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占い師は出会う前に恋をする

作者: エイジ

 

     一



 ピンポンパンポーン


『こちらは事務室です。三年三組の香椎(かしい)りなさん、電話がきています。校内にいましたら――』


 はっ!

 と、あたしはスピーカーをみつめる。

 校内放送であたしは呼び出された。

 そして、なにごとかと電話に出ると坂本(さかもと)(さとる)という一年生の男子からだった。


「えぇ……? 正門で待ってるの?」


 学校のヒーローだから名前はしっていた。

 きのう、全校集会で野球部の人たちとハイタッチ会が行われ、純白のユニフォームに身を包んだ野球部の生徒が体育館で全校生徒のあいだを駆けまわってハイタッチした。

 生徒たちは狂喜乱舞の大盛りあがり。

 しかし、あたしはその渦に入らず、じっと両腕を下げて心で悲鳴をあげていた。坂本という一年生は、そのハイタッチ会の主役的位置の生徒で、彼が居る場所は女子の黄色い歓声があがっていた。

 人気ナンバーワンの生徒。

 生徒会が行った『校内人気投票』という悪趣味な企画で、彼は圧倒的得票数を獲得して一位になった。職員室前の掲示板に『ベスト10!』という結果が得票数と共に貼り出されたのだが、それを見てあたしはおもった。もしも全校生徒の結果を並べたら、あたしはビリかもしれないって。



     二



 正門の前で、


「えいっ!」


 と、あたしは正拳突きを繰り出した。

 中学まで空手を習い、許せないことがあると自然と体が動く。さらにパンチが空気を切り裂き、ばばっ! と制服が衣擦れする。


「ちっ」


 あたしは舌を鳴らす。

 やはり誰も現れない。

 いたずらなのだ。

 学校で人気ナンバーワンの生徒に呼び出される最下位のあたし。

 ほとんど皮肉じみ、だれの嫌がらせだろうと怒りに震えたが、いたずらでピザの出前を頼むように、犯人は電話をしたあと安全な場所で笑っていやがる。あたしに殴られるために、わざわざここまで来るはずがなかった。


 わぁっ!


 県立球場から歓声が聞こえる。

 蔦がいっぱいに絡まった県立球場が森の向こうに見えている。試合が始まったようだ。

 きょうから夏の全国高校野球選手権大会の県予選一回戦が始まって、『全校応援』ということで校舎はもぬけの殻。新聞によると、うちの坂本悟を見にプロのスカウトが押しかけるのだとか。

 あたしを呼び出したのは、

 一年生エースの坂本悟――。

 を名乗るひと。

 しかし彼は、あの壁の向こうで白球を投げ込んでいる。


「こないか……」


 唇を噛み、あたしは正門から離れようとする。そのとき――。

 だだだだっ!

