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閑話・小春日和


 冬の始まり、まだあたたかな日のことだった。


――母が、再婚をするらしい。

 久しぶりに見た母の幸せそうな顔を思い出し、少女春日は目を伏せた。

 肩で切りそろえられた黒い髪に、ブラウンの目小学生ほどの身長。珍しくもないその容姿だが、愛らしい顔立ちをしていた。

 黄色のワンピースがふわふわと揺れ、それと一緒に髪も揺れる。そして気付いたころには、春日は公園にいた。

 ここはどこだろう、という考えはあまりなかった。

 そこまで歩いていないだろうから、すぐに帰れる。――よく知りもしない、「父親」のもとへ。


 新しい「父親」は、優しそうな人だった。

 垂れ目に、お世辞にもたくましいとは言えない体格の所為かも知れないけれど、春日にはどうしても彼が母を守ってくれるとは思えなかった。

 だから、母には悪いけれど思い切り反対をしてしまった。

 そして、その「父親」の横で母と自分をキラキラとした目で見てくる三つ四つ年上であろう少年。

 彼は、これから「兄」になるらしかった。

 金色の髪は日に当てられてきらきらと反射する。父親とはあまり似ていないようで、端正な顔立ちに活発そうな体格をしていた。しかし、そんな彼も春日には受け入れることができなかった。

 男性恐怖症というべきなのか、不信症というべきなのか。

 春日にとって「男」という生物は信用に値しない。

 うんと小さいころから父から虐待を受け、さらには「幼女趣味」の男たちから何度も攫われかけた。つまり、恐怖対象なのだ。


「わっ」

 どん、と行き成りぶつかって、春日は尻もちをついた。慌てて顔をあげれば、そこには珍しい髪色をした三、四つ年上ほどであろう学生服を着た少女が立っている。

「ごめんね、大丈夫?」

「あ、はい……ごめんなさいっ」

 微弱ながら微笑まれて、少しだけ頬を赤くさせた。その人は凄い美少女、というわけではないのだろうけれど可愛らしい顔立ちをしていた。

 青紫――ラベンダー色といったほうが良いのかもしれない。なかなか目立つ色に、先ほどまで一緒にいた「兄」を思い出す。

「怪我は……ああ、手に傷があるね」

 困ったように眉を下げる姿に、大丈夫だと春日は慌てた。少し手に砂がついて、すれただけだった。

「駄目だよ、女の子は体を大切にしなくちゃね。おいで」

 手招きされて、どうしようかと迷う。しかし、向かうその先には木が一本あるだけ。

 首をかしげてから、結局はついていくことにした。


「はい、ハンカチ」

「あ……ご、ごめんなさい」

 濡らされたハンカチを迷いつつも受け取る。空色の綺麗なそれは、今の空模様と酷似していた。

「ふふ、ありがとうって言ってほしいな。ね、可愛い子がそんな辛気臭い顔してたらもったいないよ」

 柔らかく微笑まれ、春日ははにかみ笑う。

 可愛い人だなあ、と思いつつも珍しい人だなあと考えた。

「悩み事がある時は、誰かに相談するのが良いらしいよ」

 木の下に座った彼女に習い、春日も隣に座る。

「じゃあ……あの、聞いてもらっても、良いですか」

 自分でも、何故彼女を選んだのか分からなかった。けれど、彼女に聞いてほしいと思った。



「ふうん……お兄さんにお父さんができるのか」

 驚いた様子もなく言った彼女に、春日は頷いた。

「嫌い……というわけじゃないんです。だって、まだ会ったばかりだから。でも、その……ちょっとだけ、怖くて」

 そっか、と彼女は軽く笑いかける。


「たとえばの話。君が今すぐ母親になるとする」

「は、母親ですか……?」

 そう、と彼女は笑う。そよそよと吹く肌寒い風が、二人の髪を揺らした。

「けれど君はきっと、すぐには気持ちが追い付かないだろう。誰だってそうだよ、変わるってことは、なかなか難しいしね」

 けれど、と彼女はつづけた。

「けど、住めば都という言葉がある。どんなところでも、たとえボロ屋敷だって、住み慣れればそこが居心地良く思えるわけだね。最初はいろんな抵抗があったって、受け入れられなくたって、きっとその先では慣れるよ。

 だから、無理しなくたっていいんじゃないかな。少しずつ慣れれば、きっと二人の良いところも見つけられるよ」

 優しく笑う彼女に、春日は頷いた。

「うまいことは言えないけどね。でも、可愛い君の優しいお母さんが選んだ人だ。ほんの少しだけ、信じてもいいんじゃない?」

 言われて、春日は「父親」を思い出した。

 「兄」とは違い、彼は黒い髪の気弱そうな人。

 しかし、母は凄く優しい人なんだと言っていた。だから、もう傷つかなくて良いのだと言っていた。

「大丈夫だよ、時間は止まらないものだから。きっと、君の傷も癒やせる時間をくれる。僕が保証するよ。……って、ああもう時間だ。ごめん、もう行くね。君も、お兄さんたちが心配しているだろうから早く帰るんだよ」

 言って、彼女は立ち上がった。

「そのハンカチは、君にあげよう。……次、会ったとき、きっと君は可愛く笑ってね」

 最後に春日の頭をなでて、彼女は歩き出した。



「――ハルちゃん!」

 遠くで、「兄」の声がした。金色の髪はぐしゃぐしゃになっていて、息も絶え絶えだった。

「心配した。怪我、してない? 大丈夫?」

 眉を下げて尋ねる「兄」に、春日は緩く頷いた。

 あれほど怖かった「兄」が、ほんの少しだけ、普通の人に見えた。

「ごめんなさい」

「ううん、無事でよかったよ。……帰ろうか」

 優しく笑われて、春日は先ほどの人を思い出した。

 また、会えるだろうかと空色のハンカチを握る。


「あの……ありがとう、おにいちゃん」

 そのハンカチを見つめたまま言えば、先ほどよりもずっと明るい声色で、兄がどういたしまして、といった。




「ふふー……可愛いなああの子。光のままに生きる子、って感じだ」

 くすりと笑って二人を見ていた紫は、悲しげにそう呟いた。

 大丈夫、その人は決して君を裏切らないよ。

――君が、僕のようにならないように。

 紫は小さくつぶやいて、その場から姿を消した。


 冬の、ある日のことだった。

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