ゲーマーの部屋で響く愛の言霊
「カチカチ…」
虚空の部屋に、無意味な音が響く。
「カチカチカチ…」
私は、マウスをクリックしている。
「あなたは、どの娘を選びますか? A:髪の長い左の娘、B:背が小さい女の子…」
エロゲーの選択肢を、真剣に考える私。
「ん~、黒髪も良いけど、ロリもいいなぁ」
キーボードの音しかしなかった部屋に、初めて声が響いた。
私は、所謂ネット依存症。
エロゲーの世界でしか、女性を知らない童貞。
道を歩いていても、女性を見ることができない。
よく、友達と街中を歩いていると、
「今の娘かわいいな~」
と、話しかけられるが、私にそんな女性を見る余裕などない。
世間じゃあ、震災直後だからか、「上を向いて歩こう」などという音楽がかかるが、私からすれば、下を見てなきゃ、つまずくぞって話しだ。
だから、街中で誰かとすれ違おうが、気にはしないし、興味はない。
こんな私でも、最近、女性と気軽に会話を行う事が出来る世界がある。
そう…
それは、パソコン一台でありとあらゆる人と人とを繋げるネットの世界だ。
ネットの世界は、現実の時間を忘れることができる。
そして、現実世界でもてることがなかった私が、唯一、生き生きとできる場でもある。
ネットの世界では、どんな人でも、少しの時間とお金でヒーローになれるのだ。
現実とは違う、ネットの私。
このギャップが、現実世界のくだらなさを教えてくれる。
現実世界では、くだらない友達の話を聞いて、くだらない教授の講義に出席し、くだらない会社で奴隷のように働いている親父を見て、少ない給料でどうやって家計をやりくりするのかを考えている母親…
みな、何かに取りつかれたように、自分のことが見えていない。
毎日毎日、底辺と呼ばれる人たちであふれかえっている世の中に、うんざりする。
「ふぅ~、俺の居場所は、ここにはないな…」
毎日そう思いながら、部屋のパソコンをつける。
パソコンを開いたら、まずは、ネットの仲間と交流だ。
ここで、簡単にネットの世界の交流について述べておく。
ネットの世界での交流手段は、文字だけだ。
文字をうまく利用して、他者に自らの考えや気持ちを伝えるのだ。
中には、顔文字という、人の顔の表情を様々な記号を組み合わせることにより表す文化がある。
これは、世界各国で使用されており、例えば、アメリカでは、横向きで表示「:)」するといったような感じだ。
まずは、自分の内面的な気持ちを表現する手段を我々は獲得しなければならない。
先程述べた基本的な顔文字を手に入れなければ、ネットの世界において、「つまらない人」というレッテルを貼られるだろう。
次に身に着けなければならないのは、文字と文字による会話のやり方だ。
普段行っている、現実世界で交わすコミュニケーションとは違い、文字だけの会話は難しい。
相手の文字に含まれる様々な意味を汲み取り、そして適宜な間、自らの意思をどの言葉を用いて表現するかなど、一方通行にならない事が大切だ。
勿論、ネットの世界では、リアルのような年齢を重んじるという礼儀はある程度は認められるものの、実際にはゲームの中で強い人や、ゲーム歴が長い人ほど、尊重される。
さて、ネットの交流というものが分かったところで、本題に戻ろう。
最近、私は、バーチャルの世界で自らの職業を好きに選択することができるという、オンラインゲームにはまっている。
職業の種類は、戦士から魔法使い、刀鍛冶や料理人など、さまざまある。
現実世界では決して届きそうもない職業に、簡単になれるのだ。
当然私は、一番かっこいいと思う戦士を選んだ。
少し課金をして、かっこいい武器や防具を買い漁り、一般プレイヤーよりヒーローに近づく。
オンラインゲームの中では、自らのコミュニティをつくり、リーダーをしている。
今では、数十人という部下を抱える、巨大組織になりつつある。
こんな私に対して、異常なまでにも話しかけてくる女性がいる。
私が、交流広場に行くと、必ずその女性はやってくる。
ネットでは、一度情報が流出すると、取り返しがつかないくらい危険なところだ。