 と、ドラムを叩くような軽快な足音がして、振り返ると純白のユニフォームを着た男子生徒が立っていた。上下に肩を揺らしてゼーゼー息をしている。


「だ、だめっすよ!」


 あたしの腕をつかんで引っぱる。


「ちょっと? ちょっと!?」


 もちろん、その手をあたしは振り払う。男子生徒はあたしの学校の野球部のユニフォームを着て背番号1。背はひょろっと高く、あどけない顔は一年生のそれ。


「ほんもの?」


 輝く瞳のかわいい顔は話題の一年生エースに見えた。

 そしてあたしは体をひねりざま、彼のお腹にパンチを炸裂させた。


「おっと」


 彼はあたしの渾身の一撃をヒラリとかわす。


「いたずらしないでください。おとなしくこっちに来るように」


「まちがえてるでしょ? あたしじゃないでしょ?」


 あたしは手を引かれながら言った。彼とは面識がない。


「いや、センパイに電話をしたのは俺っす。正門以外にいてくださいって、ちゃんと俺、言いましたよね」


 強い口調で彼は言う。

 正門で待つように……。ではなく、正門以外で待つように? しらんわ。


「なんなのよ、とにかくその手を離して」


「もう少し正門から離れたら」


「掴むなら、左手にしたら?」


 彼の腕が気になった。

 坂本くんはケガをしているようだ。三角巾を首から下げ、右腕を吊って固定している。その吊った右手を使ってぐいぐい引っ張って校舎に向かう。


「俺の腕を心配してくれるんすね。意外と優しいっす」


 彼は立ちどまって目を白黒させた。いきなり腹パンを食らわせた人にしては優しい――。そういう意味か。

 あたしは予感がした。

 今、天から舞い降りた。そんな感じの純白のユニフォーム。それがまぶしく青空に映えている。これから彼は赤面物の台詞をあたしに投げ込もうとしているのか。坂本くんは校舎の下駄箱まであたしを連れてきて、きょろきょろあたりを見回し、安心したような溜息を吐いた。


「ここまでくれば、もう俺たちだけっす」


「う、うん」


 ガラにもなく緊張するあたし。


「俺――」


 と坂本くんは照れたように首を傾げる。


「センパイのことが――」


 は、はい……。


「大嫌いです!」


「えぇっ!?」


「まず、その赤毛が嫌い」


 彼はあたしの髪を指でさした。

 そして、


「センパイは、いつも制服のボタンをしっかり留めてない」

「リボンがだらしなく緩んでる」

「態度が悪い」


 とつづく。

 どうやら、『全校応援』をさぼるあたしの態度にケチを付けに来たようだ。あたしの挨拶がわりの腹パンは、数多(あまた)ある問題にくらべたら気にならないのか注意しない。


「えいっ!」


 あれ? っとあたしは驚く。

 今、時短の動きであたしが繰り出した腹パンを坂本くんが避けた。


「避けられた?」


「センパイ、不満そうだったから、なんか来ると思ってました」


「あ……。ケガしてるのにごめんね」


 あたしは彼に謝った。

 髪や服装にクレームを付けられて言葉より早く体が反応してしまった。首から下げた三角巾が痛々しい坂本悟くん。おそらくケガをしたことで試合に出られず、一年生ということで雑用を命じられ『全校応援』を無視して学校に残るあたしを連れにきた。


「どうしてそんなふうに髪を赤く染めるんすか。目立つことに意味ってあります? 学校でセンパイが一番悪目立ちしてます」


 坂本くんは、スポーツ少年らしく正義感満載の瞳であたしを非難する。


「ほうっておいて」


 ほんの一瞬だが、ロマンス発生フラグを感じた自分を恥じた。誰だってあたしのことが嫌いなのだ。


「きょうだって」


 と、少年の非難は終わらない。


「どうして学校に一人で残るんすか。きょうは県立球場で野球部の応援があるのを知ってますよね。ひねくれて応援に来ないのに学校には来てる。みんなと違うことする私、かっけー、みたいなやつっすか?」


「てめぇ、うるせえ!」


 あたしが怒鳴ると、坂本くんはようやく黙った。二つも後輩なのに口のききかたに気をつけてほしい。



     三



 あたしは坂本くんに学校の事務室に連れていかれた。

 学校には電話を取り次いでくれたメガネの事務職員の女性だけが残っていて、事務室ではテレビがついている。きょうは県民テレビで一回戦の中継があり、事務室に行けば試合が見られると坂本くんは知っていた。


