閑話・へいぼんとひぼんとぼく
いつからだったのだろうか、憧れの先輩が出来て、追いかけるようになったのは。
いつからだったのだろうか、信じる、という言葉を気にし始めたのは。
―――初めから、本当に“ヒボン”だったのは、誰だったのだろうか。
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「おにいちゃん、待ってよ!!」
―――必死になって追いかける少年に、兄であろう彼は振り向いた。
「なんだ、修平。随分と必死になって」
冷たい、温かい、そんな言葉さえ感じさせない無の表情と瞳。けれど少年―――修平にとっては、大切な兄だった。
「お兄ちゃん、今日は何処に行くの?」
ぎりっとした唇をかみ締めた弟に、彼は悲しそうに笑んで彼と視線を合わせるためにかがんだ。無表情も、全て取り壊した彼の心情は、まだ幼い彼にとってとても難しいものだった。
「ごめんな、修平。今日で、ちゃんと終わりにするから」
もう一度、ごめんなと言って頭を優しく撫でた彼に、修平は小さく頷いた。
―兄のケジメ―
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「修平、俺な、外国で働くことになったんだ」
真っ白い病室。狭い箱のような病院。そこで、ボロボロになった兄は言った。無だった瞳は何処か吹っ切れたように細められていた。
「―――だから、修平。お前には父さんと母さんを守って欲しい」
お前には力があるから、と彼は真剣な瞳で言った。
―――兄が指したのは、間違いなく“風”のことだろう。
修平は風に愛されていた。どんな時でも風は修平を守り、そして兄を守った。敵となる者には報復を、心となる者には癒しを。風は修平の為だけに行動し、そして巡るのだった。
「お前の風は、優しいけれど危険でもある。だから、使い方を間違えるなよ」
いいな、といって幼かった兄は彼の頭を撫でた。
―――時として力は、恐るべきものとなりうるのだから―――
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彼は、静かに立ち尽くして泣いていた。いや―――泣いていた、というよりも涙を流していた、といったほうがいいのかもしれない。静かに、静かにただ涙だけを瞳から流す。彼の前にはいなくなった兄の面影と、それから手紙。
その手紙は簡素なモノだった。そこはどことなく兄らしいとおもう。けれど、そんな簡素な手紙には兄の苦悩と、それから決意が刻まれていた。
―――修平へ、
癖の無い、綺麗で達筆な文字。気高さがこめられた文字だった。
今まで、様々な苦労をさせた。心配もさせた。だから、お前に今まで、俺がしてきたことを綴ろうと思う。
薄々感づいていただろう。俺は、ある組で厄介になっていた。居場所が無い、と馬鹿言って、ケンカばかりをしていた。
けど、居場所が無いなんて結局は錯覚だったと思うんだ。俺は、今、こうして不自由なく生きているのだから。
だから、この間ケジメをつけてきた。これからは、組を抜けて、俺らしく生きようかと思うんだ。
修平、俺には、お前に何かを言う権利なんて無いのかもしれない。けど、俺は、それが大切だと思うから。
―――どうか、お前の信じた道を歩んでいってくれ。
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―――本当は、気付いていたんだ。
けれど、それは兄自身の事で、兄自身がケジメをつけなければいけないものだと解っていたから。だから、ただただ待っていることしか出来なかった。
幼いながらも聡い修平は、兄だけがたよりだった。その兄が決めたことだ。自分には、止めることなんて出来なかったのだった。
「お兄ちゃん―――……」
それは、修平が小学校にはいって三年目の、桜が舞う頃の話だった。
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「しゅーへー! 早く行こうぜー!」
にこにこと笑っていったのは明楽だった。人懐こい彼の表情に、修平も淡く笑い返す。
「……どうかしたか?」
なんでも、と修平は返した。明楽はしばらく黙っていたが、何かに納得したかのように頷いて笑った。
「元気出せ、何ていわないからな。でも、何かあったら俺がいてやるよ!」
そういった彼に、修平はもう一度笑った。
「へへ……さんきゅー」
(その後のことだった。兄に似た、憧れる先輩が出来たのは)
(その後のことだった。明楽が、炎に愛されていることを知るのは)
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―――自分の信じた道、とはなんなのだろうか。
憧れは己を嫌い、兄は異国。しんじる、とはなんなのだろうか。
「修平」
黙っていた旅院が、口を開いた。ぼうっとしていた修平は首を傾げ、そちらを向く。
「あれこれ考えてるのはらしくないんじゃない? 修平は修平らしく、いつも通りにしてれば良いと思うけど」
淡く微笑んだ旅院に、修平は呆気に取られながらも、頷いた。
「修平の今の居場所は、ここで。信じる信じないだなんて面倒くさいこと考えるのはやめてさ。紫みたいに、真っ直ぐに生きればいいんじゃない?」
「……うん」
(……信じる、道?)
―――解らないけれど、この場所を信じたいと思った。
((拝啓、お兄ちゃん。この学園にきて、本当に良かったと思います))
((憧れていた先輩のほかに、憧れのクラスメートが出来ました))
((普段は馬鹿みたいに明るくて、笑ってる明楽みたいな奴で))
((いざとなったら頼れるような、格好の良い女の子です))
修平の兄が怪我を負っていたのは、組を抜けようとしたからです。
因みに、明楽と修平は小学校からの仲。旅院は入学してからです。
最後の最後、本人は登場できなかったけど一応登場したことになる、紫でした。
紫「……」
「「あれ、俺達は」」




