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第8話 喧嘩と雨とバスと露天風呂


 翌日、屋久杉方面へ出発する前のこと。


 夏樹さんと哲也と、あたしが喧嘩をしたのはソフトクリームが原因だった。あほらしいとは言ってくれるなというところ。売店には、屋久島の名産でもあるマンゴーソフトクリームが売っていて、あたしだって食べたくて仕方ないのを我慢していたんだ。

 なぜなら、手持ちのお金を計算すると、必要最低限のものしか買えないとわかっていたから。一個500円もする観光価格のソフトクリームなんて食べられる身分じゃない。


 ところが、あの二人ときたら。


 出発の日の朝、あたしは自分の目を疑った。テントを片付け、レンタル品を返しに行った二人が、問題のソフトクリームを舐めながら戻ってきた。


「あー! なにソフトクリームなんて食ってんのよ!」


 と声をあげるあたしに向かって、二人は顔を見合わせていう。


「おいおい、相変わらず、食い意地はってんなぁ」


「ほら、涼ちゃんの分もあるよ〜」


「ちっがーう!」

 あたしは思わず叫んでいた。「そうじゃないでしょ。手持ちがないって、昨日確認したでしょ。なんで買っちゃうの。なんで3本も買っちゃうかな。1本500円、3本で1500円なの。わかってる?」


「でも、俺らだけが食べたら怒るだろ?」


「そうそう、ちゃんと涼ちゃんの分も買ってきたし。だいじょうぶ。私の勘では、なんとかなるよ」


「だーかーらー、あたしの分があるとかないとかの話じゃないの。あと勘じゃなくて、計算して。なんとかなんないよ! どう計算しても、屋久杉方面へのバス代が足りないの!」


「あ、そっか」

 ソフトクリームをペロッと舐めながら夏樹さんが言う。「いつもはバイクの一人旅だったから、バス代まで考えてなかった。てへぺろ」


 いくら愛らしいてへぺろでも、この時ばかりは殺意を抱かずにはいられなかった。鳴き叫ぶ蝉の声を浴びながら、死の行軍に参加する羽目になったのだ。


 その原因になったものではあるけれど、マンゴーソフトクリーム自体はたしかに美味しかった。濃厚で、それでいてさっぱりとした甘さ。

 なにより凶悪な暑さの中で食べる冷菓の優しさよ。あたしは、すべての荷物を哲也と夏樹さんに持たせて先に立って歩いていた。


 イヤホンで大音量の音楽を聴きながら。


 そのせいで、哲也が呼んでいることになかなか気付かなかった。


「なあ、なあ、涼子!」


「ん? なによ」


「もうちょっとゆっくり歩いてくれ。なんやかや荷物が重くてさ」


「はん! バスケ部レギュラーが、そんな程度で音をあげてんじゃないわよ」


「いや、この炎天下を歩くのはつらいよ?」


「バスに乗れなくなったのは誰のせいよ」


「そりゃ悪かったって」


「もういい! あんたたちとは口きかない」


「ごめんって」

 と言って口調を改め、哲也が言う。「でも、聞いてくれ。仕方がなかったんだ。だって、そこに、ソフトクリームがあったから」


 カコン!