「坂本くん、ケガしたの!?」


 事務室に入るなり、メガネの事務職員は両手を口に当てて青い顔になった。学校のヒーローの彼のことを事務職員も知っている。


 4対0


 残酷な途中経過がテレビで流れている。あたしたちの学校は負けているようだ。


「坂本くんが投げないから、どうしたのかなって……。満塁ホームランを打たれたのよ!」


 泣きそうな顔で事務職員は言った。

 さきほど球場から聞こえた歓声は、試合が始まってすぐに満塁弾を浴びた応援団の悲鳴だったようだ。


「あぁぁ……」


 坂本くんは野球帽を被った頭を両手で抱えてうずくまる。事務職員も椅子に小さくなってお通夜の雰囲気。

 あたしは内心でにんまり。

 甲子園だかなんだかしらないが、このところの学校の野球部中心の応援体制にうんざりしていた。学校にはあたしのような「野球部なんてしらねーよ」という生徒だっている。


「坂本くんが投げていれば絶対勝てたのに」


 事務職員はぽろぽろ涙を落として泣きはじめた。たかが野球の試合じゃん――。と、あたしは冷めた気持ちでそれを見つめる。



     四



 あたしがそっと事務室を出ると、坂本くんもついてきた。


「なによ? うざいんだけど」


「くちわるっ、さすが不良」


「ほっとけ!」


 あたしは走った。だが、彼は馬のような脚力であたしの隣にならんで腕を掴む。


「やめて。君ってあたしのストーカー?」


「ちがいます」


「じゃあ、なに?」


「夢を見たんです」


 彼は予想外のことを言った。


「現実としか思えない夢を見たことってないっすか? 今朝、学校の正門でセンパイが車に轢かれる夢を見たんです。白いワゴン車が暴走して突っ込んで、それでセンパイが轢かれて死んでしまう」


「あたし、死んだの?」


 夢とはいえ気持ちのいい話ではない。

 それで正夢では……と思った彼は、正門からあたしを離したかったようだ。なんだか真っ直ぐというかバカ正直というか、誰かに騙されて道を踏み外しそうな人だと思った。


「占い師の家系なんすよ」


 と、坂本くんが教えてくれた。


「俺のお母さんとおばあちゃんは現役の占い師で、おばあちゃんのお母さん、その上のお母さんもそうだったみたい。なんかこう、びびっと来るそうっす」


 他人事のように坂本くんは言う。


「坂本くんも今朝、びびっときたの?」


「センパイが車に撥ねられる夢を見て、あんまりリアルだったから母親に言うと、『大きな意味があるから現場に行くように』って言われました」


「それで」


 あたしを救いに学校の正門まで走ってきたようだ。間に合わないのを恐れて学校に電話まで入れた。


「いやー、きょうは大切な試合があるし、本当は球場に一回いったんすよね。でも、嫌いなセンパイでも死なれるのはあれだから、思い直して学校にきました」


「そういうことね」


 嫌いなあたしを救おうかどうか葛藤があったようだ。赤い髪で目立つから、彼はあたしのことを知っていた。


「あんたは野球の選手でしょ? 将来は占い師になるの?」


「天は俺に野球の才能をくれました。ドラフトで巨人に一位指名されて、一億円の契約金を貰います。まあ、夢っすけど」


「早くケガを治さないとね」


 痛々しくサポーターが巻かれた右腕をあたしは心配した。一億円を稼ぐ黄金の右腕……。少し思ったのは、彼のケガは意外と重傷で、だから天の神様は占い師の閃きを代わりにくれたのではということ。



     五



 正門の方に行こうとすると、血相を変えた坂本くんがウチワみたいな大きな手のひらを広げて妨害した。まあいい……と、あたしは遠回りして校庭の西側の松林に行った。


「あんた、激しく誤解してる。あたしの赤い髪が不良みたいで気に入らないんでしょ? でもこれって地毛だから」


 ぱらっと、ショートボムの髪をひらくと、坂本くんはあたしの髪に顔を寄せてきた。なぜか匂いまで嗅ごうとする。


「やめてよバカ」


「いやー、俺の母親がよく髪を染めるから知ってんすけど、染めた髪って匂いでわかるんす。不良はみんな、茶髪を地毛だって言い訳するんすよね」


 そう言って、またあたしの髪をくんくんする。


「やめて。あたし、地毛証明書を持ってるのよ」


「わかります。先生を脅して手に入れたんすね」


「だれが暴力団だ」


 赤毛だから不良……。

 小学生のときから、この髪色のせいでみんなはあたしから距離を取っていた。理解できない見た目だから何をしでかすかわからない――。高校に入って、まわりの理解も変わるかと思ったがダメだった。中学までと同じように見た目でしか判断されない。人を理解しようという優しい姿勢がまずあって、そういう温もりの中にしか人の座席はできないのだとあたしは思う。あたしの居場所は、この学校にもない。だから、あたしはここで友達を作らないときめた。



