第三話
“おい、生きてるか?”
“だれ”
“ん……お前、俺とこないか?”
“……”
“ほら、こっちだ”
その日紫は、珍しく深い眠りについていた。
このだるさは恐らく見た夢の所為で、この苛立ちは自分の無防備な態度の所為だった。
目覚めた紫が見つめた「時計」は午前二時三分をさしている。ああそこまで寝ていたわけではなかったと、小さく安堵した。
ベッドで寝ている春日は恐ろしいほどよく眠っている。それを無表情で一瞥して、紫は立ち上がった。
カーテンの隙間から見える空は真っ暗で、薄く笑った。儚くでもなく――ただ、透明に。
扉の前に立ったところで、紫は眉をひそめた。
犬の遠吠えが絶え絶えに聞こえてきて少しの間迷ったが、結局はその扉を開け外に出た。
夏特有のじめじめとした風に眉を寄せながら辺りを歩いていると、電気のついている家を見つける。
首をかしげると、東也という表札に気づいた。
紫はふうんと無感動に呟くと、出てくる人物に小さく手を振った。
ぼんやりとした人影は近づくにつれ鮮明になっていき、それが東也翠という人物だと判明する。
「……紫?」
「うん、そう。ここ、翠の家だったんだね」
小さくうなずいた翠の手には衣服がある。恐らくは、それを寮に持っていくのだろう。
そう考える紫と同じく、翠も考えていたらしい。首をかしげ、紫を見た。
「こんな時間に、どうしてここに?」
「眠くないからお散歩だよー」
にこりと笑うと、そうかと簡潔に返された。
「紫はもう戻るのか?」
「あー……いや、まだぶらぶらしていようかな。どうせ眠れないし」
「いくらなんでもこの時間はやめたほうが良い」
そうかなと首をかしげて、頷く翠に苦笑する。
「でもそこまで無力でもないよ」
「そういう問題じゃ……」
言いかけた翠は、ふと紫を見つめた。
いつもよりも、どこか歪な笑い方に、ごくりと息をのむ。
街の街灯に照らされる姿は、何故だか酷く恐ろしく見えた。
「前から、聞きたいことがあった」
ぎらりと負けないように緑色の目が紫を見つめる。それに薄く笑って、紫は頷いた。
促された翠は思いきったように言った。
「お前……“何”なんだ?」
紫はしばらく黙っていると、やがて無表情で翠を見上げ口を開いた。
「きっと、それは君が知らなくてもいいことさ」
* * *
そこは、岬の家から十数分で着く喫茶店だった。
「ちょっと、お前らいい加減にしろよ!」
がたんと、勢いよく立ちあがったことでイスが倒れる。
陰険な空気の漂う中、岬はそろそろ限界だった。
にこにこと笑ったままの紫は何も言わず、睨むように紫を見ていた翠は小さくため息をつく。
「それを聞くためにここに来たのか?」
「……だってしょうがないだろ。ハルちゃんに聞かせるわけにもいかないし」
うなだれた岬に紫が肩をすくめる。そしてそれを見た翠が、かたりと軽く音を立てて立ち上がった。
「ここは喫茶店だ。荒事は避けるべきだろ。ほら、行こう」
それに立ち上がった紫は、ふと振り向く。
そして、眉をひそめ思い切り嫌な顔をした。
「うげ。おにいさん、ここら辺に住んでんのー……?」
らしくもなく力ない紫の声に反応した二人が、その人物を見て目を見開いた。
「へえ、これはまた……運命的だね」
黒い髪にブラウンの瞳。眉目秀麗な青年。
彼はまさしく、紫が先日背負い投げを喰らわせた人物だった。
(はたして裏切ったのはどちらだったのか)
(どちらが悪だったのか、正義だったのか)
(今になってはもう、どちらでも構わないと思う)




