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閑話・あのことぼく



 初めてあの子とであったのはいつだっただろうか。

 そんなことはもう、忘れたくなるくらい昔のことだ。けれど、あの子が笑うことを知らなかったことが、今でも心に残っている。




 何故笑ったことがないのかと尋ねるとあの子は、やはり無表情のまま何でもないというように答えた。

“笑い方が分からないだけ”

 淡々とした言葉に、僕はふうんとだけ答える。笑い方が分からないのか、成程。

 そうやって無理に納得させた僕。しかし同時に、あの子もそのうち笑えるようになるんだろうなあと思った。誰よりも何よりも明るく綺麗に。月のように。――だって、あの子に一番近い僕が笑えるようになったのだから。



 僕たちは、「フツウ」じゃなかった。

 「忘れる」ことを、失ってしまったのだ。

 「忘れる」ことは自然の摂理だというのに、僕らはそれを失ってしまった。人は死んだら、生きていたころの記憶を身体に残していく。だって、記憶は―まだ脳については謎が多いらしいけど―脳に刻まれるものだから。そのはずなのに――僕らの記憶を刻む場所は、魂だった。だからこそ、いくら死んでも忘れることはなかった。

 輪廻転生。死んで生まれ変わってと繰り返す輪。その中に組み込まれているはずの僕ら。僕らは、「忘れる」ことを失ったからか少しだけずれているのだ。

 全て、覚えている。

 人を疑い生きてきたこと。人に疑われ生きてきたこと。大切な人に裏切られたこと。裏切った事。殺したこと。殺されたこと。――全て、鮮明に。

 だからこそ、分からなかったのかもしれない。だからこそ、まわりを信じられなかったのかもしれない。過去の体験を通じて悪いほうへと進んでいったから。


 けれどきっと、それはただのこじつけだったのだろうと僕は思う。僕は、今の僕を過去の所為にしているだけなのだと。

 それは、僕の嫌う行為。「フツウ」という言葉に執着する僕の、嫌いなこと。


 ある時、ふと、気がついた。そもそも、「フツウ」というのは一体何だろうと。

 平均のことだろうか、ありふれたことだろうか。しかしいくら考えたって、真実はわからなかった。



――そして、もういいのかもしれないとそう思った。

 いつしか、投げ出してしまった。普通じゃないと異端だと可笑しいといわれても、僕は気にしないようにした。

 僕のオッドアイが悪魔の子の証だと言われても。いくら彼女の髪が血のようだといわれても。それでも、僕らはただの人間であるから。それ以上でもそれ以下でもない、誰かを、そして何かを蔑む人間たちと同じであるから。

 だからもう、いいのだと思った。


 そう考えるようになってから、ようやく気付いた。蔑む人たちがいるからこそ、そうでない人達がいるということに。感情を失くすのはとても難しいということに。だから、もう笑っても怒っても泣いても――幸せになっても良いんだと思う。


 投げ出すのは良くないことだと、誰かが言っていた気がする。けれど、はたしてこれは悪いことなのだろうか? 僕には答えられない。答えられないけれど、僕はこのままでいい。このままで、いたいと思う。

 だって、悪いことだろうと幸せになりたいと思うのは当然でしょう?







 ねえ、と僕はあの子に尋ねた。あの子は無表情のまま、首をかしげる。それはきっと不思議がっているのではなく促しているのだと、僕は気づいていた。


“君は誰かを大切に思った事って、ある?”

 その言葉に少し間を置いて、あの子はうなずいた。赤い髪がさらりと揺れる。そっか。僕は笑った。僕もあるよ、と続ける。そして、それはきっと幸せなことなんだろうねと笑った。

“シアワセ?”

 眉をひそめ首をかしげたあの子に、僕はうなずく。ああ、疑問に思ってくれているんだなと笑う。


“きっと僕らは、恵まれてるんだよ”


 納得がいかないというように、あの子は動かなかった。恵まれている、というのは些か語弊があるかもしれない。けれど、僕らはきっと、幸せだ。

“僕たちは誰のことも、どんなことも、忘れられない。だからこそ辛くて、それで幸せなんだと思うよ”

 笑った僕に、あの子は何も言わなかった。ただ、さっきの僕とおなじように、ふうん、とだけ言った。

 今の君には、まだ分からないかもしれない。それでも、君は忘れることなんてできないから。だから、少しずつでも一緒に笑える日は近づいているんじゃないかな?


“君の相棒だって、きっとそういう。ま、世の中ポジティブに行けっていうことだね!”

 そう言って別れた僕たち。





 しばらくして会った彼女は幸せそうに笑っていて、僕も幸せそうに笑って見せた。




――何故笑うの、とあの子は再び不思議そうに言った。


“君が、嬉しそうだからだよ。僕が、嬉しいからだよ”

 そっか、とあの子は笑った。そして、僕に囁く。


“あたしたちは、幸せ者だね”

 そうだね、と僕も囁いた。

 昔はただの風景だった月が、なんだかとても綺麗なものに見えた。


――ほら、ね。言ったでしょ?

 君はきっと、月のように明るく綺麗に笑うんだって。

 太陽に分けてもらった光を闇の中で迷う人たちに分からないくらい自然に分け与えてくれる人。君はきっと、そんな甘くて酷くて優しい人なんだよ。

 ……なんて、君の太陽は誰だか分からないけれどね。まあ、それはその心の中に留めておいたままでいいかもしれないね。


 鏡に映った僕の様なあの子。あの子と笑い合える日が、やっと来た。

 まだ、僕は色を少しだけ気にしているけれど。それでも、いつかはきっとそれを個性だと笑って言えるようになる。

 とりあえずは、綺麗に笑うあの子が幸せであることを喜びたいと、心から思った。




(愛してるぜ! 宮辺ちゃん)

 誰かと笑い合う宮辺ちゃんに、そう言って笑いかける。

(でもね、でも。あたしは宮辺ちゃんの隣が大好きなの)

 あたしは宮辺ちゃんの背中を見て生きてたんだよと、何も言わずに笑う。隣にいるはずなのに、あたしは宮辺ちゃんを尊敬してて、大好きで、信じてる。


(だから、この先世界が滅んだとしてもこの立ち位置は、誰にも譲らないからね)

 背中を向けて言ったのは、この複雑な顔を見て欲しくなかったから。



(でもさ、これくらいの我儘、可愛いって言ってくれないかな?)

 ……なんて、女の子好きな宮辺ちゃんは笑って言ってくれるだろうね。



(ねえ。強気なようでまだまだ甘えたなあたしだけど、よろしくしてね)

 だから、また来るときは一緒に甘いもの、食べに行こうね。そしたら、あたしの大切な人の話聞いてくれる?

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