     六



「ミーコ」


 あたしは猫を呼んだ。

 松林に生息する野良猫だ。

 お弁当のお裾分けをするのが日課になっているのだが、この数日ミーコの姿が見えなくて心配している。近頃痩せてきて、病気かもしれないから、きょうはたくさん食べて栄養を取ってもらいたい。お弁当にはミーコのために鳥の唐揚げ、ベーコン、ウィンナー、サバの煮つけが入っている。


「ふっ、そんなの食いませんよ」


 坂本くんは鼻から息を吹き出した。


「なによ?」


 あたしは彼を睨んだ。なにもしないくせに謎の上から目線。なら、自分が何かを猫のためにしてあげてるっていうのか。


「黒い猫ですよね? 俺、聞いたことがあります。この近所のおばあさんが飼っていた猫で、おばあさんが亡くなって、ここで生徒から餌を貰って生きているんです。でも、猫も年寄りだから唐揚げとかは堅くて食べられない。ベーコンは塩分が強すぎるし、サバの煮つけは味が濃くて猫にはだめっす」


 怒ったあたしをなだめるように彼は言った。


「そうなの?」


「俺の家の猫も年寄りなんすけど、そこのホームセンターにシニア猫用の餌が売っていて、そういうのをあげるのがベストです」


「ふーん……」


 ちょっと、考えてしまった。

 ミーコが痩せて病気かもしれないと思っていたけど、歳をとって生徒から貰う餌が食べられなくなっているせいかもしれない。


「あたし、買ってくる」


 ホームセンターに歩き出すと、坂本くんは当然のようについてきた。


「センパイ、悪者なのに優しいっす。猫に餌をあげるために学校に来たんすね? 母親に『大きな意味がある』って言われて、まさかドキドキする展開にならないよなぁ……なんて思ったんすが、俺、ちょっと胸をやられてます。近くで見ると、かわいいと言えなくもないし」


「ちょっと引っかかるなぁ」


 坂本くんはあたしを見つめて何度もうなずく。そのとき、


 わあっ!


 と県立球場から歓声が聞こえた。


「いきましょう!」


 坂本くんに手を引かれて学校の事務室に寄ってテレビを見る。


 4対1


 と、ちょっとだけあたしたちの学校が追いついていた。坂本くんは「よっしゃー!」と左手を突き上げ、そのまま事務職員の女性とハイタッチをする。あたしともハイタッチをしようとしたけど、あたしは横を向いてやってやんない。そんな狂騒にあたしは組しないのだ。


「一人で大丈夫よ」


 と言っても、ホームセンターに坂本くんはついてくる。

 暴走車にあたしが轢かれるそうだけど、正門に行かなければ大丈夫で、信じてはいないが用心して横門から出た。

 透き通る青空の下を一緒に歩くあたしたち。制服姿のあたしより野球部のユニフォームの坂本くんはとても目立ち、通行人の視線を集める。



     七



 ホームセンターの猫餌のコーナーを見ると、坂本くんが言ったようにシニア猫用の餌がたくさん売られていた。どれにするか迷い、今後のことを考えてまとめ買いすることにした。


「これを買うんすか?」


 三千九百八十円のシニア猫用特大餌セット。それを買おうとすると坂本くんは引いていた。


「今月分のおこずかいで、ぎりぎり間にあいそう」


「全財産なんすか」


 わあっ!