そんな場所だからこそ、私はなるべく個人情報は話さないようにしている。
だが、この女性は、そんな私にして、いろいろと質問をしてくるのだ。
「○○○くんは、何が好きなの?」
こういう質問はまだいい、が…
「どこに住んでいるの?」
と、私の住んでいる場所を特定しようとしてくるのだ。
しかし、ネットという危険な思考とは裏腹に、現実世界では、まず体験をしないことだろう。
こんな冴えない私が、女性から質問攻めなのだ。
徐々に、その女性に対する壁が、崩れていく。
「ネットの中だけだし、少しくらいはいいか…どうせ俺の顔を見たら、萎えるんだろうし」
こう思いつつも、気持はなぜか高ぶる。
「世の中のイケメンは、現実世界でこうやって女性から話しかけられるんだな…」
「だが、俺だって、ネットの世界では、女性からいろいろ話しかけられるんだぞ!」
こうして、完全にネット依存症へと突き進む。
世間では、ネットにはまっている人を、疎む傾向がある。
こういう人たちのことを、俗にいう、オタクらしい。
世間のオタクというイメージは、オタクの聖地である秋葉原の人たちのことだ。
ドンキホーテでAKB48のカードを交換したり、メイド喫茶で萌え萌えじゃんけんをしたり、興奮するとオタ芸をしたりなど、イメージが悪い。
アイドルと握手会があれば、そこの階のトイレが、なぜか満員になると言われている。
それも、大きい方ばかりだ…。
(これについて、詳しいことは避けたい)
このようなイメージだからか、青少年が殺人事件を起こすと、その的になるのが、オタクたちだ。
部屋にこもって、人殺しをするゲームをしているイメージが強いからだろう、ゲームの年齢制限が厳しくなっている。
もちろん、オタクたちは、全くもって無実にもかかわらず…。
少し前にオタクの中でブームが起こった、恋愛シミュレーションがあった。
ゲーム機の画面越しに見える2次元のキャラクターに必死に語りかけるオタク達の姿は、お茶の間の時間に報道されるくらいだ。
このように、恋愛シミュレーションにハマるオタクがいるが、実際に若者の恋愛は増えていない。
オタクというレッテルを貼られようが、ネットの世界に、自分の居場所がある。
現実世界の友達よりも、気軽に話せる友達がネットの世界にはいる。
こう考えると、現実世界で生きる楽しみがなくなる。
リア充などという言葉ができた背景には、現実世界で失望している若者が多いからだろう。
その中で、現実と直視出来なくなった人が、私のようにネットの世界にどっぷりとはまるのだ。
そして今日も、パソコンとにらめっこをしている私がいる。
「最近、○○くん、元気ないね(´ε` )」
私がオンラインになると、いつものように女性が話しかけてくる。
「そう?いつもと変わらないよ(´ε` )」
この女性は、私の母親やそれ以外の家族の誰よりも、私の変化に気づいて心配してくれる。
いわば、現実世界の家族や友達よりも、もっと身近に感じる存在なのだ。
この女性プレイヤーは、魔法剣士であり、しかも、かなりの使い手だ。
私と女性、二人いれば、どんなモンスターが襲いかかってこようとも、背中を預けられる。
ただし、ネットの世界だけでは、お互いの意思疎通にも限度がある。
そこで登場するのが、Skypeだ。
IDさえ取得してしまえば、無料通話が何時間もタダでできるのだ。
私たちはプレイ履歴が長いのにもかかわらず、他のプレイヤーが驚くほど、お互いSkypeをしながらやっていない。
「もうそろそろ、お互い通話しながら攻略をしていかないか?」
私は、思い切って女性を誘ってみた。
「私も通話したいんだけど…」
長い沈黙が流れた…。
私は、「聞くのが早すぎたか?」と一瞬戸惑ったが、
「じゃあ、○○くんだけとならしてもいいかな?」
と返事が返ってきた。
普段は積極的になれない私も、ネットの世界では、なぜか積極的になれるのだ。
「俺のIDは、gXXXXXX」
「えっと、私はhXXXXXX」
お互い、IDを交換した。
見知らぬ人とSkypeで話したことがある人は分かるだろうが、一番最初の通話が緊張する。
