第二話
「ビビったか?」
抑揚のなかった声が愉快そうに弾む。
一歩、また一歩と近づく男に、岬と翠は怯んだ。
男は、どちらかと言えば痩せているが頼りないわけではない。しかし、やはり生気のない瞳がどこか恐ろしい。
「君は……」
冷たい声に振り向くと、紫が無表情で男を見つめていた。
ぎくりと肩を震わせたのは岬で、翠はその背中を小突いた。
「俺は伊織。……悪いがついてきてもらうぜ? 俺にとっちゃここは都合が悪いからな」
「何で? 悪いけど、時間がないんだ」
男は、笑った。
どこか空っぽな笑みに、紫の眉に皺が寄る。
「時間がない? そりゃあそうだ、このままじゃアンタ、確実に誰よりもはやく死んじまうからな。よーく知ってるぜ、アンタのこと……なあ」
虚ろな目を紫に向けて、両手を広げる。そして、どこかで見た様な笑みを浮かべて、首をかしげる。
「“宮辺”ちゃん」
ぽかんと男を見つめて、何度か瞬きをする。傍らの岬と翠はすでに頭に入っていないようだった。
岬はふと首をかしげた。どこかで見たことがある……どこかで、確実に。しかし、何故だか思い出せない。それでも何故だか、もどかしさは感じられない。何かを思い出せない時の、あの不快感が。
……まあ、どうでもいいことなんだろう。そこには、確かな確信があった。ちらりと翠を見ても、どうやらこの状況に疑問をかんじつつ何かしら考えている風でもないようだ。ならば、気の所為なのだろう。
「君、は……」
彼のその動作に見覚えがあるのは、どうやら紫だけらしい。いろいろな感情をごちゃ混ぜにしたような顔で、男をじっと見つめる。
男は、ふとその笑みをけしてゆっくりとジーンズのポケットに手をいれた。しばらくあさった後に取り出したのは、四つ織りにされた紙切れだった。
紫はなにも言わず、食い入るようにそれを見ていた。
「名前、宮辺。年齢、十五程度。時間の無いとこ出身、現在ALICEとして活動中。初期メンバーの一人。そんでもって……パートナーは、あのヤロウだ」
ぐしゃっと潰された紙切れを見て、紫が目を見開いた。
「それ……」
「あ? ……なんでもいいだろ、別に。書いとかなきゃ忘れちまうんだよ」
「ああ……そっか。……道理で、なるほど」
くすっと笑い、なるほどなるほどと小さくつぶやく。器用にも片眉を上げて紫を睨んだ男は、忌々しそうに舌打ちした。
「本当に、話に聞いていた通り二人ともそっくりだ」
「ふん。……まあいい、俺が誰だかわかったんならついてきな。このまま見過ごして怒られんのは俺なんだよ」
そう言って簡単に背を向けた。翠と岬が顔を見合わせると、紫は笑った。
「平気だよ。行こう」
延々と、長い道のりを歩き続けた。
やがて、上半分をえぐられたビルが見えた。やがて、焼け跡のある家屋が見えた。やがて、乾き切った川が見えた。やがて、……。
赤い屋根。
白い壁。
茶色い扉。
まるで絵本の中に出てくるような、あまりに不釣り合いな家が、見えてきた。
「……入れよ」
無愛想にそう言って、男は大きな扉を重々しい音をたてて押し、入っていった。
壁はひびなど一つもなく、真新しい。まるでついこの間たてられたと言わんばかりのそれに、三人は沈黙した。
「……なあ、紫。あれ何で?」
男の背中を見つめていた紫に、岬が尋ねた。紫は張り付けた様な笑みを浮かべて、首をかしげた。
「多分、上の仕業かなぁ。彼、重要参考人だから」
「上……? 重要参考人……?」
訝し気な岬を横目に、紫はくすくす笑った。
「彼はそう簡単に手放せないんだってさ。和さんが言ってたよ」
「何だ、それは。そこまですごい人なのか?」
「いやまず和って誰だよ」
首をかしげた翠の頭に岬のチョップが炸裂した。紫はヒミツと意味深に言って、空を見上げた。
「……おい、何をしている?」
不機嫌そうな声に岬が慌てて首を振った。小さく開けた隙間から、男がこちらを睨んでいた。
「イヤ、なんてもないっす!」
隣でビビリだとにやにや笑う翠も目に入らないらしい。
「入れ。コーヒーくらいは出してやる」
「……貴方と違って飲めないけどね」
「なら、付き合え」
もう一度扉に手をかけて、三人を中へ招いた。
豪奢な家だ。洋画にでも出てきそうな、見事な家だった。
「それくらいはできるだろ」
すぐに背を向けたその顔が少し、寂しげだと岬は思った。
ぎぎぎぎと重たい音がして、扉が閉まる。
前を歩く男の背中が一瞬、赤く長い髪を流した小さい背中と重なった気がした。