 テレビの販売コーナーから歓声がする。あたしたちの学校は、


 4対2


 と追撃を加速させていた。


「よーし!」


 ハイタッチのためにあたしに手を差し出す坂本くん。もちろん、あたしはやんない。

 シニア猫用特大餌セットを購入。

 缶詰ばかりが入ってすごく重い猫餌セットなのだけど、レジ袋に入れられたそれを、坂本くんはケガをしてないほうの手で持ってくれた。


「あたしが持つから」と言っても、


「俺が持つっす」とゆずらない。


「いやー、三千九百八十円という値札を見たとき、センパイは万引きを考えてると確信したんすけどね」


「だれが窃盗犯だ」


 ぱしっと彼を殴る真似をするあたし。彼は目を糸のように細めて笑っている。



     八



 学校に着いて猫餌セットを置き、シニア猫餌パックのひとつを取り出してポケットに入れた。しかし、ふたたび松林を探すもミーコは見つからない。


「あの子って、ほんとうに野良猫なの?」


 あたしは坂本くんに確認した。


「たぶん」


「たぶんか……」


 ミーコの本当の名前をあたしはしらない。坂本くんもしらなくて、でも、あんなに汚くて痩せてる猫が飼い猫のわけがないと思った。ミーコの飼い主のおばあさんも、今頃天国でミーコを心配しているだろう。


「あたし、ミーコが見つかったら家に連れて行こうかな。おばあさんの代わりにあたしが家で飼ってもいいよね?」


 そう言うと、


「うそでしょ?」


 と、口を半開きにして坂本くんが驚いた顔をする。


「あたしの唯一の友達なの」


 わあっ!


 県立球場の歓声がここまで聞こえた。すぐに事務職員のメガネの女性が校庭に出てきて、


「同点よー!」


 と叫んだ。


「や、やった!」


 坂本くんは昇天するかの勢いで左手を高々と上げて天を指し示す。そして、その大きな手をひらいてあたしを見つめた。あたしは横を向いてハイタッチを拒否。


「もしも逆転して勝ったら、次の試合は俺が投げるっす!」


 コブシを握りしめて坂本くんは言う。


「ケガは大丈夫なの? プロに行って一億円の契約金を貰うんでしょ? 一年生から無理したらだめよ」


「えー? 調子がくるうなぁ。どうしてセンパイは優しいことばっか言うんすか。いつでも暴力ふるってください」


「はあ?」


 あたしを鬼か悪魔とおもっているのか。

 あたしのことを見直したのか、


「あの猫が見つからなかったら、代わりに俺を友達にしてください」


 と坂本くんが言った。


「代わりにね……」


 その語感には、できればなりたくないけど……。という意味が含まれている気がした。

 でも、


「俺も髪を染めようかな」


 と坂本くんが言い出して、ちょっと吹き出してしまった。本当にあたしの友達になりたいと思っているのかもしれない。


「だから、あたしのは地毛っすよ」


「あははっ」


 なぜかお腹を抱えて笑う坂本くん。信じてないようだ。



     九



 ミーコを探して校庭を歩きまわるも発見できず。最後に残るのはあの場所だけとなった。


「死にに行くようなもんす」


 正門に行こうとするあたしを坂本くんは止めた。

 あたしはこう思っていた。

 暴走車が正門に突っ込んでくる。あたしの代わりにミーコが犠牲になってしまう――。


「友達を助けたい」


 あたしは坂本くんを説得して二人で正門に向かった。


「ミーコ!」


 正門の植木の合間をあたしたちは探す。

 ホームセンターに買い物に出掛けたときは青天だったのに、空はどんよりして暗くなり、今にも雨が降りそう。


「雨が……」


 坂本くんが眉尻を下げて空を見つめた。


「まだ降ってないから大丈夫よ」


 ミーコが雨に濡れる前に発見したい。あの子は痩せて病気かもしれないから、早く保護しなければ。


「ちがうんす」と坂本くん。


「センパイが車に撥ねられるのを見たっていったじゃないっすか」


「夢でね」


「あのとき、雨が降ってたんすよ」


「あ……」


 ざーっ


 と雨が降りはじめた。手のひらを広げて雨を受けていると、「みーっ」と聞き覚えのある鳴き声がした。植え込みで黒い影が動く。


「い、いた! ミーコが!」


 こんなところに。

 もうあたしは、海で溺れる子供を発見したかのようにミーコに駆け寄り、AEDを取り出す勢いで買ってきたシニア猫用の餌をポケットから取り出した。これをミーコが食べてくれたら元気になるはず。そのとき――。


 ギャーン!