「私から掛けるべきなのか、それとも待つべきか…」
「女性に対して、最初の返事はどうしたらいいんだろう…」
現実世界で恋愛経験ゼロの私は、ただ通話するということでパニックに陥ってしまった。
オンラインゲームの中では勇敢な私でも、現実世界では臆病なのだ。
「ピーピーピー・・・」
私が悩んでいると、向こうから電話がかかってきた。
私は、電話のベルの音が、1音1音とても長く感じた。
楽しい時間ほどすぐに過ぎ去ってしまうが、嫌な時間は逆に長く感じるものだ。
「あ、もしもし、○○です。こんにちは!」
思い切って、女性に話しかけた。
「もしもし…」
女性の第一声を聞いたとき、普段は感じないような気持ちになった。
今まで、女性と関わることを極力避け、会話すらしたことがなかったからだ。
「あの…突然電話しちゃった」
女性は、人見知りなのだろうか、声がとても小さい。
「俺もちょうど、電話をかけようとしたところだよ」
私は、普段「俺」という名称は使わないのだが、なぜかこのときは、「俺」を使った。
こんな私でも、恥じらいという気持ちがあったのだ。
最初の通話は、お互いの自己紹介を軽くかわして終わった。
…
女性とSykpeのIDを交換したのだが、あまり話すことはなかった。
なぜなら、話すよりもチャットの方が、会話がスムーズだったのだ。
毎日のように、私がオンラインになると、その女性がやってくる。
そんな日々が過ぎたある日、ダンジョンの攻略が難しくなり、久しぶりにSkypeで話すことになった。
「ここは難しいから、お互い慎重にクリアしていこう」
いつものように話しかけたが、
「ゴホッ…あ、はい」
女性は、なぜか元気がなかった。
私が話しかけても、咳が止まらないようだった。
これが、ネットだけの交流では、なかなか気づけないところだ。
ネットの世界では、キャラクターの向こう側に、人がいる。
その人と分かりあうためには、実際に話してみなければわからないのだ。
「咳が止まらないようだけど、大丈夫?」
私は、あまりにも体調が悪そうだったので聞いてみた。
「…」
女性は答えない。
「聞こえてる?体調が悪いのなら、今日は攻略をやめて、明日にしようよ」
私は、再度聞いてみる。
「…じかん…な…」
女性は何か言いかけたが、
「あ、大丈夫ですよ。今日、クリアしちゃいましょう!」
と、どこかぎこちない返事だった。
だいぶ無理をしているのだろう、私は早めに切り上げることにした。
「今日は、ボスの手前まで攻略したし、明日にしよう」
私は、女性にそう伝えた。
「はい…分かりました。あの…」
女性が何か言いたそうにしている。
「何かあるの?」
私は軽い気持ちで聞き返した。
「実は私、病気が酷くて、もうすぐ入院しないといけないの…」
私は、入院という言葉に少々驚いたが、死ぬほどの大病じゃないだろと思っていた。
「もしよかったら、メアドを交換してくれませんか?」
急な申し出に、驚いた。
私は今まで、ネットの人と現実世界の交流がなかったからだ。
少し戸惑ったが、「メアドくらいいかな?」と軽い気持ちで教えた。
「ありがとう…」
女性は、喜んでいたのかどうなのか分からないが、声は暗かった。
その日を境に、女性はゲームにINしなくなった。
今まで、当たり前のように私の側にいた女性がいなくなると、ぽっかり穴のあいた感じがした。
ダンジョンを攻略していても、なぜか楽しくない。
人は、今まで必然にあるものが急になくなると、その大切さに気付く。
女性がINしなくなってから数日が経った。
その間に、私はオンラインゲームを少し離れた。
ネットという現実から逃避する場所をなくした私は、初めて、「自分は何をしたいんだろう?」と考えた。
そのあとに決まって考えることは、「あの人(女性)は、今、何してるんだろうな…」だった。
そういえば、メアドを交換したことを思い出した。
入院するということを聞いていたので、体調が回復したのかどうか聞くついでに、オンラインゲームにいつ戻ってくるのか聞くことにした。
「突然のメールすみません。
体調は良くなりましたか?
