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第六話



 翠は一人、無言のまま立っていた。

 目の前にはベッドに寝かされている兄。つい先ほどまで死にかけていた、葵だった。

 血の気のない唇からこぼれる息は力ないが、回復していくという医者の言葉に嘘はないだろう。

 そう考え、翠は何故自分がここに立っているのか不思議に思った。


 電話がかかってきてから十数分。病院につき事情を聴いた。一命を取り留めた葵のそばにと言われ、翠は静かに従った。

 帰っていいだろうかと考えはしたものの、それも何だか悪い気がして結局足を止めた。

 死にかけていた人を放っておくのはどうだろうと考えたが、そんな義理はないかと思い当たる。

 どうするべきかと首をかしげる翠は、葵の異変に気付いた。

「……っ」

 ふと、苦悶に満ちた顔をした葵が何かを言った。遠すぎて聞き取れず、翠は首をかしげる。

「……」

 ひたすら何かを呼ぶような葵を不審に思い、少しずつ近づいた。


「……スイ」

 先ほどよりも大きくなった声にハッとして、翠は葵の顔を見つめた。

 起きたのかと思ったがしかし、表情は変わらなかった。

 ずっとそれを繰り返していたのだろうかと首をかしげ、スイというのは何のスイだろうと眉を寄せた。

 翠とは、自分のことか? 思わずそう考えたがそれはないと必死に頭を振った。

「ごめん、翠……」

 葵のぼやいた言葉に驚いた翠は、思わず鞄を床に落とした。

 葵ははっとして目を覚ますと、そこに唖然とした表情で立っている翠を見て目を見開いた。



「翠……」

 気まずそうな葵の顔を見た翠は鞄を拾うと、踵を返した。

「まって……話が、あるんだ」

 しかし、力ない腕でつかむ葵に、思わず足を止めた。

 


 * * *



「ええ? 翠さんのお兄さん、入院したんですか?」

 コップを乗せたお盆を持つ春日に、岬は頷いた。

「翠が様子見に行ったけど……大丈夫かな」

 小さくため息をついて、ソファに腰掛ける。

 手渡されたコップをもった紫が肩をすくめる。

「さあ、大丈夫なんじゃない?」

「さあって……曖昧だな。大体お前、心配じゃないの?」

 呆れたように言った岬に首をかしげ、紫は別にと答えた。

 それに盛大なため息をついた岬は、お茶を一気に飲み干した。

「あの葵さんだよ? あの人が入院って……しかも重傷。葵さんも心配だけど、翠も大丈夫かな」

「ああ、あの人ね。まあ……大丈夫なんじゃない。翠も、さ」

 両方心配なんてお人よしだなあなんて考えている紫などつゆ知らず、岬は頬杖をついた。

 そしてふと、先ほどのことを思い出す。

「紫さあ、さっき子供みたいだとかなんとかいってたじゃん。あれ、なんで?」

 首をかしげ眉を寄せる。変な顔と言われて顔をひきつらせると、ため息をついた。

「ごまかすなって」

「ごまかしてはないよ。本当にそう思っただけで。それで……あの、葵さんだっけ?」

 うんと小さくうなずいた岬に面倒だなとぼやいてから、紫はつづけた。


「あの人、大概嘘つきだよね」

「はあ? 何が?」

 くすりと笑って、ゆかりはちびちびとお茶を飲む。

「嘘ついて嘘ついて、空回りしてでも一途なんだから、いっそ哀れだ」

 ぼんやりと、初めてあった日を思い出す。

 深緑の商品を愛しそうに眺める姿には驚いたものだ。兄と言う言葉には引くくらい反応したから、何なのだろうなんて考えたがいまなら納得がいく。

「不器用と言うか、本当、変な人」


――そんなに弟というものは、大切?



 * * *




 小さく息をついて、翠は混乱したまま病院を出た。

 まるで、出来の悪いドラマだった。


 お前のその目は母方の祖父と同じで、父の言った突然変異というのは嘘だ。お前のその目は突然変異だから嫌われたんじゃない。父の、ただの我が儘だ。


 思っていたことすべてがひっくり返され、翠は全くもって訳がわからなかった。

 ごめんと弱々しく吐き出された声は消え入りそうなほどちいさくて、到底嘘とは思えない。

 どうすればいいのだろうか。

 一人だったはずの世界に岬が入ってきて、進藤家が入って、やがて紫や旅院たちが入ってきた。

 しかし、一人だったはずの世界には兄がいた。


「……もっとわけがわからなくなってきた」

 ぼそりとつぶやいてため息をつく。

 ああそっか俺は一人じゃなかったのかなんて笑えるほど人が良いわけじゃない。

 けれど、なんで何だと詰め寄り憤る気力もなかった。

 一体自分は何をすべきなのか何をしたいのか、翠はまったくわからなかった。

 

 許せないわけじゃない。苛立つことは、あまりなかったように思える。

 笑いあえるようにも、思えない。

 やはり、現状維持というところだろうかと考え、小さくため息をついた。



――ああ、やはり俺は結局こうして全て投げ出すのだ。

 一体どうすれば終われるのか、分からなかった。


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