 返事代わりに、ソフトクリームのケースをぶつけてやった。


 そのまま死の行軍が続くかと思ったが、途中、急に天気が崩れ、にわか雨が降ってきた。短時間のものとはいえ、その分、激しい。

 仕方なく雨宿り先を探したところ、皮肉にも、乗る予定だった路線バスの停留所があり、3人でそこへ逃げ込んだ。

 あたし、哲也、夏樹さんの並びで雨が止むのを待つ。まずは逃げ込む先があって助かったけど、狭いバス停内、なかなか居場所がない。


「ちょっと、哲也。もっと向こう行ってよ。くっつかないでくれる?」


「仕方ないだろ、狭いんだから」


「あ、あんたたちとは口きかないんだった」


 プイッと横を向いてやる。哲也が、子供か! と突っ込んできたけれど相手してやらんのだ。やがて、雨は止み、静けさと爽快さと涼しさが一度にやってきた。


「わぁ、すごい涼しいね、涼ちゃん。あ、涼ちゃんの名前と一緒だねぇ。すごいねぇ」


「はあ、なにがすごいのか、さっぱりわかりませんけど」


「だなぁ」


 二人とも、何も気にせず、普通に話しかけてくる。あんたたちとは口きかないって言ってんのに。バカバカしい、やめやめ。


「そういや」

 と心に残っていた疑問がするりと口をついて出た。「ねえ、哲也。沙希を傘に入れてあげてたよね。結局、付き合うことにしたの?」


「ちげぇし。傘を忘れたっていうからさ」


「ふぅん、あんた鈍いからなぁ」


「なんだよ!」


 言い合っている間に、停留所にバスが停まった。トタン屋根に落ちる雨滴がリズミカルに音を立て、バスを出迎えた。

 降りる人はなく、あたしたちがバスに乗ると思って停めてくれたのだろう。夏樹さんが運転手さんに声をかけてくれた。


「あ、すいません。乗らないというか、乗れないんです。ちょっと手持ちが……」


「ん? バス代のことかい?」

 運転手さんが不思議そうにいう。「先月からコミュニティバスになって、運賃無料なんだ。乗って行くかね」


 もちろん、喜び勇んでバスに乗り込んだ。あたしは、にこやかに、


「いやぁ、気持ち良いね。やっぱり文明の利器だね。エアコンの効いた車内に座っているだけで目的地へ着くなんてすごいね」


と、哲也に愛想よく話しかけたが、案の定、哲也はジト目でこっちを見てきた。


「誰だっけ、バスに乗れない! ってプリプリしてたの」


「……悪かったわよ。知らなかったんだもの」


「まあまあ、涼ちゃんも、哲也くんも。

 ソフトクリームを食べて、屋久島の夏を満喫して、涼しいバスで目的地へ行けるのだから、結果オーライでいいじゃない」


「まあ、そうかな」


 というわけで、ソフトクリーム戦争は終結し、大団円となった。


 その日、最後にバスが停まったのは、海辺のキャンプ場で、ここではバンガローに泊まるのだという。


「予約と支払いは、こっちへ着く前にしてあるから心配しないで。明日、屋久杉までは歩くわよ〜。今日は、ここで一泊。しっかり体を休めておいてね」

 と言葉を切ると、夏樹さんはにやにやと。「いいとこなのよ、ここは。なんと露天風呂付きなの。シャワーばっかりで疲れたでしょ。ゆっくり入りましょ」


 その言葉通り、バンガローには海に向かって露天風呂が据え付けられていた。天然の海中温泉を基にしてあるらしい。バンガローごとに区切ってあり、ベランダから、きちんと男女別の脱衣所につながっていた。


 服を脱いで温泉への引き戸を開けると、そこは暗い空の下だ。もうもうと立ち込める湯けむりの向こう、海と星を見渡せる温泉に魅せられて、荒い石造りの湯舟も気にならず。じっと海と空を見つめていた。


 一人だった湯舟に、ざぶり、もう一人誰かが入ってきた。夏樹さんが入って来たのかと思えば、そうじゃなく。そのシルエットは、


「て、哲也?」


「んあ? 涼子! な、なんで」


「なんでって、あたし、ちゃんと女性用の脱衣所から入ったんだけど」


「俺だって、男性用を使ったわ!」


「まさか、脱衣所だけ別なの?」


「あ、ああ、そうかもな」

 ぶくぶくと沈み込むようにしながら哲也が言う。「あ、でも、だいじょうぶ。暗いし、お湯も濁ってっからさ。見えてないから。俺、もう出るよ」


 ざばっと出ようとする哲也を引き止める。


「待ちなよ。こんな満天の空の下で温泉だよ。ちゃんと入んなきゃ後悔するって。あたしの裸なんて見慣れてんじゃん?」


「そりゃ、ガキの頃の話だろ」


「たいして変わんないし。いまも小学生に間違えられるガキ体型だし」


「んなことねぇよ、バカ」


「あ、またバカ呼ばわりしたな!」


「立つんじゃねえ。恥じらいを持て、バカ」


「あー、また!」


 などとやりあっていると、この度の元凶がやってきた。にやにやした表情の夏樹さんだ。自分だけ水着をつけている。


「あら、風呂自体は一緒だって言ってなかったっけ?」


 その口振りから、確信犯なのがよくわかった。まったくもって、許すべからざる人である。その人は、


「さすがに私は水着着用よ。刺激が強すぎるでしょうからね」


などとのたまっていた。その体が、景色に溶けるように。星明かりが夏樹さんの体を透けて見えた。

 あたしが目をこするのと、哲也が目をこするのが一緒だった。哲也も同じものを見たのか。しかし、それは一瞬だけのことで、目を見張る哲也に向かって、夏樹さんがからかうように言う。


「おや? もう哲也くんってば。エッチな目で見てたのかなぁ?」


「ち、ちげぇし!」


 あたしは、必死に否定する哲也に、バーカと言葉を投げかけた。


 シュラフではなく、久しぶりのベッドは本当に快適だった。今時のバンガローは冷暖房完備で、施設的にはホテルと変わらない。ぐっすりと眠り、ついに屋久杉を見に行く日となった。


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