入院はいつまでする予定ですか?
もしよかったら、連絡をください。」
私は、女性とメールをしたことがなかったので、淡白な文章しか思い浮かばなかった。
「こんなもんでいいかな?」
ポチ。
メールを送信した。
多分、連絡は直ぐには返ってこないだろう。
案の定、メールは返ってこなかった。
メールが返ってこないのは、寂しくなる。
私は、女性がいなくなってから、オンラインゲームをしばらくやめた。
今までネットにはまっていたが、つまらなくなった。
かといって、現実世界では、何も変わらない日々を過ごしていた。
でも、一つだけ今までとは違うことがあった。
それは、真剣に自分のやりたいことをやろうと思ったことだ。
私は、女性に出会えて、ネットゲームを卒業した。
ネットから離れると、今まで見えなかったものが見えてきた。
くだらないと思っていた友達の会話が、実は元気のない私を気遣っていてくれたのだ。
くだらない会社で働いている親父は、実は私を養うために、必死に働いていた。
母親は、自分がしたいことをしないで、どうにかして、家族の生計を考えていた。
私は、見えなかった。
何も見えていなかった。
だから、現実世界で、必死に生きてやろう、あらがってやろうと決心をしたのだ。
…
それから時は流れ、肌寒い季節になった。
私は、部屋でくつろいでいると、無意識にネットをいじっていた。
ふと、懐かしくなってオンラインゲームを開いてみた。
ほとんど放置だったためか、私のコミュニティは、私と女性の2人だけになっていた。
しばらくして、画面の右下に、メッセージが届いていることに気がついた。
「俺にメッセージを送ってくる奴って誰だろ?」
そう思いながら、メッセージを開いた。
そのメッセージは、なんと女性からだった。
「○○くん、お誕生日おめでとう。
このメッセージが届いてる頃には、私は生きていないのかな?
本当は、もっと早く伝えるべきだったんだけど、私ね、癌だったの。
もう治らないことは、わかってんだ。
だから、余生を楽しく生きようっておもって、やりたいことをしてたの。
それで、たまたまやったオンラインゲームで○○くんを見かけたとき、気になって…
いろいろ質問したりしちゃったw
ごめん、迷惑だったよね?
でも、○○くんとスカイプで話せたときは、とっても嬉しかったよ。
○○くんとは、会ったことがなかったけど、人を好きになるってこういうことだと思った。
今まで、ありがとう。」
このメッセージを読んだ時、なぜ女性はいつも私がゲームにINすると追いかけてくるのか、Sykpeで話した時に、なぜ苦しそうだったのか、元気がなかったのか、メールの返信がなかったのか…
女性との思い出が、点から線へとつながった時、ふと、涙が溢れた。
私の心の中にある、「好き」という種から、芽が出ていた。
人を好きになることに、理由は要らない。
好きだから好き。
今、女性は生きてはいない。
でも、私が忘れない限り、ずっと、私の心の中で、女性は生きている。
「俺も好きです」
ふと、声に出した言葉は、虚空の部屋に空しく響いた。
…end




