、「そう」であることに誇りを持っているであろうから。
ああ、それでも、心配なんだと。
いつか来るその別れの先、紫を唯一迎えるその世界は、一体どんな世界なのかと。
ふいに翳る表情を、俺は一度たりとも忘れたことなどない。
知らないことを少し嬉しそうに受け入れること。それから、明楽や旅院たちとじゃれあうこと。
まさか、いずれ来るその別ればかりに気を取られていたわけじゃないはずだから。
いっそ閉じ込めたりなんかはできないだろうか、なんて。
それでも怒りや憎しみに染まるその表情を見たくなんかないから。
――いずれくる、別れか。
「……なあ、岬」
きっとお前は悲しむのだろうな。
馬鹿みたいに口を開けて俺を見る姿に、小さく笑って。
きっと泣くだろうお前の為、ひとつだけ約束をしよう。
「もしもその時が来たら――」
これは、布石。
いつか来る別れの覚悟を少しでもできるように、お前の苦しみが少しでも和らぐように。
ああ、紫、俺はきっと紫を許せないだろうな。
大切な友人であるからこそ、身勝手な、それでもお人好しな紫のことを。




