第三話
「……なんで、逃げる?」
責めるように言った翠の背中に無理矢理負ぶせられたが、紫はそれに何も言わなかった。
ただ、赤くなった足よりも嫌に騒ぎたてる心臓が気になった。どくどくと、まるでこれから嫌なことがあるようなほど騒ぎたてる。
それほどまでに、何が不安なのだろうか。
黙りこんだ紫をみて、岬が笑いかける。
「翠、俺のこと足蹴にして起こしたんだぜ? しかもすっごい怖い顔して追うぞっつってさ。魔王みたいだった」
「岬、ハウス」
犬じゃないし! 岬が小さく翠に反論する。
無表情のまま、紫は口を閉じた。
「オッドアイを気にしているんじゃないかと理事長に言われた。それで逃げたのか?」
翠に言われて、紫はそうだねと蚊の鳴くような声で答えた。
「赤と青がだめなのか? それとも、オッドアイがだめ?」
首をかしげる岬に、紫は知らないよと答えた。
岬がなんだそれと苦笑すると、紫は静かに知らないんだよと繰り返す。
「お前らしくないな」
ぼそりと、翠が呟く。紫はそうだねと答えた。
「宮辺と言う人物は、昔から無表情だった。生きるためなら何でも犠牲にするし、裏切られればそれなりに仕返しはする」
「……みやべ?」
「紫じゃなくて、か?」
そう言われると、ふと首にまわされた腕に力がこもった。翠は小さく息をのみ、しかし黙りこむ。
裸足のまま追いかけっこをしたためか血がにじんでいる足。それを見つめてから、紫は小さくため息をついた。
説明も、衝撃的告白も、得意じゃない。支離滅裂でも、混乱していても、紫は必死に話した。
「紫、今無表情だな。……でも、ちょっと泣きそうな顔してる」
労わる様に、岬が言った。
そう、と紫は疲れたように岬にかえした。
泣きそうな顔をするのはこれで何度めだろうか。親に捨てられた時、相棒と出会ったとき、「おにいさん」に殺されかけた時。そして、「彼」が死んでしまった時。
数えれば、きりがなかった。自分は弱いのだろうと、紫は目を細める。
誰よりも弱くて、情けなくて、馬鹿でどうしようもない。
それでも紫は、あのねと拙く子どものように白状した。
「宮辺紫なんて人間、何処にもいないんだよ。この世界にも、もちろん、異世界にだって」
二人は何も言えず、ただ息をのんだ。
「宮辺紫は、存在しない……?」
ゆっくりと、噛み砕いて理解するように翠は続けた。
さっと背筋に冷たいものが駆けたような感覚がした。
「宮辺紫は、ね。でも、僕はここにいる」
そう言いきって、紫は力なくわらった。
「親につけられた名は戸籍の名はなんだと言われても、困る。……宮辺は親じゃなくて、相棒とつけあった名前なんだから。相棒がそう呼んでくれたから、僕は宮辺と名乗ってる。ただ、それだけ」
ふうと息をはいた紫に、岬が呆気にとられたような顔であいぼう、と繰り返す。
紫はそれを見てくすりと笑う。
「変な顔」
「デジャヴュ!!」
酷いと叫ぶと、今まで黙っていた翠が薄く笑った。
「近所迷惑だな」
「笑うところじゃないし!?」
そうだねえとのんきな声でいった紫に、二人は安心したように笑った。
岬はふと空を見上げ、紫に首をかしげる。
「紫はさ、最近情緒不安定だよな」
「あー、そうかもね。あはは、爆笑うー」
何がだよと苦笑しながら、岬は尋ねる。
「それでさ、話は戻るけど」
「なんだい岬くん。何を聞きたいのかにゃー?」
「やめろよ腹立つ!」
ばしばしといつもと違い低い場所にある岬の頭を叩いて紫は笑う。
「異世界だか何だか知らないけどさ、紫はどうやってここに来たんだ?」
そう聞かれて、紫はあーとうなった。
翠に背負われて、難しい顔のまま黙りこむ。
「やっぱ、答えづらいか?」
そう言いながら、岬はふと志貴の言っていた言葉をおもいだす。
“「血だらけ」で泣いていた”と。そう言っていた。きっと、それに嘘偽りなんてないのだろう。
誰かが死んだのだろうか――目の前で。
聞いておきながらそんなことを言うのはひきょうだと、岬は小さく悔む。
「知らない」
「……は?」
思ったよりもあっけらかんと答えた紫に、岬も翠も言葉を失った。
思わずまぬけた声が出て、紫を睨みつける。
「いや、ほんと分からないんだってば。僕のほうが聞きたいね。向こうには相棒がたぶん泣いてるんだからさあ……」
「多分かよ」
律儀にいった岬を横目に、翠はそうかとだけ答えた。
何故こちらに呼ばれたのか分からない。
ここが何処だかわからない。
そんなときに志貴とであい、そしてこの学園に入った。
――だとしたら。
岬は目を伏せて、そして笑う。
「相棒かあ……じゃあ、俺達は?」
「はあ?」
意味がわからないというような目を向けられ、岬は苦笑した。
「そうだな。俺達はお前にとって何なのか聞きたいな」
にやりと悪役のように黒く笑って、翠は振り返る。
案外近い位置に顔があって思わず体を引いたが、紫は特に気にしていない様だった。
赤と青のオッドアイで、二人を交互に見ている。
「二人は……うーん。他人? 知り合い? 敵でもないし、かといえば味方とも言いづらいよね」
「ええ、味方じゃねえのかよ」
「ばっさりといったな」
不満げにむくれる岬と苦笑する翠に、紫はああと納得が言ったような声をあげた。
「二人はあれだよ。あれ」
「なんだよ、あれって」
くすりとわらって、紫は空を見上げる。
赤にも青にも黄色にも見える星、金色に光る月を見て、目を細めた。
「多分、“ともだち”?」
多分は余計だと、翠が笑った。
あれほど騒いでいた心臓は、もうしずかだった。
暗い空に散らばる光りに、紫はほんのり淡く、微笑んだ。
(ともだち、がなんなのかは分からない)
(でも、友達でいたいとなんとなくおもった)




