プロローグ
――なんでお前はそうなんだ。
眉をひそめる父親に、俺は目を伏せた。
――兄さんはちゃんとした大学に行って、お父さんの跡を継いだっていうのに。
ヒステリックに言う母親を、俺は手を握り締めた。
――お前が俺より上に立つことはこの先一生ないよ。
嘲笑う兄に、俺は何も言わなかった。
いや、何も言わなかったのではなく言えなかったのだ。立って自分は理屈を並べるだけしか能のない、臆病ものなのだから。
兄を越せば一体何がある。兄を目標にすれば一体何になると。無理にそんな言い訳ばかり並べて結局足を進めない俺。誰よりも臆病でずるいのは、自分だった。だから、家族にどれだけちっぽけな人間なのかだなんて言われなくても、ちゃんと分かっていた。
しかしそれを知りながらも結局変わらない俺は――やはり、愚図だった。
* * *
“翠は、苦しくないか?”
中学二年の時。突然聞いてきた岬に、俺は参考書から顔をあげた。
“親は欲張って、兄さんは見下して。……翠、我慢できるのか? 辛く、ないか?”
きらきらとした金髪は、俺の目と違って濁っていない。辛くないかと聞くそいつの顔が、一番つらそうだ。
“別に。ちゃんとそれなりの家なのに、こんな目の俺がいること自体が悪いんだから仕方がないだろ”
そして、こいつは真っ直ぐで、綺麗な奴だ。俺がありえないという純粋な人間が、岬――進藤岬だった。
“なんでだよ。いいじゃん、緑。綺麗だろ”
小学生のころ初めて会った。そして、気付かないうちにいつも一緒にいるようになった。最初のころから、まったく変わらないコイツ。頬づえをついて俺の目をみられ、ばしりと叩いた。
“何処が。濁ってるだろ?”
“そーいうのは濁ってるっていうんじゃなくて「しんぴてき」っていうんだよ!”
“神秘的って漢字で書けるか?”
“ううううるさいよ!”
少しずつ大きくなってきた声にやばいと思い、声を潜めろと言おうとした矢先。その前に注意された岬が嫌にかしこまって頭を下げた。
“す……すいませんっ”
びくびくと震えあがる岬を横目に、つい少しだけにやりと笑ってしまった。
そういえば、産休に入った先生の代わりに来た人はなかなか威圧できだった気がする。はっとして表情を変え他人のふりをしながら再び参考書に目をやる。しかし結局集中できなくて、結局それを閉じかばんにしまった。
“うう……とにかく、お前、もったいないよ!”
なにがだよ、とか行き成り話変えるなよ、とかいろいろ言いたいことはあるけれどとりあえず黙っておく。復活した岬が、拗ねたような顔で俺を睨んでいた。
“特にその無駄に長い前髪”
“隙間から見える顔が人気なんだよ”
“知らねえよっ”
これを切れと言われてもいまいち切る勇気が出ない。気味悪いと語る多くの目が、情けない位、俺は怖いのだ。
おれの考えていることが分かったのか、岬はため息をついた。
“あーもう。じゃあ、とりあえずお前、今日から進藤家で居候な”
“おい、勝手に……”
そして、わかったわかったと俺の話を遮り自分の荷物を早々に片付けていく。さらには、良いだろと口をとがらせかばんを背負った。
“ハルちゃんが翠に会いたいって言ってるんだよ!”
“結局それか”
このシスコンめ。言わずにため息をついて、岬の妹である「春日」を思い出す。そして、その春日を溺愛する岬の姿を想いうかべ、今度は長いため息をついた。おっと鳥肌が立ってる。しかも脳内の岬が春日に嫌がられてる。
“良いじゃん。俺だって、親友と一緒に居たいんだよ”
“……”
何処の殺し文句だ。お前は女子か。ちょっと固まった俺は聞いていないふりをして、前を向いた。……別に、嬉しいとかは思ってない。ただ、なんとなく――気恥ずかしかった。誰にも言われなかった言葉に、少しだけ居心地が悪かった。
しかし、にたにたと笑っている岬を見つける。
“気持ち悪いぞ、岬”
“ひでえ! もっと言い方あるだろ!”
そして結局俺はその日から進藤家を第二の家にすることになったのだった。
しかし、その家に行くたびに言われる「お帰りなさい」に、なんだか少しだけ泣きたくなった。
(本当はそう言ってもらいたかっただなんて、思ったことはない)
(本当は親と談笑したいだなんて、思ったことはない)
(……なんてそんなこと、ほんの少しだけ、嘘交じりだった)