 という空気を震わす機械音がした。

 白いワゴン車が正門を破って突っ込んでくる!

 あたしはミーコを抱き上げた。


 間に合わない――!


 そう思った瞬間、坂本くんは地面をけって飛びはねた。

 ぐるぐる視界が回る。

 坂本くんが代わりに撥ねられたら意味がない……。

 そう思って気づくと、あたしは植え込みの奥に移動していた。


「坂本くん!」


 彼は、ミーコを抱くあたしを抱いて、大地に雄々しく立つ。

 運動神経抜群の彼は余裕の表情。

 暴走車は正門の奥の石垣に衝突して、頭頂部が肌色の運転手が呆然とした表情で車外に出てきた。運転手にもケガはないようだ。


「センパイ、自分が逃げるよりも猫を守ろうとしたんすね」


「え……?」


 ミーコはあたしの腕の中で怯えた顔で震えている。


「こわかったね、大丈夫だよ」


 と、あたしはミーコの頭をなでる。ミーコを守ろうとしたのは間違いないが、坂本くんが居なければあたしたちは死んだかもしれない。


「感動しました。俺と、友達からお願いします!」


「あたしと?」


 そのときだ。


 わあぁぁっ!


 と、ひときわ大きな歓声が県立球場からこだました。そして、ウ~ッと試合終了を告げるサイレンが鳴った。


「早く! 早く!」


 事務職員の女性が校舎の窓から身を乗り出してあたしたちを手招きする。事務職員の女性は車の暴走事故には気付いていないようだ。


「終わったんすかぁっ!」


 あたしを抱いて持ちあげたままの坂本くんが絶叫する。そして、だだだっ! と、そのまま駆けだした。事務室のテレビを見たいようだ。


「ちょ、ちょっと、君はケガしてるじゃない!」


 あたしが降ろすように言うと、


「これって仮病だから大丈夫。右肩を寝違えたって、みんなに嘘をついて学校に来たんすよ」


「ええっ!? ケガしてないの!?」


 あたしが車に轢かれる夢を見た坂本くん。

 現実と区別がつかないリアルな夢が気にかかり、彼は試合を捨ててあたしを救いにきた。


「でも、大切な試合だったんでしょ?」


「試合より大切なものが世の中にはあるんすよ」


 彼は達観したようなさわやかな表情で言った。あたしはドキドキして彼にしがみつく。ドキドキしたのは彼の胸の中だからか、それとも彼のために試合結果が気になっていたのか、どちらかなのか自分でもわからない。



      十



 事務室に入ると、事務職員の女性は号泣して涙の海に漂っていた。


 4対5


 あたしたちの学校は、逆転さよなら勝ちで劇的な勝利を手に入れていた。坂本くんはミーコを抱いたままのあたしを降ろし、事務職員とハイタッチをして勝利を喜ぶ。

 あたしも嬉しかった。

 ただ、彼はあたしにタイハッチを求めてこない。何度も無視したからあたりまえ……。今更、あたしからハイタッチを求めるのも恥ずかしかった。


「次の試合、俺の応援に来てくれませんか?」


 あたしの気持ちに気づいたのか、坂本くんはあたしの顔の前に、その大きな手のひらを広げて差し出してくれた。


「どうしてよ……。君ってあたしのこと、嫌いでしょ」


「とっくに逆転してる」


 あたしは、目の前に広がる彼の大きな手のひらに、


 ぱしっ!


 とハイタッチ。


「気が向いたらね」


 あたしは笑顔を返した。

「俺の応援」と言うあたりに、チヤホヤされ過ぎた少年の傲慢を感じるが、まあいい。ちょっぴりだけ、あたしの座席が学校に出来た気がした。そんな七月のある日のことだった。〈了〉


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